最終話 導きのストレーガ
暗い。
暗黒の海の底――彼女には此処がそう思えた。
寒くて、寂しくて、何も無い場所だなと。
そこでクスリと自虐的な笑みが溢れる。
……なんだ。
それじゃあんな地獄みたいな世界より全然良い所じゃないかと――
火の国の、創世記の、紅い魔女。
魔導科学の母、人類の敵、大殺戮者、数々の異名を持つ女イザナギ=アヤノ=マクスウェルは想う。
「やっと、やっと終わりそうだよ……秋影」
暗い闇の底で過去、自分を愛してくれたオッドアイの青年を想う。
「ワタシは昔からやる事なす事裏目ばかり……」
小さな光が2つ――綾乃は掴もうと手を伸ばすが、片方の光は掴む前に消えてしまう。
「こんなワタシが何で権限の力を持って生まれちゃったんだろう……」
昔を思い出していた。
「こんな事なら……あの時のアーサーの言った事……聞いとけばよかったなぁ」
彼女は悲しそうに笑う。その顔はいつも表に出ている裏人格、”マクスウェル”では決して見せない弱い女そのものだった。
「影王と、ユウ君……ワタシには選べない。選んだら……どちらかが死んじゃうもの」
だから。
「これで良いんだ……リィナのあの力ならきっと今度は上手くいく」
目の前にもう一人のアヤノ、マクスウェルが現れた。人格を分けたもう一人の自分と向き合いながら。
『この決断は今度こそ間違いではないと?』
「えぇマクスウェル、今度こそ」
マクスウェルは腕を組んで溜息をついた。
『お前は影王の中に居る秋影を殺したくないのだ。それだけの為に我らが運命に逆らっている』
「ち、違うわよ! ワタシは――」
『アレに残っているのは残りカスでしか無い。目を覚ませアヤノ、目の前の転がった幸運は自分で作り上げた信念に劣る……後は無いぞ』
「うるさい! プログラムでしか無いアンタに何が解る!」
激昂するアヤノの瞳の中には違うものが見えた――それは後悔の感情。マクスウェルは眼を閉じた、自分はあくまでアヤノの裏人格、”決定権”は表人格であるアヤノにあるのだから。しかし――
『そうか……お前は』
「なんなの、何なのよ!? アンタもアーサーも! 何でも知ってるみたいにワタシに説教垂れて、いいじゃない!? 嫌な事から逃げて何が悪いのよ。それが普通の人間よ、普通のワタシに九百年は長かったのよ! もぉ嫌なのよぉ……くそったれなメインユーザーが作ったこんな世界なんてぶっ壊して逃げちゃえば……いい……」
語れば語るほど自分が間違っていると感じてしまう。黒い空間に無数の光が現れ、マクスウェルはその中の一つを掴む、その光は勢いを増して輝きだした。マクスウェルは思う、あぁそれも良いだろう。どの道を選ぼうと死ぬ運命を持つワタシ達は逃げるべきかもしれない……だが。
『ユウィンの奴が泣いている……ワタシらの愛しの馬鹿弟子が……』
アヤノはうずくまる。
本当は力を貸してやりたい、もう一度秋影の時のように熱く生きたい……でも自分が手を貸せば、また大勢の人が死ぬかもしれない。やっと現れてくれた人皇をこれ以上不幸にしてしまうかもしれない――怖いのだ。決断することが。
「……もう無理よ。ユウ君の核は無くなっちゃったんだから……絶対に閻王と光皇には勝てないもん」
『ワタシはもう、アイツの流せない涙を見たくない』
マクスウェルを中心に魔法陣が広がった。
それは恐ろしく複雑で、巨大な”術式”。
『ワタシ達がユウィンの主皇因子核に打ち込んだ”マクスウェル機関”はまだ生きている。失ったのはバハムートとリンクさせていた魔法因子核だ』
「…………」
本当は、知っている。
リィナの計画が上手くいかないことも。
マスターコアがまだ、生きていることも。
『”魔法使い”になりたかった……マリィを救えなかった異世界の男が望んだ”力を持った自分”。その後悔が造り出した魔法因子核は砕かれた。しかしプレイヤーであるユウィンが持つ本来の力、主皇因子核はまだ生きているという事さ。リィナ=ランスロットも知らない、ワタシ達だけの秘密。何故アイツが不死なのか……何故アイツが”七皇鍵”を持たないのか』
暗黒の空間を見上げるマクスウェル。
その身体から溢れ出る光は天を貫く一本の道となる。
『秋影は独りぼっちのお前に幸せをくれた……同じ人間なんだそれは解る』
だが忘れるな。
たとえ何度間違えようと――
『ワタシ達はユウィンを導く”魔女”だ』
暗黒の空間は崩壊を迎える。
マクスウェルの魔法陣が指し示す一筋の光目掛けて。
彼女は勢いを増して突き進んだ。
イザナミ=アヤノ=マクスウェル――その魂に刻まれた権限は”プレイヤーを導け”その能力は”侵入解除”。
ありとあらゆる術式の効力を解除し、逆に他者に植え付け、奪うことを可能とする。
生まれ落ちて数百年目、強く生きようと誓った彼女は自分の運命に涙し、抗いながらも、自らの主皇の為一つの術式を完成させていた。
アヤノの権限の力により生み出した”拘束制御機関”。自らの因子核に作ったそれは、プレイヤー№1人皇が、主皇因子核に宿す鍵――
”武装七皇鍵”
その後遺症と力を制御し、完全に停止させる事も出来る特殊術式。
彼女は待って、待って、待って、待った。
秋影を失くし、人々を率いて初代魔王を打ち取り、人々を繁栄をもたらし、人類に破滅をもたらし、自らに絶望し、そして全てを元に戻そうと魔王を再び解き放った。
待って、待って、待って、待った。
外の世界では何百年が過ぎただろうか、独りぼっちで人の寄り付かない山で隠れるように暮らす女は孤独に耐え切れず、自らの中にもう一人の人格を生み出した。
マクスウェル――自分の中にある術式が自我を持ち、生まれたもう一人のアヤノ。弱い自分を嫌い、強くあろうとした理想の自分の姿。
更に百年余りが経過し、遂に彼女の前に待ち人が現れる。
王者の因子核を持つ人皇――彼はユウィン=リバーエンドと名乗った。
だが待ちに待った自分の主人は、魔法も使えず、力も持たず、そこいらに掃いて捨てるほど居そうな、ごく普通の男だった。その男はこの山道を何日間も走り続けて此処に来たのだろう、体中が傷だらけで酷く匂い、汚らしい。
泥だらけの男は涙を溜めて地面に頭を擦り付け、自分にこう言ったのだ。
「お、お願いします……マリィの病を直してやって下さい。もう貴女しか頼れる人が居ないんです……お願いします」
アヤノは頭をぶん殴られたような目眩を感じる。それは過去、愛する者の背中で聞いた一言だったから。
『お願いします……アヤノを助けてやって下さい、貴方しか頼る人がいなくて此処まで来たんです! お願いしますアンコリオさん!』
アヤノと彼女の中のもう一人の人格マクスウェルは、この男に普通の人生を歩ませてあげよう。メインユーザーにその身を犯されない、この世界の理から外してあげよう。そう思い、男にこう言ったのだ。
「お前がワタシに約束するなら……その女の病を直してやってもいい」
この人にも大事な人がいる。
助けたい大切な人がいるんだ
じゃあワタシはその次で良い。
五百年も待ったんだから、後数十年くらいどうってことないよ。
その代わり――
「ただし、その女が寿命で死んだ時……ワタシの所に来い」
貴方が幸せを全うしたら、次はワタシを助けてね。
たった数年で良いから……優しく手を握ってね。
ね? お願い。
ワタシの主皇。
”拘束制御機関”
アヤノはユウィンが持つ主皇因子核の機能を停止させた。他のプレイヤー見つからないように。この男が戦わずして生きられるように。普通の人間として人生を歩めるように。
だが、それこそが己のマスターを、最も苦しめる結果になってしまう――
人皇たるユウィン=リバーエンド進む道は、アヤノではなく、狂った科学者リィナ=ランスロットに導かれ、ブルスケッタの街に降り立った魔人ラビットハッチにより蹂躙されたマリィ=サンディアナの姿から、狂い始める。
この物語は二人の後悔から始まった。
――それは兎の魔獣と淫魔の手によって地獄を見た人皇ユウィン=リバーエンドと、彼を導けなかったアヤノの後悔から始まったのだ。
 




