第15話 蠢く老婆
「姫殿下! 彼の者を出場させたのは間違いだったのではないですかな!? あれでは我が国の品位が疑われますぞ!」
「え、えぇ……確かにそうですね」
丁度予選トーナメント一段落した所で、アリーナ上部に来賓者や王族用に特別に作らせた個室観覧席では、大会を見ていた貴族がリングから降りるユウィンを見ながら叫んだ所だった。
「英雄の戦いぶりをひと目見ようと駆け付けた自国民迄もが顔を引きつらせてますな」
「も、もぉクロードまで……」
事実そうであった。今迄盛り上がっていた会場は静まり返っている。確かになんとかしなければ、一番の盛り上がりどころである明日に控えた本戦の来場数に問題が出そうである。
「何か案はないでしょうかカミーユ」
執事クロードと一緒の傍らで待機していた今大会代表選手兼大臣、カミーユ=クラインがいつものワザトラシイ仕草で口に手をやり返答。彼は既に決勝進出を決めていた。
「それでは花火を打ち上げましょう。そして今のハーフタイムを利用して観客に無料でアルコールを配るとしましょう」
「成程……お願いします」
「実は既に手配済みですので直ぐ様取り掛からさせて頂きます」
「さ、流石ですカミーユ」
「では少しの間失礼致します」
そう言って軽く一礼してからカミーユは特別観覧席から席を外した。しかしアンリエッタは実の所、別の事で気が気では無かった。
(ユウィン様どうしてあんな戦い方を……)
アリーナ中央から控室に向かって歩く想い人を見ながら、アンリエッタは祈るように両手を組んだ。もしや昨日倒れた時に何かあった? 実は大会が乗る気出なかった? 私が彼に何か気に入らない事をした? 様々な事が浮かぶが考えがまとまらない。
「殿下、少しよろしいですか」
「ひゃっ は、はいクロード」
丁度、一番嫌な憶測をした時に話し掛けられ一瞬椅子から体が浮くアンリエッタ。
「先程の彼――カミーユ=クラインですが、以前はどちらの部署で仕事を?」
「え、カミーユですか? 確か中央の税務科だったと思いますが」
「その前は?」
「そこまでは知りませんが、当時の中央ギルドの局長が優秀だというので引き抜いたんです」
ふむ……クロードは少々鋭い顔で考え込んでいるようだ。
「どうかしたんですか? クロード」
「いえいえ、いつもながら見事な仕事ぶりに感銘を受けましたので」
クロードは確信が無かったので黙っていた。
彼の足運びはゼノンの流派”黒”のそれに近い……それも達人であるクロードですら”どうだか解らない”レベルの者。
(しかしありえるだろうか? 純血のトロンリネージュ人が……思い過ごしなら良いのだが)
クロードは円形のアリーナに3つある特別観覧席を見ながら思う。丁度その時、会場に天空に大きな花火が上がった。
◆◇◆◇
「あっれおっかしいなぁ。メアちゃん? ユウィン君の因子核はちゃんと砕いたんだよねぇ?」
『はい博士。能力で確実に砕きました』
魔人科学者タンジェント、本当の名をリィナ=ランスロットという女は、リングから降りるユウィンを見ながら頭にハテナを浮かべた。答えたメアと呼ばれる小さな女の子はニッコリ微笑む、ショートボブで栗色の柔らかそうな髪、大きな目、艶やかな肌の愛嬌のある美少女。ただ変わっていたのは、幼い容姿と背格好にアンバランスな、標準より大きな胸の谷間に刻まれた輝く刺繍、”神呪刻印”――彼女こそタンジェント博士の最高傑作、試験体ナンバー100番メア=アウローラである。
「だよねぇ~おっかしいなぁ」
「ミスリィナ、何がおかしいのですか?」
同じく大会を見据えるヘルズリンクがワインのコルクを素手で抜きながら言う。リィナは頭をガシガシかきながら応える。
「彼――気が使えているんだよこれが」
「人間の魔法因子核はよく解りませんが……無くなると武装気は使えなくなるものなのですか?」
武装気とは、人体の気の力で肉体を強化、または硬化したりする能力である。
「いやね、そうでも無いんだけどぉ。人間に限らず全ての生物の心臓には因子っていうマザーボード……って言っても解んないか……基盤みたいなものがあるの。普通の人間はそれに何も付いてないんだけど、人間の魔法使いなら魔法因子核、魔人なら結晶化してるから解りやすいけど魔人因子核っていうのが付いてるのね? そして人間にはチャクラっていう気と魔法力を上手く循環させる潤滑油みたいなモノがあるんだよ。それを上手くコントロールするのが因子核なんだ。PCでいう所のOSみたいなもんなんだけどさ」
「うむすいません。半分程しか解りませんがまぁ良いです」
当のリィナは全く気にせず講義を続ける、どうも違うことを考えながら説明しているようだ。これは彼女の頭が並では無いことを意味していた。
「要するにオートナビゲーションが無いのに気を使えてるのがおかしいって事。マニュアル操作で”気”なんて元々人間に無い能力を自在に操るなんて人間の脳では不可能なんだ、それに……」
「……成程、それにどうしたのですか?」
リィナは非常に興味深いといった表情、しかし禍々しくも見える笑みを浮かべ。
「オーラの質量が大幅にアップしてる」
「それは珍しいことなのですか?」
完全に聞き役と化したヘルズリンクがワインを上品に飲みながら質問。実はタンジェントというこの魔人は、何かの説明をさせておけば非常に機嫌が良い。今朝から急にご機嫌斜めに陥った彼女の為、策士ヘルズリンクはワザと興味もないのに質問しているのだ。
「ありえないねぇ、気の質量は元々持って生まれた基盤――マザーボードのスペックに左右される。すっごい年をとると減っていくけど血液の量が増えたり減ったりあまりしないようにチャクラ、オーラの基本スペックは変わらないんだ。それも……ステータス表示」
ピピピッ――リィナ掛けている眼鏡フレームに光が灯る。
「メアちゃん? 昨日ユウィン君を測った時の数値は……確か5,000の189,600だったよね」
「そうです博士、オーラ種別は”基本混合型”、質量5,000に、最大魔法出力189,600で間違いありません」
「基本型とは?」
「ふっつーの気って事、ゼノン辺に多いじゃない? 特型種じゃなく一般的な”心技体”を強化する武装気って事」
「成程、人間で言うところの5,000は多いのですか?」
「まぁ中の中ってところのかなぁ。ちなみにオーラの量は肉体の強化倍率に比例するの、だから戦闘能力とは直結しないんだ。普通ならこの程度の数値で魔人族とまともに殺り合えば確実に死ぬね……”魔人殺し”彼の場合、戦闘経験と肉体の鍛錬と魔法力でそれを補ってきたんじゃないかな?……そのはずだったんだけど」
再び会場を見下ろす。
「今は常人の10倍、オーラ質量5万に増えてる。対して魔出力……キャパはたった1。気に入らないなぁイッヒヒヒ」
「まぁオーラの謎はともかく、魔法因子を破壊したのですから魔法出力”1”は当然なのでは?」
魔人研究者タンジェント――彼女がこの笑いをする時は危うい、すっごく嬉しいか怒ってる時だ。ヘルズリンクは「面倒な……」胸中でため息を吐いた。
「”1”と言う数値が気に入らないなぁ……因子核を完全に破壊したのにぃ、体内に魔法粒子が残留している訳がないじゃーん。な~んでゼロじゃなくイチなんだよ気持ち悪いなぁもぉイヒッヒッヒ」
『博士、解らない事ついでにメアも一つ良いですか?』
「メアちゃんって意外と空気読まないよね、でもそういう流されない所好きよ?」
『メアも博士が大好きですよ』
メアはニッコリと太陽が照らすような微笑みを浮かべた。
「可愛いねぇイヒヒッ……で、な~に」
『ハイ、プロトタイプ素体の反応があります。恐らく31番素体でしょう』
リィナは眼下に広がる12の闘技場リング、その一角を目で捉えた。
「あら? ホ~ントだ。 こんな所で逢えるなんてね~イッヒッヒ」
『それと31番の隣にいる女性ですが……あのその……オッパイの大きい娘です』
「何で照れるの?」
『いやどうしてでしょう?……常軌を逸した質量です』
「まぁねぇ……あのサイズじゃ可愛いブラあんまり売ってないよねぇ」
少々赤面しながらメアはフルフル頭を振った。
『オッパイの話じゃありません博士。オーラ質量を見て下さい』
ハテナ? リィナは再び眼鏡のフレームを触って驚愕の声を上げる。
「ひゃ、100万!? アビリティメーターの故障?」
『いえこちらでも確認出来ました正確な数値です。メアに匹敵するオーラ質量ですね』
「うっそ~ん……天然であんな娘がいるとはねぇ」
ヘルズリンクもその視線の先をヴァンパイア特有の視力で追う。そして彼の背後に霧と供に、例えるならフランス人形のような女メイドが出現する。ヘルズリンクの4人の従者の1人、眷属吸血鬼ノワールである。
「おやノワール。ずっと姿を消しているのは疲れましたか? 私としたことが不覚でした」
ノワールは表情を一切変えず首を左右に振った。
「いいえヘルズリンク様違います。先程の巨乳娘……キャロル様の命令対象です」
「ほぉあの娘ですか……影王が回収に失敗したという」
「はい。私は言いつけ通りキリン様の影に潜み、現場で監視をしておりましたので間違いありません」
「キャロル様の妹君候補……いやはやお気の毒に」
ヘルズリンクは片眼鏡を直しながら肩をすくめる。眼下の巨乳少女で一体どんな”遊び”をするつもりなのかと思う。美を重んじるヘルズリンクには想像したくない光景であるから。
「えーーーー? よりによってあの娘ぉぉ? 連れて返って実験に使いたかったのにぃぃぃ!」
リィナはロリババア特有の甘えた声で頬を膨らませて不満をアピール。まぁこの変態マッドサイエンティストに捕まるよりはマシか。ヘルズリンクが胸中で一人で納得。
「ミスリィナの第一目標は達成してるんですから贅沢言わないで下さい。二兎追う者は一兎も得ずと言いますし」
「兎って言うとラビットハッチ君思い出すよね」
「いや、思い出しませんが」
「イヒヒッヘルズリンク君はハッチ君嫌い?」
何で急にラビットハッチの話になるのか。ヴァンパイアロードは兎とは思えない、ヤツの5メートル近い巨体、4本の腕、6本の足、3本の触手という名の生殖器を思い出すして舌打ちした。
「同じ魔人四天王……嫌いという感情はありませんが些か彼の性癖と姿は美しくないかとは思いますね」
「アチシは結構好きなんだよね~バカだから扱いやすいし、可愛い女の子創ってあげたら喜んで言う事聞いてくれるしね? 随分昔にブルスケッタって街をブッ潰して貰ったんだけど……あれは痛快だたなぁヒヒひひひ」
「……ミスリィナ?」
ヘルズリンクは不快に思った。
タンジェント博士は背は小さく一見子供のように見えるが整った顔のメガネが似合う美しい女性である。その女が見せた面に不快感を覚えた。その女が浮かべていたのは”憎欲”憎しむ喜び。目の瞳孔は爬虫類のように開かれ、その美しい唇と口角は避けるほどに開かれ笑っている。
特別観覧席から――足を引きずるユウィン=リバーエンドを見ながら。
(主皇因子核を砕かれたのにまだ”プレイヤー”を気取るのか。それとも人皇にはリィナも知らない何かがあるのか……まぁいいや。苦しめ……もっと苦しめ……もっともっともっともっともっともっと苦しんで悩んで永遠に生き続けろ忌まわしいプレイヤーめ……ヒッヒヒヒヒィィィ!)
不意に彼女の脳裏に風景が浮かんだ。
創世記――世界が始まった時、何もない丘の上に生まれた自分の姿と毎日見て沈む太陽……そして何も無いまま老いていく自分が眺めるのは、やはり上り沈む太陽だけだった。彼女は待った、創造主が与えてくれる運命の人を……彼女は待った。創造主が我が躰を選んでくれる時を、でも――丘には誰も現れなかった。
八十年の歳月が経ち、彼女は老いた躰を引きずって丘を降りる。住んでいた所はあまり栄養価の高い食料が無かった為、彼女の体は一般の八十代より遥かに老いていた。
ここを出て何処へ行こうか? 目的は無かった。彼女の魂に刻まれた”因子の力”は既に、老化に伴い殆ど消失してしまっていたから……シワで刻まれた顔を擦って思う。
”あたしは何の為に生まれてきたんだろう”
そう思った。
”でも仕方ないか。あたしを守ってくれるはずの騎士様は……現れなかったんだから”
そう思った。
彼女は何処かの山の中、美しい滝の流れる場所で体力の限界を迎える。
”綺麗だなぁ……この音と水色と緑……この流れる水色の中を泳いでるのって……なんだろう”
彼女は何も知らなかった。
”守られるため”として創造された故、生きて行く最低限の知識しか持たず。滝壺に泳ぐ魚と濁流――その河も魚も滝もただの綺麗な水色、ずっと住んでいた丘には無かった新しいモノでしかなかった。彼女は仰向けに寝そべり天を見上げる。丁度その時、赤い流星が空一面に広がった。
”綺麗だなぁ”
その新しい風景に感動を――心に生まれた新しい感動に満足感を、そしてここまで独りで来られた自分に達成感を感じて老婆は瞳を閉じた。「もうこの瞳を閉じれば二度と明日は来ないだろう」そう感じながら。
”お休みなさいあたし”
老婆が瞳を閉じる直前――滝壺に動く大きい何か見えた。
なんだろうか。
掠れる目を再び見開き凝らして見た。彼女は見た。
それは青年だった。
左目が赤、右目が黒の瞳を持つ”男”と呼ばれる種族だろう。
最後に良いものを見たな。そう思っていた時その青年に変化が起きた。
男の体は黒く染まり、左目が発光し真っ赤に燃え上がり短かった髪は腰まで伸びて風に揺れる。その”黒い男”は掌をを突き出してこう言った。
「魔人影王の名において命ずる。生まれよ我が半身! ”使徒”……秋影」
影王と呼ばれる男の影が大きく広がり、中から男が生まれ出る。一部始終を見ていた老婆は目を見開いて驚く、その新たに生まれた青年は左目が赤、右目が黒、影王と呼ばれる男と瓜二つの分身であったから。そして老婆の心に暗い感情を灯した。
”あたしも昔はあんな美しい体だったのにな”
一糸纏わず生まれ落ちた秋影という青年を見て思った。
”あぁ自由に動く躰が欲しい……もっとこの世界を知りたい……もっと綺麗なものが見たい”
今そこで生まれた青年に老婆は嫉妬したのだ。美しかった頃を思い出してしまったのだ、欲が出たのだ、こう思ったのだ。
”生きたいなぁ”
そう思った時――老婆に赤い流星が落ちた。
創世記、天に解き放たれ流星となった”それ”は、影王という魔人によって解き放たれた666の魔人核の光――真紅の流星に討たれた老婆はその体に微かに残った”因子の力”を使い、今から自分が何に変化するのかを知る。
だが、そのリィナ=ランスロットという老婆はその時気付いた。その時に瞬時に思いついた。
魔人に転生し不死の化物になる、それもいいだろう。今ここで死ぬより遥かに素晴らしいことだ。でもそのままでは魔王レッドアイの支配欲に逆らえなくなるだろう――それは自由ではない。それでは今迄ずっと天命に従い”あたしの騎士様”を待ち続けた八十年と一緒だ。シワと後悔しか残らなかった今までと一緒じゃないか――そう、だから彼女は”それ”を決行した。
影王と呼ばれる魔人が、自分の分身《使徒》を創るのを見ていた彼女はその時に瞬時に思いついた”それ”を決行したのだ。
彼女の望み――決して縛らぜず、後悔せず、全てを知る朽ちない己。
老婆は思った。
”あぁ自由に動く躰が欲しい……もっとこの世界を知りたい……もっと綺麗なものが見たい”
「イッヒッヒ……そうだそうだ”作れば”良いんだ……」
そんな自分を――歯の半分が抜け落ちた老婆は笑う。自分の因子核を侵食していく魔人核を感じながら笑う。
誰が生きてやるもんか! 何処の誰とも知らないよく解らないそんな何かの為に! 絶対に生きてやるもんか! そうだ――あたしは人間なのだから!
「あたしは創造主に最初に作られた”権限者”だ! 舐めるなぁぁあ」
この世界に一番初めに作られた女イザナミ=アヤノ=マクスウェル――魂に刻まれた顕現は”プレイヤーを導け”彼女はこの世界の理をプレイヤーに伝える為、不死の能力を持って生み出された。
同じくして作られたこの老婆――リィナ=ランスロットは守られる為に作られた。プレイヤーが守護するその対象として、この世界の創造主メインユーザーの”器”となるべく生まれてきた。しかし待てど暮らせどプレイヤーもメインユーザーも現れず、顕現の力は老いと共に消滅してしまう。――老婆の魂に刻まれた顕現は”プレイヤーを操作せよ”。後の世にアンリエッタ=トロンリネージュが受け継いだ最後の力を使って知り、実行した。
”決して縛らぜず、後悔せず、全てを知る朽ちない己”を造り出したのだ。初代影王、そして全ての魔人に備わる能力――分身、使徒を創り出せる能力をヒントにして。
そう、魔人タンジェント博士またの名をリィナ=ランスロット。――彼女は魔人にあらず、ヒトである。
自由で真っ直ぐで博識な不死身の人間――それが過去、老婆だった女の望んだ姿だったから――。




