第4話 月下の魔女と
「そんな隅っこで浸かってないで、こっちへ来い馬鹿弟子」
「そんな事言ってもですね……いい年の男女ですよ俺達は」
数時間と少しは飛翔だだろうか、アンリエッタにバレないように城を抜けだし、現在月光の眩しい深夜――俺ことユウィン=リバーエンドは師匠であるイザナミ=アヤノ=マクスウェルに半ば強引に見知らぬ小高い丘の上にある自然温泉に連れて来られていた。
「温泉って……俺は何かの比喩的表現かと思ってたのですが」
「温泉といえば露天風呂だろ。良く分からん深読みをするな馬鹿が」
きっと何かの儀式かと勝手に思っていた俺は、現在アヤノ師匠と露天風呂に浸かっていた。
浸かっているとはいえ、無論アヤノさんも俺も素っ裸である。にもかかわらず近くに寄れとか…普通女性から風呂入ろうとか言うだろうか。
まぁこの人の年を考えたら俺なんか胎児以下の精子以下みたいなものだが。
「ん〜やはり良いな温泉は……西部の蒸風呂文化も悪くはないが、ワタシはやはりコレ派だな」
俺はアヤノさんと5m離れていた距離を3m程に縮めてから周囲を見渡した。
麓には火の国ジパング特有の瓦を葺いた屋根の建物が見えるが、此処はちょっとした山の頂付近にあるにもかかわらず緑は無く、小高い丘には動物を含め生物の気配が全く感じられない少し哀しい場所だった。
ただ、この自然温泉の岩場だけは人口で囲ったのだと思われる囲いが作られており、手入れがされてないのだろう、雑草や特有の苔が付着して少々汚い。
故に大昔、地元の原住民が作ったのだろうと推測出来る。
「どこですかここは、火の大陸に渡った迄は解りますが」
「あぁ」
アヤノさんは持参のグラッパの瓶を片手に一杯やりながら答える。またアンリエッタに黙って、城の貯蔵庫から持ってきたようだ。
「火の国の紀伊だ……知ってるか?」
「紀伊の国は無いですが、昔に丹波の城に在住したことがあります」
「お前もワタシの家を出てから色々あった訳か……あぁ成程、お前の小太刀は叢雲家のものか」
「千姫という魔人に貰ったものです。俺は村雨と呼んでいますがね。正式名称はハバキリ……でしたか」
相変わらずアヤノさんは何でも知ってるんですね。
そういう俺に、当然顔でアルコール度数40℃以上もある蒸留酒を喉に流し込んでいた。
しかしアヤノさん……この温泉、無色透明なものだから見えてるんですけどね色々と。
「やれやれ…ジパングの女史は恥じらいを重んじるのでは?」
「お前、年の割に乳臭い奴だな……何だ、ワタシの体にまた欲情でもしたか?」
「またって……まぁそうですがね。少々」
「フッ……まぁされんよりはマシか」
大人の女性過ぎるリアクションで返し、ゴブレットを傾ける。
しかしこの人カッコ良すぎるな。アンリエッタとシャルロットとこの状況なら大騒ぎだろう。
「何故ここへ? アヤノさんの事だから温泉入りに来ただけ。では無いでしょう」
「フン……お前が最近明る過ぎるのでな……」
「あぁ……成程」
解ってしまうのか、この人には。
俺は先日、102年前に戦死したゼノンの姫マリア=アウローラの日記と言葉を授かった。
「マリアは……マリィと呼ばれていた娘です」
「……そうか」
彼女は俺と別れたのち、すぐに死んだらしい。
と、いう事は恐らくあの時、俺を助けてくれた黄金の武装気を放った反動で致命傷を負った可能性が高い。遺言と伝承からもそう読み取れる。
(俺はまた守れなかった)
この単語は俺の心に深くのしかかっていた。
マリィの時は力が無かった為――そしてマリアの時は力に奢った為――自分の掌で掴めなかった女達。
過ぎた事を悩んでも平行線だ。
そんな事は解っている。
その答えを出すのに俺は400年もかけたのだから。
トラウマを乗り越えたと言っても切り替えれない感情がある。だから皆に心配をかけないように、出来るだけ明るく振舞っていたのだが、師匠にはバレていたようだ。
「悩むのが好きなお前の事だ……また守れなかった。とか思っているんじゃないか?」
「アヤノさんには参りますよ」
マリアの事を話した憶えは無いんだが。
本当に何でもお見通しなんだこの人は。
しかしきっと慰めてくれているだけではない。
そんな事は無意味だから。
「しかしここに来たのはお前を慰める為だけじゃない……勝手に悩め」
やはりね……こういう人だ。
「俺がアヤノさんの家から出て400年、何をしていたか?……でしょう」
「及第点だ、調子が出て来たじゃないかユウィン」
全く同じ所に住んでいるのに。
話す為だけにこんな所まで出張ってくるとはね。
相変わらず徹底した面倒臭がりだ。
「お前の昔の女……マリィと言ったか。アイツの仇はとれたのか?」
実は俺にも聞きたいことがある。
ここは答えておくべき所だろう。
「200年程前だったか……ラビットハッチは俺が1度殺しました」
「何故魔人核を破壊しなかった? 知っていただろう」
そう、奴は今でも生きている。
現在の魔王が誕生した際に蘇ったのだ。
魔人核とは魔人の心臓である。
核以外を攻撃して魔人を死に追いやった場合、その魔人の属性に合わせた色の結晶核に奴らは姿を変える。
完全消滅させるにはLv2以上の魔法で核を完全破壊する必要がある。ようするに俺はそれを行わなかった訳だ。
「虚しくなったんですよ……ヤツを打破した時に。あんなに手も足も出なかった魔人があっけなく地べたを這いつくばる姿に……そして俺が欲しかったのは復讐を遂げた自分ではなかった」
そう、俺はあの時気付いた。
俺はあの時の事を思い出していた。
『ゲ、ゲハァあた、たずげて…助けて下ざい! 何でもする! ナンデモジマズがらこのいたいけな兎を殺さないデぐださいぃ!』
『下衆のお前が、そんな下衆な声でゲスな命乞いをしちまうと、あまりにハマリすぎて弄りがいが無いじゃないか……ラビットハッチよ』
『謝ります! お前の女の代わりにオデの使徒を代わりに差し出しますからぁぁ』
『やれやれ……本当に…やれやれだよ』
『ぎ、ギアあああああああぁぁ』
アリガトウ、コロサレテクレテ。
サヨウナラ――ワガカタキ。
復讐はあの時に終わった。だが――
「俺の………」
欲しかったモノは、復讐を遂げる「事」では無かった。
這いつくばって命乞いをする兎の魔人に止めを刺した後、結晶となった奴を見下して思った。
何も感じないと。
欲しかったのは、俺を守ってラビットハッチに殺されたマリィが「俺を恨んでいない」そう思える事だった。
マリィの最後の言葉「人間は強くて弱い生き物――しかし掴める掌は温かい」人はいくら強くとも、他者の為に生きる事は出来ない。
他者の為に生きてるなんて言うのは、結局は自分の為だと。
故に温かい思い出は胸に、死者に引きずられるなど愚かな事。人は弱い生き物――しかし差し伸ばされる生者の掌を掴めるのはまた、その弱い人間である。
だから人間は美しく、そして強い。
マリィの言葉の意味、答えに気付くだけに俺は400年を費やした。
過去――その答えが出るまで旅をした。
魔人という魔人をカネに変えながら――そうしている内に通名が付いた。
『魔人殺しの剣士』
火の国「ジパング」――現在居るこの国にも来たことがある。叢雲千姫と呼ばれる魔人が収める「丹波の国」そこで俺は、魔人にも魔王の意志に逆らい、自我を持つ魔人がいる事を知る。要は魔人に転生する時の「理由」に左右される様だ。
魔人を追って次に辿り着いたのが先の話に出たゼノン王国――覇王マリア姫との出逢い、別れを知った。
そして武装気の深さを知った国。
そして最後に行き着いたのが魔法王国カターノート。
そこで俺はアヤノさんと同じく創世記から生きる大魔法使いアーサー=イザナギ=カターノートと出逢った。
「アヤノさんが何故不死なのか、そして俺が何故400年もの年月を生きているのか聞けと言われ、貴方に逢いに行く途中でアンリエッタと、その友人と知り合い今に至ります」
一気に話しなげた俺にアヤノさんは一言――
「なる程な」
それだけ言って黙るが、唇が少し動いていた。
「全く師弟、揃って中途半端な」
そう呟いていた気がした。
俺からも質問があった。
多く質問しては、このアヤノと言う人は必ず面倒臭がる事を俺は知っている。
だから質問は1つに。
「俺は話しました。だから1つだけ教えてください」
「…………」
アヤノさんは答えなかったが、俺は気にせずに質問をする。
「先日言いましたね。あの妙な力を持った影王という魔人――奴を一度滅ぼしたのは自分だと」
「……あぁ言ったな」
アンリエッタと誕生日を祝う約束をしたあの日――トロンリネージュ城のロイヤルガーデンで話した内容。
あの時は気にならなかったが、俺は愛した者達の死を乗り越え強く生きようと決めた。
アンリエッタ=トロンリネージュ――彼女を守り抜くと。
俺は知らないといけない気がする。
この世界の生い立ちと自分の過去を、何故俺には色街ブルスケッタに住んでいた以前の記憶が無いのか。
そして何故「下法」を行った、あの日の記憶が特に曖昧なのか。アヤノさんは先日知らないと言ったが、不意に言ったあの一言に、答えがある気がする。
「あの日……俺はアヤノさんの家から持ちだした魔人核で下法を行った」
俺の眼の前に居るアヤノ=マクスウェルの表情が消えた。
「アヤノさんの大事にしていた……あの魔人核で」
400年前、ラビットハッチにマリィは殺され、俺も片腕を落とされて瀕死の重傷を負った。
そこをアヤノさんに救われ拾われた。
俺は師匠に剣術と武装気の基礎を学ぶ。しかし因子核を持たなかった俺は肉体の鍛錬に限界を感じ、やってはいけない下法に手を染めた。
その下法とは、魔人の核を使って、人体に魔法因子核を強制的に作り出す邪法である。
失敗すれば魔人と化すか、死を迎える転生の法術。
気を失い、気が付いた俺には魔法因子核が備わっていたが、ブルスケッタ以前の記憶と感情の半分を失い、年を取らない体になっていた。
俺は下法によるリバウンド、魔人核と半融合した結果かと思っていたが、違う。
俺の体、肉体強度と細胞はあくまで「人間」である。
そして考え抜いた結論を、俺は師であるアヤノさんに言った。
「アヤノさん……あの魔人核は影王と呼ばれる魔人の物ではないですか」
102年前、ゼノンで戦った天使が言っていた言葉。
『子羊よ……お前の感情の半分、それを持つ魔人がいる』
あの時は天使の死に際に放つ戯言かと思ったが。
しかしこの仮説が正しければ、全ての線が繋がるのだ。
もしそうなら――俺は、俺という存在はきっと。
「とぉー!」
バッシャーン!
「ユウく~ん! 久しぶりぃ~感動のあまり抱きついてみたりぃ」
「す、素のアヤノさんですか……柔らか……ではなく」
この状態で抱きつかれるのは……俺でも動揺する。
200年以上女体に触れていないというのに。
「アヤノさん」
「なあにぃユウくん♪」
「あたってますが」
「うんうんそぉだねえ♪」
今迄話していたクールな人格はマクスウェルと言い、現在の俺に裸で抱きついて来た能天気が素のアヤノさんである。
「離れてもらえますか」
「離れてほしぃ?」
「………」
「じゃあ良ぃよねぇフフフっ」
アンリエッタのように完璧なプロポーションでも、シャルロットのようにマニアックなボディでもない。
無駄肉のついていないスレンダーお姉さんボディ。
そして決して小さい訳ではない慎ましい胸が直撃している。
「卑怯ですよアヤノさん……質問に答えてください」
「いいじゃんユウくん~裸の付き合いの方が楽しいよ?」
「下……触らんでもらえますかアヤノさん」
これは駄目だ。
この女、答える気がない。
マクスウェルさんが口を割る前に出て来た。
言えない理由があるのか。
「この温泉に、ユウ君と入れる日が来るなんて思わなかったよぉ♪ うっれしいなぁ~」
「アヤノさん、話すのが嫌なら又の機会でいいですが」
鼻歌交じりで控えめな胸をグヌグヌ胸板に擦りつけてくるバカな……いや…可愛い方のアヤノさん。
いかんな脳をヤラれてきた。
「いい加減犯すぞって顔してるね、ユウ君?」
バレている。
「ワタシ的にはイイヨ? お互い知った体だしねぇフフフ恥ずかし♪」
王都では絶対に言ってはならない一言。
「さ、ユウ君、どーするー?」
今俺は何故か操を立てている。
ヤルなら――うむ……まぁどうでも良いが、決めている。
そうだ落ち着け。
俺は432年も生きている大人の男だ。
女体のひとつやふたつで……
「いや~温泉でなんてロマンチックだよねぇ」
しかしアヤノさんに恥をかかす訳にはいけない。
ここはどう切り抜けるべきか。
俺は必至に脳内で言い訳を演算する。
「あっ、ごめんユウ君。ワタシずっと浸かってたから胸から下だけ真っ赤になっちゃってる……ちょっと恥ずかしいかも」
駄目だこれは。
半分残った感情が爆発したかの衝動にかられ、完全に理性を失った俺は、マクスウェルさんが持参したグラッパを掴んででラッパで飲み干した。
その刹那――脇においていたラグナロクが烈光を発した気がしたが、その後の事は覚えていない。




