第2話 魔女は繋がりを求める
過去編で御座います。この物語はユウィン殿の師匠にして火の国の魔女、紅い魔女と呼ばれるイザナミ=アヤノ=マクスウェル様と一人の少年の出逢いを描いたもの。創世記と呼ばれる世界が始まり、一度滅びる迄の記録をご覧下さいませ。
この世界の名は《ルナリス》という。
――約900年前から存在しているとされるが、実際それを知っている者は1人しかいない。
ここではそんな時代の話をしよう――
何もない小高い丘から平原を見つめる人影――黒に赤みがかった髪をなびかせ、地平線を見つめる女は何を思って立っているのか。
只々……東の空から登る黄金の日の出を見ている。
彼女は存在した時から成人であった。
父の顔も母の顔も知らないが、名前はあった。
《伊邪那美》そう魂に刻まれていた。
独りで生きていく術も持っている。
何が食料になって、何処で寝れば猛獣に襲われないか、始めから知っていた。
そしてこの場所は山から流れ出る泉と、大地より湧き出る源泉があり、生活には困らなかった。
この世界――《ルナリス》を形成している全ては魔法粒子という粒子である。
彼女は自分の体と、この世界に溢れる魔法粒子が視えていた。
望めば食べる物が手に入る。
望めば百里離れた場所にも瞬く間に行くことが出来る。
この不思議な力は創造主から与えられた物――いずれ現れるとされる、主皇因子核を持つ《人皇》を守護し、導く為の知識と力であると、始めから全て解って存在していた。
そしてこの世界が、3人の神によって作られた《箱庭》
ゲーム盤の上であることも――
どのほど昇る太陽、夜になると現れる巨大な月を見ただろうか。
百か? 千か? 万だったろうか?
解らない位の時が流れた時、彼女は自分以外の人間が存在する事を知る。
丘の上――いつも見ていた地平線の向こうに、建造物らしきものが見えた。
木材を組み上げて作った簡単な建物が十数軒、藁で作った屋根が見える。
ずっと独りで何もない丘から地平線を見ていた彼女は、人と交わる事をためらった。
「ワタシは権限者……主皇以外との接触は避けた方が良いよね……」
彼女は独りごち、変わらず丘の上から地平線と集落を眺め続けた。
この時はまだ、地球で言うところの弥生時代に相当する文明――男達は狩りを、女達は作物を育てながら男達の帰りを待っていた。
そんな時代のそんなある日、他人と関わることを拒否した彼女は集落に住む1人の男の子に目が止まる。
何故この子だったのか――3歳そこそこの男の子は、生まれながらひときわ目立つ瞳の色をしていたからだ。
彼の左目は赤黒い炎の色だった。
「フフッ……あの子、ワタシの髪の色と同じ眼をしてる」
彼女はそのオッドアイの子供を「秋」と勝手に名付け、成長を楽しむようになった。
瞳の色が自分のいつもいる場所に生える楓の木――その紅葉色に似ていた為であったが、特に意味はなかった。
そして特に理由があるわけではない。
ずっと独りで丘から地平線を見ているだけだった故、何か娯楽が欲しかったのだろう。
秋はその瞳の色から、よく集落の友達から虐められて泣いていた。
そして数年の時がながれる――
――集落の子供達は、8歳になれば大人の男と同じく狩りに出かける。
彼女のお目当て「秋」もその年8歳を迎えた。
強い瞳の色とは裏腹に、虐められていた男の子は相変わらず気弱な男の子であり、同年代の男の子に比べて鈍い――故に狩りの腕も中々上達せず、よく父親に怒られる姿が目立った。
しかし逆にそれが彼女の母性本能をくすぐるようで、ずっと眺めていても飽きない。
「あらあらフフッまた怒られてるの……秋」
何故か彼女は姉のような視線で彼を見るようになっていた。
初めは十数軒だった集落は、その頃には五十以上の家が立ち並ぶ村となっていた。
そこの人間は、生活は苦しそうであったが、家族は皆暖かく、争いのない美しい村であった。
そんなある日、朝日に目覚めた彼女は、いつものように丘の上から集落を見下ろす。
「あれ? いつもはこの位には外にいるのに……」
しばらく眺めていたが今日は中々「秋」の姿が見えない。
「……今の内に眠気を覚ましちゃおっか」
お目当ての少年の姿が見えないため、自作の温泉で眠気を覚まそう。そう思った彼女は、歩きながら猛獣の革と麻を縫い合わせて作った浴衣を無造作に脱ぎ捨て、生まれたままの姿で不用心に浴場へと歩く。
不用心とはいえ、ここは小高い丘の上。
そうそう猛獣も人間も足を踏み込むような場所でない。
実際彼女も一度足りとも他人と接触したことはなかった。
「アチチ……」
源泉掛け流しの自然温泉は人肌には熱すぎる。
彼女は掌を、岩場から水面に向けて言った。
『冷えろ』
彼女の手から青紫の粒子が上がった途端たちまち源泉の温度は下がり、指で温度を確認しながら彼女は岩で囲まれた浴室に身を浸す。
「はぁ…良いお湯……ってこらこら」
ドブンッドブン!
彼女が温度を下げるのを待っていた、この丘に住む動物達が呼んでもいないのに、こぞって混浴しようと言わんばかりに入ってきた。
かなり大きな岩場の温泉の為、構わないのだが遠慮せずに猿や、鹿が飛び込んでくる為しぶきが上がり、折角濡れないように編み上げていた彼女の長い髪を濡らしていく。
「このぉ~食べちゃうぞぉコラァ」
本気では言っていない。
これは毎度の事であり、人と交われない彼女の数少ない友達代わりの動物達である。
――ガサガサ
その時近くの茂みから音――子鹿と温泉で戯れていた彼女は動物達では無い気配に眉を潜めた。
「お前達! 温泉から出なさい」
動物達に指示を飛ばす――人語で話しているが、よもや意思の疎通が取れているが如く獣達は直ぐ様四散する。
友達が全員隠れた事を確認してから、美しい裸体のまま茂みに掌をかざした。
……ガサッ!
「ヒック…やっと抜けた……ヒック…遭難したかと思った」
しかし現れたのは――人間の男の子だった。
「あ…秋?」
彼女は驚いて立ち尽くす。
茂みから現れたのは、まだ少年というにも若すぎる――瞳が特徴的な濃い緋色をした男の子だった。
「え、こんな所に人?――へ?」
一瞬少年の顔が固まり、数秒時間が止まったかの様に硬直――そして顔がみるみるうちに、彼の瞳色に負けない朱に染まっていく。
「はははは裸!? ごごごゴメンナサイ」
「え――あ――っ」
彼女は自分が裸だという事に気付いて、湯に肩まで浸かって隠した。
正直こんな子供に見られても何とも思わないと、頭では解っていたのだが何せ初めて見られたのだ。
彼女も顔を真っ赤に染めて、どうしていいのか解らなかった。
「ご…ゴメンナサイ! わざとじゃないんです。狩りの途中で道に迷って……」
「その割に……じっくり凝視してくれたじゃないぃ~」
羞恥心で真っ赤になりながらジト目をおくりつつ、彼女は岩場から顔を半分だけだして文句を垂れる。
「いやそれは…………ビックリして……いや! ゴメンナサイ本当に」
見られて謝られるというのは意外と腹が立つわね。
何か粗末なもの見てスイマセンと言われてるみたいで……そんな事をお湯に浸かりながら考える。
しかしさっき迄ベソをかいていた少年の口から出たのは、予想外の言葉だった。
「ぼ、僕……左目がみんなと違って赤いんです!」
ん? この子は何を言ってるんだ? 知ってるよ、いつもそこの丘から見てたんだから。
「お、お姉さんの髪の色……僕の左目と一緒だったので――」
あぁそう言えばワタシの髪も黒赤色だ……それが理由で君を眼で追うようになったのだから。
でもワタシの体をじっくり鑑賞してくれた理由にならないでしょ~マセた子だなぁ~もぉ。
「ビックリしちゃって――き、綺麗で!」
「……え?」
彼女は一瞬、言葉の意味が解らなかったが、すぐに今の自分の気持ちを理解し、急速に顔を更に真っ赤にして言い返す。
「こらっ秋! お姉さんは君をそんなナンパな男に育てた憶えはありませんっ!」
「え? 秋って僕の名前……わわわ!」
興奮のあまり、ついワタシは立ち上がってしまい、再び裸を見られることとなる。
こらこら……「秋」ってワタシがこの子に勝手に付けた名前だし、そしてお姉さんって……そしてこんな年端のいかない男の子に緊張してる自分って一体……ワタシはあれか? ショタ属性だったのかー!?
恥ずかしくなったワタシは、今度は顔までお湯に浸かって彼を見る。
彼は耳まで真っ赤にして背中を向けながら言う。
「何で知ってるんですか? 僕の名前……」
「それはワタシが勝手に…………ん? 知ってる?」
後から聞いたのだが、ワタシが勝手に丘の上で付けた男の子の名前は、当たらずとも遠からず。だったらしい。
ワタシの髪と同じ色をしたオッドアイを持つ少年――これが出逢いだった。
今思えば、ワタシは人と交わりたかったのだろう。
独りが寂しかったのであろう。
誰かと話したかったのだろう。
人の温もり、肌に触れたかったのだろう。
でもワタシは、あの時そう思った自分が許せない。
ずっと後悔しながら900年も……ただ生きている。
彼女はこの世界で最初に存在した人間、後に火の国の魔女と呼ばれ恐れられる女――伊邪那美。
少年の名は、月読命 秋影――彼女を愛し、救うことに命をかけた。後の世に、魔人影王と呼ばれる男との最初の出逢いだった。
 




