第6話 お日様からの依頼
翌日の昼下がり――
何か事件があったのか、城下が相当に騒がしい。
衛兵騎士や役人、魔導研から派遣された魔導医師が忙しなく駆けずり回っていた。役場から病院から王宮の保安部からの出入りも多いようで、通りを歩く市民に不穏が差し込む。
「わ…おいし」
そんな事をまだ知らない、知るはずもなかったアンリエッタは王族の園庭であるロイヤルガーデンにて、遅めの昼食を摂っている所である。
「こんなサンドウィッチ食べた事ありません」
「執事めは年甲斐もなく大きくなってしまいそうです……気というヤツが」
「調子乗って良いですよコレ、とってもおいし」
「お嬢様……言葉遣いを」
「は~い」
されどクロードは嬉しそうに、しかし優雅に甲斐甲斐しい一礼を披露する。
「本日の昼餐はアテンヌの名産フォアグラトリィフを極薄でカットしてトマトを添えたパニーニで御座います。パンは香りの強いライ麦を。そしてあっさりした山羊のクリームチーズにアクセントとして、ルッコラとオリーブで仕上げました」
「炙って潰してあるのですねこのパン。食べやすいです」
「紅茶はアールグレイを」
「ミルクと」
「たっぷりの砂糖で割ったものを既に用意しております」
「はぁ……幸せ」
アテンヌのフォアグラだったか。
そう言えば親友がいつか、コッテリして食べられなかったとボヤいていたように思う。料理法が違うのかな? 小首を傾げながらも満足顔である。
「色々料理法はあるようですが、極々薄く切ってから軽く炙る事によって香りが立ち、野菜と組み合わせる事であっさりお召し上がり頂ける様です」
「私……声に出てました?」
「いえ、この執事めの独り言で御座いますれば」
余程解りやすい顔をしていたのかと少し恥じらうが、物心付く前から傍にいるクロードであるからしてと納得もする。それ故に先日の暴言が気になった。何故自分にあんな言い方をしたのだろうかと。
「いつも頭を捻ってくれてありがとう」
「執事冥利に尽きるお言葉、もったいのう御座います」
聞く程の事ではないか。
メイドにも細かい事を気にするなと言われた所だ。それにこんなに風が気持ちよく、ごはんも美味しいのだ。眉間にシワを寄せるのはもったいない。
いつもの喧騒を忘れさせてくれる穏やかな時間が流れていた。
――そんな時間も「知らせ」が入る迄だったが。
◆◇◆◇
――――数日前
「さて、どうしたものか」
迷子の少女を見つけてしまったユウィン=リバーエンドは周りを見渡した。丁度レンガ造りのオープンカフェが目に入る。時間が中途半端なのか一組も客は居ないようだ。
(丁度いい)
人目も無い事だ。
軽食を取りながらこの迷子少女の話でも聞こうかと、なるべく店内から離れたオープン席を陣取り正面の席に相手を座らせた。ずっとニコニコである少女の視線に何やら気恥ずかしさを感じながらも、疑問というのは湧いてくるものだ。
「さて迷子で記憶喪失の困ったお嬢さん」
「あははー長い名前だねー」
「大丈夫か……結構不味い状態だと思うのだが」
「そーだねぇ困った困った」
「やれやれ、覚えてる事はあるのか」
「えーっとねぇ」
何とも不思議な娘である。
その後質疑応答を何分か繰り返したが、覚えていないのは自分の事だけで、ちょっと変な娘ではあるがかなりの教養を施されている所作が見て取れる。世間知らずの名家のお嬢様と言った所だろうが奇妙だと思うのはソコではなく。
笑顔を絶やさないのだ。
それも全く。
こちらが話した事は全て一生懸命聞いている。返答もスムーズだ。しかし笑っている。特に王都にいるという友達の事となると凄い。顔から魔法粒子が放出されているのではという輝きを見せる。
(こんな裏の無い笑顔を見るのは……久しぶりだ)
アイツの笑顔に似ていた。
俺を気遣い、俺を勇気づけ、半端者の俺を奮い立たせた女に。だからだろう、この少女が気になったのは。
「この子ね? 本当に何でも出来ちゃうの。本を読んだら全部暗記しちゃうし、剣を振ったかと思えば、魔法なんて一か月で高位級まで全部覚えちゃったの。あとねあとね、気も使えて物を宙に浮かせたりできるんだよ? でも女の子らしい習い事してこなかったみたいだから、だから、今度会ったら編み物を教えてあげようかなって」
「それは凄いな」
高位級魔導士で更に気を?
創世記に竜鬼人ドラグーンという生体兵器があったと聞く。いまは魔剣士と呼ばれるが、元々人間に存在しない源流という概念を許容し魔法を使用する事と、習得に十年はかかるオーラを双方使用できる人間はそうはいない。
(手を使わずに物質に干渉できる気……まさかな)
一瞬昔の知り合いを思い出すがすぐに止める。
そして全部信じるには大業し過ぎている。流石に話を盛り過ぎだろうと無表情男は軽く微笑んだ。
「ウエイターこの料理を」
「かしこまりました剣士様。少々お待ちを」
「あ、それね。アテンヌの名物なんだよ」
王都にいるという友達の話を聞きながら、名物らしいロッシーニというフォアグラとトリィフの料理を注文した。
「でね? それでね。とにかく凄いの。本当に自慢の友達なの」
自分の名前も思い出さないのに。
余程好きなんだろうが本当に不思議な娘だと思う。
「君……そんなにずっと笑っていて疲れないか」
あまりにニコニコして話すのでユウィンは一度聞いてみる事に。
「あ、ごめんね嫌だった?」
「いいや不自然に思っただけだが」
「えっとね、みんなね、えっと」
「いや構わないよ」
「気味が、悪いかなぁやっぱりエヘヘ」
全く笑顔を陰らせずに少女は言う。
「いやそうではなく」
「え?」
「聞いていいかな。君の笑顔の話を」
少女は一瞬キョトンとしてから何か感動したように頷き。
「お医者様が言ってたんだけど私ね、脳に障害があって怒る事が出来ないんだって」
この手の障害は感情のコントロールが効かず、ずっと笑っていたり悲しんでいたりと、感情が止まらない病気だと聞いた事がある。
「怒れない……感情不全か」
「うん、だからお父様も弟も気持ち悪いって、私をお部屋から出してくれないの」
「それは可哀想な親族だな」
「お母様はねっ私の事化け物だって言ったの。剣士さんはどう思った?」
「お日様みたいな娘だと思ったよ」
少女は変わらずの笑顔で一度頷いて。
「お日様…………そっか」
「そうだ」
ユウィン=リバーエンドは成程と思う。
何故自分がこの娘に興味を持ったか解った気がしたからだ。
「剣士さん凄いねっ」
「何がだ?」
急にテーブルに身を乗り出しユウィンの眼を覗きこむ。
「この話をしたら皆悲しそうなお顔するのねっ。でも剣士さんはしなかった嬉しかったよっ」
「俺も感情が欠落している」
「え?」
「怒りと哀しみを感じないようだ。他人と話す時はそれを理解した振りをしている。だから無愛想に聞こえる事が多いみたいだな」
「え……ホント? あ、そうなんだ」
「更に記憶も失っていているから君とは似たもの同士だ」
少し自虐的な笑みを浮かべながら目の前に身を乗り出す少女を見ると、微笑みながら眼を閉じていた。やっと何かを確信したように何度か頷いている。
「うん……最後に逢えたのが剣士さんで良かったよ」
言葉に違和感。
言葉通りではない違和感を――だがその感情がうまく働かず会話を戻す。
「……で、王都には何をしに行くの」
「うん友達を助けに」
「助けると?」
「そう助けたいの。大事な大事なあの子を」
「……何から助ける」
「うん。魔人……魔族の大群からだよ」
魔物の群れ――魔人族。人類の災厄ども。
つい先程出た単語であり知り合いの錬金術士と話していた内容。
「何故魔人に友達が襲われると? そもそも魔人がこの近郊にいるのはおかしい事だが」
魔人領と人間領の間には万里と続く大壁が存在する。
そこを破って王都までの距離を進軍してくるのは、いかに人外魔人といえど不可能に近いからだ。壁が出来て数百年、一度たりともそんな事は起こっていないから。
「私達を襲った魔人達が言っていたの。後は皇女が進軍してくるのを待つだけだって……」
(襲った? それに皇女とは)
疑問と、また違和感。
「手引をしてる者たちがいるの……トロンリネージュに」
「人が魔人を招き入れたと」
「そう、今の王室は一枚岩じゃない。だからあの娘はずっと頑張ってる。それを良く思わない人たち」
疑問と違和感はあったが。
「だが……そもそも君が魔人からどうやって友達を救う」
「それは……えっと」
魔人の戦力は一騎当千。
文字通り魔人一体を攻略するのに魔導士が千人は必要だという格言であるが、その現実はあながち間違ってはいない。実際に魔法使いの質が今よりもっと高かった創世記でも、二千人規模の街が魔人一体に滅ぼされた記録がある。今も昔も弱小な人類如きが容易に勝てる存在ではないのだ。
「あと…国境を越えるだけの金はあるのか」
「私が持っているのは、もうこれしか無いのです」
取り出したのは手縫いの、少々不格好なコサージュだった。
ダリアの花を象ったコサージュ。
疑問はあった――のだがユウィンはそれを見た時、疑問と違和感の正体を知る。
(そうかこの娘は……そういう事なのか)
丁度ウエイターが料理を運んで来た。
中々高級な店だったようで美しく盛りつけられた皿をスクエアテーブルに丁寧に並べてくれていた。
「当店の名物、牛フィレ肉のロッシーニ風でございます」
麻で出来たバケットからパンをテーブルに並べるウエイターに声をかける。
「アンタはこの女の子を知っているかな」
「どういう意味でしょう剣士様……冒険者の方の習わしですか?」
「いや俺の勘違いだありがとう。会計の時は声をかける」
「かしこまりました。ごゆっくりお過ごし下さい剣士様」
不吉な黒を着込んだ怪しい旅の剣士の一言にも顔色を変えない、よく訓練されたウエイターだとチップを渡した。
正面の少女は今のやり取りが理解できなかったらしく少し戸惑った様子だったが。
「何で友達をそんなに気にする? 君なら他に出来る事が必ずある筈だが」
少女の存在を理解した上での質問だった。感情の乏しいユウィンの声にやや緊張が乗る。この言葉と質問は、この男が長年に渡って探しているモノだったからだ。
今度こそ、もしかしたら、やはりダメだろうとも思う。
もう諦めかけていた答え、自分を救ってくれる答えを求めて。だがそんな事を少女が知る由もないし理解もできないだろう。
だがユウィンの予想は外れる。
一見儚げで、ダリアのコサージュを付けたお日様のような少女は少し首を傾げ――困ったような笑顔を見せたのだから。
……ドクン
感情の起伏の少ないユウィン=リバーエンドという男の心臓が激しく動悸する。その笑顔は彼の探し続けていた”答え”のような気がしたからだ。
笑った……?
他に無いのか。 そんな、そんな事が。
冬の空気が心地よく肌を撫でる。
男は眼を閉じ少し天を仰いでから少女に視線を戻した。
「コサージュ……手作りなのか」
「うんっ エッタちゃんの為に縫ったの」
「そうか……そして君の望みは友達を助ける事か」
「うんっ!」
笑顔のまま力強く頷いた。
その瞳には揺るぎない信念が感じられた。
男の意思を決定づけるのにこれ以上の笑顔はない。
竜王を従えし魔人殺し――ユウィン=リバーエンドの意志は決まった。
「”友達を魔人から救う”……その依頼は俺が受けよう」
「ホント!? エッタちゃんを助けてくれる?」
「あぁ任せろ……こんなナリだがそこそこ強い」
「わ、あああ……うんうんうん」
彼女は笑顔で何度も頷いてくれている。
でも急にハッと何かを思い出したようだ。
「で、でも剣士さんに差上げられるもの……これしか」
それは小さい掌に乗っていた。
友達の為に作ったという手縫いのコサージュ。
「一つ条件を聞いてもらう」
「う、うん」
「そのコサージュは君が友達に届けろ」
「……どういう」
「それが俺からの条件だ」
その言葉に少女はパッと笑顔を輝かせ何度も何度も頷いた。
「その友達の名と、場所を教えてほしい」
名前に出すのも嬉しいのか、今までで一番の笑顔で――
「トロンリネージュ皇女のアンリエッタちゃんっ!」
シーラ=アテンヌアレーはユウィンの両手を取り、力いっぱい握った。その拍子に少女の小さな掌に、二枚の金貨を滑り込ませた。
それは黄泉の国で河を渡る時に必要だという”金貨”――生者を羨む目という悲しい歌があった。この結果は既に変えられないだろうが、その結果は今なら変えられるかも知れない――少女の想いが叶えるかもしれない。暗黒に堕ちた男と皇女の定めを。
「気を付けて行くと良い。なるべく急いだ方がいいかもな」
「剣士さんありがとうっ本当にありがとうだよ? 影の中にいるお姉さんも、ありがとね――――!」
シーラ姫は笑顔と手を振りまいて駆けて行く。――何度も、何度もユウィンの方を振り返りながら。
『……マスター』
影からの声が響くが珍しく動揺したらしくうわずっていた。
『彼女にはDが見えていたのですか』
「聡い娘だ。もしかしたらあの娘は全て解っていたのかもしれないな」
『驚きました。あんなハッキリと実体出来るとは……生まれて四百と十余年、未だかつてない経験です』
あのコサージュは2日前の遺体――
国境での惨劇の場にあった物だ。
ずたずたの遺体が付けていた花の装飾品――手染めのダリアのコサージュだったのだから。
「もしかしたら彼女は……俺が欲しかった答えを出してくれるかもしれない」
『歩いて行かれるのでしょうか。マスター?』
「意地の悪い言い方だな」
『マスターが嬉しそうで何よりです』
「俺が?」
『脈拍が速いです。……珍しく滾っておられるかと』
滾る?
いつの間にか握っていた拳を開くと汗でしっとりと潤んでいた。枯れつつある己の感情に火を感じる。口角がじわじわと吊り上がって前を見る。
いやはや全く長生きはしてみるものだ。
ここは、急ぐ所だろうさ。
殺された人間は必ず、復讐を願うと思っていた。
男は100年――死体に聴いて来たのだから
だけどもし、違う答えがあるのなら
そんな不確かで美しい想いと答えがあるのなら
そんな事が本当にあるのなら――俺は。