第10話 追憶編~ 救いの序曲と戦女神の涙
「我は救いの御使い、カムイ=バルキエルです」
長身で顔色の悪い男は名乗る。
マリアにも先程の時間が巻き戻ったかのような今の状況、出口から元の位置に戻ったのが見えていたのだろう。
この状況と相手の力に、いつの間に抱き寄せたのか俺の腕の中でガタガタ震えていた。
だが感情の半分欠落した俺はその点冷静だ。瞬時に状況を分析する。
(内蔵魔力が減っていない……コイツはやはり)
俺の因子核から魔力が減っていない。ということは一種の幻覚であった可能性が高い。しかし目の前にいる男周囲の魔法粒子に幻術の魔法言語を実行した気配もなければ言葉を発した声もなかった。ならば男は体の内部から魔力を発生させたという事だ。それも世界屈指の魔法出力を持つ自分に幻術を掛けられる超威力の魔法を詠唱もなしで内部から放った。
導かれる答えは一つ。
(こいつ……上位存在、高位粒子体か)
この世界における超常的存在――神の軍勢である天使、もしくは地獄の使徒魔神族がそれにあたるが。
「りゅ、竜の騎士……さん?」
敵の不可解さと無表情に自分を抱き抱える俺に、恥ずかしさと緊張の混じった複雑な表情を向けるマリア。だが今は彼女を気にしている場合ではない。ヤツにそう、使い道があるからだ。
(この神気……恐らくコイツは)
天使か。
天界(制空権)に存在するという天使族――ヤツらは呪文の詠唱を必要としない。各個体で様々な特殊能力を有し、体内部にもつ”無限因子核”から展開される能力は人間の持つ魔法言語とは全く別物である。
LvΩオメガレベルと呼ばれる魔法言語と独自の結界術を行使し、半永久的に体表面を多断層防御結界で覆っている正に無敵の存在といえる。
(アヤノさんが言っていたな、出会ったらなら逃げろと)
正面のやせ細って今にも倒れそうな男カムイ=バラキエルがこちらを感情もなく見据え口を開く。
「人間とは思えない魔力許容量だな。お前は魔人か? そうであれば救いの手はないがな」
「生憎ギリギリ人間だ。アンタは天使だな……ここにいる人間をどうするつもりかな」
「ここに居る子羊達は皆、救いを求めているのだ。ある者は貧富の差が激しすぎる国の体制を。決して変わらない王政を。そしてある者は国に家族を殺された恨みを」
「ぜ~んぶ国が悪いのか……俺には現実を変えようとしないゴミ溜めの意見に聞こえるが。そいつらが、というよりアンタの一人の意志にも聞こえるな。さしずめ革命の天使様ってところかね」
「我の? 救われる側の人間如きには解らぬか……哀しいな」
天使は俺の皮肉に全く意を返さない。
人に興味がないのか。いや、あの目はそうだな、例えるなら意識する存在ではないという感じだ。目の前を飛ぶ蚊以下、足元にいても気付かない程度の蟻を見るような目だ。
「この国を……どうするつもりなの」
ゼノンの姫であるマリアも体の震えを抑え食って掛かる。バラキエルは恐らく下々の者と見ている人間にも丁寧にゆっくりと純白のローブを翻しこう答えた。
「間引く――国民を殺し、王を殺し親族を殺し、新しく国を建国しよう。ここの人間には1割程になってもらう」
「な、何でアナタにそんな事されなきゃいけないの!?」
激昂するマリアは恐怖も忘れて黄金の武装気を開放した。冷静な俺はマリアを手で制す。落ち着け任せろと。
「なぁカムイ神官長よ。ここにいる人間はどういう用途で居るんだ」
「明日の10時刻、城に攻めこみ落とし、その後で王都に火を放つだろう」
「やはりお前は何もしない訳だ。全ては神の意志、いや子羊どもの意思って事だろ」
「中々理解が早いな人間」
そうか、コイツはあくまで御使であり天使。恐らく自分に危害を加えられない限り力を行使しにくい理由があるのか、よくわからんが直感でそう感じた。そして嘘を付かない。それは罪に値するから聞かれた事には答える。
天使という存在の特性が解って来た。コイツらは自身から人族に攻撃出来ないのだ。そしてコイツの目的はゼノンを崩壊させる事ではない。
「しかしそれではお前が一体しかいない説明に合点がいかないがな」
「知れた事、我一人で十分だからだ」
「十分……ね。高位粒子の体を持つ天使様ともあろう者がもっとマシな事を言え。羽のある天使が地下でコソコソ……天を見上げて悪巧みってのに」
マリアは今の会話の意味が解らないようでキョトンとしていた。
(マリアは冷静になってくれたか……ではそろそろ本題だな)
コイツが使えるか、使えない、かを。
コイツは恐らく嘘は付けない。
だから十分などという言葉を使ったのだ。こいつ自身がが王都全域を攻撃する事も恐らく出来ない。それは”罪”を持たない人間を攻撃する事に繋がるから、故にあえて救済を求める人間のみを洗脳して使うようなまどろっこしい方法を取っているのだ。そしてこの数百人位で王都の四百万以上いる人口を1割に減らすなんて事も出来るわけがない――矛盾点が多過ぎる。
「お前焦っているな。地上に落とされた天使って所か」
そしてこのゼノンの人間を減らさなければいけない何か理由がある訳だ。
「教えてくれないか、何故戦が必要なんだ」
天使は一度考えた。恐らくは嘘は付けない筈の天使が。
「天使にも寿命はある、我はもう暫くで死ぬだろう」
合点がいった。
そして天使といっても人間と大差ないと言う事を知る。ただ視線が違うのだ。
「そしてお前はどういう訳か他者に寄生して生永らえているようだ。カムイと言ったな、その名前と姿、俺が追っていた魔人のものだぜ神官長殿?」
恐らくコイツは人間の魔法因子核や魔人核を取り込めるのだろう。器を入れ替え続けて生き長らえているのだ。
「理解が早いな人間、そして人間同士が無慈悲に争えば成層圏にいる天使の軍勢は地上に舞い降りる事が出来るのだ」
「ふん……死を恐れたなお前」
「神は我を救ってくれるはずだ……人間を、魔人核を取り込んでこんな汚れてしまった我をきっと神は救ってくれるだろう」
こんな自分に救いの手を差し伸べてくれるはずだ。
天使バラキエルはそう淡々と自己中心的な口上を述べる。理解に苦しむが粒子体であるコイツは神を地上に降臨させたいのだ。その言葉にマリアは怒りに顔を歪ませた。
「そんなの! 貴方一人の勝手な独りよがりじゃない」
「そうだ笑えるな。お前が救われたいだけってやつだ」
二人の言葉にバラキエルは全く表情を変えず、むしろこちらの言っている事が理解できないような表情だ。
「救いは誰しにも与えられるもの……ここに居る者達は皆救いを求めているではないか? 魂の救済を」
「救いを求めない人間などいない! 人間は弱い生き物だからだ」
俺の脳裏には弱く何も救えなかったあの日の事が浮かんでいた。そしてバルキエルの眼はそんな彼の瞳の奥を見ていた。天使は俺に、その透き通った瞳を向けた。
「そして小さき者よ。お前も例外ではない。恋人マリィ=サンディアナを蘇らせたいと切に願っている」
その言葉に俺には無いはずの感情が爆発するかの様な衝動に駆られた。
(心を読まれた)
こんな、こんな奴に。……だが確かめなければ。――虚空の心に小波が立ち、一瞬のうちに沈静化して、目標を見据え、こう思う”コイツを殺す前に”と。
「可能だと思うか」
「りゅ、竜の騎士さん?」
マリアは複雑な表情で俺を見上げる。何処か、マリィが死んだあの時に似ていたような気がした。
力がなく逃げた俺。
強く、真っ直ぐに立ち向かったマリィ。
あの時逃げた俺は今と同じだった。
その時笑っていたのか泣いていたのか解らなかった。
思い出せない。
だが、あの時と違う事が一つだけある。
今の俺は力があり、立ち向かえるという事。今の俺は世界で五指に入るほどの魔法使いになったという事。
胸の中心にある魔法因子核――魔法使いの証。
超越者の証――俺は負けない。
この地上に涌き出る魔人どもを全て駆逐するまで俺は死なない。
あの日あのとき、師匠の家で見つけた魔人因子核アンバーコアに願ったとき得た力。
魔法の言葉と不死身の身体。
誓った言葉――《マリィの為に生き続ける》という呪いを帯びたこの身が負けるはずがないのだ。
俺はあいつのことを想い続ける限り死なない――そう解釈している。
無限の時を生きるかわりに得た力――そう、この俺が負けるはずがないのだ。
沸き上がる何かを脳内で魔法言語に変換しながら、ふとマリアと視線が重なる。
(あぁ)
あの時と違う事があった。
マリィと瓜二つの彼女は……俺の表情に怯えていた。
「死者を甦らせる……? 無理だな。それは最上位熾天使ナイトの4名でも不可能だ」
天使は俺の問いに無慈悲に応える。
(あぁ、そうかよ。天使の力をもってしても不可能なのかククク)
何とも言えない感情が波となって沸き乱れる。まぁ良い。ここ迄聞き出せばコイツに用はない。俺が救ってやるよ天使殿。魔力が収束していた。
「神に会うことがあったら言っておけ――」
影の中のDに心で合図し瞬時に術式を解凍し編み上げる。
「役立たずがってなぁ!」
『Run――全圧縮魔法連続解凍』
周囲全部で数にして10の瞳が現れる。この瞳はLv3高位魔法の頂点。――その威力を予測したマリアは流石上位傭兵と言うべき判断で瞬時に黄金の武装気を使い防御の体制を取る。
刹那、周囲空間に現れた真紅の瞳が輝きを放った。
DOSデュアルオペレーションバトルタクティクス――通常では不可能な高位魔法言語の連続実行――コイツが如何に強固な防御結界だろうと、どんな特殊能力を持っていようと、この赤眼魔王を源流とするレベル3の連続投射を防げるものか。くたばれ――
「10連Lv3赤眼帝波斬スカーレットアル――」
しかしその時、俺は気付いた。
バラキエルの視線はこっちを見ておらず後方で防御の姿勢を取ったマリアに合わせている事を。
背筋にゾッと悪寒が疾走する――”あの娘”が死んで世界を恨んだ日の事が脳裏にフィードバックし、俺は無意識のうちに叫んでいた。
「逃げろマリィィィィィィ!」
『LvΩ天道波動転換ノーアディッド=シュガーブリーゼ』
「え?」
天使の視線から光が放たれた。
マリアを護るように瞬時に前に出た俺は全武装気を込め防御の体制を取り、Dは自らのマスターを護る為、術式をキャンセルしてレベル4の防御魔法言語を展開する。
(――――――なにっ!)
しかし、天使の波動は全てを絞り出しソイツの硬化武装気とDの強力な防御魔法言語を容易く貫通し――マリアを護るユウィンに直撃する。見た所には外傷はなく無傷だったがおかしな事が1つ。眼の焦点が合っておらず、そのまま前方に倒れ込んだという点。
「そんなっ! い、嫌だぁぁぁ! ユウィン! ユウィンー!」
マリアは叫んでいた。そう、名を知らない筈の男の名を叫んでいたのだ。
「愚かな子羊よ。永久に眠――――!」
天使が痩せ細った口角を吊り上げた時だった。
黄金の烈光が弾けのは。
後にこの時の事をマリア自身全て忘れてしまうのだが、この時頭の中で声が聞こえていた。その声の主は黄金の翼と共に現れる。
……ドクン。
心音が聞こえた。
マリアの心臓に刻まれた因子から音が、声が――聞こえていた。
『あぁ……あの人がまた泣いている。私のせいで流せない涙を流して泣いている』
マリアは思う。
鏡? 目の前に映しだされた女性は髪の色以外、背格好容姿全て自分にそっくりだったから。しかし鏡に写った女性は自分より少し大人びて見えた。
「あ、あなた……私?」
マリアは感覚的に理解する。彼女は自分だ……遥か過去の自分。
『あの人は無意識化で後悔している……』
「何……を?」
『私が死んだ時、”私の救い”を望んだ事を……そして恐れている、私に恨まれてるんじゃないかと』
マリアは直感的に理解した。目の前の彼女はあの人が言っていた、自分にそっくりだったという昔の恋人さんではなかろうかと。
「そ、そんな事無いよっ! 今でもあの人は貴女の為に――」
『彼の主皇としての本来の武器――”武装七皇鍵”は怒りによって発動するから……』
「主皇……? セブン? な、何?」
『でもそれも、私の為に失ってしまった』
「貴女は何を言っているの? 貴方は私なの?」
『そして後悔の念から、私の想い出から抜けだせないでいる』
目の前の鏡は小さくなっていく。
「ちょ、待ってよ! 言うだけ言って消えないでよ! 今あの人が――」
言った所でふと思う……あの人? 私はあの人の名前を知っている?
黄金の女はニコリと笑った。そしてお日様のような晴々しい笑顔でマリアに微笑みかける。大丈夫だよ、と。
『アナタと私の本来の力ならば、天上天下全ての防御結界を貫ける。私達の魂に刻まれた顕現は――』
そうだ。
マリアは思う。そうだ私達はあの人の名前を知っている。
『――プレイヤーを援護せよ。貴方は二人目の私、あの人の涙を止めたくて……生まれ変わった二人目の権限者』
そうか……私はあの人の掌を。
『……掴む為に生まれ変わった。この世界で唯一無二の最強の武装気を持って……』
そうかこの力は……
『そう……主皇を守る為の”黄金”――』
マリアはこの時の事を忘れてしまう。
だが、今こそ自分の拳を使う時なのだと――心に刻む。
キィィィィィィィィィィィイ――
「竜の騎士さんを……返してよ!」
マリアの激情により、限界を超えた黄金の武装気は爆発的に発光していた。地下通路は黄金一色に染め上げられ、天使はその澄んだ瞳を困惑に歪ませる。
『何だこの力は、我の神気が圧され……消されていく? とは』
神気――多段層防御結界。
通常高位霊子体の有する無敵結界を抜いて攻撃を通すにはレベル3以上の魔法言語が必要とされる。しかしマリアが放出しているのは紛れもなく武装オーラ、天使が動揺するのも無理は無かった。
「黄金武装気全開! 武装特式――”転移疾走”」
――ズッン!
マリアの小さな拳が天使の腹部に吸い込まれた。
『こ、この力は!?』
「はぁぁぁぁぁぁぁぁっ武装特式――百烈発勁神音!」
ガドドドドドドド――
腹部の一発と同時に数百発の拳が天使の憑代を凪ぎ通った。防御を抜かれ本体に直接通ったダメージに流石の天使も顔を歪める。天使も魔法攻撃から物理攻撃に切り替え、右手に武器を具現化さそうとするが、マリアは敵の攻撃が行われる前に、天使の背後に転移する。
『は、速い――まさか天使である我の動体視力を上回るのか!?』
だが天使とてやられ放しているはずがない。
彼らは高位粒子体――体表面にからは多断層の防御結界を。内部には詠唱を必要としない独自の魔法言語を、そして高速の再生能力を持つ無敵の存在。一瞬遅れて背後のマリアに視線を移したバラキエルの口内に光が収束している。
『子羊は救いを求めていれば良い。足掻くな、もがくな、背を向けよ! 我等天使が救ってやるから』
マリアは前方へ掌を掲げた。
「武装特式――断絶碑石の盾」
――ドバっ!
天使から放たれた無数の光弾がマリアの眼前で四散する。現れたのは黄金の障壁。天使の防御結界にも勝るとも劣らない黄金の盾。
マリアが有する特型武装気の名は『黄金覇王』――天上天下全てのオーラスキルをオリジナル以上の能力にしてコピーする。だが、彼女の真の力はコピー能力にあらず。
「拒むか、わが救いを!」
天使の周囲に先程の数十倍の力が収束する。
「確かに人間は所詮ひとりだよっ、孤独に生きてそして死ぬ!」
『ならば足掻くだけ苦痛、生きるだけ悲痛、そんな哀れな生物は――』
マリアは天使の言葉にクスリと笑う。
昔を思い出していた――この力をもって生まれ、迫害され、差別され、捨てられた過去を。ゼノン王に拾われる前の忌まわしき過去を。
その頃のマリアには辛い現実に向き合った時必ず見る夢があった。灰色の髪の男と暮らす、幸せな生活と別れ――死別。幸せな日常で始まり悲しい現実で終わる。そんな夢を。でも死に際に夢の中の自分はこう言うのだ。悲しそうに涙を流す男にこう言うのだ。
「でもね! ヒトは誰かのために死ねる生物なんだよ。教えてあげる。ヒトの掌は暖かいって事を!」
天使の光が弾ける。
『LvΩ天道波動輪廻―――――!』
「乗倍率強化弾……装ぉぉっ填っ!」
ガッ――――――ドッン!
迫りくる天使の閃光を見据え、構えるマリアの肘から爆発が起こり地面を刳り飛ばした。
そう、覇王と名付けられた特型武装『黄金』の真価はコピー能力にあらず。――力を乗倍率に加算出来る肉体強化能力にある。
「初弾シングルスケールアウト装填完了――次弾ダブルスケールアウトオーバー!……行くよ!」
マリアの肘から先程の4倍爆発が起こり地下通路を震撼させた。これぞ黃金覇王の真の力、体内に溜め込み圧縮した黃金の力を外部に解き放つ”権限の剣”――レベルΩ乗倍弾装。
「黄金弾装二重乗倍率――――――――」
ボッ!
1,048,576倍に強化された マリアの拳が音速を越える。その超スピードは天使の動体視力をもってしても決して捉える事は敵わない――この力は本来もっと上位存在と闘うが為の力であるから。でも彼女は見せたかった誉めてほしかった。――彼に。こんなにも私は貴方のために強くなったぞ、と。
自分を庇い倒れてしまった男に視線を送り、ほんの少しだけ微笑んでから、マリアはその力を解き放った。
「抑圧されし黄金色の拳!!!」
『な!? 』
――――――カッ!――――――
地下室が爆音と閃光で真っ白に染まる。
『核の光にも匹敵する我が力を相殺するとは……』
バラキエルが細めた眼を見開いた時には既に2名は地下通路には居なかった。
『さらにあの女……此処を崩壊させない為に力を割いて……何者なのだ』
天使は全くの無表情に戻り一度嘆息する。
『まぁ良いい、魔法使いの方は救えました』
既に彼は無限の輪の中に閉じ込められたのだから。
呟いた天使はその場から再び消え去る。
――我に仇なす子羊にも等しく救いを与える。あぁそれが天使だ小さき者よ。
◆◇◆◇
まるで紙だった。
紙のように人間が舞い飛び、吹き飛ばされ両断され燃えていた。
街が燃えていた――家も家畜も人間も、みな等しく燃えていた。
街の片隅の街角で虫の様に地面に這いつくばり、右腕から血を流した男が叫んでいた。
「返してくれ! 俺のマリィを返してくれよぉぉ!」
兎の魔人ラビットハッチが愛らしい長い耳と顔、しかしその表情を醜悪に歪め笑う。
「ゲヘヘヘ……こんな状態の女をか、いいぜ? ほらよ――」
――ドサッ
女は男の目の前にゴミのように転がる。
男は魔人の手より放られた女に地面を這いながら駆け寄った。
「あぁマリィ……あぁマリィ……へ、返事をしてくれ……っ」
ハッチの隣でイヤラシく笑う使徒ファジーロップが主人の四本の腕を愛おしそうに撫でる。愉悦――サディスティックな、醜悪な、官能的な女。
「ハッチ様ぁ~ 可哀想じゃありませんか。 十分楽しんだんですから全部返してあげれば良いのにぃ~」
「そっガ? 上半身は食っちまったから仕方がネェ、吐ギだせってか」
隣でもう一体の使徒ランドロップも笑う。
「もうあの人間は壊れてますわ? そういうファジーロップ、貴女もこの男の腕切り落として食べてたじゃないの」
「あぁ、マズかったから捨てちゃったわよ~私中年男の肉って苦手なのよねぇ」
「選り好みするなら食べなきゃいいですのにフフフ」
中年男と呼ばれた片腕の男は骸となった女性に絶叫しながら話しかけている。ランドロップも自分の両方の腕を抱いてブルっと身震いする。
「いいですわ~あの男の表情……ゾクゾクしちゃう」
「そうねぇ~ちょっと遊んであげようかしら……あの娘の足と彼の無くなった腕……縫合してあげましょうよ?」
「それ良い案ですわぁ~真の一心同体ですわネぇ」
――カッ!
しかし次の瞬間それは邪魔される事となる。
魔人達と絶叫する男の間に炎が巻き上がったのだから。ラビットハッチが顔を歪め、ファジーロップは兎のようにピョンピョン跳ねる。
「あぁぁん!? 何だぁテメェ……」
「あらやだ熱いじゃない玉のお肌が焼けちゃった~ん」
身長より長い髪をなびかせ、身の丈程もある剣を持った女が魔人達と対峙する――彼女は指をラビットハッチに向けた。
「飛べ包めカラドボルグ――炎剣ラグナロク」
ズィドン!
女の持つオリハルコンの剣にスカーフが巻き付いた刹那――目にも留まらぬスピードで炎を撒き散らし流星となった。炎の流星は魔人ラビットハッチの右半身を容易に吹き飛ばし、意志があるがごとく再び主のもとに返り咲く。
「グぎゃぁっぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「ハッチ様!」
「ご主人様!?」
使徒2体が魔人に駆け寄り――イザナミ=アヤノ=マクスウェルは心底面倒くさそうに言葉を発す。
「退けゴミ共……このボンクラはワタシが貰う」
女はそう言って地面にへばり付く男を見下ろした。
..........za.....za......zaza
辛い過去は忘れ、新しい今を見つめるのです――
救いは誰にも等しく訪れる――
さぁ眼を開けなさい救いの手を――
..........za.....za......zaza
中年男と言われた片腕の男は骸となった女性に絶叫しながら話しかけている。ランドロップが自分の腕を抱いて身震いした。
「いいですわ~あの男の表情……ゾクゾクしちゃう……」
「そうねぇ~ちょっと遊んであげようかしら……あの娘の足と彼の無くなった腕……縫合してあげましょうよ?」
「それ良い案ですわぁ~真の一心同体ですわネ?」
――カッ!
背中に羽を生やした光り輝く人間が降り立った。輝く人はその場に居る全員を見回し言葉を送る。
「我は救いの御使――地べたを這う虫にも救済を与えましょう」
その異様な気配にラビットハッチは体を隆起させる。
「何だぁテメェはぁぁぁ!」
「イケマセン!ご主人様、奴は天使――」
ランドロップが主人を護るように前に出た時、現れた天使は詩を奏でた。
……あぁ救い給え、我が右手に宿る救済の蛇よ。かの小さな者に永遠の安住を……
『LvΩ天道波動転換ノーアディッド=シュガーブリーゼ』
―――世界が輝く白に塗り替えられる―――
真っ白い壁、狭い内装にバターの匂いがくすぐる小さな家のベットに俺はいた。
「ユウィン起きて? お仕事~オシゴト~のじ・か・ん~」
「マリィ……まだ朝じゃねぇか……仕事は夜だろぉ」
「もぉ……何寝ぼけてんの~? もう朝の5時だよ? パンの仕込みしないと開店間に合わないじゃないぃ」
「パンだぁ? お前こそ寝ぼけんな――」
思い出した。
そうだ、俺とマリィは王都に小さなパン屋を開いたんだった。
「すまん寝ぼけていた……すぐ着替える」
「――とぉ!」
――ズムッ!
ベットから起きようとする俺の口にマリィはバケット1本に野菜とローストビーフを挟んだ巨大な朝食を突っ込んだ。
「ぼごい――ってデケェよ食えるかぁ」
「にゃっはっは昨日の残りで作ったのだ~」
こぼれると勿体無いのでパンを口から丁寧に抜き取り、俺はマリィに向かって叫ぶ。マリィは小さい体に可愛いエプロンを付け、腰に手を当ててエッヘンと笑っている。
「可愛いカワイイ新妻が優しく起こしたのにぃ~ 怒ることないじゃ~ん」
「ハイハイ可愛いカワイイ」
内心は押し倒してやろうかという程愛おしかったのだが、恥ずかしいので目を背けた。
ドガス!――――痛ェ! 何だ? 今度は顔をブン殴られたかのような痛みが走った。目の前のマリィはそんな俺にキョトンと首を傾げる。
(何だってんだいい所なのに)
だが急に良く解らない街の単語が頭に浮かんだ。
違う、何で俺はこんな所に。
「ここはブルスケッタじゃないのか?」
「ユウィン何言ってんの? ここはトロンリネージュでしょ」
早く支度して~ね?
愛らしい仕草でウインクするマリィの手を俺は掴んだ。
「そこでマリィは俺を助けてくれたじゃないか!? 近郊で途方に暮れていた俺を――」
「まっだ寝ぼけてるの? 私達はずっと王都から出たこと無いじゃない」
私達、家がご近所の幼なじみだったでしょ? 照れながらそんな事を言っていた。
「良いのか!?――君には目標があったじゃないか」
俺は彼女の両腕を掴んで言った。
怖い顔をしていたらしくマリィは怯えていた。この怯えた顔……何処かで。
「な、何で? 何でそんな事言うの? ブルスケッタって汚い、いかがわしいだけの歓楽街じゃない」
私にそんな街で働けって言うの?
彼女は泣きだしてしまう。違う、お前はここで泣く女じゃない、途中で投げ出すような女じゃない。
「君には信念があったはずだ! 自分の行動に信念を持っていた」
「ユウィンは、またあそこに戻りたいの?」
彼女の顔が曇る。虚ろな目で俺を見つめた。
「また……私に……貴方を護って死ねって言うのね?」
「違う! 俺は自分の意志を曲げない君が好きになった――愛していた!」
「いた?――他に好きな人でも出来たの?」
「どうしたんだマリィ!? 君はもっと――」
「そんなの、ユウィンが勝手に思っただけのマリィじゃない」
ドガス!――イッテ! まただ。
だが成程……目が覚めた。
また顔をブン殴られたかのような痛みが走った。そうだ、俺はこの痛みを知っている。
そうだったのか――これは俺と奴の願いか。
「パン屋さんか、君と一緒に、どんなに幸せだろうな。だがそんな世界は存在しないんだよ」
「サァユウィン、コッチニオイデ? キモチイイコトシテアゲルカラ」
サヨナラマリィ。
俺の願望と歪みが作り出した君。
「非常にそそるが、それは現実の君に逢った時にとっておくとするよ」
周囲が再び真っ白になった。目の前の想い人の姿が色褪せていく――
「マリィ――君は俺を恨んでいるかい?」
幻想のマリィはお日様の様な笑顔で言ってくれた。
「アタリマエジャナイ……ユウィン」
そうか。
でもな、俺は探し続けるよ、変わらず君に背中を。君を忘れてしまわないように恨み続けるよ――魔人を。
たとえ俺や他人が作り出したマリィだったとしても、また逢えて良かった。いつかこの身が滅んだら……また逢おうな。
マリィ=サンディアナ。
俺は何もない白い空間を飛んでいた――まだ何も見えない。
随分来たな出口はまだか。
あれは――想い人が再び現れる。
またマリィの幻かよ。やれやれどんだけ引きずってるんだ俺は……。
ん? 倒れてる俺を泣きながらブン殴ってる。あぁそうか成程――そうだよな、マリィはそんな事しないよな。俺がぶっ倒れただけで……そんな事で泣くなよ全く、だから子供だって言うんだ。 もう帰って来たからそんな顔すんな――
「ただいまマリア」




