第5話 戦女神と竜の騎士
「美人になるとは思っとったが期待以上じゃ! 遥々来た甲斐があったわい」
カターノート共和国代表アーサー校長のセクハラじみた一言スパイクに。
「ウフフッ……ありがとうございます。アーサー様」
トロンリネージュ王国代表アンリエッタ皇女は余裕の笑顔レシーブで返す。
翌日の午前――カターノート共和国代表アーサー=カターノート校長が王都トロンリネージュに到着した。
今武闘大会のスポンサーである彼の歓迎会が開かれ、現在大広間にて盛大に行われている最中である。
アーサーの言葉に応えたアンリエッタといえば、昨日はこの会の準備で夜遅くまで打ち合わせをしていたのだが、今日の彼女はそんな疲れを微塵も感じさせない。様子を伺うに機嫌がすこぶる良いようで笑顔に花が咲き乱れていた。
要するにもールンルンの御様子だ。
そこへ会場の高砂席で対談するアーサーとアンリエッタに、動きやすく改良された着物の女性が近寄っていく。
この着物と呼ばれる衣装はトロンリネージュ東方ゼノンより更に海を渡った所にある、遥か東方の火の国ジパングの民族衣装である。
「お初にお目にかかります。ワタクシはゼノンより馳せ参じました絃葉=神無木と申します。お目通り頂き得がたい喜びを感じる所存で御座います」
長い黒髪に色白、整った光沢ある前髪を横一文字に切り揃えた大和撫子。そして闘士とは思えない傷のない玉の素肌の女性は深々と頭を下げ、アンリエッタはアーサーから目の前の大和撫子に向き直り、手を合わせて笑顔で歓迎した。
「まぁっ! 貴方が”錆びた釘”の絃葉様!? 何て綺麗な髪でしょう。それにとっても美人! それでいて強いなんて本当に凄いです……遠路はるばるようこそ我がトロンリネージュへ」
同じ女で人類最強を誇るゼノンの傭兵だなんて凄い。
手を叩いて喜び、尊敬の眼差しを送るアンリエッタ。対して絃葉は赤面し俯いて頭を振る。
「私はただの一傭兵、い、絃葉で構いません陛下――」
顔を真っ赤にして深々とお辞儀するラスティネイル。
このお辞儀という動作もジパング特有の礼である。どうやらこの弦葉という女性はゼノン人に関わらず、出身国の伝統を強く重んじているように見える。
「あ……すいません絃葉さん。傭兵って印象とあまりにもかけ離れたお美しい女性だったので驚いてしまって……あの、そんなかしこまらないで下さいね? 部屋を用意していますのでゆっくりくつろいで下さい」
皇女の言葉に絃葉は照れて俯くが、一瞬で気持ちを切り替えて礼の言葉を続けようと顔を上げた。
絃葉は火の国出身の女である。
火の国では女性の身分が低く、公の場で評価されることは滅多にあり得ない。故に目の前の女王に尊敬の眼差しと、自分を評価してくれた事に対して深い感謝の気持があったようだ。
「……勿体無いお言葉ありがとうございます陛下。失礼ですが私用がございますので失礼させて頂いても宜しいでしょうか」
「勿論です。宜しければ我が国の料理と演奏を楽しんでいって下さいねっ」
絃葉が高砂から居なくなるのを確認してから、アーサー校長が後ろから皇女に声を掛ける。
「では今からアンリエッタちゃんとワシは2人きりという事じゃな?」
アンリエッタは顎に指をあてて微笑む。
「でもアーサー様? 幼い頃の私と違い、成長したアンリエッタは少々お高いですよっ」
皇女お得意の殺人スマイル――これで落ちない男は居ないらしい。
「ほほっおぉぉぉ! その笑顔は確かに高そうじゃ。こりゃお嬢ちゃんとは言えんわいっ」
アーサーの笑いが会場に響き渡った。
――この歓迎会はトロンリネージュ本城大広間で豪華絢爛に行われている。テーブルに豪華な料理が並べられ、楽団によるオーケストラ演奏に合わせて参加者達が踊り舞い楽しんでいた。
参加者のユウィンの弟子という事で招待されたシャルロットは、この会の規模と遠目に見えていたアンリエッタに驚きの表情とキラキラしたまなざしを送っている。
「スッゴ~イっ アンリエッタ様ってボクとそんなに年が変わらないのに……本当に皇女様だったんだね!」
「……今迄何だと思ってたんだシャルロット」
無表情に呆れるユウィン。
2人はいつもの格好ではなく礼装に着替えている。――ユウィンはタキシードにアッシュグレイの髪を綺麗にまとめており、シャルロットは肩と背中の空いたドレスにプラチナブロンドの髪をアップしてコサージュで止めていた。
「うわ…あぁぁぁあすっご~い」
シャルロットが周りをキョロキョロ見回し感嘆の声を上げる。確かにこの大広間は広い。会場には千人以上が詰めかけているが相当余裕があった。オーケストラに、舞踏場、ドラゴンの姿焼きが乗りそうな大理石のダイニングテーブルが何脚も立ち並んでも更に余裕が感じられるサイズであった。
シャルロットは周りの料理に標準を合わせ目を輝かせた所だ。
まだ色気より食い気といった所だな。
ユウィンは弟子の姿に死んでしまった昔の恋人を重ねて思わず笑みをこぼした。
大昔亡くした想い人マリィ――彼女は小さい体で異常な量を食べた。それに合わして自身も量を食べるようになった経緯がある。
(マリィも……そう言えばあの満腹姫も凄く食べたっけな)
昔を思い出してまた少し微笑む。
「先生!ボク達も食べよう?」
「……あぁ、そうだな」
――――ッキン――――
色気より食い気状態のシャルロットが嬉しそうにユウィンの腕を引っ張った時、周りに気が貼り巡った感覚が襲う。目を細めてアンリエッタ皇女に視線を移すが……無事のようだ。ともすればどういう用途で張られたものだろうか? 訝る。
「先生これって」
「……あぁ索敵武装気が張られたな」
武装気を操れるようになったシャルロットも気付いたようだ。そして考えを巡らせる――ここにはクロードも来ているはず。あの性悪執事は皇女の守護の為、気を常に張り巡らせている筈だ。
クロードの気の索敵範囲はその道では驚異的な三百メートル範囲四方である。ユウィン達が彼の気とは違う索敵武装気を感じたということは、クロードの気を上書きして張り巡らせたと言う事。
(……何者だろうか)
――その正体はすぐに目の前に現れた。
「貴方ですか、クロード様と共にゼノンの鴉を退けた方と言うのは」
先程遠目に見えていた絃葉=神無木が歩み寄ってきていた。ユウィンは目の前の長い黒髪大和撫子に視線を移し警戒を解いた。
彼女が恐らくアンリエッタの言っていた”錆びた釘”の1人。ならばあの異常な出力の”技の武装気”も納得が出来るというもの。
「先程の索敵武装気は君か……戦闘用に張り巡らせたものかと少し警戒したが」
「失礼致しました。貴方に興味があったもので探させてもらいました」
絃葉と言うらしいパッツン黒髪美人はユウィンの目の前迄詰め寄り、正面からジッと目を見て視線を離さない。顔色と体格をじっと確認しているように見える。
先程の気は索敵武装気を張り、それに即座に反応した人間を見ていたようだ。
「天涯十星の内が一士、絃葉=神無木です。宜しくお願い致します」
天涯十星とはラスティネイルの別名である。彼女は深々と頭を下げた後、握手を求める。
(天涯十星……かしこまった言い方をする)
一般的に15万以上いるゼノン傭兵の頂点に君臨する10名の総称はラスティネイルと言う。こういう公の場ではあまり使わない挨拶であり、場に適していない。だがあえてこの名乗りをあげたと言うことは、天涯の名に思い入れがあると言う事。――もしかして硬い娘なのか。ユウィンと言う男は笑顔が苦手な為、営業用の”遠慮がち笑み”を浮かべ、求めるれた握手を返した。
「……ユウィン=リバーエンドです」
それを見ていた後ろのシャルロットが何故か胸を押さえて首を傾げていた。何やら芽生え始めた女の勘が危険を察知したが、その正体が何だか分からないご様子だ。
――ブワッ!
(ん!?)
ユウィンが握手を返した瞬間だった――足が浮き、回転しながら体を上空に投げ飛ばされる。
(こ、れはあの時の技か)
あの時の技――”空道”
それは騎士演習場でユーリ将軍が使っていた技だと気付く。一度見ていた為とっさに足を開いてバランスを取り、そのまま着地する事が出来た。
「……やれやれ火の国の握手は過激のようだ」
ユウィンは彼女の名前と肌の色で出身国を割り出したようだ。
「失礼致しました。実力を見たかったもので」
しれっとした顔で絃葉は言葉を返す。言葉には出さないが「どうですか試された気分は」そう言っているようにも聞こえる。
だかそんな挑発に感情の乏しいユウィンが食いつくはずもなく、嘆息してから肩をすくめた。
「俺の身体能力なんて君らに比べれば高々しれてる。後、鴉……だったか、あの小僧を倒ったのは此処の執事だ。俺じゃない」
「え? あ、あの、貴方は……」
その言葉に絃葉は心底驚いたような表情をしていた。予想と全く違う答えが帰ってきてどうしたら良いかわからない。そんな阿呆な顔。といえば良いのか。
「見栄、張らないんですか? 貴方も火の国出身では……」
「俺は記憶がなくてね、良くわからんのさ」
彼女もユウィンの肌の色から火の国の出だと思ったらしいのだが、それまた予想外の言葉で返される。
東方の人間は対面を第一に気にする傾向があるのだ。
「こ、これはその……大変失礼致しました謝罪します」
不用心な言葉の詫びのつもりか、深々とお辞儀をしようとするがユウィンはそれを素早く手で制した。
「君みたいなお嬢さんが頭を下げるなんて見たくはない。構わんさ……だからよしてくれ」
「お、お嬢さん?」
急にビクッ!
体を震わせたように見える。それから目に見えて慌てだし、何やら独り言をブツブツ言っているのでユウィン程の無感情人間でも怪訝に思い、聞いてみる事にしたようだ。
「何か悪い事を言っただろうか」
「い、いえ……そうではなく」
彼女は俯いていた。――心なしか顔に赤みが差しているように見える。
絃葉は武術を極めるために幼少の頃よりあまり他者と関わらず暮らしてきた。
父はいるが仕事で他国にずっと滞在しているが故あまり会えず、持ち前の硬い性格が寄ってくる男を全て叩き伏せ、なまじ才能があった故そのまま傭兵になってしまった。
それからその美しい容姿も相まって近づいて来るものは全く居なくなってしまったのだ。
面白がって寄ってくる男は全て見栄っぱりで拳より口の立つ男ばかり、まぁそれも当然といえば当然だ。男たちは強さ以外をアピールしないといけないのだから。錆びた釘に腕っ節で勝てる人類など存在しないのだから。
(天の星になられた姫様……やはり私の幻想なのでしょうか)
絃葉はその度思う――殿方というのは自分の容姿しか見ていないのだな。
その度絃葉は絵本を開いた。独りぼっちの部屋で1人絵本を読んだ。幼い頃父に買ってもらった絵本だった。絵本の騎士は姫に決して気付かれないように試練に立ち向かう。その試練は本来姫が追うべき試練で、騎士は大好きな姫の為人知れず戦う――そんな子供向けの絵本だった。
神無木=絃葉という女は男を知らない。
錆びた釘に女は彼女1人である。友達も居なかった。他の同門、女傭兵達すらも、美しく、強い絃葉に嫉妬し突き放したためだ。彼女はずっと1人で生きてきた女性なのだ。そんな絃葉には父親と絵本しかなかったのだ。
戦乱激しい火の国から1人船に潜り込み、辿り着いた異国で自分を拾ってくれた父親しか居なかった。
だが……
「あ、あのその……ユウィン……殿はゼノンの……」
「ん……どうした。気分が悪いか」
「い、いやそうではなくて――わ!」
「――おっ……と」
絃葉の赤く高揚した顔を熱があるのかと心配したユウィンが、彼女の額に手をやろうとした時、気が動転してか足を縺れさせた絃葉は前に倒れこみ、丁度ユウィンの胸に飛び込む形となった。
「大丈夫か天涯十星のお嬢さん……それと脇腹の傷は放置しない方が良いな」
「は、はいぃそのす、すみま……せん。え? あれ?」
絃葉は固まる。ユウィンの胸に顔を埋めた状態で。
(こ、この人のチャクラ……は……?)
そして思う。
(え、傷?――ってわわわわ)
そこまで考えた後、自分の状態にようやく気付いた。バッ! 目にも留まらぬ速さでバックステップ、傭兵らしくユウィンから距離をとった。そして自分の脇腹を擦る。数日前の敗北の傷を。
(鴉に切られた傷が……治ってる。そんなあの一瞬で)
目の前の男が直してくれたというのか。
(剣士だと思っていましたのにまさか魔法も使えるなんて……それもこの技量は)
ユウィンの後方で弟子が再び不思議そうな顔で首を傾げていた。そのシャルロットとは反対方向から声が掛かる。
「ユウィン殿困りますな……折角のお嬢様の御機嫌が悪くなりますぞ」
皇女専属の執事クロードの声、彼はユウィンの背後より気配もなく現れる。
全く、このジーサンといい絃葉という女性も、ゼノンの人間は気配を消して急に現れる人種のようだ。
ユウィンの正面にいる絃葉=神無木という女性の顔が執事の声でほころぶ。
知り合いなのかな? 空気を読んでいると感極まったらしい絃葉がクロードの胸に飛び込んで思い切り抱きついている。
そこで思う。
(あぁ成程……)
さっき俺の胸に飛び込んできたのは挨拶のつもりだったのか、勘違いしなくてよかった、と。
「お義父様お久しぶりです!」
抱きつかれたクロードは苦笑である。無論嫌な苦笑いではなくこのシチュエーションが、といった所だが。
対してユウィンは珍しく楽しそうに微笑む。
「絃葉よ、見事な索敵武装気だった。これは私を越えるのも時間の問題ですな」
「そんな……お義父様にはまだ遠く及びません」
お義父様逢いたかった。自分の胸に顔をうずめて甘える娘にクロードは動揺を隠し切れない。何やら数年ぶりにあった父子の再会に見えなくもない。
「これこれ絃葉……22にもなって」
「4年ぶりですもの、もう少しだけ……お願いしますお義父様」
絃葉はクロードの硬い胸板から離れない。長年不足していた父親エキスを吸い取っているかの如くの抱擁だな。ユウィン=リバーエンドには珍しく笑いをこらえ、苦手な性悪執事を眺める。なにせあの恐ろしい執事クロードが困っているのだ。
「これは良い物を見た」
「先生何で嬉しそうなの?」
シャルロットはユウィンを見てキョトンとしていた。その理由としては、クロードにはアンリエッタ絡みでいつもからかわれているが故――。
少し清々しい気分に浸っていたユウィンにクロードと絃葉が歩み寄ってきた。目が合うと悪戯を見つかった子供のように絃葉は俯いた。
「手荒な娘をお許し下さい。男手1つで育てたもので」
「食事前に良い運動になったさ。そんなことよりアンタに娘がいた事の方が驚いたな」
この超人にて老人クロードに性欲があったとは。そんなことを思っていたのだが、話を聞けばどうやら養父らしく、軽く娘の紹介をしてくれた。そして納得、やはりこの鉄人に性欲は無いのか、よかったイメージ通りだ。
勝手にそんなことを思い1人納得。
しかし親子揃って上位傭兵とは全く恐ろしい一家だ。あまり関わらないようにしようと心底思う。
そんなユウィンの胸中とは異な事に絃葉は
”ユウィン=リバーエンド”という人間に興味があったらしい。
「申し訳ございませんでした。”魔人殺し”と言われる剣士に興味があったもので……」
”魔人殺し”――数百年前から各国で伝えられている長竿を持つ剣士の事である。
噂ではその身の丈ほどもある剣と一子相伝の技を代々弟子に受け継がせ、魔人を狩って食べる一族。
とかいう話になっているらしい。
一種の都市伝説なのだが、トロンリネージュを魔人から救った英雄”魔人殺し”参戦。
といったふうに、今大会のフレコミに使われたのだ。理由は言わずもがな”客寄せ”の為、アンリエッタ=トロンリネージュの”貯金”の為である。
「何でまた一介の剣士如きに……錆びた釘程なら魔人を倒すなんてそう難しくないだろうに」
すると絃葉の表情に少し照れが入る。話すか迷いながらモジモジしていたがその理由を教えてくれる決心をしたようだ。
「実は私の大好きな絵本にあるのです。傭兵王国の戦姫と魔人狩りの竜剣士の話が――」
「……ゼノンの戦姫」
赤面しながら嬉しそうに話す絃葉とは対照的に、絵本の話を聞いたユウィンは、いつもの無表情から更に感情が消え能面のように固まる。
そして遠い目をしながら呟いたのは満腹姫の名前――
「――黄金覇王”天涯”マリア=アウローラか」
ユウィンの呟きに絃葉とクロードはどうやら驚いたようだ。
「驚きましたな、マリア様をご存知とは……」
「何で知っているのですか!? 字名まで」
絃葉は何処がツボだったのか凄く嬉しそうにユウィンに詰め寄る。
かの絵本はゼノンで有名な本であり、内容はゼノン王に拾われた少女と旅の剣士との恋物語である。昔の内戦を子供向けに改変して販売された本で、そもそもゼノン以外ではあまり知名度のない本であった。更に主人公の少女のモチーフとなった人物は歴代最強と言われる”錆びた釘”にして、ゼノン王の1人娘女マリア=アウローラ姫、その字名まで知っていたので驚いたのだ。
これは一般には伝えられていない内容であった。
「あぁいや……知り合いに詳しいのがいてね」
ユウィンが頭を掻きながら返すが、絃葉はそんな彼を少し怪訝に思いながらも、嬉しそうに話を続ける。
「私の目標とする人物が、その戦姫のモデルとなったマリア=アウローラ様なのです」
天涯覇王マリア=アウローラという人物。――傭兵王国ゼノン王に拾われ養娘となった女性。全ての武装気を使用する事が出来る黄金に輝く気に選ばれた女――字名は『天涯』歴代錆びた釘最強と言われ今だ語り継がれている。
約100年前のゼノンの内戦で敵同士となった当時の錆びた釘8名を相手に1人で勝利し、内乱を集結させた伝説の英雄である。
内戦後その時の傷によって命を落としたとされる。
彼女の死を悲しんだ残った9人の錆びた釘達は自らの行いを悔い、独り孤独に戦い星になったゼノンの姫マリアの為、天に輝ける彼女に救われた命を返すべく、命尽きるまで国を守り死して星となったと言われている。それ以来――ゼノンの上位傭兵は天涯極星を守る9つの星と例え、天涯十星ラスティネイルと呼ばれるようになったのだ。
「そういえば絵本の剣士も大きな剣を持っていましたな。ユウィン殿に似ていますな」
「お義父様!? ユウィン殿もやはり大剣をお持ちで?」
(じーさんめ余計な事を……)
あまり話したい内容ではなかった為どうしたものかと嘆息する。しかし自分が口を滑らせたので仕方がない。
執事は薄ら笑いを浮かべていた――何かに感づいたような表情だ。
「俺の剣は長竿だ。あの絵本みたいにゴツイ剣ではない」
「でもあの物語にお詳しいのですね!」
喜ぶ弦葉にユウィンの無表情がやや崩れる。
しまった。また要らないことを言ってしまった。
「嬉しいです。この国で”あの絵本”の話を出来るなんて思いませんでした」
絃葉は絵本の話なんて。
少し照れているが優しい笑顔を向けてくる。先程迄の武人顔も凛々しかったが女性らしい可愛い所もあるんだな。俺はそんな事を思いながら率直な感想を述べようと思う。
「お姫様に憧れるんじゃなくて戦姫とは……お嬢さんは本当に武人なんだな。若いのに大したものだ」
「い、いえそんな……闘士として力を求めるのは当然です」
ユウィンは少し微笑む。
昔を思い出していた。弱く、何も出来なかった自分。強くなった後も迷い、自分で欲しいものを求めなかった弱い自分を。だから目の前にいる女性が眩しく見えたのだ。純粋に力に憧れを求める綺麗な瞳に。
「純な力を求める綺麗な眼だ……君ならあの戦姫のようになれるかもな」
ボンッ
絃葉の顔が一瞬で朱で染まる。
「そ、その言葉はちょっと……誤解を生みます」
「父親の前で娘を口説くとは流石ユウィン殿。肝が座っておりますな」
「口説く?」
何の事かと思ったが、あぁ成程と納得する。率直な意見を言ったつもりだったが綺麗な眼だ……ってこれは酷いな。惹かれるレベルの口説き文句にも聞こえん事もないか。
「スマナイ。そういう意味ではなく、君がもっと高みを目指せるだろうと言いたかった」
「は、はいそうですよね。ありがとう御座います」
目の前の黒髪を見ながら思い出していた。純粋な瞳が織りなす黄金の光を――強く、明るく、前向きで隙の多かった満腹姫を。
だが黄金の姫、あの娘は――
「だが……絃葉さん1つだけいいだろうか」
「は、はいユウィン殿」
太陽のように眩しいあの娘は、きっと寂しかったろう。
「マリアの字名……”天涯”、あれは他に何も無いって意味にも取れる」
「……え?」
「天涯覇王、生まれ持って強い彼女を他人はきっと妬んだろう、疎んだだろう。きっと彼女は長い間1人きりだったんじゃないだろうか」
絃葉とクロードは急に語りだした俺を見て眼を丸くはしてはいたが、黙って聞いていた。
「さっきマリアみたいになれたら……と言ったが訂正する。あぁはならない方が良い、君には君の強さを求めるべきだと俺は思う。まぁ年長者の戯言と思って一応聞いておいてくれ」
「あ……ありがとうございます。私なんかの為にそこまで親身になってアドバイスしてくださるなんて……」
頬に手を当てて照れている。あまり男慣れしていないのだろう。俺としたことが他人の懐に踏み行ってしますとは。やはりアンリエッタと出逢ってから何かおかしい。人の心などとうに無くしたと思っていたのに。
「でもユウィン殿……まるでマリア様を直接知っているみたいに話されますね。どうしてそんなにお詳しいのですか? ゼノンに住まれていた事があるのですか?」
しまったな。また面倒な質問を受けてしまった。俺の年がばれる前にここは誤魔化しておこうか。
「そう言えば、さっきは脇腹を勝手に触って悪かった。俺はそこそこ魔法も使えてな、治ってるとは思うが薬は塗っておいた方が良いと思う」
「あっ……その私こそ……その……抱きついてしまって……すいません」
恥ずかしい場面を思い出したらしく、絃葉の元々赤くなっていた顔が最高潮に達する。
「いやはや父親としてはこれ以上見ておれませんな」
クロードが薄ら笑いを浮かべながらそんな事を言い、ユウィンの後方を指さした。その先ではシャルロットがふくれっツラでスネていた。
(しまった忘れていた)
これ以上スネられて暴走されてはいけない。この場を切り上げる事をようと絃葉に向き直りゆっくり一礼する。
「それではゼノンのお嬢さん。試合では当たらない事を祈ります」
「え? あ……はい」
ユウィンはそう言い残して振り返り、膨れっツラのシャルロットを連れてその場を離れた。
場に残ったクロード親子はユウィン達の背中を見送る。
「ユウィン殿って不思議な方ですね。戦士なのに力に対して見栄が無いように感じました……」
「確かに。ユウィン殿は確かに勝敗にこだわる人間ではないですな」
絃葉は視線をユウィンに向け続けながら。
「ではお義父様……あの方は何の為に剣を振っておられるのでしょうか」
「さて……ただ私の直感ですが、あの方は望んで強くなった人間ではないような気がしますな」
クロードが娘に視線を移す、絃葉はまだユウィンの背中を見つめている。娘の心境は大体解ってしまったのだが、まぁこれも経験よと微笑み話題を変える。
「そういえば絃葉は昔からあの絵本ばかり読んでいましたな」
「はい。ですのでユウィン殿にお嬢さんと言われた時は……本当にビックリしました」
クロードは娘が読んでいた絵本のタイトルを思い出していた――
『戦女神と竜の騎士』
それは旅の剣士と、そして身分を偽って国を守ろうとした戦姫の物語。
102年前の悲しい物語。
孤独な天涯覇王と心を無くした竜剣士の恋物語。
お嬢さん――
僕の掌はこの通り刃物で出来ています。
差し出された手を繋ぐ事も出来ません。
僕の事はお忘れなさい。
すると少女は言いました。
私には貴方が人を傷つけるような刃には見えません。
少女は剣士の手を握りました。
こんな暖かい手をしておられますもの。
どうか私と踊って下さいませんか?
1本の大きな剣は少女の言葉に思いました。
僕は貴方の背中を人知れず守りましょう。
少女は思いました。
貴方の右手の刃が血に染まれば
私は貴方の左手の剣になりましょう。
天に輝く1つ星――9つの星に囲まれた天涯極星が、今日の舞台を恥ずかしそうに見守っていた。
それは102年もの歳月を待ちわびて待ちわびて、そしてやっと叶った悲願なのだから。
彼は知らない――彼女がいったい何なのか。何故彼女が彼に惹かれたのか。
知らない。
黄金の星は今でも彼を照らし続けていることを。
知らない。
彼女が102年経って、やっと傍らに立っている事を。
竜の騎士が知らない真実。
今宵この時この場所が、彼女の望んだ悲願だということを。
火の国ジパングに1本だけそびえる大木があった。
1年に何度も華を咲かせるその木にちなんでの唄がある。
黄金の花は三度咲く――と。
「シャルロットすまない。待たせてしまったか」
「先生ぇ……ボク忘れられちゃったのかと思ったよう」
シャルロットは泣きそうになっていた。
そんな彼女を微笑みながら、ユウィンは彩りも鮮やかな料理が並ぶ先――奏でるオーケストラの音楽に合わせて踊るカップル達に目が行く。
この時、何故かそんな気分になったんだ。
「なぁシェリー……少し俺と踊ってくれないだろうか」
「ふぇ? ボ、ボク踊れないよ?……それに小さいボクなんかが相手じゃ先生に悪いよ」
急に愛称で呼ばれたシャルロットはムズガユイ顔をしていたが、すぐに舞踏場の方を見て俯く。
踊っているのは皆、背が高くてダンスの栄える大人のカップルばかりだったからだ。
「お嫌いでなければお願いします……お嬢さん」
何故か、何故だか解らないが強く思った。
「ユユユウィン先生さえ良ければ……」
「それではお手を」
ユウィンにエスコートされてシャルロットは赤面しながらも、おずおず舞踏場の中心へ歩みを進める――周りの貴婦人達は2人を年の離れた兄妹だと思ったらしく、暖かな目で見守ってくれていた。
師弟はお互いを見つめ合い軽く一礼、そして師のリードでゆっくりと踊り始める。
(うわぁ先生上手……何でも出来るんだなぁ)
シャルロットは、ふと自分を支えるユウィンの掌の感触に気付いた。
(先生の手……暖かい)
でもでも顔が近くて緊張するよぉぉ。
シャルロットは踊りながら思う。
緊張はする。するのだが、何処か懐かしい、何故かずっと前からこうして踊りたかったかのような不思議な感覚を味わっていた。
彼はは彼女の表情を楽しみながら、先程話題に出た絵本の内容を思い出していた。
(マリア=アウローラ……確か絵本ではこうなっていたかな)
ユウィンは苦笑する。
(実際はそんなロマンチックなものじゃなかったよな)
――満腹姫。
剣士と少女は音楽も何もないただの噴水の前で踊りました。
でも2人には相手に言えない秘密があったのです。
少女は天に輝く星から舞い降りた戦女神
剣士は暗黒の竜の力を使う
悪い魔法使いだったのです。
◆◇◆◇
傭兵王国ゼノンは各国に強力な傭兵を派遣することを国益としている王政国家、その最大の特徴は”強さ”である。武器を使わず、人体の肉体強化術”武装気”を駆使し、魔人をも素手で撃ちぬくその姿は正に鬼神――人外の強さと謳われる由縁である。
ゼノン流攻殺法は3つの流派に別れる。
白派レタラ、黒派クンネ、蒼派シウニンの3つの流派――現在は体勢が代わり、各流派の良い所を取り入れるシステムが構築されているが当時のゼノンにはそれがなく、3つの流派は各々がバラバラに機能していた。
要するにこういう事だ”我が流派こそ最強也、他流派は邪道也”と、各流派いがみ合っていたのだ。
絵本の題材とされたゼノンの内戦――それは102年前の出来事である。内部で糸を引いたのはたった1体の天使。救いと雷の力天使であった。
ここからはちょっと昔のお話、この物語は1人の少女と旅の剣士の出逢いから始まる。
「私はね、そのマリィって娘……貴方を恨んでないと思うよ?」
「お嬢ちゃんに何が分かる」
適当な事を言うもんじゃない。俺はそう言って嘆息し、少女に背中を向けて歩き出した。
「だって~その人、私と似てたんでしょ」
だから助けてくれたんでしょ? そんな言葉が背中越しに聞こえてくる。人のあまり寄り付かない路地裏での出来事――
全く五月蝿い女だ。
喋り方まで似ていて嫌な気分になる。
不用意に喋ってしまった事を俺は後悔していたんだ。
「だから?」
「んっとねぇ」
その娘の前から早々に消えたかった筈なのに、何故か俺は聞き返した。
「私もね? マリィって呼ばれてるんだっ。名前、マリアっていうから」
「聞いて損したよ」
踵を返す。俺は再び立ち去ろうとした。
「だって私ならね? 貴方みたいにずっと想ってくれる人がいたとしたら――」
口では何とでも言えるさ……お前に何が分かる。
「あぁ……この人を護って死んで良かったって思えるもん」
再び足を止めた。
「俺には怒りの感情というものが無い……だがお前を見ていたら、その無い感情が爆発しそうだ」
「にゃーるほど」
「黙ってさよならだ……マリア」
別れを告げ俺は歩き出した。俺はこれまでどれほど歩いたか――魔法で飛んでいけば世界中旅をするのは簡単だ。だが俺はそれをしなかった。過酷な旅を続ければ続ける程、彼女に報いているような自己満足を感じていたから。
仇の魔人を倒しても何も感じず――関係ない魔人を倒しても何も感じない。
この国でもさしたる成果が無かった。同じだった――彼女を生きかえらせる方法など無かった。解っていたんだ、そんな事は不可能だと。じゃぁ俺は何がほしいんだ? どうすれば彼女に報いることが出来るだろう――どうすれば俺は満足するのか。
――随分歩いてからふと噴水のある公園で足が止まる。どういう訳かさっきの少女、俺の為に死んだマリィに瓜二つの少女が立っていた。彼女は腕を組んで何か考えながら声を発する。
「えっとね! 私考えたんだけどね」
「お前なぁ……」
少し脅して引き離した方がが良いか。
俺は腰の小太刀に手を添える。
「そんなに引きずってるんなら死んだ人に聞いてみるってのはどうかな?」
「……何?」
「貴方魔法使いでしょ? そんな事出来たりしないの?」
魔法を披露したつもりはない――何故解った。不思議な少女だった。
「構わないで欲しいんだがな」
「そんな事いったってさ貴方――構って?って背中に書いてあるよ?」
俺はため息をつきながら小太刀を引き向いた。漆で塗り固めた柄を握りしめ、霞仕上げの刃が光を放つ。
「その中に貴方を救ってくれる人が居るかもしれないじゃない」
「知ったように喋ってほしくないと言ったが」
「貴方は信じていないんだよ……マリィちゃんを」
「それも解ってる、そんな事は――」
ちょっと脅して引き離そう……そう思った。
俺の体から武装気が揺れ、強化した気迫を目の前の少女に叩きこむ――通常素人が強化された気をぶつけられれば、脳の中枢神経が重度の危険を察知して、猛獣に出逢った人間のように体が萎縮する。俺は裏路地で悪漢に絡まれていた彼女を、この技で助けた――死んでしまった俺の想い人に、とてもとても似ていた少女だったからだ。
だが――俺の予想を越える結果が起きた。
少女に俺の武装気が全く通じなかったのだ。
「じゃあねっ旅の剣士さん? 貴方の思い出のマリィちゃんがどれ位強いか――」
彼女は素人では無かったんだ。大きく構えを取り、凛とした声。
「――目の前にいるマリィちゃんが見せてあげるよっ!」
その体からは霧……金色に輝く気が放たれていたから。
彼女の名はマリア=アウローラ。――俺の名はユウィン=リバーエンド。俺は今でも、この娘が何故自分に構ったのかを知らない。




