第13話 あの人の掌は
「セ、セドリック君? セドリック君!」
無論セドリックからの返事はない。
シャルロットを護るように覆いかぶさっていた。使命を全うしたその表情とは裏腹に、顔色には色はなく体からは致死量の血液が見てとれていたから当然だ。
「シャル! アンタ目、覚めたの!?」
「デイオール……逃げろ、そいつの決意を無駄にすんじゃねぇ」
アベルとテッサが今の状況に動揺するシャルロットに叫ぶが。
「お嬢様、気付かれましたか」
「カルヴィンさん!」
シャルロットの眼前に執事カルヴィンが立っていた。手には胸ポケットから取り出した魔人核が握られている。
「お嬢様が魔人となる。これで全て収まる話なのです」
王都の闇、ルシアンのカルヴィン=クライン。
彼とルシアン幹部の筋書き。――デイオール一族惨殺シナリオの仕上げ。――シャルロット=デイオールに全ての罪を着せる事。
彼女を魔人化させて王都に放つことにより、ルシアンの目を皇女から遠ざけ、且つ無能な筆頭ヴィクトル=デイオールも同時に始末出来き、そして、この一家惨殺も全て魔人化したシャルロットが行った所業となる。
「お、お義姉様!?」
シャルロットが、玄関ホールで絶命しているディアンヌを見つけ叫ぶ。
「ご安心を。エステル様も既に仲良く旅立たれていますので」
「何でぇ!?何でだよ義姉様達まで!」
シャルロットは半狂乱になっていた。
自分1人が死ねば良いと思っていた。――自分がすべて悪かったと、逃げた。父親を愛してしまい、同じく愛しているであろう姉達を憎んでしまった自分を罰する為に。間違ってしまった自分から逃げる為に。だが、結果はどうか? 自分1人だけが助生き延びてしまい、それどころか自分のせいで好きだといってくれた友達まで失おうかとしているではないか。
「元々貴方達は一家共々お亡くなりになる計画なのです」
「訳がわからないよ……じゃあ、じゃあボクは……」
「はい。私の渡した手紙はただお嬢様を泳がせるだけのものです。良かったですね? 皆が死んだのは貴方のせいではございませんね」
シャルロットは崩れ落ちた。
もう何がなんだか解らない。――どうやれば、どうしたら、どうなれば自分は満足した死を迎えられたのだろう。何も考えずにただただ最悪な現実から逃れられたのだろう。ボクの生まれた意味は何だったのだろう――解らない。
「お嬢様は生まれた時から餌なのですよ。私共と、旦那様の」
餌?……生まれてからずっと……?
シャルロットはずっと自分の価値を見いだせなかった。
母親に女として生まれたことを恨まれ続け、只の人形のように扱われて育った。故に、自分を求めてくれた父親に歪んだ愛情を芽生えさせ、禍々しくもおぞましい父親の愛と言う名の光に救いを求めた。――デイオール家の三姉妹は全て同じ境遇の女。――全員が父親に愛を求めていた。そして、父親も姉も死んで居なくなってしまった。――そして、この執事は自分を餌だという。
彼女の父親は、毎週週末に彼女を殴った。
眼が嫌いだった母親と似ていたらしい。
彼女の母様も彼女を殴った。
母親にとって彼女は、ストレスが溜まった時に殴るヌイグルミらしい。
でも、父親の母でも母親の人形でもなかった。
餌だった。
始めから食われて亡くなる、餌だと。
(テッサちゃん、アベル君、セドリック君……)
シャルロットは友人に向かって笑顔を向けた。
「シャル!アンタバカその顔は……」
「馬鹿野郎お前はお前だデイオール!」
その笑顔はまさしく全てを諦めてしまった女のそれ――渇いた笑顔。
「ボクなんかが友達で……」
――ごめんなさい。
『呪われし宝玉魔人核よ、かの者に赤眼の魔王の祝福を与えよ』
カルヴィンが呪文を詠唱した瞬間、持っていた蒼色の魔人核が輝きを放ちシャルロットの胸の中心に吸い込まれていった。
ゴゴゴゴゴゴゴゴ……
魔人核を取り込んだ、シャルロットの水の属性が魔へと変化していく。――魔法因子核が魔人核へ上書きされ、転生が始まろうとしているのだ。
周囲空間の魔法粒子がシャルロットに一斉に集まりつつあった。
「凄まじい魔力……逃げた方が良さそうか」
予想していた以上の魔力の集束に萎縮するカルヴィンは屋敷を出ようと後退りしたその時――
「――お」
シャルロットの今まで溜め込み押さえ込んでいた、膨大なストレスと魔法資質が魔法粒子に誘発され爆発――
「おおおおぉぉ! こ、こんな、己の計画が、」
ズシュ!―― カルヴィンは猛烈な勢いで飛び出した氷に串刺しになり、そのまま氷漬けとなり絶命。――彼女の力を見誤った男の呆気ない最後であった。
「ちょっとちょっとちょっとシャル!?」
「落ち着けディオール!」
問答無用で発生する氷の魔法は、テッサ達にも容赦なく襲い掛かる。
その刹那の時――アベルとテッサは、2人の人間の声が聞こえた気がした。シャルロットの「餌じゃない……ボクは……」――嘆きと、もう1人は――あの無表情男、トロンリネージュ魔法学園講師の声だ。
◆◇◆◇
遠くの教会の屋根からデイオール邸を見ている3体の魔人がいた。夜風が影王のバンダナを揺らし、同じくして青のワンピース姿のキリンがややうっとりとした口調で呟いた。
「新たな魔人の誕生に……」
「……赤眼の魔王の祝福を」
王都に来ていた3名は強い魔人核の反応にいち早く気付き、様子を伺っていたのだ。
「…強いね…あの娘…」
「あぁ、戦力としては十二分に見込める。帰る前に発見できて良かった、連れて帰るぞ」
影王が腰に下げた黒刀に手をかける。言葉とは裏腹に、何処かこの件とは別の対象を見据えているように見えるが。
「さっき…古代魔法を使った…人間…あれが噂の…剣士かな?」
「何とも言えんな、遠すぎて確認できん」
「そうだね…もう少し…様子を見る?」
その時、珍しく黙っていた紅い眼の少女、魔王キャロルが呟いた。
「見つけた……ゾフィー」
◆◇◆◇
キ…・…・…・‥‥‥ッ‥…‥・‥‥‥‥・‥‥‥ン……‥‥・
回り一面の白。――直系1キロ近くあるデイオール家の敷地であった場所――その半分迄もが凍りつき、ダイアモンドダストが舞い幻想的な情景になりつつあった。
其処に位置するデイオール邸から突如出現した巨大な氷の華。――その頂点にシャルロットは立っていた。
「え、私生きてる!? どどど何処ここ!」
その更に上空――ユウィン=リバーエンドは生徒3人を両手で抱え飛翔していた。
「シャルロット……か、あれは。そしてこの反応は……魔人核だな」
「せ、先生?」
ユウィンは下界のシャルロットから生徒達に向き直る。
「あぁ、安心しろ。セドリックは無事だ」
「マジすかコイツ死んでないすか!?」
「レベル4をかけた。すぐ目を覚ます」
その一言にテッサは目を剥いた。
「こ、古代魔法言語……」
状況を単純にとらえたアベルは涙を流して喜んでいたが、今はほぼ行使できる者がいなくなってしまったlevel4を使用し、しかも今、かなりの高さを飛んで更に停止しているこの状況に、テッサは目を白黒させているのだ。
「先生……こ、これ空に立ってますけど」
「そうだ。レベル4重力制御魔法オナーという……その内授業でも教えるさテッサ」
いやいや無理ですよ。テッサは胸中でツッコミを入れる。
(こ、この人本当に何者なの!?)
あの体術と武装気――かつ古代魔法言語を行使出来る人類など聞いたこともない。授業でLv3と4を教えると言われた時は半場冗談だと思っていたからだ。
そして、未だ意識が戻っていないセドリックに視線を写す。
(あの出血量なら傷が治ったとしても失血で助からないはず……なのに)
あの土気色をしていた親友の顔色が正常の肌色に戻っているのだ。ということは血液ごと『復元』させたという事――
(あ、あの短時間でレベル4を2回使用して……更に余裕がある、ということ? そんな……そんなデタラメな……)
癒しの魔法を得意とするテッサ=ベルには、目の前の男がどれだけのことを平然と行ったかが理解出来る。――胴体を貫通された人間を回復させるのが、いかに魔法でも困難であるか。国一番の癒し魔法と名高い魔導研究所神官でさえ、回復させるのに1日を要すると聞き及んでいた瀕死状態からの回復――ユウィン=リバーエンドはそれを一瞬で行った。かつ、同レベルの違う魔法言語を使用して余りある余裕を感じさせる。
「せ、先生は一体なに――」
「落ち着けテッサ。今の問題はシャルロットだ」
真剣な面持ちのユウィンの表情に、テッサは冷静さと、親友の状態を思い出して瞬時に頭を切り替えた。そうだ今はそれよりシャルロットだ。
「……執事が結晶を持って、なにか唱えていました」
「下法……か、成程このままでは、あの娘は魔人に転生する……な」
ユウィンは下に見える執事クロードに向けて、降下しながら呟く。
「魔人に!?」
「デイオールがそんな……」
テッサとアベルが青ざめる。
その間にフワリと地上に着き、着地と同時にユウィンはクロードに歩み寄る。
「この子達を見ててやっててほしい」
「何事ですかな、あれは?」
クロードは突如出現した巨大な氷華を見据えていた。
「俺の生徒が魔人になりつつあるな」
「成程、近年王都では魔人騒ぎが流行となりつつあるようですな」
「全く困ったものだな」
「先生、何でそんな冷静なんですか!? あの娘は今泣いてるんです! 父親も、お姉さんも、皆死んじゃって……」
大人2人が冷静に話すのをシャルロットを見捨てるつもりと判断したテッサとアベルが口を挟む。
「アイツは俺達に、友達になってゴメンって最後に言ったんス。悔しいが俺達には、どうする事も出来なかった……」
「餌じゃない……ってあの娘、魔力が暴走する前、泣きながら言ってた……お願いします先生! あの娘を――」
「ぼ……僕からもお願いします」
「セドリック! お前……よかった」
テッサの目には涙が浮かんでいた。
まだ体が思うように動かないのかよろよろと起き上がり、まだ本調子ではないセドリックも参戦し言葉を続ける。
テッサとアベルはセドリックの無事に安堵の表情を浮べる。
「僕が思うに、恐らく彼女は父殺しの罪悪感で自ら閉じこもっている筈です。悔しいですが、もしかしたら先生なら……」
ユウィンは黙っていた。かの無表情男からは何の感情も感じ取れなかったが、後ろにいたクロードはニヤリと薄ら笑いを浮かべていた。
「まぁ貴方の事ですから、何とかされるのでしょう?」
「「え?」」
生徒達は顔を見合わせすっとんきょうに呆けていたが、その次の瞬間にそれは驚きの表情に変わる。
ユウィンの体から青緑の粒子が立ち上がっていたからだ。凄まじい量の魔法粒子が視覚化出来るほどに高まっていく。
テッサは今一度驚愕し、気付いた。
(先生の右腕が治ってる……切り飛ばされた筈の腕が……そうか、違うんだ。根本から違うんだ私達並の魔法使いとは……これが高位魔導師…神魔級を超える伝説級魔導師の力なんだ。この人の魔力許容量は人知を越えてる――)
ケタ違いだ。
テッサの胸中を知ってか知らずか、そのままユウィンは巨大な氷華に向けて飛翔した。――シャルロット目掛けて空を駆ける。
執事クロードは誰に言う訳でもなく独り言ちた。
「ユウィン殿は怒る時に怒り、泣きたい時に泣けない方なんだそうです」
「え?」
テッサが聞き返す。
「アリエッタ殿下から少し聞いた事がございます。過去魔法の事故で、怒りと哀しみを何処かに落として来られた方なのだそうです」
「先生……もしかして表情がキコチナイのは……」
一流の執事は丁寧に語る。
「恐らくは……ですので、彼はいつも心で泣くんだ。そう殿下は言っておられました」
「……先生が」
得意の薄ら笑いを浮かべ「大丈夫ですよ」と言わんばかりにニヤリと。
「ですので大丈夫ですよ。心の傷ならユウィン殿も負けてはおりません。我々はゆっくり待ちましょうぞ」
クロードは、よっこらしょと言わんばかりにデイオール家、園庭のベンチに腰を落とした。
これは、生徒3人を落ち着かせる為であるが、理由はもうひとつある――もう1つは、彼がここに来た時感じた嫌な雰囲気の正体がまだ残っている。
万が一の時の為に体力の回復を図る故だ。
巨大で美しい氷華の上にシャルロットは立っていた。
彼女には周囲が今までとは違って見え始め、遠くの教会に小さく見える何者かに呼ばれた気がするが今はどうでも良い。――恋い焦がれていた男性が目の前に現れたのだから。
「君の魔力らしい綺麗な華だ」
「……先生」
ユウィンが氷のステージに上がる。
そこはヒヤリと冷たく、鉄板を仕込んだ革靴越しにも冷気を感じさせた。魔法言語を発動させている訳でもないのに常に大気を凍てつかせるマイナス振動の魔法粒子が発動されているようだ。――これは並の魔法使い、人間の魔法使いには通常不可能な行為であり、シャルロットの魔力が『魔』に近づいている、もしくはユウィンにも匹敵する伝説級魔導師のレベルまで高まっているということ。
「ボク……魔人になっちゃったらどうなるの?」
「実は、俺も経験があるはずなんだが、どうも覚えてない」
シャルロットの言葉には高揚が見られる。押さえ込んでいた抑制から解放された快楽に身を委ねているような口調だった。
「そうなんだ……先生?ボク産まれた時から餌だったんだって」
「そんな人間は存在しない。人は人だ……」
「そうなんだ……でも、ボクは独りぼっちだったよ?」
「人間は皆独りだ。友達が下で待ってる」
「そうなんだ……友達ってなんだっけ?」
「君の事を想ってくれる、他人の事だ。
人は所詮独り、孤独に生きてそして死ぬ。――だが、手を繋いでくれる他人がいるから人は幸せなんだシャルロット」
シャルロットはユウィンの言葉に訝る。何処かで聞いたことがあるが、思い出せない。
「そうなんだ……先生も想ってくれるの?」
「あぁ」
彼女はクスクス笑いながらぼそりと呟く。
「……嘘つき」
ドドドドドドドドッ!!!
氷のステージから透明な矢がユウィン目掛けて無数に射出された。――それを紙一重で躱しながら、ユウィンはシャルロットに近づいていく。
(詠唱をしなかった……)
存在が粒子体――源流。いわば精神世界に近づいているのだ。
「センセぇ? 愛の告白なのに……そんな無表情ってないよぅ」
「表情は苦手でね」
シャルロットの精神は魔に近づきつつあった。顔が高揚し気持ちが高ぶって、性格に変化が出だしている。取り込まれた水属性の魔人核の影響であろうが、この場合元の魔人の精神がシャルロットの精神に上書きされつつある。といった方が近い。
「ボク、先生の事好きだったよ?」
「今は違うのか……残念だな」
「だって先生は人間だもの」
「君もまだ人間だ」
その言葉にシャルロットは一瞬考える。その様な気もするが――直ぐに考えるのをやめた。
「いいよぉ、もう人でなくて魔人で……お父様も義姉様もいないもの。ボク悪い事しちゃったし、テッサちゃん達に」
「覚えてるじゃないか」
「何?」
「……友達を、だ」
シャルロットは顔を赤くして俯いた。
「君は魔人になるなんて望んじゃいない。皆の所に帰ろう」
顔を上げる。――と同時に周囲の温度が一気に下がる。
「無理だよおおおおおおおお!」
「シャル……くッ、これは」
いつの間にかユウィンの足が凍結していた。
バチバチバチぃ!
周囲空間を漂う魔法粒子が火花を散らして弾けとんだ。――魔法粒子の綱引きである。
ユウィンが体外に纏っていた魔法粒子をシャルロットが一斉に引き抜いたのだ。
(速い――演算速度と魔法資質は俺の比ではない)
氷の魔法の詠唱が終わろうとしている。
「成る程、見込んだ通り綺麗な演算と資質だ」
『Lv3氷竜槍破グラキエースマイスターぁぁぁ!』
無数の氷の槍がユウィンの胴体に突き刺さる。――ユウィンは防御しなかった。――和えてくらい、シャルロットの魔法言語をその身で味わった。そんなようにも見えたが、表情と裏腹に大量の出血と共に体を貫いた氷塊は体全体を凍結させ始める。
「ぐっ……シャルロット」
「先生、もうボクを惑わさないでーーーーー!」
ドドドドドドドッ! 氷の矢が更に直撃する。が、ユウィンはそれでも動じず、ダイヤモンドダストの中優しい笑顔を向ける。
「……知ってるか? 人の掌の温度……所詮孤独な独りぼっちな人間達の温度……君も触れた事があるはず」
「……ユ、ユウィン先生……何? 何で何で倒れてくれないの? 致命傷のはずなのに……」
「ある女が俺に言った……人間は所詮独りだが、掴める掌は暖かいんだそうだ」
既にユウィンは10数本の氷槍を受け、凍結しかけていた。貫かれた体から流れる大量の血液すら凍結しているが、それでも瞳はシャルロットから離さない。――死なない。
不死身となったあの時。――過去に自分の為に死んでしまった女性を思い出していた。――あの時、あの場所で自分は嘆き、あの時、あの場所で自分は逃げた。――救いの手を差し出せる勇気がなかった。――己に。
あの時、あの場所で自分は叫んだ――手を伸ばして助けてくれと。――だから
「すり抜けてしまった掌は……2度は掴めない。
気の遠くなるほど長い人生の中……俺は何度も間違い。己から逃げて生きてきた。……君はそれで良いのか? テッサが、アベルが、セドリックが伸ばしてくれた掌を見ないようにして隠れてしまうのか……」
満身創痍のユウィンは体全体の9割が凍りついている。影からDが出現しようとするが、ユウィンは心の声でそれを制した。「黙っていろ」と。これは俺の戦いだ。過去の己との闘いとも言える。ユウィンはシャルロットに自分自身を重ねているのだ。――復讐者となった過去の自分を。
「……だって、聞こえてたんだ。テッサちゃん達がボクの為に頑張ってくれてるのを……」
「魔人になる……君のが本当にそうなりたいなら構わないが……」
「でもお父様もお姉様もきっとボクを呼んでる……だから友達にサヨナラしないと……」
罪悪感――父と母と姉達を失ったのは全て自分のせいだ。ならば、自分も地獄へ堕ちなければいけないだろうという罪と罰。――
これはぬぐいされようもない事実なのだから。――死んだものは生きているものに嫉妬するのだから。だから墜ちないといけない、と。
「君を失うと……俺は、また俺は後悔するだろう」
自分で選ぶんだシャルロット……閉じ込めるな。
解き放てシャルロット、内気で小さな君よ。
後悔するのは――
「後悔するのは、俺だけで十分なんだよ」
「先生……」
シャルロットはその時、不意に地下の書庫で読んだ本の文面を思い出した。「ほかの方法にしておけばよかった」選択への「責任感」それは失望を後悔に変える。
選択の余地がないときは後悔は生まれない。
失望と後悔という言葉。ボクの選択は――
「ボク……本当は……」
「甘えてもいいんだシャルロット……帰って来い」
ユウィンはいつもの不器用な笑顔を向けた。
(あぁ……まただ)
「俺の眼の前で君を魔人に何てさせない――」
今の俺には君の手を掴める手と力がある。――あの頃とは違う。自分の無力で死なせてしまったマリィのようにはさせない。――君が帰って来たいのなら。いや、俺が救いたいのだろう――紛れもない俺自身を、シャルロットを。
そして考えていた。魔人核の融合には大量の魔法粒子が、彼女の魔人核のみを破壊するには魔力放出が必要不可欠であると。
ユウィンとシャルロットは見つめ合っていた。
(ボクの内側から出る……変な気持ち)
「答えろ君はどうしたい。罪は俺が地獄へ持っていってやる来い――その気持ちと全魔力に乗せて――俺にぶつけて来い」
先生……ボクは……また……
「駄目だよ……いくら先生でも、ボクの今の力は」
先生に頭撫でで欲しいな……
「お、俺を、信じろ……シャルロ……」
……ピシッ……
「せ、せんえぇ……何でぇ? 何で邪魔するんだよぉ……ボクなんて、ボクなんて生きてたってぇ……何にも」
完全に凍りついたユウィンを見つめていたシャルロットは涙を流しながら詠唱を始めた。
彼女の涙が零れ落ち、それが氷の美しい雫となるが如く。
絶対零度の凍気が集まって大気が凍り、音を奏でる。
純真な彼女の心の魔法を――
……ダマスクローズ=コンディケイション=インフルブルー=デイフォーザ=氷華の棺を持ち来たれ……
氷の姫は歌を奏でる――
それは彼女に巣食う闇と後悔
氷の姫は心から願う――
ボクは餌じゃない。
ボクは人間だ名前を呼んで、と。
「うああええあああぁぁ……この魔法は先生でも絶対に死んじゃうよ!? 絶対に助からないんだから! 今のボクは先生よりも強いんだから!――ボクは」
悪い娘なんだから。
(いいさシャルロット、一生に1度くらい……悪い娘でも。それを正すのが先生の仕事だろアンリエッタ……俺みないなのでも、親の真似事をしても良いよなマリィ……一生に1度くらい、良いだろ?)
氷の中で苦笑しながらユウィンは考えていた。
魔人核の力を取り込んだ彼女の魔法因子核の出力は一時的に自分に匹敵する程になっている。先の戦いで、死霊使いの女魔人が使っていたあの精神魔法は、自分と同等、もしくはそれ以上の出力を持つ人間には通用しないのは身をもって検証済みだ。この方法を成せるには一度全魔力を放出させるしかない。
ユウィンの中のDは目の前に集まる出力に警戒をあらわに叫ぶ。
『こ、この方法は危険です! 彼女は氷の魔力だけならマスターを上回ります。撃ち抜かれればいくら貴方でも絶命しますよ!』
「任せろ。
そして信じろ――お前の主人には精神系高位魔法は使えないが――教え子の掌ぐらい掴める男だ」
感情の欠けたユウィンには使えない神格寄りの魔法言語。そして、それを放つチャンスは一度。それも刹那の時しかない。
Dは主人の言葉に覚悟を決めて詠唱を始め、続けてユウィンも詠唱を奏でる。
教え子の全力を撃ち抜くべき、煉獄の炎の魔法を――
……ジオゲート=アントワシュタイン=ベルガード=燃えろタパナ! 来たれ黒炎! 我は焦熱の王なり。
ユウィンの体から炎が巻き上がり、一瞬の内に拘束していた氷を蒸発させた。ユウィン=リバーエンドの全力。魔法使いとしての全力をシャルロットの唄にのせて編み上げる。
「センセぇ……ボクは」
爆炎の竜を纏うユウィンはギコチナイが優しい笑顔で生徒を見つめる。
シャルロットは涙を流していた――しかし絶対零度の凍気はそれを許さず、瞬時に凍結して氷の霧となる。
「ボク、本当は帰りたい……センセぇともっと一緒に居たい。テッサちゃん達とまたジェラード食べたい。……もう独りは……嫌だよぉ」
ユウィンとシャルロットの魔法言語が完成し、炎を纏うユウィン=リバーエンドは、シャルロットの心を強い瞳で受け止める。
「君の氷の心、全魔力と魔人核――俺が撃ち抜いてやる」
俺は掌を離さない――ユウィンは自ら望む。
400年間悩んで留まっていたのは全て自分の為、マリィを救えなかった自分への戒めの念。相手の意志のみを尊重したつもりになって、自分で望まなかった弱い己。
知っていただけで理解しようとしなかった。
アンリエッタとシーラ姫――彼女達に逢い、それは確信に変わる。人間は所詮独りだが、掴める掌は暖かいのだ。
(マリィの最後の言葉。やっと気付いた……か。相変わらず俺は……ニブイよなぁ)
だが心は決まった。
届け掌――彼女を掴めと。
あの日、あの時、あの場所で自分は叫んだ――手を伸ばして助けてくれと――だから言うのだ。
この刹那に己を換えろと。
「全部受け止める――来いシャルロット!」
「全力全開――ボクの全魔力を受け止めて!?センセぇええええ」
教師と生徒――出逢った2人の魔法使いが同時に叫ぶ。
「絶冷の魔女よ!」
「煉獄黒王!」
それは、二人の独りぼっち達の救いの歌。
『絶魔凍結地獄テラクオー=カーネーション』
『黒炎核爆烈地獄ダーク=ショーン=ベルガー』
――――カッ――――
2つのLv4古代魔法が激突する。最低温と最高温を司る古代魔法における最上位魔法言語である。――巨大な氷のステージが爆砕し、摂氏-255℃の絶冷の女王と、摂氏9000℃の焔の王が重なった時――
「D今だ!」
『Run――DOS術式実行!』
『Lv4霊子操眼エンダスキーナぁぁ!』
――シャルロットと、ユウィンの眼が重なった。
何もない白。
彼女の世界は真っ白な海。
さざ波にがさえずる白夜の海だった。
白い世界に――女の子が見えた。
小さな小さな――女の子が見えた。
「ワタシ、シャルロット……ゴメンなさい」
その言葉に男は首を傾げる。
「何で謝る」
「男の子じゃないの」
男は女の子に歩み寄った。
「知ってるよ、始めから」
「ホント?」
少女は嬉しそうに微笑んだ。
無垢な笑顔だった。
「本当だ……君みたいな可愛い男がいたら困る」
「でもお父さんとお母さんは、私を殴るの……」
彼女の体は傷だらけで、白い世界に紅い雫が落ち、波紋となって拡がる。
「でも俺は――ボクっていう君も結構好きかな」
「ワタシ女の子だもん」
少女は頬を膨らます。
父親と母親は自分が女の子に生まれたから殴るんだと言った。
「こっちにおいで」
「殴らない?」
男は下手な笑顔で言った。
「あぁ……この身長差で殴るのはしんどい」
「あははっ……へ~んな人 恥ずかしがり屋さん?」
「……同意だ」
白い世界の――女の子だった。
小さな小さな――女の子だ。
本当に……先生ボク、女の子で良かった?
あぁそうか……シャルロット、君は……
俺は君が生まれてきてくれて……嬉しく思う。
先生の手……暖かいね……
――声が聞こえた気がした。
もしユウィンがあの時見た幻想みたいに
私達が結婚して子供ができたら
きっとこの名前をつけたと思うよ
「……マリィ……か?」
『シャルロット……私と同じ……小さな小さな女の子』
「……待ってくれ! 話したい事が」
撫でであげて――ユウィン。
3人目のこの娘の手――離さないであげて? 私達の小さな小さなシャルロット。
「俺は君に――」
私はここにいる。
黄金色に染まった翼を広げ、マリィと呼ばれた女はユウィンに抱えられたシャルロットを指差した。
きっとまた…………逢える……ユウイ……
マリィと白い世界が消えていく。ユウィンの胸には小さな女の子が抱かれている――私は此処にいる。その意味するところは今のユウィン=リバーエンドには解らず、男は俯いて苦笑を浮かべるだけだった。
……ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…………
「アベル!氷が……」
「……崩れていく……」
テッサとアベルが見ている前で巨大な氷の華が崩壊を始めていた。セドリックはそこから舞い降りる氷の姫を見上げ苦笑する。
「最後はまたしてもユウィン講師に持って行かれましたか……本当に困ったもんですね」
3人はその言葉に上を見上げた。
ユウィンに横抱きに抱きかかえられた氷の姫シャルロット。完全融合する前に、核のみを攻撃する魔法言語で彼女の心に触れた。ユウィンの掌は見事魔人核と彼女の氷の心を破壊して見せたのだ。
「あの娘……笑ってる」
そして親友3人が見たのは素直な笑顔。――シャルロットは恥ずかしそうに微笑みながら目を閉じる。
(先生、まるで羽毛が肌に触れるみたいに……)
テッサは苦笑する。
「あ~ぁ……アンタ達も頑張ったのにねぇ」
「僕は諦めませんがね」
「デイオールが笑ってんだ……イイじゃねぇか」
シャルロットはチラッと地上の友達を見た後、再びユウィンの胸に隠れながら思う。
ボクの友達も喜んでくれてる。
ボクの為に笑ってくれてる。
ボクはもう無いと思ってたんだ。
嬉しい事は全部友達から貰ったと思ってたんだ。
でもね? まだあったみたい……
(お父様、お母様……)
シャルロットは自分の頭を撫でる、ユウィンの下手な笑顔を見上げる。
先生の掌はね? ボクを殴るんじゃなくて――
優しく……撫でてくれたんだよ?




