第10話 この娘を捨てて
――ガチャ
ノックもせずに入室してきたのはデイオール家の執事カルヴィン=クライン。自分が仕える娘の部屋、勝手に開けて入ってくるなんて行為は執事にはあるまじき行為である。
薄暗いシャルロットの部屋を見渡し視界に入ってくるのは、就寝用のパジャマを来た少女とベットに腰掛けて足を組む魔法学院の学生だ。
一見すればただの学生同士の密会であるが、この部屋の空気は異常だった。
寝間着姿のシャルロットは入ってきた執事になど見向きもせず俯いており、次に発せられた会話の内容も聞こえてはいない様子だった。全ての事に興味が無いかのように、ずっと床を眺めるばかり。
「流石でございますねカルス様……御ニ人供眠るように逝かれておりました」
「誰に言ってんだよサギあと一人……指揮者は?」
「本日はエステル様のお部屋に行かれる日ですので、スグに慌てふためいて此処に来るかと思われます」
「救われねぇ変態オヤジだなぁオイ」
シャルロットは何も感じず何も聞こえず床に置かれた時計を見ていた。
時刻は21時59分。
(あと……1分)
秒針を眺めるシャルロット。
そこへ騒がしい――中年が子供の運動会で張り切り過ぎて足を縺れさせ倒れかける。そんな足音が近づいて来た。
バン!
部屋の扉は勢いよく開かれた。
入ってきたのはこの屋敷の当主ヴィクトル=デイオールである。肩で息をしながらも、いつもの素行とは裏腹に娘を真っ先に確認する。
「シャルロット居るか!? エステルが――」
「お父様……」
シャルロットとヴィクトルの視線が重なる。
ヴィクトルは次の瞬間、自分の配下であるはずの鴉とサギに気付き、今の状態の異常さに気付いた。
「おーおー不細工に慌てちゃってまぁ」
「よい夜ですね旦那様」
「か、鴉……サギ、貴様もしや」
王都の闇ルシアンネイル――それぞれが鳥の名を冠する工作員を囲う暗殺組織――その最高戦力である”鴉”が眼前に出てくると言う事、それすなわち”死”を意味するから。
「ディアンヌはどうした……」
「玄関でお休みになられているのでは?」
「……貴様ら」
「貴様らってクカカッ、カッコつけんなよ変態親父様よぉ腰が引けまくってんぜ」
自分はルシアンの筆頭にして”指揮者”と呼ばれる男である。父も、祖父も、曽祖父も、そのまた爺さんに至るまでこの仕事をして生きてきたと聞いている――手紙を書く仕事を。自分は一切の手を汚さず、地下の書斎で手紙を執事に渡すだけ。
「シャルロット! こ、こっちへ――」
そうすれば手紙に書かれた人間は死ぬ。
ヴィクトルにとってそれは至極当然な事である。
だがもし自分が狙われることがあれば?
「動くなよお前達、誰の差し金か知らんがこの私を――」
「クカカおいおい……差出人が誰が教えてやろぉぜサギよぉ」
「知らないで死んだ方が幸せでしょうよ」
ヴィクトルは馬鹿ではない。
快楽殺人者でもない。
外と中でも”顔”の使い分けも出来る王室で高い評価を得ている相当のキレ者である。では何が悪かったのか? 自己中心的に見える彼の素行、それは己を愛してるが故である。
貴族として生まれたヴィクトルという男。
無論美しい女は飽きるほど抱いてきた。だがいつも終わってから思う事があった……汚い女だと。
大貴族の家に生まれ、何不自由なく年を重ね、地位におごる事もなく、今まで生きてきた彼であるが一つだけ欠落している感情があった。
愛着障害――モノを愛せない、大切に出来ない男。
だがある日ふと、ひらめいたのだ。
自分の半身ならば? 自分の遺伝子を持つ娘なら自分は心から愛せるのではないか? そう思ったのだ。
彼にとって娘に振るう暴力は愛するがゆえの裏返し、他人に厳しく自分に甘いヴィクトル=デイオールの己への”戒め”なのだ。故に、彼は娘を愛している。故に此処に来た――シャルロットの部屋へ。
最も大切に思っていた末っ子の”半身”の元へ。
「シャルロット! に、逃げるん――」
「ボクと一緒に死んで?」
シャルロットにとっては不幸な事に言葉が重なる。
時刻は22時――――――グドツ。
箇所は心臓。
至極当然のようにヴィクトルに突き刺さったのは寸鉄という太い針のような”暗器”と呼ばれる武器である。お弁当のミートボールのようになったデイオール家当主は、頭から赤い絨毯に倒れこむ。
「お父様……」
何処か乾いた微笑みを浮かべ掛けていた椅子から立ち上がり、動かなくなった父に歩み寄る娘。
「おやすみなさい今夜はボクが……」
執事カルヴィン=クライン。
またの名を暗部のサギという男は懐中時計を確認してから舌打ちし、一度目を閉じてから口を開く。
「カルス様、時間ですが?」
執事が胸ポケットから何かを取り出そうとしているが、カルスは大げさに手を振った。「出て行け」そういうジェスチャーに見える。
「金髪の巨乳ロリって好みでよぉ」
カルヴィンは目元を一瞬鋭く歪めるが。
「…………退室しておりますがお早めにお願いします」
「空気読めるじゃね~か執事君、オレってナニも早いからよぉ恥ずかちぃねぇクカカ」
胸中で嘆息しながらも執事は踵を返して扉を開けるが、ドアは半分の所で止まる、下を見れば少し前まで主人であったモノの頭が引っかかっていた。
「……ちっ」
だが、子供がしまい忘れた下らない玩具のように力任せに扉を開き、執事は退出した。
シャルロットが一度も母親に買って貰えなかったヌイグルミ――首の曲がったブサイクな玩具のようになっている父親の遺体に娘は歩み寄る。
「これで、お父様……が」
父親の遺体を抱きかかえる。
何処か歓喜とも取れる顔で笑っていた。
「悪い事をしないで済む……やっと」
小首をかしげる娘。
やっと? やっと何か? 父親の悪行が、母親のような人間を出さないように自分は今こうしている筈なのに。何故自分は笑っているのか。
「まぁ……いいや」
考えるのを止めた。
その時、あり得ないことが起こった――死んだ筈の父親が口を聞いたのだ。
「に…逃げるんだシャルロット……すまなか――」
――ズムドッ!
深々と突き刺さる。
音もなく近づいていた”鴉”カルス=シンクレアがヴィクトルの心臓を刳り取ったのだ――鮮血が娘の頬に飛び散り、真っ赤なシミとなる。
ビクビクと体を痙攣させた後、ヴィクトル=デイオールは今度こそ完全に事切れた。
「おぃおぃおぃ死んどけよぉカッコわりぃじゃねぇか」
カルスの言葉など、シャルロットは全く聞いてはいなかった。放心したように父の顔を見つめ、一つの言葉が、一つの疑問が、一つの呪いが脳内にリフレインする――「何故?」というコードが。
(今、何て言ったのお父様……ボクに……逃げろ?)
何故? 何故そんな事を言うの?
「このオッサンと兄弟になんのは嫌だけどよぉ……勿体ねぇしなぁ」
ボクに謝った?……すまなかった?……え? 何で?
少女の肩が乱暴に掴まれる。
(オ父サマハ、ボクヲ心配シテクレタ?)
ガチャリとベルトを外す少年。
乱暴に掴まれる手の感触。
ようやくシャルロットは目の前の光景を理解する。
自分の外側と内面で何が起きているか。
外面――魔法学園の制服を着ている母の仇は、きっとこの後ボクにイケないコトをする気だろう。
内面――それは気付いてはいけない感情だった。
シャルロット=デイオールという少女の心の闇――ボクは自分の気持ちを取り違えていた事に気付いてしまう。
「いや、いやぁぁああ!!!」
「あぁ!?」
カルスは後方に飛び退いた。
窓を突き破り屋敷の外に脱出する。
それは何故か――部屋どころか屋敷全体を飲み込もうかという勢いで、鋭利な氷がシャルロットの体から出現していたからだ――それはどんどん肥大していき部屋をブチ抜いて更に勢いを増し肥大していく。
「ああああああああああああああああああああああ」
少女は肥大化する氷の中心で、父親を抱きかかえ叫ぶ。
大きな碧色の瞳に比例した大粒の涙を流し――絶叫する。
「何でぇぇ!? 何で、こんな、事に」
間違っていたのだ。
シャルロット=ディオールは間違っていた。
自分の気持ちを取り違えていたのだ。
選択を間違った責任感は――後悔に変わる。
「ボクはお母様の仇を討ちたかったんじゃなかった……お父様に人殺しを止めて欲しいんじゃなかったぁ」
間違ったのだ自分は。
「ボクはお母様より……義姉様達より……」
お父さんが大好きだったんだ。
父を自分だけのモノにしたかったのだ。
殴られても、触られても、罵られても、それでもそれでもどうしようもなく大好きだったから、義姉達の部屋に行く、父親を許せなかったのだ。
絶叫が屋敷に響く。
愛に飢えた女からは愛に飢えた娘が育った。
愛に飢えた父親の子種からは愛を求める半身が生まれた。
少女はもう――笑ってはいない。
◆◇◆◇
既に敷地内の園庭まで来ていた二名は、屋敷から出る見知った魔法粒子の波動――異常な量の冷気に気付き、弾かれたように地を駆ける。
「行くよアベル!」
「任せろテッサ!」
アベルの脳で炎の術式が完成し、言語に乗って外部へ投影される。
「吹き飛ばせLv1ファイアブランド!」
デイオール家の巨大な玄関扉を破壊して一気に屋敷内に突入する。豪華なホールの壁にはそこいら中にひび割れが発生し氷柱が飛び出していた。
「見るなテッサ!」
ホールの片隅で女性が一名人形のように横たわっていた。首元に針のようなモノが突き刺り絶命している。
「うっ」
テッサはとっさに口元を抑える。
死体と異常な空気と自分の置かれてい状況に、あまりに場違い感を覚えて体が拒絶反応を起こしたのだ。
だがその時、二階からシャルロットの泣き叫ぶ声が聞こえてくる。テッサはアベルの手を今一度力いっぱい握りしめ、もう片方の手で自分の顔をぶっ叩いた。
「テ、テッサ大丈夫か!? 俺が」
「大丈夫シャルはきっと二階だ――急ぐよ!」
絶命している女の死体を通り抜け階段を駆け上がった。
登ってすぐ右側の半壊した部屋でアベルとテッサの両名はシャルロットを発見する。
「良かった――すぐに見つかって」
友人の無事を確認し安堵するが心臓の動悸は収まらない。本能が危険が迫っていると警告しているのだ。
「シャル!」
テッサは友達に駆け寄る。
シャルロットの周りは分厚い氷で囲まれている為、アベルが即座に炎の魔法を展開させる。強力な氷の魔力にアベルは顔を歪めるが、しばらくして氷は融解し、テッサが中にいるシャルロットを引きずりだした。
「シャル! シャルロット!!」
「大丈夫かディオール――おい!」
しかしシャルロットはテッサ達にすら気付かず、眼の焦点も合っていなかった。肩を揺らせても呼びかけても自分達に気付いてくれない。
「あ、あぁシャル、アンタって子は」
父親の亡骸を抱きしめ放心する友達を見てテッサは涙を浮かべる。
「すまんデイオール」
アベルが亡骸を引き剝がし、テッサはシャルロットを抱きしめる。少女の頭を力いっぱい抱きしめた。
「…………っ」
そのおかげかシャルロットに少しの反応があったが、俄然全く動かない。精神世界に閉じこもってしまったかの面持ちで天井を見上げるばかりだ。
「と、とりあえず逃げるよ屋敷が崩壊しそう」
「いやテッサ……無理そうだぜ」
異常な空気の正体。
テッサの警戒本能が告げていた”危険”の正体が現れた現れてしまった。
「さっきは見逃してやったんだゼ? なのによぉ」
いつから居たのか、学生が立っていた。
そいつは窓側で、自分達は出口側に立っているというのに、逃げる気にすらならない動けない。表ですれ違いザマに感じた気当りとは比べ物にならないプレッシャーを感じる。
とっさにテッサはシャルロットを守る様に前へ出る。
(あぁアタシって本当に損な性格……父様ゴメン)
鴉が一歩だけ前進した。
ただ、それだけの行動だったのにかかわらず。
「うぐっ――」
「あ……っ」
アベルとテッサの視界が揺れる。
これは殺気――武装気で強化された殺気である。気とは、人体の五感覚を強化するスキルだ。これをぶつけられた人間は猛獣を前に立っていると同意――だが、相手の戦闘能力は猛獣どころの話ではない。
アベルは嘔吐しうずくまり、テッサも奥歯を噛みしめて必至で耐える。
「ハハハ学生君達……お前らは後で始末してやるヨ」
(何だ何だ何だ何だコイツは……)
「だがまず……脱兎のごとく、そこを退け……」
――グアン!
再び視界が揺れる。
殺気が更に増したのだ。
シャルロットを守るようにして立っていたテッサの気力は限界に近づいていた。
(ななな涙と汗が止まらない……アタシは何でこんな所にいるのよ)
脳神経が異常を訴えていた。
視界がぐるぐる周り嘔吐感と歯ぎしりが留まらない。
ふと、後ろの放心状態の友達を見る。
(アタシが退いたらこの娘が死ぬか……)
「テ、テッサ引っ込んでろ……お、俺が戦る」
うずくまってゲーゲーやってる幼なじみ。
(何いってんのアンタ立ち上がる事も出来ないじゃない)
「聞こえねぇかなぁ? まぁいいけどよぉ」
奴が近づいてくる。
(これはダメだ全員死ぬ……全員死ぬくらいならこの娘を置いて逃げよう……でもこの化物から逃げれるの?)
絶望に顔を歪めるテッサに幼なじみの叫びが響く。
「俺が時間をかせぐ……お前だけでも逃げろよぉぉ!」
アベルは自分の膝をぶん殴って無理やり立ち上がった。 真っ青な顔で構えをとっている。得意の徒手空拳で時間を稼ぐつもりだ。でもあんな化物相手に自分達の近接戦闘術が通用するのか?
(魔法が……演算出来ない?)
脳が異常を訴えていた。
魔導士ある筈のテッサ=ベルは気付く。
原因はこの異常な気当たりだろう。脳の一部が麻痺してるかのように機能しなかった。それが解った上でアベルは捨て身の覚悟に出たのだ――テッサだけでも逃がす為に。
(ゴメン……そしてありがとうアベル)
逃げる為に振り返った。
そこで友達……シャルロットが視界に入る。
破けた寝間着から豊満な胸と大小様々な古い傷が覗く――でも自分は逃げると決めた。決死の覚悟で時間を稼いでくれるアベルにも悪い。
視界は友達を離れ――――出口の扉へ。
あぁほんと……アタシって損な性格。
これじゃあアベルと変わらないや。
アタシは思い出していた。
嫌いだった侯爵家の娘を。
『顔に出てた? ボク友達ができて嬉しくて笑ってたの出てた!?』
謝り癖のあるこの娘。
ずっと俯いていたこの娘。
いつも教室で、独りで座ってたこの娘。
食堂の隅で目立たないように座っていたこの娘。
身を挺してアタシを守ってくれたこの娘。
一週間しかない、薄い薄い日記帳を買っていた――
この可哀想な女の子。
そしてあの子が声にならない声で呟いていた。
『最後の夢も叶っちゃったよ』という言葉。
あの寂しそうな笑顔の
不器用で人の顔色ばかり見てるアタシの友達。
逃げるって? 何やってんのアタシ――
こんな恐怖……知るか!
この娘を好きになっちゃったんだから仕方無いじゃない。
テッサの足は後退しなかった――前へと踏み込む。
「ふざけるなアベル!」
「テ、テッサ!?」
アベルは幼馴染の表情に驚いた。
相手にしているのは化け物なのに、暗殺者なのに、テッサの表情はクラス委員を相手にした時と同じ顔だったから。
「アンタこの子の、シャルの体の古傷見たことある!? あんな傷を持ったまま――この子を、こんな子を置いて逃げられるか!」
「で、でもお前――」
「アタシは自分を曲げる事が大嫌いなんだ! 恐怖なんかに屈せるか!」
その時――シャルロットがこっちを見た気がしたが。
「萎えるぜお前ら、そういうの要らねぇからよぉ面倒くせぇ」
カルスが腕を突き出した。
「サヨウナラオレは鴉――王都の闇へ消えろ」
暗器武装殺――気を宿した寸鉄を弾丸のように打ち出すオーラスキルが射出される。
――ドゴンッッツガ!
寸鉄が叩き落される。
アタシはとっさにシャルを抱きしめアベルは決死の覚悟で軸足を踏み込んだ。その時天井が爆発したように見えたけど、もはや何が何だか解らない。もう一度言う、何がなんだか解らなかったけど――生きてた。
「三人共大丈夫ですか!」
セドリックの声……?
そうか、連れてきてくれたんだ。
「お前ぇ強そうじゃねぇか。でもよぉ、学生に剣を向けるってどうよ?」
あの表情が下手クソなアタシ達の先生は、中途半端なサイズの剣を構えている。
「学生? 俺の生徒にお前みたいな育ちの悪そうなのは……いなかったかな」
先生はいつも通り無表情だが――代わりに纏う武装気が燃え揺らめいている。
違う。
同じの能力の筈なのに、暗殺者と先生の武装気は全然違う。さっきまで最悪の気分だった内臓と頭痛が消えていた。
(先生の気……何て穏やかな……戦闘前なのに)
前見た時とは段違い――何て大らかで、力強いんだ。




