第9話 最後の味
シャルロットの日記帳が7日目を迎えた今日のこと――アタシと下心ありの二人の男子は、放課後に大通りにあるジェラード専門店のテラスで談笑している。
「こんな目立つ店入らんでも……」
「なら帰ったらどうですかアベル? 氷の姫は僕が責任をもって送り届けますから」
「アンタとシャルロットを2人だけにするわけ無いでしょ……手首折るわよセドリック」
アベルは女の子が多いこの店でジェラートを食べるのが恥ずかしいみたいだ。コイツだけアイスを頼まないで何やらチョコドリンクを飲んでいる。
(それも恥ずかしいと思うが)
当のシャルロットは苺味を舐めながら満面の笑顔でアタシらを見てる。
「シャルロット、アンタ何笑ってんの? 確かに美味しいけどさ」
彼女はエヘヘと照れた顔で俯きながら。
「ボク友達と帰り道に買い食いするの初めてなんだ……」
後半聞き取りにくかったけど「最後の夢も叶っちゃったよ」とか口が動いたような気がした。何いってんのこんな事で大げさな娘だなぁもぉ。
「シャルロットさん僕のビターチョコも試してみませんか?」
策士セドリックはさり気なく自分の持っているジェラードを差し出す。馬鹿ね、この娘が男子の食べかけのアイスなんか食べられる訳無いでしょ~が。
「……う、うんありがとう」
パクッ
「おやおやこれは……」
え?……食べた。
真っ赤になりながら俯いているけど、この娘がこんな大胆な事するなんて。
「こ、これは僕の記念日にもなりそうです」
「テ、テメェ……セドリックぅぅぅ」
男の涙を流すアベル(笑)
セドリック――この男はハッキリ言って女にモテる。普通の女の子はこの男のこういう所がイイものなんだろうか?アタシは全然好みじゃないけど。
アベルはチョコドリンクをカタカタ震わせながら何かに耐えている(笑)コイツもコイツでモテる方なのだが同じくサッパリわからない。
「羨ましいならアンタもジャラート買ってきたら?」
「男の食うもんじゃ……ねぇ」
「あっそ」
「では遠慮無く」
バリッ……モキュモキュ
ひ、一口で食べた、全部……(笑)
このセドリックという男、眼を閉じてシャルロットの食べてくれたビターチョコを噛み締めている。もしかして本当はモテないんじゃないだろうか。
「いやぁシャルロットさんのお陰でビターなのに甘く感じました」
「お前って……やつはよぉぉお」
「え……えっ?」
おっさん臭いぞセドリック…アベルのヤツは何やらテーブルに突っ伏してプルプル震えとるし。
「あのアベル君……一口食べる?」
どうやらアベルがジャラートを食べたかったのだと思ったらしい。スプーンで上品に取ったイチゴ味を差し出している。
「あぁ……ワリィ」
バグリッ
アベルが豪快にスプーンにかぶりついてから俯いて震える。食ってるし……お前の安いプライドは何処に行った?
「美味しぃ? アベル君……」
真っ赤になりながらアベルに笑顔を向ける姫。
しかし本当に可愛いなこの娘……女のアタシでも今、変な気持ちになったゾ。
アベルはその笑顔を一瞬確認した後ウンウン頷いて……また俯いた。
「ま、正に策士策に溺れるとはこの事ですか」
あの冷静沈着で笑顔を絶やさないセドリックが目を見開き、明らかに動揺していた。
「人間を殺傷したいと思ったのは初めてです」
「俺ぇ…今年から誕生日は苺ケーキにするわぁ」
「あんたらホントに死ねばいいのに」
「イチゴ味って美味しいよねっ」
プラチナブロンドを揺らせながらシャルロットが笑っている。はて?今日この娘やけに明るいな。
時計を見る。
今は17時って所かな。
「さ~て帰りますか」
「ん」
「……分かりました」
笑顔の無くなったセドリックとアベルも賛同する。
ん?シャルロットが動かない?
「シャルどうしたの?」
「もう……ちょっとだけ此処にいない?」
「アンタ今日、父親の誕生日じゃなかった?」
俯いてそのまま動かない。
この娘が自分の意見を通すなんて珍しい。
「……そうだね、もう遅いもんねゴメンナサイ」
得意の「ゴメンナサイ」がでた。
ちょっとだけ変だ。
さっきまでの笑顔じゃない、先日食堂で見せたような乾いた笑顔だ。
「え?シャル!?アンタ……」
「……デイオールお前……」
「どうされましたシャルロットさん何処か痛みますか?」
「……え…えぇ?」
シャルロットは笑いながら大粒の涙を流していたんだ。自分でも気付いてないみたいだったけど、持っていた残りのジェラードにも滴り、濁った色となって大地に滴る。
「ちょっとシャルどうしたのよ」
「ゴ、ゴメンナサイ」
自分の涙に気付いた彼女は駆け出した。
彼女の突然の涙にアタシ達は、シャルロットを追う事が出来なかったんだ。
◆◇◆◇
銀色短髪、ややボーイッシュで男勝りな雰囲気を漂わす少女はその夜――歩いていた。
春先とは言えやや冷える街路を一人重い足取りで。
三等級の貴族屋敷にある自宅とは違い、城に近い一等級地ともなれば石畳も、均等に設置された街灯までも質の良い物となっている為真っ暗というわけではないが、流石にこの時間ともなれば燃料の節約の為に点いていない光が多くかなり薄暗い。女が独り歩きするにはかなり不用心だと言える。
現在21時30分
しかし、このテッサ=ベルという少女に襲いかかろうとする輩が居ようものなら、それは失敗に終わるだろう。強靭な戦闘力を持つ血筋である褐色肌の彼女は、同年代の学生など相手にならない突飛な肉体強度を誇り、その実力はトロンリネージュ魔法学園でも軍を抜いている武闘派魔道士であるが為だ。
(今日のシャルロットおかしかったな……大丈夫かな)
友人の涙が気になり、どうする訳でもないのだがデイオールの屋敷に向かっていた。
(親に黙って出てきちゃったけど)
そんな事を思いながら角を曲がる。
「……お前も気になった口かよ」
「アベル?」
何と曲がった先で、家が向かい同士のアベル=ベネックスに出逢う。純トロンリネージュ人の彼の肌は白いが、幼い頃から「お前には負けない」と鍛錬を積み重ね、学園ではテッサの次に肉体戦闘にたける幼馴染。
「何してんのよアンタ」
「お前こそ」
プっと吹き出す。
「アンタ結構一途なんだ……笑える」
「……うっせ」
そして、顔を赤くして頭を掻くアベルとは違う方向から声が掛かる。
「おやおや良い雰囲気の所を邪魔してしまいましたか?」
「何言ってんだ張り倒すぞセドリック」
「な~んだ……アンタも来たんだ」
「抜け駆けして株を上げるつもりだったのですが、これではいつもと変わりませんね」
「何言ってんだよ全く」
憎まれ口を叩きながらも、笑い合っている。
「良いわよね男子は、単純で」
テッサも小馬鹿にしたように笑うが、内心では嬉しかった。大事なシャルロットを心配してくれるのだから。
「でもちょっと見直したわ。シャルの手、くらいなら握るの許してあげる」
「それはそれは、無理を言って抜けてきた甲斐がありましたね」
3人はそんな事を言いながらデイオール邸に歩みを進め、大きな塀越しに屋敷を一旦見回る。
巨大な屋敷は静かなものだった。外から見る限り特に異変などもない。仮にも貴族であるこの三名は、こんな誰しもが寝静まっているだろう時間に大貴族の屋敷の門をアポもなしに叩こうとはしない。
「こんな時間に学生が三人でうろついてたら、衛兵に突き出されるかもね」
「その時は僕の家の名前を出せば良いですよ、ブラーヌ家は憲兵団には顔が聞きますから」
「そう言えばセドリックってば結構高い位の家だったのよね……昔は公爵家だったとか何とか」
「お前ってそうだったのか?」
「アベル貴方って人は……ま、今はちょっと衛兵に顔の効く程度の家ですがね」
「それでも私達の家とは二階級も違うんだからお坊ちゃんじゃない? ま、そのうち良いように使ってあげるわよ」
「じゃあ今度第一騎士隊の将軍殿を紹介してくれねぇか? 訓練に参加させてもらいたいんだよ俺」
「アナタ達にはホント……参りますよ」
入り口の門を一度通り過ぎ、歩きながら話す。
実際通行人など誰一人おらず、此処に来るまで数キロと歩いたが、すれ違った片手で数えられる程度だった。
「とは言え、こっからどうするかなんて考えて無いんだけど……」
「だよなぁ」
「……シッ…待って下さい。誰か来ます」
セドリックの言葉通り、あまり年の変わらない少年がこちらに近づいてくる所だった。街灯の光が三分の一に減っている事からうっすらとしか確認できないが、魔法学院の制服を着ているように見える。
(……見ない顔だな)
こんな時間に何故学生が? 自分達もそうだがなと苦笑しながら、テッサ達は特に気にするのを止め、何ともなく、そのまま少年とすれ違った――その時。
……ゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾ
(な、何?この感覚)
脊髄にワサビのジェラードをイキナリ刳りこまれた様な感覚が襲った――アベルも同じ顔をしている。
テッサ=ベルは格闘技訓練では学園で一番強い。
アベルも男子の中では一番だ。
(絶対に振り返っちゃ……ダメだ)
でもこの男……違う――次元が違う。
それだけは解った。指一本動かせないでその男が通り過ぎるのを見送った。
ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ
まさに人類が絶対に勝てない獣を目の前にしたかのような、目が冷めた瞬間に眼前に飛び込んできた毒蛇のような――「逃げろ」本能がそう言って来るかのようだ。
男はデイオール邸の正面から堂々と入っていく。
「―――――――――――っ」
アベルとテッサはその場に崩れ落ちる。
「ク、ハッ」
「な、んだぁ今の奴はぁ……」
「どうしました2人共……!?」
セドリックには解らなかったようだ。さっきの男の異常性が……テッサは息も整わぬままに立ち上がり、セドリックの肩を掴む。
「テッサさん?」
「アンタ先生……何処に住んでいるか知ってる?」
「確か……城の一室で住まれている筈ですが、一体二人共どうされたのですか?」
「アンタは風の魔法で早く走れる呼んで来て……ユウィン先生を」
「テッサさん!?」
セドリックは困惑している。
友人達の状態は異常だ――まるで震えて音が鳴りそうな奥歯を無理矢理抑え込んでいるような、くぐもった声に真っ青な顔。
「さっき通り過ぎた奴は…ゴメン、セドリック上手く言えない…お願いだから早く」
テッサ=ベル。
彼女は滅多にゴメンなどと言う人間ではない。頭の回転の良いセドリックは事の重大さを察する。
「解りました。お二人共休んでいて下さいよ!」
「アタシ達は屋敷を見張ってる……頼むわ親友」
テッサは無理に笑顔を作る。
魔法才能豊かなセドリックは既に術式を構築し習得したばかりのLv2精霊魔法言語を編み上げた。
……風を集いし者共よ……我の足となれ翼となれ……
『Lv2滑空疾走ウイングモーション』
本来直線状に15メートル程滑空出来る魔法。
セドリックの力量ではまだ自身を数センチ上昇させる事しか出来ないが、此処から城は近い。連続して詠唱し石畳を駆ける。
「アンタの惚れた女が危険かもしれないんだしっかりしろ!」
「わかってる! あと、惚れてる言うんじゃねぇうっせーな」
口の中に戻ってきていた夕食を無理矢理胃に戻してアベルは立ち上がる。
「屋敷を見張るよ……でも離れないでお願い」
「何だお前、女みてぇな事言えるんだな」
いつもならぶん殴られるセリフ所だったが……予想に反して少女は幼馴染の手を握る。冷たくなって震えが止まらない掌を。
「アベル……何が起きてると思う?」
「ディオールのヤツが危ねぇって事だけは解る」
「もしかして兄弟だったり?」
「冗談だろテッサ……気付いたからお前は震えてる、違うか?」
「う…ふふ過信してた…のかなぁアタシ…あんな」
アイツは異常だった――間違いなく学園一位の自分達より遥かに強く、そして絶対的悪であり敵であると。
「シャルが……危ない、アレは絶対にダメな奴だ」
「いざとなれば、俺は」
「へぇ勇敢ねぇバカアベル…惚れた女の為ならばって?」
「お前なら、きっとそうするだろ」
「アタシは…怖い、アレに立ち向かえる気が…しない」
「なら、それまで俺が手を握る」
「まったく……何言ってんだかバカのくせに」
だからテッサは自分の思いつく限り一番強い人間――ユウィン=リバーエンド講師に助けを求めたのだ――でもそれでも安心出来なかった。震えが止まらないのだから。
(さっきの男……もしかしたら先生でも)
一度先生の武装気を見ているテッサの格闘センスと本能が自分に伝えていたのだ。
(先生でも勝てないかもしれない)
◆◇◆◇
一字一句丁寧に、シャルロットは気持ちを字に込め日記を書いていた。部屋でゆっくりと、自分の嫌いなこの部屋で、一字一句丁寧に、まるで己という存在の16年を書き写すかのように。
(ありがとうテッサちゃん……)
ありがとうボクをオンブしてくれて
(ありがとうアベル君……)
ボクに声を掛けてくれて
(ありがとうセドリック君……)
ボクなんかに優しくしてくれて
(さようなら)
シャルロットは最後のページの文字が滲んだ日記帳を閉じた――7日分しかない、薄い薄い日記帳を。
「好みのタイプだわ勿体ねえなぁ」
いつから居たのか魔法学院の生徒がベットに座っていたが、シャルロットは平然と向き直る。
「……こんばんわ」
「こんばんわさようならオレは鴉……カルス=シンクレアだお嬢ちゃん」
ニヤニヤ笑う。
自分の全身を犯すように見るその男の視線と殺気を前に、シャルロット=デイオールは驚く程落ち着いていた。
「鴉さんは……ボクのお父様のお仕事どう思いますか?」
「落ち着いてるねぇお嬢ちゃん」
「悪い人だと、思いますか?」
「指揮者……ヴィクトル=デイオール氏ねぇ……」
ディオールの一族は――太古よりゼノン暗部と繋がり、トロンリネージュにとって邪魔な人間を殺害する王都の闇ルシアンと言われる組織の筆頭である。
指揮者と呼ばれる王都の調律者。
「まぁ……昔のルシアンよりは丸いらしいぜ」
「そうなんですか」
「でもまぁ人殺しってのは…ワリィ事だろぉなぁカカカ」
「鴉さんでも…悪いとは思うんだね」
「オレは快楽が好きだが、快楽殺人者じゃねぇ…だが奪われる側と奪う側って立場があんならよぉ、後者を取るっつーだけよ」
「責任感……って言葉、知ってる?」
「言うねぇお嬢ちゃん、知っていると解ってるは違う。そーゆーもんだぜソイツはよぉ」
「今迄お父様と鴉さんに殺された人にも、あった筈なんだよ…責任感。そしてそれが何か解らないまま、死んじゃったんじゃないかなぁ」
「逆に言えばよぉ辛い現実から助けてやったとも言えるだろーよ」
「でも殺されるのって、殴られるのより痛いよね」
父親と母親はシャルロットを殴り虐待した――まるで自分への戒めのように。その経験から多少の痛みには耐えられる体力と精神を培った。
彼女の魔法出力の高さは、その精神力の強さから。
「まぁ痛いだろーよ。でもまぁ昔は誘拐して奴隷商に売ったりやってたらしいから、今の方がマシってもんだろ……ただ死ぬだけなんだからよぉ」
「死んじゃったらね後悔も絶望も選ぶ事もやり直しも出来ないんだよ……みんな」
「オマエさぁ…何か勘違いしてそーな匂いすんなぁ」
「してないよ? きっとコレが正しい事だ」
「悪い親父を殺す代わりに自分も死ぬっつーのがかぁ?」
シャルロットは他人の手が近くに来ることを嫌う。
殴られ続けた経験から本能的に体が萎縮する。
唯一頭を撫でられて萎縮しなかったのは魔法学園の講師だけだった。あの掌――暖かかったなと嘲笑する。
「お母様を殺した人……お父様だよね」
シャルロットは母の仇を取るつもりだ。父が死ねば母みたいな人間をこれ以上出さなくて済む。
「そーよ飽きたらしいわ三人のうちオマエの母親って誰よ」
「母様は……アンネ=ミリアーナです」
鴉の眉が一瞬ピクリと動くがすぐにヘラヘラしただらしない顔に戻る。
「あぁそれなら殺ったのはオレだわ。そうかお前……あのおばさんの娘か、お気の毒様だったなぁ。でもお前もよぉ、オレに依頼したって事はクズの一人ってこったよ」
「うんそうだね」
「はぁ? お前……笑ってんのか」
シャルロットは笑っていた。
仇を目の前にして、母を飽きたと言って殺した父親の話を聞いて。これから自分も殺されるというのに……笑っていた。
(笑ってるのかボク……そうか)
結局何で笑ってるのか、解らなかったな。
現在21時58分。




