第3話 魔王の帰還
「大壁がひとっ飛びだ~すっご~い!」
「た、高い……怖い」
「キリン、下を見るからだこっちに来い」
「モウ少シ、低ク、飛ブ?」
「いや、人間共に発見されてもツマランこのまま翔べ」
「解リ、マシタ」
魔王キャロル、魔人影王、魔人キリンはキャロルのワガママにより王都トロンリネージュに向かっていた。
「どうしたキリン来ないのか?」
「あ…えっと…」
人語をある程度理解できる下位のドラゴンに乗っての旅行であるが、現在は雲に届くか届かないかという程の高度を滑空してる。
「お世辞にも乗り心地が良いとは言えん、落ちても俺達なら死にはしないだろうが」
「し、心配して…くれるんだ…でもその」
竜はどの種族にも属さない存在である。
しかしこのドラゴンは魔人領で養殖され誕生した竜であり、魔人に従うように教育されていた。この研究は、人間領と魔人領を分かつ大壁を攻略する為に、二百年も前から魔人科学者タンジェントが研究してきた成果である。
身体も竜王族よりも一回り小さく、人語も滑らかには喋れないようだが、この成果は人族にとっては脅威となりうる。
しかし今のこの三名にとっては、翼を羽ばたく度に揺れ、非常に乗り心地が悪いただの乗り物程度の認識であったが。
「でも…そっちにいったら…影王に触れちゃう…もん」
非常に小さいキリンの声は風の音でかき消されて誰にも聞こえていなかった。
「この三人で一緒にお出かけなんて久し振りだね~」
「そうだな」
「思い出すね~キャロルが人間だった頃以来だよ」
影王という男は殆ど表情が変わらない故何を考えているかは一目では解らないが、義娘が楽しそうで嬉しそうに見え無くもない。
「何か家族旅行みたいだねぇ影王お父さんとお母さんがキリンでさぁクフフ」
「え…良い…それ」
「キリンさっきからどうした」
独りでボソボソ喋るキリンに影王が無表情ながら心配しているように見えなくもない
「二人共人間の格好似合っているし完璧だよね~」
「キャロルの…眼鏡…可愛い」
幼い魔王のファッションはいつも通りだ。
瞳の色に合わせた、フリルをあしらった赤のガーリードレスである。これは見た目は殆ど人間と変わらないが故であるが、彼女の真紅の瞳は非常に目立つ為、タンジェントお手製の特殊な眼鏡で外からは黒い瞳に見える。
「キリンも可愛いよぉ」
「でもこれ…ちょっと…地味じゃない?」
「え? ふ、ふ~ん」
キャロルだけではなく見た目は人間と変わらない影王とキリンであるが――いつもの格好は流石にどう見ても目立つ。
「お父さんはどうどう? 今日のファッションは芙蓉と二人で考えたんだよぉっ」
「似合ってるさキャロル」
「好き!――じゃなくて違う違うお父さんの服をだよぉ」
「あぁ……これか」
人外魔人が人間領最大の国へ旅行に行こうというのだ。
見た目は十分に気を付けないとイケないのは解ってはいたのだが、影王の表情は優れなく…見えなくもない。
影王は通常、黒を基調とした全身鎧に、魔人核である左眼を守るような変則的な兜を被っている――だが本日は胸の開いたゴシックスーツに片目が隠れるように派手なバンダナを巻いているものだから、はっきり言って、ちょいワルオヤジどころか海賊っぽい。
「この服は……」
「フヨウが選んだよっ」
「このバンダナは……」
「キャロルが選んだのっ!」
「そうか…………悪くない」
「やったぁ~クッフフ」
歯切れの悪い影王ではあるが、気に入ってはいる。そう見えなくもない。
「影王…かっこいい…そういう服着てると…人間にしか見えないね」
「そうか、キリンも耳さえ隠していれば問題ないだろう、長耳族は王都では珍しいようだ」
「うん…気を付ける…所で影王は…この服どう思う?」
「いつもより目のやり場に……いや、似合っていると思うが」
「影王はこういうのが…好き…なの?」
「新鮮ではあるな」
「あ…それ…卑怯な言い方」
「やれやれ」
キリンが日常的に装備しているのは防御力を著しく欠いた、髪の色に合わせた碧のビキニアーマーにマントという装いであるが、今は純白のワンピース姿に着替えている。
「クフフお父さんが困ってるの貴重かも。ところでキリンって、いつもの格好をどう思ってるの?」
「え…普通…」
「ふ、ふ~ん」
一歩間違えれば露出狂の様な格好が普通らしい。
キャロルと影王は遠くの景色を眺めながら考えるのを止めた。
――場面はこの旅行の約2週間前に遡る。
「ウチの魔人達を御丁寧に魔人核ごと18体もブッ殺してくれた剣士さん……今王都にいるんでしょ~クフフッ」
謎の怒気を纏った影王の首に手を回し、頬ずりしながら邪悪な笑みを浮かべる。
「キャロル……様?」
吸血の鬼ヘルズリンクは嫌な予感がした。
キャロルがこの笑い方をするのは、自分にとってロクな事が起きない時であるが為。
「お父さんとキャロルで王都に遊びにイクぅ!」
「全くもって駄目です」
「いやーー行きたいの行くのぉ!」
「いくらキャロル様の頼みでも駄目なモノはダメです」
真っ赤になって脹れるキャロル。
「ヘルズリンク…キャロルが可哀想」
「キリンはキャロル様に甘過ぎる黙っていろ」
バッサリ切られたキリンも脹れる。
「良いですかキャロル様……まず王都や要塞都市には高位粒子……魔族を感知する魔導出力計があります」
「知ってるけどぉ」
「百万ルーンもの力を持つキャロル様が王都に近づいた瞬間それだけで戦闘になります」
「いいじゃん別に」
「キャロル様に何かあれば私共魔人は全滅するのですが、それは魔王としての決断ですか?」
魔人族は魔王の心臓”魔人赫核”の分身――使徒である。魔王が消滅すれば魔人族は全て息絶えると伝えられている。
「キャロル強いもん死なないもん」
「ですが、万が一があれば影王も死ぬのですよ」
策士である。
ヘルズリンクは父親の名前を出したのだ。
「ううひっく……お父さん死ぬの嫌だぁキャロル死なないもん」
「影王の為にも解って下さい魔王様ではこうしましょう、また生きのいい幼女を手配致しますので」
「うぅぅぅぅぅ ……っ 」
キャロルはしゃくり上げる。
ヘルズリンクが止めの一言を言う前に、意外な所から邪魔が入った。
「ヘルズリンク、俺がキャロルに付き添おう」
「お父さん!?」
「な、影王!?」
先程まで、怒りの気を放出していた影王がすっくと何もなかったかのように立ち上がり、ヘルズリンクに言い寄ったのだから。
「正気ですか影王、王都には例の剣士もいるのですよ」
「行くだけなら構わんだろう、俺は魔力を持たない故感知はされん」
「しかしキャロル様は確実に探知されてしまいます」
「タンジェントに用意させる」
「……結界リングですか」
前回の王都襲撃の際造らせた指輪で、魔人の魔人核を特殊な結界で覆い外部に出力が漏れなくするアイテム。
「影王……何故貴方まで危険を犯すような真似を」
「キャロルはこの150年魔人領から出ていない」
「お、お父さんっ」
「しかし……影王」
「それにあそこはキャロルの生まれた国……頼むヘルズリンク」
「……貴方が私に頼む、とは」
ヘルズリンクは一時考える。
影王を慕う魔人は多い――数百年前に初代魔王が死んだ時の事、その座をって魔人同士の戦争が起きた。その際、魔族から転生した全体の1/3の魔人はラビットハッチに。しかし2/3を占める人間、エルフの人型魔人の殆どは、先代魔王の右腕であった影王に着いた。
ヘルズリンクにとって、ある意味幼い魔王より敵に回したくない相手なのだ。
「それだけが理由……では無いですね影王」
先程迄の影王の怒気の理由――恐らく関係があるのかと推測する。影王は答えないが。
「貴方に迄キャロル様の味方になられてはどうにもなりません」
冥王は嘆息しかぶりを振る。
「貴方なら大丈夫かとは思いますが、絶対に騒ぎを起こさないと約束して下さい」
「解った」
「…影王が行くなら…ワタシも行く」
今まで空気になっていたキリンも出てきた。
ヘルズリンクは頭を抱える。
「もうどうにでもして下さい…………タンジェントに指輪と養殖竜を手配させます」
一連のやり取りがあり、魔人一家は上空を飛行しているのだ。
噂の魔剣士の存在確認という名目もあったが、キャロルは家族旅行気分である。
「この指輪凄いね~ 全然探知されなかったねぇ」
「でも … 魔力を感じにくい … 気持ち悪い感じ」
「タンジェント……気に入らん奴ではあるが、あの頭脳は有償だな。キャロルの膨大な魔出力の殆どを抑え込んでいる」
「九割以下に…抑え込める…みたいだね…魔導化学だとか何とか」
「いざとなれば外して構わんが、ヘルズリンクには絶対にそうはなるなと言われているからな」
キャロルとキリンが薬指にはめている指輪が、魔人科学者タンジェントお手製の結界リングである。この指輪をどの指に誰が嵌めるかで出発前にひと悶着あったのだが。
「こういう時には…魔力を持たない影王…便利だね」
「…………」
「あ…ごめん…気にしてた?」
「いや違う、俺には薬指の指輪が似合わんだろうと思っただけだ」
「?」
そうこうしている内に王都付近に到着する。
万全を期すためにドラゴンを王都郊外の森に隠し、運搬経路から歩いて城下に入る事にする。
「全然大丈夫じゃ~ん。 ヘルズリンク君も心配症過ぎるんだよ ~」
「リンク … 嫌い …」
こっちに来る際、キリンはキレやすいから絶対に外すな、と言われていた事を思い出し鼻を鳴らす。
過去に影王軍とラビットハッチ軍が戦争になった時代があった。キリンは影王派であり、ヘルズリンクはラビットハッチ派であった。その頃からキリンはビットハッチとヘルズリンクとは因縁がある。
「リンクの奴は特殊な本能を重んじるが魔人全体の事も考えている、あまり邪険にするな」
魔人は本能に忠実であれという概念――暴力と性欲を色濃く主張する魔人はラビットハッチを筆頭に多い。ヘルズリンクは魔族は美しく高貴であれという主張の元行動している。
「影王がそう言うなら…良いけどさ」
「それにアイツが居ないと魔獣系魔人の内政が回らん」
「殆どお父さんとリンク君で回してるもんねぇクフフ」
「キャロルも…お仕事…頑張りなさい」
「キリンも似たようなもんでしょーこの前もフヨウが泣いてたよ? 事務処理の間違いが多すぎるって」
「う…キャロルだって…すぐお城…壊すじゃない」
「やめろ二人とも、俺が何とかすれば良いだけの話だ」
しかしある時期を境に、影王はやや人間に甘すぎる傾向が見て取れ、それは魔人本来の存在理由を批判している。そう判断したヘルズリンクは美しくはなかったがラビットハッチに手を貸した経緯がある。
石畳の続く郊外の運搬経路から、ゆっくり焦らず手を繋ぎながら歩いて城門まで移動する。
全員徒歩での移動だった上、貴族とも平民とも取れない顔ぶれと装い。トロンリネージュ衛兵には非常に怪訝な視線を送られたが、意外に俗世に詳しい影王が多めのチップを渡す事により事なきを得た。
「うっっっっわぁ」
魔人親子(仮)は遂に王都に到着する。
城迄一直線に伸びる中央通りでは、運搬用馬車や買い物客、旅行客でごった返していた。
「キャーすっごいすっごい人がイッパイだぁ」
「う … 多すぎ … 酔いそ … 」
魔人領から100年以上外に出ていない大興奮のキャロルに対して、何しに付いてきたのか、キリンは人の多さに眼を回していた。
「お父さんあの店は何ぃ?」
「薬を売っている店だ」
「お父さんあれは?」
「大道芸人だ」
「お父さんあれ何の建物? 大きいねぇ」
「魔法学院だ」
ふと娘は思う。
「お父さん王都に詳しいの?」
「いや知らん一般常識程度だ」
「変なおとうさーんクフフ」
キャロルは見るもの全てが新鮮らしく表道りを駆け出した。キリンがはしゃぐ魔王を見て微笑む。
「あんな普通の人間の様に…振る舞ってるキャロル…久しぶり」
「そうだな」
「昔を思い出すね…影王」
「あぁ」
まだ要塞都市ヴァイツブルストの警備が薄かった頃、影王が近隣の街を制圧した際、誘拐され奴隷として飼われていた彼女を拾い、キャロルと名付け育てた。
その頃魔王は不在で統率が取れてなかった為、一部の魔人達は好き勝手に個々で暮らしていた。影王は人間の子を城に置くわけにもいかず、別宅を建てさせ、そこで5年間家族として過ごし、影王不在の際は感覚が人間と近い、ハーフエルフのキリンが子守を任されていたのだ。3人はまるで普通の人間の家族のような時間を共に過ごした過去を持つ。
「あの頃は … あの娘が魔王になるなんて…思っても見なかったよ」
「あの時はお前がいてくれて助かった今でも感謝している」
「き…急にそんな、お礼なんて…照れる」
二人が感傷に浸っている間に娘の姿が見えなくなった。
顔を見合わせる魔人夫妻(仮)。
「ん」
「え?…ア レ?」
王都に到着して三分で娘を見失う。
「どどどどうしよう影王…わ、私、指輪の力で魔力が錬れない…さささ探せない」
俄然影王は冷静ではあったが。
どちらかと言うと迷子より出逢った人間が殺傷されて騒ぎになる事を気にしていた。
「任せろ」
影王はバンダナから片目だけ出ている眼を閉じ、意識を集中させる。体から優しい風が円状に周囲を駆け巡る。
「――あっちだ」
影王とキリンは足早に通りを駆けた。
◆◇◆◇
ボフッ
「あいてっ」
上機嫌で駆けていたキャロルが中年とぶつかった。
身なりからして貴族のようだ。恰幅の良い腹部の反動で、かけていた眼鏡がずり落ちそうになり慌ててかけ直す。
「これはこれは、睡蓮の一華のように美しいお嬢さんだ。どうされましたか?」
興奮していたキャロルは周りをキョロキョロ見回していた。そして状況を理解する。
「うん 迷子になっちゃったみたい」
「それは可哀想に、君は隣国の貴族の娘さんかな?」
トロンリネージュの貴族が王都で迷子になるのは珍しい。そしてキャロルのガーリードレスは王都ではあまり見ない服装だった為、貴族は隣国の人間と判断したようだ。
「キャロルお姫様なの」
「そうかそうか私はこの年で独り身だから子供が大好きでね。良かったら案内してあげようか?」
それを聞いたキャロルは、ボフっ と中年貴族の胸に顔を埋めるように抱きついた。
「そうか、迷子で不安だったんだねもう大丈夫だよ?」
そう言う貴族の体に回した――キャロルの腕に力が入る。
少し離れた場所で影王とキリンは既にキャロルを見つけていた。下手に刺激しないよう壁に隠れて様子を伺っているのだ。
「…大丈夫…かな」
「一度後ろから声を掛けた拍子に、奴隷をミンチにした事がある。少し様子を見る」
「え…凄ーく…不安」
魔人夫妻(仮)は娘の始めてのお使いを見守る不安な心境に、更に心労を重ねる。
「おじさん私のパパに似た匂いがするよぉ」
「ほうそれは光栄だ。ではお父さんが見つかるまで私が代わりのパパになってあげよう」
「クッフフ」
とても優しそうに笑う貴族がキャロルの頭を撫でようとするが、キャロルは素早く手を離し一度離れてから邪悪な笑顔でこう言う。
「 凄く似てるなぁ……クフフッ」
「君みたいな美しいお嬢さんに気に入ってもらえて嬉しいよ。さて衛兵の詰め所まで案内しようか」
貴族から手を離したキャロルを確認してから影王は独り言ちる。
「大丈夫そうだな」
「見てるだけで…疲れた…ね」
影王とキリンが隠れていた壁から貴族の方へと歩みを進める。
「あ~ お父さんとお母さんだ~おじさんじゃあねー」
それに気付いたキャロルは、中年貴族にキャロルは手を振り影王とキリンに向かって駆け出した。
「あの両親の格好……少々裕福な平民の娘だったか」
貴族は小声で呟き。
「いやはやとても可愛いお嬢さんだ、私は独り身でして羨ましく思いますよ」
影王が近づいてくる貴族に軽く会釈をし「失礼」と一言。キリンに合図し軽く頭を下げさせ、すれ違いざまにもう一度会釈をして通り過ぎる。
影王は中年貴族が見えなくなったのを確認してからキャロルの頭を撫でた。
「よく殺さなかったなエライぞキャロル」
「ホント? お父さんに褒められたっ」
いつもは頭を撫でられると飛んで喜ぶのだが少しテンションが低い。
「あの人間…影王と匂い似てた? …ワタシはあまり解らなかったけど」
「違うよ、キャロルが人間だった時のパパだよ」
「それって … 良い … 感じなの …?」
キリンの質問にキャロルは無垢で愛らしい笑顔で答える。
「すっごい偽善者の匂い、吐きそうだったよっ」
愛らしい顔を歪ませて唾を吐く。
「あ…こらキャロルはしたない…ん?……どうしたの影王」
「あの貴族……いや何でもない」
すれ違いざまにジャケット内側のネームを確認していたのだ。
(…… 危なかったな)
恐らく娘の子孫の一族。
ヴィクトル=デイオール――そう書かれていたのだから。




