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第1話 内気なシャルロットと新任教師

挿絵(By みてみん)

 

 お父様は毎週、週末にボクを殴った。


 眼が自分の嫌いだった母親と似ていて腹が立つらしい。


 母様は優しかったけど、やっぱりボクを殴った。


 お父様が来ない週は無性に腹が立つみたいだ。


 大きくなってから解ったんだけど、母様はお父様の妾さんだったみたいだ。


 母様は生まれてきたボクが女の子だったから腹が立つみたいだ。


 でもボクは家族とはそういうものさと納得する。


 でもボクがいくら我慢しても、みんな仲良くならなかった。


 母様はボクが男の子だったら、こんな事にはならなかったと言っていた。


 だから小さい頃からボクは男の子らしく振る舞ったんだ。


 ある日、母様に玩具をせがんだら、アンタ私にとってあんなものよと言われた。


 ボクはお父様の母親で無ければ母様のヌイグルミでも無いのにね。


 そして去年事件が起こった。


 母様が死んでしまって、ボクはめでたくお父様の大きなお家で暮らす事になった。


 お父様は成長したボクを殴らなくなったけど、毎晩夜になるとボクの部屋に来るようになった。


 やっぱりボクが女の子に生まれたのがいけなかったんだろうか。



 ほかの方法にしておけばよかった。

 という選択への責任感――それは失望を後悔に変える。選択の余地がないときは後悔は生まれない。


 ボクはお父様の秘密の書斎で一生懸命勉強した。


 もっと早くこの言葉を理解・・していれば良かったよ。










Lv1現魔法言語ベーシック、という言葉を聞いた事があるだろうか……シャルロット…デイオールさん」


「ひぁっ ボ、ボク? えっと……は、はいあります」


(びっくりした急に当てられるとは思わなかった。でもこの先生……)


 その講師はギコチナイ笑顔を向けている。


(何だか表情が不器用で親近感が湧くな)


 驚いた声を上げたのは、ややボーイッシュな印象を受けるプラチナブロンドの髪が特徴的な少女だった。


「では、レベル1とレベル2……現魔法ベーシック言語と精霊魔法アセンブラ言語の違いはなんだと思う」


「え、えっと…それは氷なら氷の術式を脳内で変換、投影し……」


 少女はふと周りを見渡す。


(みんながこっちを見てる?……ダメだ恥ずかしい)


「……ん?」


 講師は訝る。

 少女は顔を赤らめ下を向いてしまい、語尾の声が尻窄みに消えていった為だが、疑問に思ったのはそこではなく、その発言の内容であった。


(この娘は知ってるな・・・・・


 新1年生達、第一回目の講義が行われている此処はトロンリネージュ魔法学院である。


 本日は魔法学院新学期初日である。

彼女に興味を引かれた濃い灰色の髪をした新任講師は、もう一度机においてある名簿に視線を移す。名簿には【シャルロット=デイオール侯爵家】と書かれてあった。


 侯爵家――最高位の貴族である。

 王族の血を引く公爵に次ぐ高い身分の家柄だが、この講師は家柄など全く気にする人間では無いようで、口元を愉快そうに緩めていた。


 単純にこの講義室にいる100余名の生徒の中から1番初めに名前を憶えた生徒に過ぎなかったが。


(面白いな……この若さで高位級とは)


 トロンリネージュ魔法学院――歴史を感じさせるこの建物は、魔人と人間の闘争が耐えない、この世界ルナリスにおける人間領最大の国家、王都トロンリネージュで唯一魔法を学べる学舎である。


 内部は中世ヨーロッパの城に近く、床は美しいベルベッド素材の絨毯が敷き詰められ、壁や建具の装飾もいわゆる凝った創りをしている。

 国家筆頭であるアンリエッタ皇女が住まうトロンリネージュ本城に引けをとらない広大な敷地と設備、貴族を身分を誇示する為に、国民の税金を贅沢につぎ込まれた内装は見るものを圧倒する。

 更には寮や食堂も完備されており、これが全て生徒は無料で使用できる仕様となっていた。


 シャルロットとかいう少女が顔を真っ赤にして俯いてしまった為、巨大な講義室に静寂が訪れた。


「急に当ててすまなかった……他に解る人はいるだろうか」


 ここは学園の大講義室――講師が立つひな壇から一番奥までが遠い。60メートルはあるだろうか。今日は入学初日の授業、1年生の全てがこのホールに集められている。


「じゃあそうだな……Lv2精霊魔法言語アセンブラや Lv3高位魔法言語エンシェントを使える人はいるだろうか?」


 ザワッ

 空気が変わった。

 犯人は学生じゃなさそうなので、恐らくこの学園の教師だろうか。講義室最後列付近の難しい顔付をした大人達の顔が、今の一言で明らかに曇る。


 この質問にも手は挙がらず、静寂が再訪する。


 先程の胸の大きな生徒は周りをキョロキョロ見回してしている。どうやら手が挙がらなかったことに驚いているかのような表情だ。教壇の講師はそんな少女に視線を向けながら「うむ」独り言ち、再び語りだした。


「君達の日常、無意識下で使っている魔法はLv1現魔法ベーシックと言う。これは主に脳内で魔法言語を、寒いから暖かくしたい、暑いから冷やしたいという様に、目的があり、実行するのに肯定を脳内で演算し、熱する、または冷やす。を外部空間に投影し実行している」


 先ほどの生徒に視線を送り少し微笑む。

 視線があってしまったシャルロットは再び赤面し、慌てて視線を下に逸らした。


「貴族と呼ばれる諸君らは、生まれながらに魔導士…【魔法因子持ち】であるが、先程の内容はこの国ではあまり知られていないようだ。でも君達は魔法を使えているから此処に通う事になった。魔法が使えるが、どうやって魔法を実行しているか……が、あまり詳しくは解っていないというわけだ」


 生徒を見渡し間を置く。

 しかしこの講師、口以外全く顔が動いておらず、無表情にも程があった。


「魔法言語とは、脳内で演算する術式の実行だ。

 魔法戦闘の真髄は魔力量ではなく、脳の一部にある演算処理能力にあり、それを正しく処理する事が出来ればできれば、レベル2とLv3程度なら……いや、えーとそうだな、君達は今使っている魔法の他に、2つレベルの言語を卒業までに理解し、使えるだろうさ」


「き、貴様何を言っているか! 今まで我が上位貴族達の秘伝とされている、上位魔法を学生に教えるというのかっ!」


 後列の教師達に今度はどよめきが起き、後列席の初老の男が教壇の講師に目掛けて叫ぶ。


「大体貴様の様な素性も解らない者が上位魔法言語のレベル3を使える訳がなかろう! この国全土でも扱えるのは100名もいないのだぞ!」


 偉そうな口振りから察するに後部座席に座している講師達は上級貴族のようだ。

 最後列が騒がしくなってきた為、新入生である生徒達は目を白黒させていた。

 しかし教壇に立ち尽くすその男は、どうもやかましい教員達に全く興味が無いらしく、というか無表情過ぎて何を思っているのかも全く解らないが、ひとまず視線は講師ではなく、生徒に向いている。


「人類の通常使えるLv1現魔法ベーシックで出来る事には限界がある。その辺りにいる魔獣程度なら対抗するくらいは出来るが、魔人には殆ど通用しない」


 魔人――人類の天敵である中位粒子体と呼ばれる存在である。この世界を形成している魔法粒子ミストルーンと生物の遺伝子を掛け合わされて生まれた人外の者。


「魔人はそこいらに沸いている低位の悪魔デーモンとは比較にならない程強い。体表面に防御結界が存在し、物理攻撃と魔法攻撃を無効化してしまう。倒すには最低でもLv2精霊魔法アセンブラ以上か、その魔法の加護を受けた魔法武器がいる」


「おい貴様! もしかして耳が聞こえていないのか!」


「そして更に厄介なのが、魔人が造り出す分身、奴らを守護する使徒と呼ばれる下僕だ」


 初老の貴族講師の声を全く意に返さず灰色の講師は続けた。


「使徒は、魔人程強くはないが、人間やエルフの姿をしている事が多く見分けが付かない。使徒は人間社会に溶け込み情報収集をする者や、破壊活動をして魔人達を人里に招き入れやすくするような補助的な役目を負う者が多いんだ」


 数か月前にあった魔人襲撃事件がいい例だと、教師は肩をすくめる。


「この国は魔法大国カターノートに比べ、魔法に対する理解が遅れている。恐らく400年程続く、魔法を使える者が貴族、使えない者が平民と定めた貴族主義差別が発展を――」


 言い終わる前に先程の初老の教師が遂にひな壇まで詰め寄ってした。


「あの忌々しい小娘・・のお気に入りだか知らんが、良い気になりおってこの無礼者が!」


 老人は手持ちの銀製の杖を興奮気味に振り上げる。


「Lv1ウインドブロー!」


 生徒の一部から悲鳴が上がる。

 前列の女生徒に限っては顔を覆っていたが、

 灰色髪の講師は無表情のまま、まだ老人ではなく生徒達を見ていた。


「はっ?」


 何も起きない。

 老人は何が起こったのかわからず、杖をぶんぶんと振って見せるが、やはり何も起きなかった。


「丁度良いので続ける……知っていると思うが魔法を行使するのに杖は必要ない」


 目の前に突き出された装飾の美しい銀製の杖を指す。


「杖も恐らく現存する貴族主義の表れで、杖を持っていれば魔法使いに見える=私は貴族ですよ。

 立場を誇示したい現れからくるもので、戦闘には何の役にも立たないぞ? ただの棒だしな」


 一部の生徒が失笑するのを初老の貴族は振り返って睨みつける。


「ようするに俺は何が言いたいかというと、いかに我等人間より上位の存在、魔人どもに対抗するには、どうするべきなのか――」


 そこまで話して講師はハッと我に返った。

 目の前には、所々剥げて脂ぎった頭を赤くし、怒り狂った様子で杖をもう一度振り上げようとしている初老の貴族がいた。


(いかん、これは)


「放て――Lv1ウインドブレッド!」


 ドドシュッ!

 先ほどと違いレベル1魔法ベーシックが正確に実行される。風の弾丸が放たれ、目標である――講師の男は頭を抱えていた。


(そうだしまった……言葉遣いを丁寧語に直すのを忘れていた。初めての仕事に、知らない内に調子に乗ってしまっていたか……やれやれ)


 彼はとある理由で、喜怒哀楽の怒と哀を失っており、そのため気持ちの切り替えが異常に早い。


(……これは怒られるかもしれんな)


 他の感情がない分、喜と楽の感情が強く、たまに暴走する事があるのだ。


 目の前にいる癇癪気味な老人は、放たれた魔法の出来栄えに頬を緩めていた。


 ……ガガン!!


 パラパラと講義室の黒板に風の弾丸が当たり破片が散らばる。


「な、なんだ消えた?」


 新任教師は、黒板側を向いている初老講師の後ろに回っていた。


「えーっと、いや、そうだ。

 俺……いやいや、私は魔法を使えますが貴族じゃありません。魔人達に対抗するにはどうするべきなのか……それを君達に伝える為、教壇ここに立っています」


(丁寧語ってこうでよかったよな……しかし、うむ……決ま……らないか、やはり)


 ここはアンリエッタ皇女直属・・・・の魔導研究所機関トロンリネージュ魔法学院――この新任講師は騒がしい、そして身分の高い貴族達を全く気にもせず、何も無かったかのように語った。

 どうもこの男――表情がぎこちないだけではなく空気も読めなそうだ。かといって悪びれている様でも、緊張している様にも見えない。


(他人にモノを教えるというのは大変だな全く……しかしアンリエッタの手前仕方がないしなぁ……やれやれ)


 髪は濃い灰色。

 シワだらけで毛羽立ち、何度も裁縫し直したのであろう継ぎ接ぎだらけでヨレヨレの白シャツ、それだけなら良かったのだが、シャツの上に羽織っているジャケットは、不吉の象徴である漆黒であった。

 上下に不吉を着込み、腰には何処か異国を漂わせる中途半端な長さの剣を下げた無表情男。


 どちらかというと、魔法の講師というより出来の悪い剣士のようだった。


 その男には周囲の生徒が自分に呆れているように見えたのだが、生徒連中はその実、老貴族の魔法の弾をどうやって躱したのか。そしてこの騒ぎで完全に放心状態だった。


 トロンリネージュ魔法学院に本日配属の新人講師――ユウィン=リバーエンド講師の初回授業は、壮絶な勘違い男のせいで黒板無しで行わなければならなくなった。




「ヘラブラム卿……その位にして席に戻られたらいかがですか? 生徒の前ですよ」


 ホール後部から女性の声が響いた。

 良く通る美しい声だ。

 ヘラブラム――そう呼ばれたその男は突然現れた人物に驚き、目を見開く。


「……アンリエッタ皇女殿下!? 」


 今まで緊張じみていた生徒、特に男子生徒達から歓声が湧き上がる。

 どうやらアイドル的存在らしいその女性――若年18歳、可愛いとも美人とも言わしめる顔立ちに、瞳の色はパープル。丹精な容姿に負けない美麗な装飾の効いた緋色のドレスに、ワシ座の装飾が施されている勇ましい白銀の胸当てを装着していた。腰まである紫ががった髪を、宝石を散りばめた白銀製バレッタで纏めている。

 形容するなら、まさに月から舞い降りし戦場をかける戦女神――王政都市トロンリネージュ現代表にして、類まれ無い才能とカリスマを駆使して、先の魔人襲撃事件の指揮を取り、勝利を収めた皇女――アンリエッタ=トロンリネージュは唇を切った。


「へラブラム卿、貴方は自分の魔法言語が書き換えられたのに気が付かなかったのですか?」


「は、ははぁ…… は?」


「正確には、先程貴方が風の魔法を編み上げた際に、風の衝撃波を唯の風になるように書き換えられたのです」


「っ…… 殿下何をバカな事を、書き換える? そんな魔法言語、聞いた事もありませんぞ」


 これには周囲の教員にもあきらかに動揺があった。


「だから私はこの学院に彼を招待したのです。後退した我が国の魔法技術の向上の為に」


「……何という事を! 我々魔導研究所は、国の魔法技術を後退させていると言われるか!?」


 アンリエッタは教壇の方に歩みながら卿を一瞥し、やや冷たい表情を作る。


「ヘラブラム卿、数か月前の魔人襲撃事件、もちろんご存知ですよね。魔人18体と下級デーモンに城門付近まで進入され、4,000以上もの人名が失われた痛々しい事件を」


「う、ううむ……悔やみきれません。我々の出撃許可がもう少し早く出ていれば被害は抑えられたでしょうが ……それが何か?」


「出撃許可……ですか」


 皇女のこめかみが、ぴくりと一瞬吊り上がったのをユウィンは見て見ぬふりをした。この状態のアンリエッタは、始めて出会った時を彷彿して苦笑する。


「ちまたでは王都の冬と言われている襲撃事件…その際にほぼ全ての魔人、使徒、デーモンを単独で撃退されたのがそちらのユウィン=リバーエンド講師です。見た事も無いレベルの魔法言語を使って、です」


「な、なんですと …… ?」


 新人講師に視線が集まる。

 立ち上がる者もいた。教員だけでなく生徒達の間にも驚きが走る。


「ご存じないでしょうねぇ。

 城下の被害を受けた平民達はみんな知っている事です。知らなかったのは魔人を恐れ、郊外で燻っていた貴族達だけでしょう」


「……ぬぬぬ」


「この方は、私が直接此処の講師になって頂くようお頼み申し上げたのです――無礼は許しません!」


 皇女は後部座席、全教員を一瞥し、用意していたのであろうセリフを毅然と言い放った。

 以前は王室に対立していた魔導研究所は、現在アンリエッタ直轄の機関となっていた。

 魔人撃退の功績を全国民と全城内に認めさせたアンリエッタに、今やこの国で口を出せる人間はいない。

 老兵ヘラブラム卿は、新任講師ユウィンを一瞬睨みつけたが、軽く会釈した後、バツが悪そうにアンリエッタに平伏し目を伏せた。


 皇女はそんな老教師の態度に満足してからユウィンに視線を送る。


「リバーエンド講師、講義中申し訳ございません。こうなる事を予測して出向かせて頂きました。少しお時間を頂いても宜しいですか?」


 生徒、貴族に背を向け、皆に見えないように黒板側に振り向いたアンリエッタは「言ってやった」という清々しい顔をユウィン向けて小さく舌を出した。

 そんな美しい月の女神の微笑みを目の当たりにしたユウィン=リバーエンドは……。


(どうしたらいいか解らない……諦めよう)


 周囲の視線も気になり、笑顔で返す事も態度を取る事も出来ず……一瞬で諦めた。



 ◆◇◆◇



 この大講義室は、黒板横の扉より隣の別室に行ける間取りになっいて、ちょっとした物置になっている。

 物置にに移った後、アンリエッタはユウィンに向き直り人差し指を突き出した。


「ユウィン様! あんな話しをイキナリされては教員に喧嘩を売ってると思われても仕方がありませんよっ」


『アンリエッタの言う通りです。完全に喧嘩を売っていました……空気が読めないとは正にこの事ですマスター』


 ユウィンの影に宿るディも呆れ声である。


ディさんの言う通りです。ユウィン様には一般常識が欠けていますっ」


 先程の高貴な立ち振る舞いとは打って変わり、砕けた口調に変貌した皇女に、ユウィンは無表情を歪め、怪訝な顔を返した。


「……無視したのがマズかったのか? いや……すまない」


 灰色の頭を掻く。


「い、いえ謝るほどではありません…私の…手配不足もありましたし…だからその…えっと…はい」


 声はどんどんと小さくなっていくが、急速に頬を朱に染めるアンリエッタ。


「え~っとですね……でもお解り頂けたと思いますが、この国では高位の魔法言語は王宮貴族の地位を守るために上位貴族が独占していたのです。今迄この学園でもLv2精霊魔法アセンブラはおろか、Lv1現魔法ベーシック5元素も貴族のたしなみ程度にしか教えておりませんでした」


「確かに先日の戦いが良い例だな」


「先日のように魔人に容易く進入を許してしまうような被害を出さない為にも、何としてもユウィン様には未来ある魔導士……ここの生徒の良き見本になって頂きたいのですっ」


 アンリエッタは大きな澄んだ瞳を輝かして語るが、ユウィンは無表情ながら少し後ずさる。興奮した彼女が顔を急接近させてきた為だ。


「まぁ……ここの子達もそう捨てたものでは無い。現に一人いた……素養のありそうな娘が」


「ユウィン様程の魔法使いの目に止まった生徒が?」


「いや……まぁいいか。恐らくだが左真ん中辺りに座ってた、体の小さい胸の大きな娘だ。デイオールとかいう」


「っ……デイオール侯爵の娘さん…ですか」


 アンリエッタの表情が曇る。


「どうした?」


「い、いえ、あまり良い噂を聞く方では無い……ので」


「そうなのか」


 彼女は首を振る。

 噂で人を判断したらいけないですね。そう言っているかのようだった。その仕草が可愛らしかった為、ユウィンの無表情が少々緩む。


「で、ユウィン様は胸の大きな女性がお好みなんですか?」


「いや、嫌いな男はいないと思うが……」


 そう言った瞬間、笑顔のアンリエッタの体全体に、ゆらりと陽炎のような気流が発生していた。

 武装気ブソウオーラ――オーラとはこの世界全ての人間に備わる能力である。

 通常厳しい訓練を何年も掛けて習得する肉体強化の術であるが、アンリエッタ=トロンリネージュ皇女は、生まれながらに特殊なオーラと、魔法の双方を扱える天賦の才をもって生を受けていた。


(オーラを放出しだしたぞ何事だこれは……あぁ乳の話か……君も結構大きいと思うが)


「そのあたりを詳しくお教えいただいても?」


「……いるかもな嫌いな奴も、じゃなく素養の話だ」


「そうでしたか」


 笑顔のまま身体に青白く揺れる武装気ブソウオーラが解かれる。 


「で……何だったんだ」


 ユウィン=リバーエンド新任講師、彼は生徒達も待っているし話題を変えようと試みる。


「なんです?」


「いやここに来た理由……だが」


 ワザワザ講義中に物置に場所を変えてまで、乳の話をしに来たわけではなかろう。


「それはその……ユウィン様とちょっとお話がしたかっただけなんです……ご迷惑でした?」


 向けられた上目遣いを完全に無表情で流しながら思う。


(コイツ……頭が良いだけでなく策士のもあるな)


 大人なので無論口には出さない。


「いいや」


「本当ですか?」


「あぁ助言をくれてありがとう、アンリエッタ」


「い、いえそんな……そんな事くらい……くっ」


 俯いて必至に耐える。

 激しく動揺した時の彼女の癖である。


「教員達への言動には気をつけるとする……アンリエッタ、あまり時間をかけて勘繰られても適わん教室に戻ろう」


「あっ、そそそうですねよねっ」


 何を想像したのか急に名前で呼ばれたからか、嬉しそうな複雑な顔で笑う。皇女とはいえ18歳――まだまだ子供だと思いながらユウィンは別室を出ようとする。

 その前に少し振り返りアンリエッタを見れば表情がすぐれない。


(なんなんだ……ん、あぁそうか)


「アンリエッタ」


「は、はい?」


「一つだけお願いがある。

 今日の所は、あの後部席の教員を帰らせてくれないか……生徒達のやる気を知りたいんだ」


「ハイ! 任せてくださいっ」


 頼ってくれたのが嬉しかったのか、満面の笑みであった。

 ユウィンにとって、本日初めて空気が読めた瞬間と言える。

 




 別室から再び講義室に移ったアンリエッタは「小娘」と言われたのがどうやら聞こえていたらしい。

 笑顔を絶やさないままに、震えあがる教員達と少々毒のある会話をしながら教室から退出した。



 皇女と教員達が居なくなったその瞬間、生徒達はドッとユウィンに詰め寄る。


「先生さっきの魔法どうやって躱したんですか?」

「アンリエッタ様とどういうご関係ですか?」

「魔人を1人で倒したって本当ですか? 」

「アンリエッタ様とどういうご関係ですか?」

「先生はカターノートで魔法を習ったんですか?」

「私の母は先生に命を救われました! お礼をさせてください!」

「アンリエッタ様とどういうご関係で?」


 先の魔人撃退の1件以来、ユウィンは生徒達どころか全国民達の英雄と化していた。王都で噂になっている魔人殺しの大剣を振るう剣士として。

 噂には尾ヒレが付き、魔人100体をその剣で叩き伏せたという剣士、その正体に生徒達は興奮を隠し切れないといった感じである。


 全ての生徒ひとりひとりに、丁寧に答えていく。

 いささか皇女様ネタが気になったが、皇女との関係は「職を斡旋してもらっただけ」と答えておいた。


(成程、みんなある意味ヤル気のある良い生徒のようだ)


 これだけ好奇心があるのなら上位魔法を教えても力に溺れたりしないだろうか。

 座席に座ったままのオドオドしているシャルロットを見つけ「あの娘もいるしな」と独り言ちる。


(俺が他人にモノを教えるとはね……師匠アヤノさんが聞いたら爆笑されるか)


 辺境の山奥で引き籠もっている彼の師――本来彼女に逢いに旅をしていた所をアンリエッタの親友シーラ姫に出会った事により今に至る。

 しかし心には葛藤も密かに燻っていた。

 自分の持つ、人類最高レベルの魔法出力は”魔”を寄せ付けるとされるからだ。


『魔と一体に成るべからず。魔導の道を歩むもの、それを下法という』


 師の言葉を思い出す。

 辺境の魔女、火の国の魔女、赤い悪魔、伝説の魔女、人類の敵などと、様々な呼ばれ方をしているが、創世記から生きる魔導の最上位【伝説級レジェンドクラス】の魔力を持った女――イザナミ=アヤノ=マクスウェル。

 そして師匠に逢いに行くきっかけとなった、あの老人の言葉を思い出した。


『この世界ルナリスは、絶対的な力を持つ管理者、メインユーザーの箱庭じゃ……そしてこのゲームは始まってすらいない。我々人類はこの遊びに逆らえない』


 白髪の、いかにも魔法使いらしい老人は言った。


『ユウィン君、後はアヤノから聞ききなさい。彼女は始めから全てを知っている。伝える為に生まれてきた人間。君が何故そうなってしまったのか、ワシ達に何故永遠の時間が与えられたか……アーサー=イザナギ=カターノートがそう言っていたと伝えてくれ」





 難しく長い事悩んでいた問題を、ある日ふと他人に答えを教わってしまうと、とたんにどうでも良いと思ってしまう事がある。


 彼はその典型だった。

 数百年掛けて悩んだユウィンは生きがいを見つけたのだ。アンリエッタを護ると……そう思うようになっていたからだ。

 ずっと後で思ったんだが……もっと早くこの話を理解・・していれば良かったよ。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 魅力的な新キャラクターの登場に加えて、旧態依然とした連中の吠え面かくさまが、非常に読んでいて楽しかったです。あぐらをかいている連中が報いを受けるのは物語ではとても楽しい演出だと思います。ア…
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