第0話 忘れ去られた予言
「魔王は死んだ――我々は勝利したのだ。だが、この地上に足を着ける全ての者共よ聞きなさい」
地上に足を着ける――声を上げた女の足元には、炭化した人型の何かが横たわっていた。
「魔王など、この地上世界の災厄の一つに過ぎません。この世界には魔王を遥かに凌駕する存在がいる。それこそが我らが真の敵――」
魔王城カグツチ玉座の間――何処か神社と教会を足したようなデザインをしたこの場所は、炎の魔王の象徴たる太陽光を存分に取り入れられるよう設計されていた。屋外でも此処にいる全員に響いたであろう、凛とした良く澄んだ声で魔女は声を上げた。
横たわる遺体。魔女の放った地獄の炎で焼かれ、炭となった遺体――その元の名を、魔王=火魅子=迦具土といった存在を無造作に踏みつけ、滑らかな緋色の衣を纏う魔女は言い放つ。
「時が来れば天。成層圏に待機する天使族が……そして地下世界、地獄からは魔神族が我らが踏み歩くこの地上に現れるでしょう」
魔女が言い放つ先、黙って見守る地上世界の代表達。
人族筆頭:魔人殺しイザナギ=ヤマト。
竜王:バハムート=ガンツ=ヨルムンガルド。
エルフ領国家代表:ホウオウ
この3名を中心に、共に魔王軍を打ち破った歴戦の勇者達総勢10万名。その前で魔女――イザナミ=アヤノは声を上げる。何処か悲しそうに、残念そうに、だが強く、言い放った。後の世に伝えられる予言――伝承を。
「皆よ、地上に足を着ける全ての者共よ。――プレイヤーを! 【人皇】を見つけなさい。そして人皇を守護する私と同じ、因子を持つあと2人の【権限者】を!」
激戦が繰り広げたのであろう生傷残る城内と城外に、魔女の声が響き渡った。
今迄黙って聞いていた一同に動揺が走り、王座を冠する大部屋が雑音で濁る。
どういう事だ。
魔王は死んだ。
貴方がたった今倒したじゃないか。
やっと地上に平和が戻る。
長い戦いが終わった。
歓喜に打ち震える時ではないのか。
違うのか? この最中、何故我々を導いてくれた【火の国の魔女】は今、何故そんな事を言うのかと。
「魔王を超える存在――この世界を形成している魔法粒子の化身とも言える高位粒子体――その名は魔神族と天使族。
その力は魔王の10倍以上。何の用意もなく、まともにやり合えば地上の生命は残らず滅びるでしょう」
雑音が雑踏に代わる。勇者一同は騒ぎ立てた。
つい先ほど見た景色――魔王を失う事で、残った配下の魔人共は猛獣を目の前にしたシマウマの大群のように逃げ去った。
妻を、仲間を、犯し、殺し、散々弄んできた魔人達が自分達を見て弱い草食動物のように逃げ去ったのだ。
愉悦、歓喜、喜悦と共に、遂に今、今こそ勝どきを挙げる時ではなかったのか。
疑問――何故魔女殿は今、今そんな事を言うのだ。勇者達はそう思った。
「火の国の魔女殿……いや、イザナミ殿。貴方は一体何者なのですか」
竜族の勇者ザッハークは問う。
「私は創造主メインユーザーに選ばれた3人の権限者が1人。導きの魔女導き手……この【箱庭】の理を知る者……」
魔女は言った。この世界は月の女神達の戯れによって創られた盤上なのだと。そして我々はこの戯れに逆らえないのだと。
「魔神と天使よりも早く、我々人類の救世主。人皇が我々に味方してくれなければ、地上の生物は一体残らず死滅する事になるでしょう」
「滅びるだと馬鹿な!? 魔王すら討ち滅ぼした我々がそう簡単にやられるものか!」
「い、いくら何でも話が突拍子過ぎて……」
「もう良いだろう、もうこんな話は沢山だ」
今此処にいるのは、魔王軍を討ち滅ぼした、何十年と続いた人魔戦争を生き残った百戦錬磨の猛者達であるが、彼女の予言じみた話についていけないとばかりに笑顔を引きつらせていた。当然である。皆疲れ切っていたし、満身創痍な者もいる。家族に別れを告げて戦地に赴き、今からようやく帰れる者もいる。皆それぞれ大事で一つしかない自分の命を、この魔王討伐にベットして此処で戦い、そして勝利した。
国に、主君に、家族に、恋人に、死んでいった先人達を思い、声高らかに勝どきを上げる瞬間だったのに。
「……煩わしいのぉ。長年我らを導いて下さった魔女殿の言葉を信じられぬだけではなく、聞こうともせんとはな。種族至上主義の耳長族らしいわ」
そこで今まで黙していた初老の竜人が口を挟んだ。
額に竜刻印という特殊な術式を宿した、竜人の長にして竜王バハムート=ガンツ=ヨルムンガルド王だ。
「聞き捨てなりませんなヨルムンガルド公、我らエルフは閉鎖的ではなく現実主義なだけですよ」
「ホウオウよ、現実とは斯くも儚い虚ろな果実と示すもの……お主も妖精王と呼ばれる者なら他者の言葉を黙して聴き入るという事を学ばれた方が良かろうよ」
「我らエルフは現実を逃避していると?」
「そう聞こえたのならそう考えたら宜しかろうよ長耳の」
「妖精王に何たる暴言!――トカゲの王風情が!」
一同の中で最も懐疑的な反応を見せていたエルフ一派は、魔女から竜王に憤りの矛先を変え、まさに暴動が起きようかというその時、魔王の玉座が真っ二つに割れ、切り別れた巨大な背もたれが落下し地響きが響き渡った。――その脇に立つ、青年の刀によって。
―――がッツキン
「御二方供……我らは魔王を討滅さんと、血判で繋がった連合軍だったはず。それが魔王を討ち取った矢先にこの騒ぎでは、先に死んで逝った盟友達に合わす顔が立たたないと思いませんか」
象の巨体程もある玉座を切り崩した男はイザナギ=ヤマト。右手には身の丈程の剣を、左には黒光りする大太刀を、たった今地面に突き付けた青年であった。
彼は今大戦で魔人勢最高幹部【陰王】の左腕を切り飛ばし退け、最も多くの魔人と使徒を斬り倒した【魔人殺し】の異名を持つ人族代表である。
「それに我らを一つにまとめ上げた火の国の紅い魔女、イザナミ=アヤノが話している途中です。お控え頂こう」
竜と長耳の王は少々上っていた血を下げて少し後退する。
「…うむ。失言であったヤマト殿、お詫びさせて頂きたい」
「魔人殺し殿……それと話の腰を追って失礼した魔女殿。魔人カゲオウの行方は我ら竜族が必ず探し出してみせる故、許してくれぃ」
アヤノはヨルムンガンドとホウオウに視線を送り、気にしてないよと小さく呟く、最後にヤマト見て口を開いた。
「いつもありがと……ヤマト」
アヤノの乏しい笑顔にイザナギ=ヤマトは目を逸らした。この数年で澱んでしまった彼女の眼を見るのが辛かったから。そして魔人カゲオウという名に表情を歪め、歯を鳴らす。
同胞たちが静まったのを待ち、イザナミ=アヤノは再び口を開く――
彼女が後に【魔女の予言】といわれるこの内容を伝えたのは、L歴110年――現在から790年前の出来事である。
その予言は、第一次人魔戦争終結の瞬間に伝えられた。
この世界は箱庭、ゲームであり創造神が作り給うた戯れの盤上。
我らが生き残る術は1つしか無い。――人皇といわれるプレイヤーを見つけ出す事。
そしてプレイヤーと共に魔のプレイヤーと天のプレイヤーを宿した聖杯、【神の器】を破壊する事。
魔神、天使、人の創造神メインユーザー。それらを守護する闇王、光王、人皇と呼ばれるプレイヤー達は戦う運命を課せられ、神の器を破壊する迄戦い続けなければならない事。
火の国の紅い魔女イザナミ=アヤノ――彼女は人類の先導者にしてプレイヤーである人皇を守護する3名の【権限者】自分はその1人なのだと言った。
「プレイヤーを探しだすのです! そして後2人の権限者を――」
人皇ロードオブクラウン――女神の守り手と呼ばれる異界の門から現れしプレイヤー、人類の救世主を。――地上世界の真なる王を。
権限者ヴァルキュリア
【導き手】
【黄金】
【神の器】
プレイヤーを守護する3つの能力を持つ戦姫達を。
探せ、愛する者が住まうこの地上を守りたいのであれば――魔女は叫んだ。崩れ去った玉座の間で。歴戦の勇者達の視線を一身に受ける緋色の髪の魔女は、最後に少し微笑みながら、こう叫んだのだった。
魔人殺しイザナギ=ヤマトは、彼女がこの時何故この時笑ったのか知っていた。何故、この場所、このタイミングで自分の正体を明かしたのかを知っていた。
それは憎しみから。
未だ現れない、自分の導くべき人皇への憎しみから来る微笑みなのを知っていた。
ヤマトは知っていた。きっと彼女は人皇――プレイヤーを見つけ出し、運命を曲げてでも自分の手で殺すつもりなのだと。そうまでに権限者たる彼女は壊れてしまっているのだと。この戦いで失くしてしまった恋人、秋影――陰王の夢を見ながら。
(権限者殿……前にも言ったはずです。それは厳しい道だと)
だがヤマトは一途に失ってしまった恋人を思い続けるアヤノを愛していた。だから言えなかった。魔女の言葉を止められなかったのだ。
この日L歴110年――現代から790年前。
世界が創造されて110年目に、アヤノと連合軍は魔王を打ち取り自由を勝ち取った。
それから更に100年。
魔女の予言から100年の時が過ぎる。
だが、予言の神も、救世主も、混沌も現れなかった。
いつしか人々は魔女の言葉を忘れてしまう――
『この世界は箱庭……戯れの盤上……我々はこの遊戯に逆らえない』
――魔女の、彼女の予言を。
更に月日は流れる。
――遂に彼女の言葉を覚えている者はごくごく少数なくなり、魔王城だった場所はトロンリネージュという国家となっていた。
ルナリス歴502年――そのきらびやかで賑わっている王都に、少々似つかわしくない風貌の男女が2名。辺境の地より来たのであろう男女がいた。
そう見えたのは、女の方は年の割に幼く見え、町娘のようだが王都の同年代の女性と比べると品のない露出の高い服を着ていたからだ。
男性の方は一見綺麗目に見えた。機械で作ったかの様な正確な裁縫がされた白いシャツが特徴的だった。問題があったとすれば、その上に着ていたジャケットの色だった。不吉を呼ぶ色である漆黒であったからだ。闇の色が不吉なのは世界共通の見識であり、まだ染色技術が未発達であるこの世界の人間の眼には異色である。
そして、革製品に黒を着色出来る技術のないこの世界に存在しない、黒のテーラージャケットとズボンを履いていた為、道行く人間が辺境か遠い異国から来たおのぼりだろうと判断するのも納得である。だが、当の本人達は特に気にする様子もなく、満足げに王都の通りを歩いていた。
あの街で、この世界で、このマリィちゃんの為に泣いてくれるのはユウィンだけさ。
周りから見れば、そんな事を話しながら歩く仲睦まじい田舎者に見えていただろう。
―― そして更に数百年の時が流れる。
現代の時はルナリス歴900年。
第24代女王アンリエッタ=トロンリネージュが納める、王都トロンリネージュより物語は始まる。




