第30話 神の器(バビロン) 其の弐
「十六転換天照――LvΩ空間位相転移!」
アンリエッタが空間に刻み込んだ術式はイー・オーの創り出した夢の世界を貫き、ブービー=オーダーが座する――否、拘束されている巨大な装置周囲に展開され輝きを放った。
「私の城から退場願います」
「だ、だめ! お姉ちゃん逃げて!?」
「――え?」
「ブービー……困った妹だお前は」
――――キュド!
空間魔法陣が弾け飛んだ。
衝撃でアンリエッタの身体は下牢獄の壁に叩きつけられ重力に従いずり落ちる。
「く…はっ」
「直撃を避けたか。まともに喰らえば気を失ったまま天国に行けたろうに、不幸な反射神経だよ皇女様」
溜息をつきながら向けられた兄の侮蔑の瞳に、妹はビクリと身を震わせる。
「初階層の天照程度で、この装置をどうにか出来る訳がないだろう。全く無知とは不幸なものだね」
「あら…被害妄想って言ったの根に持ってらっしゃいました? ……くっ」
瞬時に癒やしの魔法言語を発動させ回復を図る天才皇女であるが、背中のダメージは深刻だった。足に力が入らず頭痛が止まない。
「人間ごときの感性で僕を語ってほしくないものだよ、世界一不幸で可哀想な僕を」
「ホント困ったお兄様ですこと…妹さんが苦労する訳ですね」
「お姉ちゃん逃げて!? この装置は最高位の天照を内包しているの! そして神の器であるアナタを――あ、ああああああああ!!!」
ブービーの太ももを鉄線が貫通した事により、赤い雫が下にいるイー・オーの白い羽に滴り深紅に染まった。
「全く、アウローラタイプというのは本当に困った存在だな。前世の記憶をひきずって現実というものが見えていない。姉とプレイヤーに本能で救いを求めるか……不幸だねぇ」
「姉… ?」
「アウローラは君とイザナミの従姉妹みたいなモノさ。プレイヤーというのは言わずもがな、おめでたい君の想い人さ……なんだ知らなかったのか」
アンリエッタのこめかみがピクリと動く。
「不愉快…ですね、心を読まれてるみたいで」
「実際読めるよ。君の演算領域は広すぎて拾いにくいけどね」
「……妹とは、どういう」
会話を引き延ばして回復を図るアンリエッタではあったが、同時に彼女の優秀過ぎる脳は情報から敵の正体を解析する。
「アウローラタイプは全て、外で戦ってるシャルロットという娘のクローンだよ。察しが悪いねダメージで演算能力が落ちてるのかな」
「シャルロットさんが…妹?」
「正確にはその前世、マリア=アウローラのクローンだがね権限者」
「権限者……王家の口伝で伝わる……ヒトの王の…」
敵の正体と、この世界に感じていた違和感を解析する。
「黄金と魔女、そして神の器が駆る方舟……それらを束ねるのが人皇ロードオブクラウン……我らはそれに反逆する者」
「ユウィン様が伝承の…王の中の…皇だと」
「そうさアンリエッタいや、神の器」
ダメージによる頭痛は止まない。
人間領三大国家であるトロンリネージュ皇女である自分――そして、かの無表情男が人類を導く王であると。
「ちょっと妬けますね……私の、王子様だと思ってた人が」
「王女が王子狙っちゃ駄目じゃないかな? 君はかなり独占欲強いみたいだね」
ダメージよる頭痛は止まない。
しかし妙に納得するものがあり、なるほどと微笑む。
「アヤノ様がお姉様…ですか。散々手を焼かされましたし我儘を言われましたからね……妙に納得しちゃいました」
頭痛により朦朧とする視界。
しかしアンリエッタは何処か満足げな面持ちで微笑む。長年つっかえていた喉のトゲが抜けたような、疑問だった答えをある日突然、見知らぬ人間が放った独り言で解けてしまったような、特に感動もないが、やけに爽やかな気分。
「実は妹が欲しかったんですよね。内気で、ちょっと腹黒くて、たまに喧嘩するような。そうなんだシャルロットさんが……」
妹と同じ人を好きになっちゃうとか。
少し品無くだらしなく、微笑む。
ホント、この世界は面白いなと。
「察しが良いのか悪いのか…それとも脳にダメージを負って? まぁ良い、このまま因子核を抉り出して……」
――カカカ!
「全く、次から次へと不幸が重なるものだ」
イー・オーがアンリエッタ目掛けて腕を上げた瞬間の事である――放たれたクナイが少年の瞳、数cm手前で停止したのは。
「防御結界……? 魔人かも」
「ハズレだ僕は天使――イー=オーバラキエルだよメイドさん」
リアが放ったクナイと台詞は陽動である。
相手が口を開いている数秒の内に主君の前に降り立った忍者メイドは合図を上げる。
「エッタ様は無事です――クロード様!」
「フンっはぁ!!!」
執事長が放つ鋼の拳が直撃した――かに見える。
「多断層防御結界だダメージは通らないよ――ん!?」
身体の動きが鈍い。
イー=オーの身体がオーラの気流で拘束されている。
「百花繚乱で動きを止めました――お義父様!」
「便利な能力だね、特型武装気か」
「パイル――ばんかぁあ!!!」
―――ズドッア!
直撃必殺。
巨大な鉄の杭が如く一撃が少年の腹部にめり込み吹き飛ばす。
「リア! お嬢様を――」
素早くアンリエッタの顔色と脈を確認。
絶妙にきわどい部分をどさくさに紛れて触っているようにも見える。
「エッタ様大丈夫ですか? リアの手が見えます?…あ、駄目かもコレ」
「綾小路殿!?」
「あ、ごめんウソウソ冗談かも。場を和ませようかと思って――って痛いかも!」
「リア、時と場を弁えなさい次はオーラを込めますよ」
「頭蓋骨割れちゃうかも!?」
「中々に個性的な方ですね……綾小路家の娘さんは」
「リアって呼んでくれていーよ絃葉ちゃん。私も半分ジパング人だしさっ」
「ちゃん!? …え、あ、嬉しぃ光栄です」
「絃葉、いちいち真面目に受け答えしなくて良い」
「あ、はい、すみません義父様」
「いちいち謝らなくて…もう良い全くお前達は…」
呆れながらも、クロードは主君を抱き起こし、素早い動きで上着から取り出した小瓶を開け放ってアンリエッタの喉に流し込んだ。
「お嬢様、よくぞ此処まで」
ゼノンに伝わる強心作用のある魔薬である。
「き、きてくれましたか…リア、絃葉さん」
火の国ジパング人の血を引いている為、何処か似た顔立ちの綾小路リアと神無木イトハに笑顔を向けた後、クロードに向き直り目を細める。
「やっぱり来るの遅いですよねクロードって……」
「殿下の力を信じての事でございます故」
「ワザとやってます?」
皇女のジト目に初老の執事には珍しく目を伏せ項垂れて見せた。自分が鴉との戦闘に執着したが為、到着が遅れた故だ。
「このクロード、一生の不覚」
「……もはやネタですねコレは」
そんなやり取りをしながらも、この場にいる超人三名は少しも油断無く場を警戒していた。クロードの発勁絶杭は完璧にキマっていた――腹部を貫通した手応えもある。しかし、この場の空気がそう言っているのだ。まだ終わりじゃないぞと。
「お姉…ちゃん、1番のお兄ちゃんは、一番始めに創られた被検体…天使をベースに創られて、一番始めにを呪いを刻まれた…オータイプ」
全身から血を流すアウローラタイプの少女ブービー・オーダーは、紫髪の皇女に向かって震える唇を切った。
「呪いとはウイルスなの…バグを除去するデバックシステム以上の…アマテラスとは違う別の…チカラ」
正確無比で高速なアンリエッタの演算領域から導き出される回答は。
「そのホストがアナタのお兄さん、つまり神呪刻印とは」
「創造神が撒き散らした因子を犯すウイルス……神の器であるアンリエッタ……アナタを殺させる為の呪い」
「呪いを一か所に集め、この大掛かりな装置で」
「これは、神に神を殺させる為の天照なの」
「正確には、私の因子核に宿るモノを殺す術……ですね」
「そうだ」
クロード達が構えを取る。
瓦礫から何事も無かったかのように立ち上がる少年を。腹に出来た大穴が瞬く間に塞がり、復元するのを捉えながら。
「この回復速度は復元能力……無限因子核か」
「この世界は醜く歪んでいる。ならばもっと歪めてしまえば良い。お前達がもう生まれない世界を創れば良い……何度となく生まれ変わる煩わしい権限者共の力を使って」
回復が完了したアンリエッタの眉がピクリと動く。導かれる答えに、そぐわない事を言う少年に対して。
「そもそも無理のある話、術式に聞こえますが? 現に……」
「博士のプログラムにミスはない。お前達は消えてなくなるべきだ」
「そう思われるなら結構ですけどね。でも逆にアナタが居なくなれば、この迷惑な術は解かれるという事ですよね」
「あぁ不幸だ。僕を理解してくれるのは博士だけだ……この哀しみ、この理不尽を」
アンリエッタは嘆息する。
話を理解出来ないでいるクロード達に目配せしながら。
「酔っておられますね」
「いいやこれは渇望だよ。こんな地獄のような世界に生まれてしまった己を憂い、救われようという」
「だから、それが、迷惑だと言ってるんですよ……私はあの人が笑って生きてくれる世界を創ると決めています――それに、あると思いますよ? 皆が生存して、幸せになれる方法が」
「そんな方法があって――たまるか!」
天使の身体から放出されるは黄金の光。
「ぬぅ…黄金武装だと」
「マリア姫様の……黄金!?」
「クロード、絃葉さん、あれは違います。私の因子核が言っています……あれは取るに足らないまがい物だと」
「お嬢様…」
「アンリエッタ様それは……しかしあれは」
「あってはならない。そう言いましたねアナタ」
「それが何だというんだ」
「アナタは自分が捨て駒じゃないと信じたいだけでしょ」
「何を……言って」
「アナタ達の中で一番強いのは、お兄さんじゃないですよね。だったら、こんな所に配置されたりはしない」
「此処は博士の計画で最も大事な場所……それを守る使命を受けたのが僕だ」
「源流――ソースとは何か。貴方には解っていないようですね」
自分を天使だと言う少年の瞳が濁る。
「源流点とは魔法言語の核なのですよ。高位魔法言語を発動させる為の心臓核。人が我儘を通す為の夢、希望、願望の象徴となるもの……渇望の扉を開く心の柱となる物」
「それが何だと……言うんだ」
「察しが悪いですね。アナタはウイルス本体であって核ではないんですよ。そしてその装置は天照以外で破壊は不可能――さっき言いましたよね? ”初回層のアマテラスでは”と。では話は戻りますが、アナタが此処を守る理由は?」
「……だまれ」
「本当は気付いているんですよね? さっき仰いましたものね――心が読めると」
「だまれだまれよ……お前」
「私が実行出来るのは誤算だったみたいですが、使える者が存在しない”LvΩ天照”でしか破壊出来ない装置を……守る意味ってあります?」
「メアの奴がタイタロスを起動したのが悪いんだ――予定では最後の筈だった!」
「アナタは一番初めに創られたと言いました。一番初めの失敗作……違いますか?」
「黙れ黙れ黙れ僕を失敗作だと呼ぶんじゃないよ!」
王の見本のような凛とした立ち振舞い。
アンリエッタは誰しもが平伏するであろう毅然とした声色とカリスマで言う――もうお前は語るなと。
「妹をいたぶって楽しんでるだけの下郎が、こんな地下でコソコソと悪巧みしてるだけのイジけた輩が、このアンリエッタに何を言うか!」
「何なんだお前は――神に選ばれただけの存在のクセにぃ!!!」
今迄は何処か冷めた瞳をしていた少年のような天使のような爽やかな兄の顔は形相に歪む。
そして――
人類では絶対に到達できないであろう魔力を放出させた。
「黄金武装気を使う天使ですか、ククク興味深いですね」
「あの、クロード様……天使ってば伝承では世界を滅ぼした存在だと聞いているかもですが」
「”戦女神と竜の騎士”……あの絵本でユウィン様が戦ったという天使族。まさか相対する時がこようとはフッフフ」
「絃葉ちゃんまでも!? この親子やべぇかもですよエッタ様――天使ですよ天使! 最上位の高位粒子体! 勝ち目あります!?」
「そういえば、ユウィン様が言ってました」
「彼は何とぉ?」
半ばやけくそで、スカートの中から全ての武装を投げ放つ準備をしているリアに、アンリエッタは笑顔を向ける――大丈夫ですよと。
「出会ったなら、逃げろって」
「ダメなヤツですねーソレ」
帰って寝よう。
そんな自分を奮い立たせて、リアは全力で闘う決意を固めた。




