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作者: 組長
掲載日:2014/12/31

今回は短編を一つ書かせてもらいました。駄文ではありますが読んでいただけると幸いです。笑の要素はありませんが自分で考えていただく話となっております、よかったら考えてみて下さいね。

何も変わらない、たくさんの人々が歩いている平凡な街の風景が私の下に広がり、そして上には穏やかな青空が広がっていた。それは私にとって平凡な日常の風景であり、だからこそ私はそんな風景を嫌うようになったのかもしれない。毎日本当に同じ風景かと言われると、それは違う。多少なりとも天候は変わるだろし、人の数も同じわけではない。しかし基本的には大きな変化など一つもないのだ。私はそんな風景が嫌いだった。

私にとっての人生はただその風景を見続けることだけであった。来る日も来る日も変わらない、少しの変化が起きたとしても私には退屈な風景が続くのだ。そんな人生をおくることが貴方には出来るだろうか?貴方にとっての平凡は本当に平凡と言えるのだろうか?そう言ってみたいが私にはそう言える口はない。私が喋れるようになってしまったらいけない世界なのだ。それがこの世界での絶対の決まりであり、私への罰なのだ。

物にはよく魂が宿ると言われている。しかしそれは大きな誤解だ。魂が物へと変わっていくのだ。最初から物となる者は魂があり、そして日々苦しむのである。人間は決して人間に転成出来るわけではないのだ。この世界に物があり続ける限り、死んだ人間は物となり生きてる人間に使われるのだ。これがどれほどの苦痛かはその物になってみなければわからないだろう。貴方が今使っている物達の気持ちを貴方は理解出来ることはないだろう…私も人である時に理解することはできなかった。しかし物となった今なら、私もほんの一部分ではあるが気持ちがわかる気がする。

物としての私の人生はとてもつまらないものだ。私がこの物になる前、人としての人生がどれだけ素晴らしいものなのか、私は物になり始めて気づいた。人としてみてきた風景がどれだけ変化の多いことか、私は風景の変化がない物になり始めて気づいた。人が人として生きる素晴らしさ、人が物として生きる辛さ、私は物となりようやく気づいたのだ。しかしそのことを私はもう一度人として転成が出来た時、この気づきを私は忘れてしまうのだろう。その時私はまた人としての人生を素晴らしいと感じなくなってしまうのかもしれない。だとしたらこの今の私の人生も無駄なものになってしまうだろう。

とある日、またいつもと変わらない平凡な風景がそこには広がっていた。そこに一羽の鳥がこちらに向かってきていた。どうやら私の物としての人生は終わりそうだ。もしこれで私がまた人としての人生を歩めるものならば、今度こそは素晴らしい人生にしたい。


最後まで読んでいただきありがとうございました。今回は自分でも珍しくこのような作品を書かせていただきました。今度も機会がありましたらまたこういうテーマなものを書きたいなと思いました。最後になりますが、本当に読んでいただきありがとうございました。

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