7.鏡のなかの青い空
…その日、は……
……いつもと…同じ……
きれいな…本当に、きれいな…
……青空が、広がっていたんです………
ちょっと…肌寒いかな、って……もう、秋になるのかな、って………
そう思いながら……いつもと…同じように……
……でも……でも………
…いつもと…同じではなかったんです………
……動かないタムを見つけたのは……
…メグちゃんでした………
…大好きな…お姉ちゃんに、言われたんです……
……タムは…死んだんだ、って…………
それから、ずっと……メグちゃんは、泣き続けていました…………
…………………………………………
「マリ! お前が泣いてて、どうするんだよっ!」
そんなことを言ってるお兄ちゃんだって、まだ目が赤いんです。
えぇ、そうです。お兄ちゃんだって、泣いていたんです。どうして、マリちゃんが泣いたらいけないんでしょう…
おとなりのメグちゃんのお家で……冷たい…タムに、さわってから……マリちゃんはずっと泣いていました。わ〜んわ〜ん…大きな声で…泣き続けてるんです……
……だって…泣きたいんです。なんだか、よく分からないけど……ずっとずっと、泣き続けたいんです……
ユウタは、お父さんとお母さんが、そんなマリちゃんをなぐさめようとしているのを、じっとだまって見ていました。
…でも、お母さんもお父さんも、マリちゃんをしばらく、そのままにしておこう、って…
でも…でも、ユウタはそれでいいとは思いませんでした。
「マリがしっかりしないと、メグちゃんはずっと泣き続けるじゃないか。サトミだって、あんなにがんばってるんだぞ!」
……えぇ、そうです。サトミだって、泣いていたんです。
でも、ちょっと泣いた後で…すぐに、サトミはメグちゃんをなぐさめ始めていました……
メグちゃんの、すぐそばで……時々、泣きたくなるのを…一生懸命、がまんして………
……くちびるを強くかみながら、震えている…そんなサトミを見ているのは……ユウタにとって、とても辛いことでした……
…ユウタだって…メグちゃんを、なぐさめてあげたいんです。
でも…自分になんて……何もできないように、思えるんです………
…でも…でも、こんな時に、大好きなお友達がそばにいてくれたら……一緒に泣いて…でも、一生懸命、はげましてくれて……
そんなお友達が、今のメグちゃんにはとても必要なんだ、って……それだけは、分かっているつもりでした。
えぇ…もちろん、それだって…サトミほどの力にはなれません。だって、サトミは、お友達なんかではなく「お姉ちゃん」なんです。やっぱり、そこには何かの《差》があると思います…
……そして……
…ユウタは、そんなサトミよりはもちろん、お友達なんかよりも…もっともっと…その《差》が大きいんです……
……そんなユウタに……何ができると言うのでしょう………
「…だって…! お兄ちゃん、だって…!」
泣きながら、マリちゃんは叫んでいました。
マリちゃんだって、もちろん、メグちゃんのことは心配なんです。
だって…きっときっと…マリちゃんなんかよりも、もっと…もっと、メグちゃんの方が悲しいんですから……
……四つのマリちゃんにとって…こんなこと……初めてでした。
昨日まで…確かに、タムはきゃんきゃん! って……
……元気に走り回っていたんです…
…なのに…それなのに、今日は、もう…冷たくって……ぬれたタオルみたいに…なっていたんです……
もう……絶対、動かないんだ、って……
…そんなこと、急に言われたって…信じられません。
…だって……
……タムは、タムのままなんです。何も、昨日と変わってなんかいないんです。
……ちょっと…冷たくなっただけで……きっと、すぐに、また…あったかくなって…一緒に、遊べるはずです……
……いいえ…
……いいえ……でも…やっぱり……
……分かるんです。
サトミお姉ちゃんや、お兄ちゃんが泣いたんです……
…きっと…やっぱり……
本当に……
……そんなのって、ないです…!
…どうして…どうして……
「分かった。じゃぁ、マリは一人きりで泣いたらいいだろ!
僕は、メグちゃんのところに行くからな」
「…え…?」
……いや…一人になんか…なりたくない……
だって……このまま…お兄ちゃんがいなくなって…
……明日、タムみたいに…冷たくなっていたら……
「いやっ! いやっ! 一人はいやぁっ!」
大声で泣きながら…マリちゃんは、お兄ちゃんにしがみついていました……
…ユウタはそっと、マリちゃんを立たせると…一緒におとなりに向かい始めました。
…こんな自分なんかに…何が、できるのでしょう……
……いいえ…何もできないと思います…
でも…でも……そばにいた方が…いないよりも、いいのかもしれません……
「…ユウタくん……」
メグちゃんの部屋に入ったとたん…サトミはほっとした表情で、ユウタを見上げてきました。
……えぇ…これだけでも、来てよかったのかもしれません……
「…メグちゃんっ!」
しっかりとつないでいた、お兄ちゃんの手をぱっ! と放して…マリちゃんはメグちゃんにかけよりました。
…ベッドに顔をふせているメグちゃんに抱きつくと…声を上げて、泣き始めています……
…メグちゃんは……とっても小さな…本当に、とっても小さな肩を震わせて…声も出さずに、泣いています……
……きゅっと毛布をにぎりしめて……一生懸命…でも、静かに泣いてるんです……
「サトミ…」
声をかけると、サトミは力なく笑い返してきます…
……こんなにも弱気な…さみしそうなサトミを……ユウタは、初めて見ました……
…『何か』が、こみあげてきます……
……サトミも、だまっています…
……その目が、そっと閉じられて…静かに、涙がこぼれ落ちても……ユウタはぎゅっ! と手をにぎりしめて、泣くのをがまんしました。
「…メグちゃん……」
ベッドに頭をのせているメグちゃんの横に…ゆっくりと座り込みます。
目の前で、マリちゃんもメグちゃんも…小さな体を一生懸命に震わせて、泣いています……
…自分には…何が、できるのでしょうか……
「…メグちゃん…
…一緒に遊んでいる時のタムを…覚えてる…?」
……もちろんです…!
…今だって…ほら……!
見えるんです。…マリちゃんと一緒に、笑いながら…三人で追いかけっこしてるんです……
ほら…
…ね?
…きゃんきゃん、って…楽しそうに、見上げてくれるの…
「ちっちゃくて…まっ黒なんだよね……目が、とってもキラキラしてて……」
えぇ、そうです……ほら…ね…?
「ユウタくん……」
こんなにも辛いのに……タムを…思い出させるなんて…
サトミはそう思ったんです。
…でも、ユウタくんはそんなサトミをにらみつけていました。
その目が…涙で光っています……
…そうです…ユウタくんだって、辛いんです……
……それ以上、サトミには何も言えませんでした…
「かわいい声だよね…タムって…」
えぇ…すぐそばで、ほら…
…うれしそうに…はしゃいでいます……
「聞こえる…? メグちゃん……」
…小さな頭が、ちょっとだけ…本当に、ちょっとだけ、動きました。
「……お兄ちゃん…?」
いつのまにか、マリちゃんが泣きやんでいます。
でも、ユウタはただ、メグちゃんだけを見続けていました。メグちゃんだけに、ささやいていたんです。
……ユウタには見えていました。バラバラになったジグソーパズルのように…こわれてしまったやさしい心が……
えぇ…見えていたんです……
「…マリちゃん…」
そっと…サトミはくちびるに指を当てながら、マリちゃんの小さな体を引き寄せました。
…その目は、じっとユウタを見つめています……
でも、そんなサトミの想いすら、ユウタは気が付いていませんでした。
「指先をなめてきてね…とっても、温かくて…」
えぇ…
「ちょこちょこ動き回るくせに…ボールを取り上げたら、お座りをして待ってるんだ…いつまでも、いつまでも…」
…えぇ……
「メグちゃん…
…メグちゃんにも…タムは見えるかい?」
……えぇ……!
目をきゅっ! と閉じて、毛布に顔をうずめたまま…メグちゃんは声も立てず…でも、また、ちょっとだけうなずきました。
…もちろん、ちゃんと、見えています…
ほら、…ね…?
そこに…そこに……
「じゃぁ…やっぱり、そうなんだ」
…え?
……ユウタお兄ちゃんの声…ちょっぴり、うれしそう……
「………」
「メグちゃん…タムはね、どこか知らないところに行ったんじゃないんだよ」
「…………」
「タムはね、オカシナ村に行ってしまっただけなんだ」
「……!」
目の前で…大きく、びくっ! と…メグちゃんの体が震えています…
「…今、メグちゃんはね…オカシナ村のタムを見てるんだ。
タムは…どこか知らないところに行って…恐くて、くんくん泣いてるんじゃないんだ……
そうだろ…? ほら…」
…えぇ…怖がってなんて…いません…
「ちゃぁんと、オカシナ村のメグちゃんがお散歩に連れて行ってくれるし…
オカシナ村のマリと一緒に、おいかけっこもしてるんだよ……」
(……!)
メグちゃんが…メグちゃんが、そっと…毛布から、顔を離したんです…!
でも…その目を上げることは、できません…
…ちっちゃな…本当に、ちっちゃな体が…かすかに、震え続けています……
(がんばって…メグ、がんばって…)
どうして、自分は何もできないのでしょう……
…いいえ、…いいえ、そうです。できることがあります。
お祈りをして…そして……
……ユウタくんを信じることです。
サトミはマリちゃんをきゅっと抱き締めながら…心の底から、お祈りをしていました……
…でも、ユウタくんは…そんなメグちゃんの変化にも、気付いてないみたいです。
…いいえ、もう…何も、見ていないみたいです。
「あんなかわいいタムが…死んで…どこか知らないところに行ったりするもんか…
…ちょっと…ちょっとだけ、オカシナ村に迷い込んでしまったんだよ。
今まで、オカシナ村のメグちゃんは、タムみたいな仔犬とお友達になったことがなかったから…きっと、ずっとずっと、タムと遊んでみたかったんだろうね…」
ゆっくりと…静かに、メグちゃんが顔を上げていきます…
ぬれた大きな瞳が、じっと……大好きなユウタお兄ちゃんを見上げて……
「大丈夫だよ。絶対、オカシナ村のメグちゃんだって、メグちゃんと同じくらい…タムをかわいがってくれるよ。
それにね、オカシナ村のメグちゃんは…自分がタムとお友達になっている間、メグちゃんがさみしくないように、って…プレゼントもくれたんだ」
「…?」
「だってほら、今、メグちゃんの目にはタムが見えてるだろ? 本当なら、オカシナ村のタムには、夢の中でしか会えないはずなのに…
目を閉じるだけで、楽しそうに遊んでいるタムが見えるのは、ありがとう、って…オカシナ村のメグちゃんが、プレゼントしてくれた力なんだよ。
ほら、メグちゃん…見えるだろ?」
…ちょっとだけ…また、目を閉じてみます……
…えぇ、見えます。見えますとも。大好きなユウタお兄ちゃんが言ってくれたように……
……今までよりも、ずっとずっと、いたずらっぽい目をクルクルさせて…タムが見上げています…
「だから、ね…ちょっとだけ、オカシナ村のメグちゃんに、タムをかしてあげたらどうだろう…
タムだって、ほら…それを楽しんでるみたいだろ…?」
…えぇ…とっても、いたずらっぽい目をしています……なんて悪いタムなんでしょう…
「もう泣かなくたっていいんだ。本物のタムは、ちゃぁんと、オカシナ村で遊んでるんだから。メグちゃんが見つけたタムは、タムがいたずらして残していった、にせもののタムなんだよ…」
「……と…」
(メグ…!)
…かわいいくちびるが、かすかに動いています…!
でも…声は出ません。
…どうしたら声が出るのか…今まで、忘れていたのです…
「…ほ、ん…とう……?」
メグちゃんには、とっても辛い言葉です…
…だって、大好きなお兄ちゃんですもの…信じているんですもの……
ユウタは、そんなメグちゃんの気持ちを、真剣に受け止めていました。
「本当さ。メグちゃんだって、見ただろう?」
しっかりと、力強い言葉が聞こえてきます…
大好きなお兄ちゃんは…その時、初めて……メグちゃんの目を見つめてくれたんです……
…ごめんなさい……
つぶらな瞳に、みるみる涙があふれてきます。
次の瞬間、ユウタはとびついてきたメグちゃんを、しっかりと受け止めていました。
……震えながら…声を上げて、泣いています……大きな声で…泣いています……
……パズルは、まだ、散らばっています…
…でも、ユウタには、そのパズルをどうやって元通りにすればいいのか、もうちゃぁんと分かっていました。
「ほら、メグちゃん…」
自分に出せる、精いっぱいの力を込めて…ユウタはメグちゃんを支えてあげました。
「タムが心配してるよ」
そっと、ささやいています…
「……ユウタくん…」
……何を言えばいいのでしょう…
…サトミは、あのままメグちゃんが死んでしまうんじゃないか、って…本当に、そう思って……
でも…もう、大丈夫です。サトミにも、もう分かっていました…
…えぇ、メグちゃんは大丈夫です。大丈夫ですとも……
「……ありがとう…ありがとう……」
うれしくって…なのに、涙がどんどん、あふれてきます……
…ユウタくんは、何度も何度も、うなずいてくれていました……
…………………………………………
次の日の朝、メグちゃんはいつものように、ちゃぁんと起きていました。
一番に、カーテンを開けます。
「…うわぁ…」
とってもきれいな…とっても、とってもきれいな青空が、広がっています。
大きくて…高くて、青い空です。
…なんだか、ドキドキしてきます。
うれしくなって、ぴょんっ! とその場で飛び跳ねると、くるっとメグちゃんはお部屋の中を振り返りました。
お部屋の向こう側には、ちっちゃな鏡が壁にかけられています。
かわいいその鏡には、でも…メグちゃんの姿は映っていません…
…そこには、ただ青空だけが…どこまでも深い、青空だけが…ずっと、広がっていました……
『鏡のなかの青い空』おわり