3.大宮の森のクスノキさま
「…お姉ちゃん……」
小学校から帰ってきたとたん、今にも泣きそうなメグちゃんを見て、サトミはびっくりしてしまいました。
「どうしたの? カズくんにいじわるされたの?」
いいえ、ちがいます…
今までなぐさめてくれていた犬のタムからはなれると、メグちゃんは何も言わずに、ぎゅっ! とお姉ちゃんの足にしがみついてしまいました。
「メグ!」
カバンを放りだして、お姉ちゃんはしゃがみこんでくれます。
心配そうに、顔をのぞきこんでくれています…
「…あのね…あのね……」
どうしても、涙があふれてくるんです。
でも、ちっちゃな手でそれをぬぐいながら、メグちゃんはせいいっぱい、声をだそうとがんばりました。
「神さま、って…いないの…?
…あんなに…トモちゃんのこと…お祈りしたのに……」
「もちろん、いるよ。絶対、いるんだからね」
サトミはすぐに、力強く声をかけてあげました。
でも…メグちゃんはいやいやするように、首を小さくふっています。
「…どうして…どうして…
メグちゃんの、お祈り…きいてくれないの…?
…メグちゃんが…悪い子だから……」
「メグ!」
「…どうして…そんなに…いじわるするの……」
「……メグ…」
サトミは、しばらく何も言えませんでした。
…困った顔で、タムを見つめてしまいます。でも、タムはしっぽをふるだけで、答えを教えてくれません。
メグちゃんのことです、きっと、本当に…とっても真剣に、お祈りしたはずです。
…どうして…どうして、神さまはそんなメグちゃんのお祈りにこたえてくれなかったのでしょう。
メグちゃんを泣かせるなんて…たとえ神さまでも、許せません。
…それとも……
やっぱり、神さまなんていないのでしょうか……
本当は、サトミにだって分からないんです。
「…ねぇ、メグ。
何を、お祈りしたの?」
「…あのね…あのね……」
メグちゃんは、しゃくりあげながら…それでも、少しずつ、いっしょうけんめいにおはなししました。
実は、メグちゃんが通う幼稚園に、三日前からトモちゃんが来てるんです。
そのトモちゃんのことで、先生はとっても不思議なおはなしをしてくれました。
…えぇ、本当に、信じられないことです。だって、トモちゃんがきのうまでのできごとを、ぜんぶ、ぜぇ〜んぶ、忘れてしまう病気なんだ、って…先生は、そんなことを言うんです!
覚えていられるのは、いろいろな人のお名前だけで…でも、そのお名前だって、本当はどの人のお名前なのか、トモちゃんにはちっとも分からないんです。
今日だって、そうです。『メグちゃん』というお名前が、メグちゃんのことなんだ、って…トモちゃんには分かってもらえませんでした。
昨日、メグちゃんがトモちゃんにおはなししたことも、…いいえ、昨日、幼稚園にいたんだ、って…そんなことまで、忘れてしまうんです!
トモちゃんは、『お母さん』というやさしい人が、いつもそばにいてくれることは、ちゃんと覚えていました。でも…今日は、先生のことを「お母さん」って呼んでいました……
明日になったら、今日のことをぜんぶ、忘れてしまうなんて…おとなりのマリちゃんと遊んだことや、ユウタお兄ちゃんに聞かせてもらった、オカシナ村のおはなしだって…ぜぇ〜んぶ、忘れてしまうなんて…そんなのって、ないです!
…とっても、悲しくなってしまいます……
だから…だから、メグちゃんは神さまにお祈りしたんです。
明日になっても、メグちゃんやマリちゃんのことを…いいえ、みんなのことを、ぜんぶ、ちゃんと、トモちゃんが覚えていられますように、って……
…でも、…でも、やっぱり…
トモちゃんは、メグちゃんのことをちっとも覚えていてくれませんでした……
「…『しょーがい』っていうの…? …頭の中を、痛くしたから…だから……」
病気、なのでしょうか。サトミにだって、よく分かりません。
「でも、メグ…大きな病気やケガなんて、一日じゃなおらないよ」
「…神さまでも……?」
「たぶん、ね」
…どうして、はっきり言ってあげられないんでしょう……
でも、サトミにだって分からないんです。分からないのに…ウソは、つきたくありません。
…なんだか、サトミまで悲しくなってきてしまいました。
「……じゃぁ、…じゃぁ、いじわるじゃないの…?」
「もちろんだよ、メグちゃん!」
急に、ユウタくんの声が聞こえてきたので、サトミはびっくりして飛び上がってしまいました。
いつのまにか、玄関の扉の向こうに、ユウタくんとマリちゃんが立っています。
…えぇ、きっと、そうです。マリちゃんも、トモちゃんのことをユウタくんにおはなししたのでしょう。
「神さまが、メグちゃんにいじわるなんてするはずないだろ?」
大好きなお兄ちゃんの言葉に、メグちゃんは少しだけ顔をあげました。
「…ほんとう……?」
「本当さ、な? サトミ」
「もちろんだよ!」
大好きな…とっても、とっても大好きなお姉ちゃんとお兄ちゃんが、そう言ってくれてるんです。
メグちゃんは、ほっとして…そっと、はにかみました。
「ねぇ、お兄ちゃん。でも…だったら、どうして、神さまはマリやメグちゃんのお願いを聞いてくれなかったの?」
マリちゃんだって、あんなにお祈りしたんです。えぇ、もちろんです。メグちゃんと、ちゃぁんとお約束したんですから。
「さぁ、どうしてだろうな。
ちょっと、神さまのところに行ってみようか」
「え?」
メグちゃんやマリちゃんだけではありません。サトミだって、そんなユウタくんの言葉にびっくりしてしまいました。
「きっと、マリやメグちゃんのお祈りは、いちばん近くにいる神さまが聞いてると思うんだ。
で、ここからいちばん近くに住んでる神さまって言ったら…」
「…大宮の森の…クスノキさま?」
あの…とっても、とっても大きなクスノキさまでしょうか…
「そうだよ。ほら、メグちゃんもおいで」
「…うん」
メグちゃんだって、あのクスノキさまが『ごしんぼく』って言うんだ、って知っています。えぇ、そうです。だから、あのクスノキさまは神さまなんです。
きっと、メグちゃんのお祈りは、クスノキさまが聞いてくれていたはずです。マリちゃんのお祈りだって、そうです。
「サトミはどうする?」
「ボクも行くよ」
もちろんですとも!
それに…もしかしたら、大好きなオカシナ村のおはなしも聞けるかもしれません。えぇ、サトミはユウタくんのあの夢のおはなしが大好きなんです。
…でも、そんなこと、ユウタくんには言ってません。言えるもんですか。
……でも…もしかしたら……ユウタくんは、知ってるのかもしれません。ユウタくんも何も言わないので、本当は分かりませんが……
でも…でも、ずっといっしょに遊んできましたから…なんとなく、分かるんです。
……えぇ、…分かるんです……
ユウタお兄ちゃんは、一番になって、カズくんのお家とは反対の方向に歩いていきます。
メグちゃんとマリちゃんは、サトミお姉ちゃんに手をつないでもらいながら、ちょっぴり、その後ろできんちょうしていました。
もちろん、お祭りやお正月の日には、二人とも大宮に行ったことはあります。でも、今日は、お祭りでもお正月でもありません。今日は、神さまにだけ会いに行くんです。
なんだか、とってもドキドキしてきます。
…ほら、見えてきました。
クスノキさまの森が、お家の向こうで、モコモコしています。
こんなにもドキドキしてるのに…お兄ちゃんたら、すぐに森の中に入ってしまうんです。
…えいっ!
マリちゃんは、サトミお姉ちゃんにくっつきながら…でも、ちゃぁんと、中に入ることができました。
そうなれば、もちろん、メグちゃんも行かないわけにはいきません。
森の中には、きちんと石が敷かれています。みんなで歩くその道の両わきには、大きな大きなクスノキが、ずっと奥まで並んでいました。
…なんだか、暗くて…夏なのに、涼しくて……
ちょっぴり、恐い気がします。
セミの声だって、あんなにしてるのに…なんて、静かなんでしょう……
「……」
きゅっ! と…メグちゃんもマリちゃんも、サトミお姉ちゃんの手を強くにぎりしめてしまいました。
「大丈夫だよ。ボクもユウタくんも、ほら、平気でしょ?」
とっても明るく言ってくれるんです。
お姉ちゃんは、なんて強いんでしょう! やっぱり、お姉ちゃんはスゴイんです。
「お〜い! 早く、来いよ」
あれ? もう、ユウタお兄ちゃんは大宮の中に入っています。
大急ぎ、です。
みんなはいっしょに手をつないだまま、大きな石の鳥居の下を走り抜けてしまいました。
入って右側に、とってもとっても…とぉーっても、大きなクスノキさまが立っています。その太い幹には、小さな白い紙のヒラヒラがくるっと巻かれていました。
クスノキさまの足もとには、光のちっちゃなアワがプクプクとゆれています。そのアワをつかまえたくて、メグちゃんとマリちゃんはいっしょに走り出しました。
そんな小さな二人を、にこにこしながらサトミは見送っています。
そして、しばらくすると、その目をもう一度クスノキさまに向けました。
……本当に、なんて大きいんでしょう。
薄暗い木の影に入り込みながら…そっとうかがうと、ユウタくんもすぐ横でじっとクスノキさまを見上げていました。
その目が、とてもキラキラしています……
サトミには、すぐ分かりました。
…えぇ、そうです。今、ユウタくんはオカシナ村をのぞいているんです…
その時、急にユウタくんは大きな笑い声をあげました。
「お兄ちゃん?」
マリちゃんがびっくりしています。
いいえ、サトミだってびっくりしました。メグちゃんなんて、きれいなまぁるい目をしたまま、まばたき一つしていません。
「あはは、ごめん。ちょっと、オカシナ村のクスノキさまを見てたんだ」
「…オカシナ村の…?」
メグちゃんが、急いで大好きなお兄ちゃんのそばまで戻ってきます。もちろん、マリちゃんもいっしょです。
「そうだよ。それがね、クスノキさまは、マリやメグちゃんにどうかあやまってくれ、って僕に頼むんだよ」
「どうして?」
首をかしげるマリちゃんに、ユウタはにやっと笑って言いました。
「もちろん、お祈りをちゃんと、かなえてあげられなかったからさ」
そしてユウタはもう一度、クスノキさまを見上げました。
みんなも、つられて大きな大きなクスノキさまに目を向けます。
「オカシナ村のクスノキさまはね、今、とってもいそがしいみたいだよ。お正月のたくさんのお願いを、夏のお祭りまでにかなえなくちゃいけないんだ、ってがんばってるんだ。
でも、そこは神さまだから、ちゃぁんとメグちゃんやマリのお祈りも聞いてたんだよ。ただ、あまりにいそがしかったもんだから、ちょっとだけ、まちがっちゃったんだ」
「…神さま……まちがえちゃったの…?」
ユウタはうなずくと、クスノキさまから目をはなしてメグちゃんに笑いかけました。
「そうなんだ。『トモちゃんが、みんなのことを忘れないように』じゃなくて、『みんなが、トモちゃんのことを忘れないように』ってね」
「……え?」
すんだきれいな声に、ユウタはしゃがみこんで、メグちゃんの目をのぞきこみました。
「神さまはね、トモちゃんが昨日していたことを、トモちゃんのかわりにメグちゃんやマリが覚えておくようにしちゃったんだよ。だから、メグちゃんとおはなししたことを、トモちゃんは忘れてしまうんだけど、そのかわりに、メグちゃんにずっと覚えててもらうようにしたんだ。
トモちゃんが忘れてしまったことを、みんなが少しずつ覚えておくことになったんだよ。ひどい神さまだろ?」
「……」
…いいえ、…なんだか、そうは思いません。
だって、トモちゃんが覚えていなくても、みんながトモちゃんのしたことを、ちょっとずつ覚えてるんです。
…えぇ、そうです。みんなの中には、ちゃぁんと、トモちゃんの『昨日』が残るんです。
もしも、それさえなくなってしまったら…トモちゃんの『昨日』なんて、はじめからなかったみたいに、みんなが忘れてしまったら……
「…よかった……」
「え?」
サトミはびっくりして、ユウタくんを見ました。
でも…えぇ、ユウタくんは、そっと笑ったままなんです。
「神さまが、まちがって『みんなも、トモちゃんのことを忘れてしまうように』ってしなくて良かったね」
マリちゃんが、にっこりしています。
その言葉を聞いて、もう一度、サトミはびっくりしてしまいました。
「…そうだよな。じゃぁ、神さまをゆるしてあげようか」
「うん!」
元気に、メグちゃんもマリちゃんもうなずいています。
そんな二人を見て、急にサトミはぽんっ! と手を打ちました。
「そうだ。ねぇ、アイスクリームを食べて帰ろうよ」
「よぉし。じゃぁ、一番にお店に入った人には、サトミがおごってくれるんだな」
そんなことを言って、ユウタくんはもう走り始めています。
「ちょっと! そんなこと、ボク、言ってないよ!」
「ほら、メグちゃん! マリに負けるなよ」
「わぁ〜い!」
あっというまに、マリちゃんもメグちゃんも見えなくなってしまいます。
えぇ、もちろん、ユウタは本気で走ったりしません。ちゃぁんと、大宮の鳥居の下で、サトミを振り返って待っています。
「ほら、行くぞ」
「ユウタくんも、お金出してよね」
「分かったよ。けっこう、ケチだな、サトミも」
「何よ!」
そう言って口をとがらせたかと思うと…でも、すぐに、サトミはにっこり笑いかけてきました。
「ありがとうね、メグやマリちゃんのこと」
こんな時、なんだか急に、サトミが女の子に見えてしまうんです。それが不思議で…いつも、ユウタはびっくりして……
ちょっと、困ってしまいます。
…えぇ、なんだか、さっきみたいに、おはなしできなくなるんです。
「べつに。何でもないことだろ?」
だから、ちょっと目をそらせてしまうんです。
「…そうだね」
にこっと笑うと、サトミはぱっ! と走り出しています。
「あっ、ちょっと待てよ!」
「ほらほら! おいてくよ」
楽しい声が、薄暗い森の下に広がっていきます。
大宮の森のクスノキさまも、そよ風に葉をゆらせながら、そんな笑い声を喜んでるみたいでした。
『大宮の森のクスノキさま』おわり