2.魔法のパンのおはなし
その日、ゆっくりとユウタはペダルをこいでいました。
楽しそうに、口ぶえをふいています。
えぇ、ついこのあいだから、ユウタは口ぶえをふけるようになりました。きちんとメロディにのせて口ぶえをふけるのは、まだクラスでもユウタだけです。ちょっぴり、じまんです。
いつもと変わらない景色の中を、自転車は走っていきます。
きょうは、おおきなサカイ川をわたって、ずっと山のほうまで行かなくてはいけません。
土手から下をのぞくと、水がきらきらと光っています。春になったばかりですから、まだまぶしくはありません。なんだか、とってもあたたかくて…やわらかいんです。
やさしい風と、きれいな光…やっぱり、春がいちばんです。
…でも、きっと、夏になれば、夏がいちばんだ、って思うかもしれません。
困ったものです。
走っていくうちに、どんどんと土手は高くなっていきます。
いつのまにか、川の水も見えなくなってしまいました。
まだ葉っぱの出ていない木が、どんどんとまわりにふえてきています。
もうすぐ、たくさんの木にかこまれた池が、左の方に見えてくるはずです。そこまで来れば、マサシくんのお家は、すぐそこです。
「あれ?」
…なんだか、おかしな気分です。
前に来たときよりも、まわりがずっと明るくなった気がして…
「あぁっ!」
思わず、ユウタはおおきく叫んでしまいました。
川からはなれて、左にまがったとき、見えたんです。
ギラギラとまぶしく光っている、いくつものおおきな鉄板が。
その向こうにあるはずの池のまわりには、もう、ちっとも木がありませんでした。
自転車をとめて、ユウタはちょっとぼんやりとしてしまいました…
おかしなものです。池のまわりをかこんでいる鉄の板には、きれいな空と森の写真がおおきく描いてあります。
でも、そのすぐわきには、おおきな木の切り株が、ごろんと転がっているんです…
お昼をすぎたばかりの、やわらかな春の日ざしに照らされて…その切り株は、とっても痛そうな切り口を見せていました。
…なんだか、悲しくなってしまいます。
いいえ。
なんだか、とっても…とーっても、怒っているのかもしれません。
マサシくんに聞いたことがあります。
この池には、たくさんの木といっしょに、たくさんの鳥も集まっていたんです。
きれいなオレンジ色の飾りをつけたキジバトに、とってもすばやいツバメ。
いつもいそがしそうなセキレイや、さわがしいヒヨドリ。
はずかしがりやさんのジョウビタキに、マイペースのツグミ。
かわいいエナガにシジュウカラ、メジロだってたくさんいました。
もっともっと、ユウタが名前をしらない鳥もいっぱいいたんです。
…でも、その池は、もうすっかり埋められてしまっていました。
遠くから鳥が帰ってきても、もうここにはお家がないんです。
土の下になって、魚だっておぼれてしまったんです。
魚が、おぼれるなんて…
なんだか、くやしくなってきました。
でも…見えているのに、何もできていない自分に、いちばん怒っているのかもしれません。
きっと、サトミなら、プンプン怒りだして…
「どうしたの? ユウタくん!」
きゅうに、そのサトミ本人の声が聞こえたので、ユウタはびっくりして飛び上がってしまいました。
ふりかえると、サトミが赤い自転車をおしています。
偶然(…でも「偶然」って何でしょうね)、サトミもこの近くに遊びに来ていたみたいです。
びっくりしたものの、ユウタが口を開きかけたとき、先にサトミは池のようすに気が付いてしまいました。
「えぇ? なに、これ!」
ほら…やっぱり、プンプン怒りだしてしまいました。
「ひどいっ! こんなこと、ボクが絶対ゆるさないんだから」
そんなことを言っています。
「許さないって…」
そう言いかけるユウタを気にもとめずに、サトミは自転車の前かごにあるリュックから、丸いパンを1つ取り出しました。
「サトミ! それって」
えぇ、もちろん、ユウタはそのパンが何か知っていました。
それは今日、オカシナ小学校の魔法実習の時間に焼いた、魔法のパンなんです。ユウタのパンは失敗してぺちゃんこになってしまいましたが、勉強が良くできるサトミのパンは、先生が誉めるくらい上手にできたんです。
ですから…えぇ、もちろん、魔法の力も強いはずです。
丸い魔法のパンをちぎろうとしているサトミを、あわててユウタはとめようとしました。
だって、いくら頭のいいサトミでも、もしも失敗したら、だれがサトミのパンの魔法をとめるのでしょう。
少なくとも、ユウタにはできません。えぇ、それはまちがいありません。
でも、サトミはそんなユウタの心配なんて、ちっとも気にしていませんでした。とーっても怒ったまま、勢いにまかせてパクパクともう半分くらい食べてしまっています。
「……!!」
きゅうに「何か」を感じて、サトミは食べるのをやめて、残りのパンをポケットにしまいこみました。
ぽこっ! とサトミの体が、中学生くらいに…いえいえ、今はもう、電柱くらいにまで大きくなっています!
えぇ、もちろん、あの丸いパンは、少しの間だけ、体を大きくしてくれるものなんです。
でも、こんなにも大きくなるなんて…
ユウタが見ている前で、どんどんとサトミは大きくなって、まだ止まりません。サトミの足なんて、自動車くらいになっています。
大急ぎで、ユウタは逃げ出しました。あんな大きな足にふまれるなんて、ぜったいに、イヤです。
遠くから見ていると、サトミは小さなビルくらいになって、やっと大きくなるのが止まったみたいです。
プンプンと怒りながら、大きな指で鉄の板をつまみ上げています。
ベリッ! ガシャガシャガシャッ!
両手で鉄の板をボールのように丸めているサトミを見て、ユウタはゾッとしてしまいました。
…えぇ、もうぜったいに、サトミを怒らせてはいけません。えぇ、ぜったいに、です。
サトミはその鉄のボールを思いっきり遠くに放り投げました。
どんどんと小さくなるボールを、ユウタはびくびくしながら見送っていました。
巨大サトミは、ダンプカーやトラックまで、つぎつぎと持ち上げては投げていきます。大きな大きなブルドーザーが、青い空の中をキラキラ光りながら飛んでいきます…
ぜったい、ぜったい…ぜぇーったい、もうサトミを怒らせたりしません。えぇ、そうですとも。ぜったい、ぜったい、ぜぇーったい、です。
怪獣みたいに大きなサトミは、今度は池を埋め立てていた土の山をくずそうとしています。
手ですくい上げられた土や岩のかたまりは、あたりに飛び散って、もちろん、ユウタの頭の上にだってふりそそいできました。
「やめろ! サトミ、やめろって!」
でも、ちっともサトミは聞いてくれていません。きっと、ユウタがここにいることだって、すっかり忘れてしまってるんでしょう。
土の山は、どんどんと小さくなっていきます。
それでなくても、もともと力の強いサトミが怒ってるんです。大きくなったサトミにとって、あんな土の山くらい、あっというまになくなって…
「…?」
ちょっとおかしいな、って気がします。
ユウタは、少しだけサトミに近づきました。
ユウタの目には、サトミが少しだけ小さくなったように見えたんです。
…えぇ、たしかに、サトミは小さくなってきています。
ほら、あんなにも大きかったのに、今はもう、電柱くらいでしかありません。
でも、プンプンと怒っているサトミは、自分が小さくなっていることには気が付いていないみたいです。足もとの土の山を、くずし続けています。
「サトミ!」
もう、サトミは中学生くらいになって…いいえ、次には、いつもと同じ七才の女の子の大きさにもどってしまっていました。
「…はぁ、…はぁ……」
大きく肩で息をしながら、それでもサトミは黒くよごれた手で土をつかんでいます。
「サトミ!」
ユウタの声が聞こえたからでしょうか…ようやく、サトミが手を止めます。
…でも、サトミは動きません。
ずっと、立ちつくしたままです。
「…サトミ?」
急に、ユウタは心配になってきました。あの魔法のパンは、やっぱり、力が強すぎたんでしょうか。なにか、悪いことがおこっているんでしょうか…
あわてて、ユウタは土の山をのぼりはじめました。
でも、その足音に気がつくと、サトミはユウタから顔をそむけてしまいました…
その時、ユウタはちらっと見てしまったんです。
…きゅっ! とくちびるをかんで…サトミは、ちょっぴり、泣いていました。
サトミはくやしかったんです。
魔法をつかっても、二年生の自分には池をもとにもどすことも、木を生き返らせることもできないんです。
「……」
ユウタはだまってサトミに背中をむけました。
サトミだって、泣いてるところなんか見られたくないはずです。
でも、少しだけ歩いてから、ユウタは小さくつぶやきました。
「やっぱり、サトミはすごいよ。
サトミは、自分ができることを、ちゃんとやったんだから…
よくがんばったな、サトミ」
聞こえてないかもしれませんが、べつにいいんです。ただ、そうつぶやくしか、ユウタにはできなかったんです。
だって、ユウタ自身は、何もできなかったんですから…
ユウタは振り返りもせずに、さっさと土の山を下りていきました。
たおれていた自転車をおこすと、マサシくんのお家に向かって走りはじめます。
きっと、鳥の声はしばらく聞こえないでしょう。
でも…でも……
「何か」が、きっと。
いいえ。
ユウタには、それが「何」なのか、ちっとも分かりませんでした。
…………………………………………
「だから、このおはなしも、ここで終わりなんだよ」
夕日が、やさしく縁側を照らしてくれています。そのやわらかな光につつまれながら、ユウタはにやっとわらいました。
「えぇ!」
今年、四つになった男の子たちが、二人そろって不満の声をあげています。ターくんとカズくんです。
「そんなの、おかしいよ。ぜんぜん、終わってないんだもん」
カズくんが口をとがらせています。その横で、おっとりターくんもうんうんとうなずいていました。
「しかたないだろ? 僕も続きは知らないんだから。
でも、明日になったら、もっとおもしろいおはなしがあるかもな」
「ほんとう?」
「あぁ。
…じゃぁ、こうしようか。
カズくんとターくんが、二人でこのおはなしの続きをつくるんだ。僕も、今夜、オカシナ村に行って続きのおはなしを見つけてくるよ。それで、その本当のオカシナ村の続きのおはなしと、二人がつくったおはなしをくらべるんだ」
カズくんとターくんは、顔を見合わせてしまいました。
「…カズくん、つくれる?」
ターくんが、とっても心配そうにたずねています。
だって、おはなしを聞くのはとっても楽しいんですが…まさか、自分でつくるなんて…
「つ、つくれるよ!」
カズくんは、大きくうなずきました。…でも、ちょっぴり、心配そうです。
ユウタはにやにやしながら、そんな二人に言いました。
「今のおはなしは、僕たちだけのヒミツだからな。こんなこと聞いたら、またサトミが怒りだすぞ。
サトミが怒ったらどうなるか…よく分かっただろ?」
「うん…」
「本当に、怪獣みたいになるからな。怒らせないほうがいいんだよ」
「…で、でも、それって、オカシナ村のお姉ちゃんのおはなしなんだよね…?」
ちょっぴり…いいえ、とってもビクビクしながら、ターくんは確かめます。
それでなくても、いたずらを見つけたときのお姉ちゃんは恐いのに…もっと恐くなってしまうなんて、いったい、どうしたらいいんでしょう。
「まぁ、魔法は使えないんだから、大きくなったりはしないよな。
でも、サトミがとっても強くて恐い、ってところはいっしょだよ。今日だって、僕のふでばこをこわしたんだぞ? おまけに、ものさしやえんぴつまで割ってしまうし」
「えぇっ!」
すっかり恐がってしまったカズくんとターくんに、ユウタは声をひそめてささやきます。
「な、恐いだろ? 今度、いたずらしてるところを見られたら…骨くらい、折ってしまうかもしれないな」
「ちょっと! なに、それ、ひどいっ!」
きゅうに明るい声が飛び込んできます。それがあんまり急だったので、カズくんとターくんはびっくりして、ユウタくんにしがみついてしまいました。
…えぇ、そうです。あれは、サトミお姉ちゃんの声です。それも、とっても、とーっても怒ってるときの声なんです……
「なぁんだ、聞いてたのか」
えぇ、そうですとも。ちゃぁんと、垣根の向こうで聞いてましたとも。
「せっかく、ふでばこのこと、あやまりに来たのに!」
えぇ、えぇ。そのはずだったんです。
でも、サトミは、その…えぇ、本気で怒っているわけではありません。さっきのおはなしも、おもしろかったと思いますし…でも、でも、やっぱり、ちょっぴり怒りたい気分なんです。
「ボクのどこが恐いのよ!」
そう言って垣根をよじのぼると、サトミはユウタくんのお庭に飛び下りました。
「今、とっても恐いじゃないか」
そんなことを言うんです! なんていじわるなんでしょう。
「ユウタくん!」
にやっとサトミに笑いかけると、ユウタはお庭に下りて逃げはじめました。
サトミも、すぐにそのあとを追いかけます。
二人がお家のかどをまがって、見えなくなってしまうと…
「うわぁ〜!」
そのとたん、ドキドキしているカズくんとターくんの耳に、ユウタくんの悲鳴が聞こえてきました。
「わぁっ!」
すっかり恐くなってしまって…大急ぎで、カズくんとターくんはユウタくんのお家から逃げ出してしまいました。
えぇ、もう、ぜったいにお姉ちゃんにいたずらなんてしません。
えぇ、そうです。ぜったいに、です。
温かな春の日ざしが、そんなみんなを赤くそめてくれています。
ふわぁ…とした空の下を、今はもう、楽しそうに笑うサトミとユウタの声が、ゆっくりと広がっていきました……
『魔法のパンのおはなし』おわり