一万ユニーク記念・番外編その2 勘違いされて
トントン、戸がノックされた。
ディアナ姫は、グリフィンが来たのだと思った。一気に緊張が高まる。
「は、はい。どうぞ」
からから声、しかもうわずっていた。けれど、部屋に乱入してきたのは待ち焦がれていた人ではなく、宿の主人の妻だった。歳は四十前後、さっぱりとして小綺麗な姿の女性である。動き回りやすいよう、頭にはスカーフを、細身の体には花柄の愛らしいエプロンを巻いている。
「奥さま、いえお嬢さま! お逃げなさるなら、今ですわ」
「……は?」
逃げる、とはまたぶっそうなことを言うものだ。ディアナは身を引いた。
「ご身分がおありの方のお忍び旅にしても、伴がひとりもおられませんし、まったく妙ですもの。こういうときの心得はできておりますわ。さ、私にお任せください。私はセオリアと言います」
「えっとセオリア、なにか、誤解をされているのではないの? 私に、逃げる必要はありません」
「まあ、おいたわしいわ。あの者に、強い暗示でもかけられてしまっているのね。主人も首を傾げていました」
「あの者? 暗示?」
「さあ、この服に早く着替えて。あなたのドレスでは目立ち過ぎるもの」
「でもこれ、ふだん着です。朝、急いで出てきたもので」
「普段着! 立派な仕立てで生地も上等なのに、まあ」
セオリアはひどく驚いた様子で、ディアナを凝視した。
「厩にいる、連れのあの者は盗賊の一味なのでしょ。貴族の姫である、あなたをどこかに売り飛ばすつもりで」
「いいえ。あのお方は、この国のだいにおうじ……」
とはいえ、素性を隠しているのではっきりとは言えない。それに、肖像画が普及しているわけでもない。王子の顔を知っている人など、ごく少ない。ディアナがいくらグリフィンを擁護しても、受け入れられるはずがなかった。セオリアは強硬な姿勢に出る。
「とにかく、連れがいないこの隙を狙って、逃げましょう。騙されているに違いありませんもの。あんなに馬の世話が上手い貴族など、いるわけがありません。エサをやるだけでなく、汚れた脚を洗いはじめたかと思ったら、さらにブラッシングまで。馬賊ですか。山賊ですか。主人も腰を抜かしていましたわ。このまま、放っておくわけにはまいりません。今晩、お嬢さまの貞操を盗むつもりにきまっております!」
グリフィンが厩で起居する変わり者王子だと説明しても、信じてもらえそうにない。
「ごめんなさい、セオリア。お忍びなのはほんとうなのよ。真実を言えないから、もどかしいれど。私はディ……ナ。ディーナです。あのお方はグリー……ンといって、隣国のプレイリーランドに行く途中なの」
「銀の国に? 町も、家も、食器も、家具もすべて銀でできているという、あの国へ?」
現在、ルフォンとプレイリーランド……銀の国に、正式な友好条約はない。商人は独自に交易を行っていると聞いたが、細々としたものであるようだ。街道には関所と高い壁が敷かれ、大きなものは動かせられない。ルフォン側の人間にとっては、銀の国は異世界に近い。
セオリアは目をぱちぱちと何度もまばたいた。
「盗賊と獲物ではないのでしたら……まさか、駆け落ち?」
セオリアは今度も、壮大な方向に勘違いしてくれた。




