6 警告の『夜』
リュウと渡り廊下をいくつか渡って、やっと見覚えのある建物に戻ってくると、入り口のところでズーイさんが両手をもみ絞りながら立っていた。
「ああ、巫女さま! なかなか戻ってこられないので、心配しました」
「あっ、ごめんなさい!」
あわてて謝ると、横からリュウが口添えをしてくれる。
「巫女殿は、女神マーナの神託を受けておられたのです」
「まあ、そうでしたか」
「あの……」
私はつい、口を挟む。
「良かったら、お二人とも私のことは璃玖と呼んでください。どうもその巫女っていうのはしっくり来なくて。あ、敬称も抜きで」
ただの会社員なのに巫女とか言われると、なんだか身分詐称みたいで罪悪感があってね……それに特にズーイさん、私よりも年上っぽいし。
「そうですか? 巫…リクが、そうおっしゃるなら」
「リク、ですね。わかりました」
わりと柔軟に、ズーイさんもリュウも対応してくれた。
部屋に入ると、リュウは「俺は、続きの間かこの建物の周辺にいますので」と出ていった。
海につかった後の私は、部屋に付属のシャワールームを借りた。何でも、ここからさらに井戸を掘って真水を引いているそうで。
「ああ……そういえば結局、この世界から出る方法を聞けないまま、先生との話が終わっちゃったよ……」
後頭部にシャワーを受けながら、白い壁に手をついてガックリ。
最低あと一回は、愛海先生に会いに海上に行かないとならない。……大丈夫か私。
ため息をつきながら、用意されていたガーゼ地の浴衣みたいなものを着てシャワールームを出ると、心配したズーイさんが休むように勧めてくれた。例の恥ずかしいホタテベッドにちょっと横になる。
(ここのベッドって、みんなこの形なのかしら。ザンはともかく、あのワイルド系のリュウもホタテベッドで寝てんのかな……うわー似合わない……)
余計なことを考えていたら、さすがに疲れていたのか、あっと言う間に眠りに落ちてしまった。
はっ、と起き上がると、そこはやはりホタテベッドの上だった。しばらく眠ったせいか、頭がすっきりしている。
……夢オチはなし、か。
「昼寝なんて久しぶりにしたな。おなかすいた……」
窓に近寄り、海上を見上げる。遠い水面では、やはり陽光がキラキラしている。
なんか……時間の経過がわからないところだなぁ。私の体内時計の感覚では、そろそろ暗くなってきてもいいような気がするんだけど。
ノックの音がして、ズーイさんが顔を出す。
「お目覚めですか? そろそろ夕食をと思いまして」
「わあ、嬉しいです。あの、甘えてしまっていいんでしょうか」
ここへ来てから、色々とお世話になってしまってるよね。お話の中とはいえ。
するとズーイさんは私を安心させるように微笑み、
「何もお気になされないようにおもてなしせよと、神官の仰せです。ここは豊かなお城ですし、リクもお好きなように過ごして下さいね」
と言ってくれた。
……うーん、ありがたいけど、何だか警戒してしまう。本当に浦島太郎みたいになったらどうしよう。元の世界に戻ったら、ものすごい時間が経過してたりして。
やっぱりなるべく早く、元の世界に戻る方法を見つけなくちゃ。
「夕食ですが、神官と、神官のお父上お母上が、一緒にいかがかと……どうでしょうか」
ズーイさんが尋ねてきた。え、ザンのお父さんとお母さん?
ザンは愛海先生の弟がモデルなんだから……ザンのご両親はやっぱり、先生のご両親がモデルなのかな。それならきっと、フレンドリーな人だよね。
「はい、喜んで」
私はうなずいた。もしかしたら、色々と動き回ってるうちに、ここから出るヒントも見つかるかもしれない。
また渡り廊下をてくてく歩いて、あの金魚鉢ホールに向かう。……ネーミングがあんまりだな。せめて英語で『フィッシュボウル』とでも呼ぼうか。まんまだけど。
フィッシュボウルに到着してみると、真ん中に大きくて真っ白なテーブルが出してあった。まるでクラゲみたいな形をした柔らかそうなスツールがいくつか置いてあって、食事の用意がしてある。
キター! 舟盛り! やっぱり海の中だもん、魚がメインだよねぇ。それに、大皿にマグロのカブト焼きがどーんと乗っているし、七輪みたいなものが置いてあって網の上で貝が何種類もグツグツ言ってるし、色鮮やかな海藻麺とか海藻サラダがたっぷり。わんだほー。
鯛やヒラメは『舞い踊って』はいなかったけど、その辺の空間を色鮮やかな魚たちが時々通り過ぎて、フィッシュボウルを華やかにしていた。
「お魚は、どうやって穫ってくるんですか?」
ここの人は海には入れないんだよね? と思ってズーイさんに聞くと、
「生け簀があります」
せっかく海の中なのに、養殖ですか、はは。あ、でもブリとか、意外と天然モノより養殖モノの方が脂が乗ってて美味しかったりするよね。
ズーイさんの追加説明によると、網を使って天然ものも少しは穫るらしいです。
そこへ、ザンが入ってきた。
「こんばんは、リク」
「あ、こんばんは」
座りかけていた私は、一応立ち上がった。
「海上に行って、女神マーナの神託を受けたそうですね」
「ええ、まあ」
女神、酔っ払ってたけどね。
するとザンは頬笑みを浮かべたまま、こう言った。
「あまり勝手に動き回らないでくださいね。色々心配しますから」
あれ?
「あ……ごめんなさい」
反射的に謝ると、ザンは無邪気な笑みを深くして、
「いえ、でもお疲れさまでした。さすが巫女殿ですね。女神とはどんなお話を……あ、こちらが僕の両親です」
と、後ろから来た二人の方を向いた。
ザンの視線が逸れた時、私は自分の肩に力が入っていたのに気づいて、ゆっくり深呼吸をした。
……何だか、さっきの話し方……最初に会った時の印象とはちょっと違った、よね。また元に戻ったけど……。
ザンの両親は、想像通りのフレンドリーなおじさんおばさんだった。二人とも白髪交じりの長髪で、ふっくらした身体つきに陽気な身振り手振り。名前は、おじさんがシュリさんでおばさんがヤーエさん。
美味しい魚や、お酒も少し勧めてくれながら、この世界の豆知識を教えてくれたり、女神との会話を聞きたがったりするザンとその両親。私もどうにか差し障りのない範囲で受け答えをする。
私がザンの人柄を褒めたら女神が喜んでいた、と話すと、ザンは照れるしご両親は浮かれるし。
……理想の親子って、こんな感じかな。
でも私は、さっきのザンの「似合わない」もの言いが気になって、どこか上の空だった。
食事が終わると、シュリさんとヤーエさんは「楽しくて飲み過ぎてしまった」とニコニコしながら、先に退出していった。
「あ、じゃあ私も。ごちそうさまでした」
立ち上がると、ザンが「今、ズーイを呼びます」と言って、壁にくっついているひときわ大きな巻貝の所に行って何かしゃべった。へえ、あれもしかして伝声管とかインターホン的なもの?
私に向き直ったザンは、
「そろそろ『夜』の時間ですから、灯りを持って来させましょう。渡り廊下は暗くなりますから」
と言った。
今なら十分明るいけどな……?
思ったとたん、ふうっ、と当たりが薄暗くなった。フィッシュボウルのふちから下がった巻貝の灯りが、その照度を少し落としたのだ。
私があたりを見回しているとズーイさんが入ってきて、軽く膝を折るあいさつをした。
「それでは、おやすみなさい、リク。明日また、少しお会いする時間を下さい」
「はい……おやすみなさい」
私はとにかく返事をすると、ズーイさんの後に続いてフィッシュボウルを出た。
本当に渡り廊下は暗くなっていて、ところどころに巻貝の灯りが点っているだけ。その灯りも、さっきまでと違ってほんのりとしか光っていない。庭にも灯籠があったような気がするんだけど、それも今は点っておらず、魚たちやイソギンチャクの姿はかろうじて見えるものの色が沈みこんで見えた。
ズーイさんは手に巻貝の形をした燭台を持っていて、それで私の足元を照らしながら歩いてくれた。
上を見上げる。
相変わらず、水面では陽光がきらめいて、通り過ぎる魚がいくつもの影を落としている。
これが、『夜』? ラグーン城の照明を落としただけだよね。海上はまだ昼間じゃないの。
しかしとうとう、部屋に戻ってズーイさんが「それでは、おやすみなさいませ」と出て行っても、ホタテベッドに入ってしばらく窓の外をにらんでいても、海上が明るいのは変わらなかった。
この世界には、陽が沈んで月や星が出て…という、私の馴染んだ『夜』が、ないのだ。