5 登場人物のモデル
「がはぁ! ぜい、ぜい、ぜい」
ま、また気を失うかと思った!
強い陽射しが、濡れた身体に降ってくる。
海の真ん中だった。いつの間にか陸地は見えなくなっていて、私の乗ったウミガメだけがぽっかりと浮いている。
ざあっ、と音がして、飛沫をまばゆく反射させながら、すぐ目の前に愛海先生が現れた。昨日と同じ、白い髪にアクアマリンの瞳。水の上に立っているように見えるけど、水中に没した衣装の裾がヘビのような尻尾をおおっていることを、私はもう知っている。
「ま、まなみ、せんせい」
やっと息の整ってきた私に、愛海先生は歌うように言った。
「璃玖さん、私の世界にようこそー」
愛海先生――今は、この世界の創造主である女神マーナ――は、目を細めてほほえみながら、私の周りをゆっくりと回っている。白く長い衣装が、先生の動きをトレースして水中を揺らめく。
「ラグーン城はどうー?」
「あ、ええ、綺麗だし涼しいです……」
先生を目で追いながら、私は考える。
……ちょっと待って。先生、自分が亡くなってることには気づいてるのかな……? そこは一応触れないようにしよう。
あ、この「女神マーナ」だって、先生の創造の産物かもしれないのか。ああややこしい。
でも、いわゆる異世界トリップもののファンタジーだと、言葉が通じないパターンがあるけど、その点はラッキーだったと言わざるを得ないな。愛海先生が日本語で書いた世界だから、公用語が日本語だって点に置いては。
先生は機嫌よく笑っている。
「この世界はね、私が小学生の頃に思いついたのよー。ふふ」
「そうですか。それで、あの、どうして私はここにいるんでしょうか?」
先生は、ああ、と両手を合わせて、
「それはね、いざお話を書き始めたときに、ヒロインの女の子のモデルにしたからー」
「……誰を?」
「璃玖さんをー!」
……ちょっと待って(さっきからこればっかりだけど)。
まさか私も、今ここにいる私も、先生の創造の産物ってこと?
急に自分の存在が頼りないものに思え、めまいがした。太陽がジリジリと照りつけているのに、背筋がすうっと冷える。
「でも璃玖さん、私が書いたのと違うわねー」
先生が人差し指をあごに当てて、首を傾げる。美人がやると様になるポーズ。
「あ……そういえば、お話ではヒロインは小学校高学年くらいの女の子ですもんね」
私はやっと、自分を立て直した。
どうみても、今のこの私の身体は小学生のものではない。私は自分のピタT(?)からのぞく胸の谷間を見下ろした。あちらこちら、ちゃんと大人の女に育ってます、ええ。
「良かった、私はちゃんと二十六歳会社員の私だ……」
それでも、モデルになったという理由で、ヒロインと私が重なってしまって物語の中に入り込んでしまったのか。
ところで、さっきから気になるのは、先生の様子。いつもとちょっと違う。いちいち語尾をのばす、このしゃべり方。
以前にも、先生がこのしゃべり方をしているところを見たことがある。
「先生……もしかして、酔ってます?」
ちなみに、エッセイストの先生がよくエッセイのテーマにするのは、「お酒と美味しいつまみ」だ。
先生は両手を頬に当てて、うふふ、と微笑んだ。
「え、わかるー? だってさっきまで気持ちよく飲んでたんだものー」
……そうだ。確か先生が亡くなったのは、作家仲間と飲んだ帰りに乗ったタクシーが、深夜の首都高で玉突き事故に巻き込まれたから。
私はなんと答えていいかわからなくなった。
「そうそう、璃玖さん、ザンと会ったー?」
先生が私の顔をのぞき込むようにした。
「あ、はい。すごくフレンドリーな神官さんですね」
私が答えると、先生はますます機嫌良さそうに微笑んだ。
「そうでしょー、彼にもモデルがいるのよー」
「え、そうなんですか? まさか、担当の倉本とかじゃないですよね」
私は、どっかで飲み明かした翌朝に出社した、酒臭くて無精ヒゲちょぼちょぼの「くらッシュ」を思い浮かべた。似てねえ似てねえ。
「違う違うー。私の弟ー」
弟さん?
「先生、弟さんいらしたんでがぼがぼごぼぼぼ」
いきなり、今までおとなしくしていたウミガメくんが沈降を開始して、私は水中に没した。
わ、悪かった、悪かったわよ、ずっと私みたいな重いの乗っけたまま浮いててくれたんだものね!
でもお願い、沈むときは予告してえええ!
甲羅にしがみつきながら、ゴボゴボと昇っていく気泡を見上げると、海上で愛海先生がにっこりと手を振るのが見えた。
息も絶え絶えに、私は海中のラグーン城に戻ってきた。
先生に会いに行くたびにこれって、身体がもちませんがな!
甲羅から庭にすべり落ちた私を置いて、ウミガメは海中を泳ぎ去っていく。私はそれを見送り、思わずその場に突っ伏した。つ、疲れた……。
「巫女殿! 大丈夫ですか?」
誰かが駆け寄ってきて、私の横にひざをついた。
「あ、だ、だいじょび…」
ちょっぴり噛みつつ顔を上げる。
あ。もろタイプ。
そこにいたのは、がっしりとした身体をザンと同じような衣装に包んだ、ちょっと強面の男性だった。紺色の髪は短く刈り込んであり、額に複雑な文様の入ったハチマキのようなものを巻いている。
「立てますか?」
大きな手が差し出され、反射的に自分の手を預けると、そっと引き起こしてくれた。
「あっ、ありがとうございます」
うわー、私ワイルド系に弱いんだよねぇ、どうしよコレ。一年ちょっと前に別れた彼氏もこういうタイプでさ。
……ああ、このキャラクターにもモデルがいたりしてね、先生の元カレとか。
そう考えたら、サクッと冷めた。熱しにくいし冷めやすい、あまり恋愛には向いてない私。
「俺はリュウと言います。ズーイと同じく、巫女殿のご用を果たすために存在します。何か男手が必要な時は、何でも言って下さい」
リュウは片膝をつき、きっちりと一度頭を下げると、また立ち上がった。
「お疲れのようですね、部屋までお送りします。やはり、女神の神託を受けるには、尋常ではないエネルギーがいるのですね」
そうね。肺活量という名のエネルギーがね。