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イマジネーション・ラグーン  作者: 遊森謡子
その後のふたり
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6 for my sweet 後編

 次に目を開いた時、視界は青く染まっていた。コポコポという小さな音とともに、気泡が上へと上がって行く。ぼんやりした明るさの中を、魚の群れが横切った。

 身体を起こしてみると、青い光に満ちた円形の部屋。そこは、懐かしいラグーン城――私がフィッシュボウルと呼んでいた、あの天井のないホールだった。


「璃玖さん」

 声がかかって振り向くと、愛海先生が奥の段差に腰かけて笑っていた。白いサリーのような服が青く染まり、裾がゆらゆらと揺れて、まるで人魚姫のしっぽみたい。ん? しっぽじゃなくてヒレか。

「先生、お久しぶりです!」

 私は嬉しくなって駆け寄った。うわ、気がついたら私も、あの露出の多いピタTと巻きスカートの格好になってるぅ。もう巫女じゃないってば。

「会えて嬉しいわ。でも、こんなところに来て大丈夫?」

 愛海先生はくっきりとした美貌を少し曇らせて、隣に座った私を心配そうに見た。何だか、この世界の住人になったせいか『女神度』が上がってるような気がする。

「鷹さんにバレたら怒られるから、出張中の時を狙って内緒で来ちゃいました。きっと、彼が帰って来たら連れ戻してくれると思います」

 言うと、あらあら、と愛海先生は苦笑した。

「ここまで来ちゃうなんて、よほど強く願ったのね。何か私に、聞きたいことがあるんでしょう?」

 私はうなずいて、話し始めた。

「聞いて頂けますか? 私、今、鷹さんと暮らしていて……」


◇  ◇  ◇


「鷹さんは子どものころの辛かったことをほとんど匂わせないし、時々過去の話をしてくれるけどそれだって淡々としていて。私の親や弟家族ともっと知り合いたいって言って、時々一緒にご飯食べてくれたりもして、積極的に関わってくれます」

 私は鷹さんとの生活で感じたことを、先生に話した。

「それで、じゃあ私にできることって何だろう……って考えてしまって。もっと鷹さんに過去をさらけ出して頼って欲しい気もするし、でもいざそうなった時に私なんかに受け止めきれるのかと思ったら、そんな自信もなくて。……本当は、鷹さんのお父さんにも会ってみたい」

「父に?」

 愛海先生が、軽く首を傾げる。

「はい。……一緒に暮らすことになった時、鷹さんはきちんとうちの親にあいさつしてくれたんです。『フリーの仕事をしてはいますが、璃玖に迷惑をかけるつもりはありません、見ていて下さい』って。でも私の方は、鷹さんのお父さんにあいさつどころか、会ってすらいない。探すには、鷹さんの親戚をあたったりして、彼の過去に触れることになる……それは鷹さんが望まない気がして」

 私から見ると、鷹さんはもう過去を振り切っているように見えるのだ。

「私は、親と子が断絶状態にあるのを見ると、これじゃいけないんじゃないかっていう気がしてしまうんです。でも、そんな考え方は、何の不自由もなく大人になった者の傲慢なのかな? 私、どんな風にとらえたらいいんでしょう」


 先生は優しくうなずいた。

「親子が仲良しなら、それはとてもいいことよね。でも……父は、母と離婚した時に、『幼い子どもは足手まとい』という子どもにはどうしようもない理由で、鷹を捨てた人。そんな存在にすがりつくよりも幸せになる道を、鷹はもう見つけている。そうでしょ?」

 私を指さして、一つウィンク。ああ、先生のウィンク久しぶりだな。

「だから璃玖さんにも、前だけを見て欲しいと私は思うわ。時々、弟の過去が顔を覗かせても、それを笑って蹴っ飛ばして欲しい。璃玖さんはそういう強さがあると思う……そこに弟は惹かれて、安心してそばにいられるんじゃないかな」


 鷹さんは、自分が私を「引きずり込む」んじゃないかと心配していた。それなら私にできることは、引きずり込まれないこと。ううん、もっと積極的に、私の方に引きずり込んじゃえばいいんだ。

 心が決まった。私は先生に笑いかけた。

「ありがとうございました! よし、やっちゃうぞ」

「あら、何を?」

 先生が言った時、フィッシュボウルに射しこむ光が少し強くなった。

「ほら、弟が呼んでるわ」

 見上げた愛海先生の視線を追って顔を上げると、青い光がだんだん白く明るくなってきた。あの、頭の芯が痺れるような感じが再び沸き起こる。

「先生っ、あと少しだけ!」

 私はとっさに、先生の手を握った。先生の姿が、まるで涙に滲むようにぼやける。

「お父さんの代わりに、お姉さんに聞いて欲しいんです!」

「はいはい、なぁに?」

「弟さんを、私に下さい……っ」

 朦朧としながら言うと、先生の笑い声が遠くから聞こえてきた。

「父の代わりに、一発ぶん殴ったらいいのかしら?」


「…………ぷっ」

 思わず噴き出したとたん、低い声が降って来た。

「こら」

 はっ、と目を開くと、鷹さんの顔が真上にあった。

 びっくりして起き上がると、いつものマンションの部屋だった。カーテンが開いたままの窓はもう真っ暗で、部屋には煌々と明かりがついている。鷹さんはソファの背もたれ越しに、私の顔を覗き込んでいた。

 やっぱり鷹さんの存在が、こちらへ引き戻してくれた。嬉しくなって、えへへ、と鷹さんに笑いかける。

「何を楽しい夢見て笑ってるんだ。やっぱりお前、全然寂しくなかったんだろう」

 少しムスッとした顔をしてるのは、演技? 私は立ち上がった。

「お帰りなさい! 会社から急いで帰って、ずっと待ってたんですよ。ちょっとウトウトしちゃったけど」

 すると鷹さんは、真面目な顔になって言った。

「……何か隠してないか?」

 す、鋭い。でも、心配をかけたくない私は受け流す。

「何でそんなこと言うんですか、隠し事なんかないのに。すぐ夕飯にしますから、シャワー浴びて来て、ね?」

 いぶかしげな顔をしながら鷹さんがお風呂場に消えると、私は急いでクッションの下から地図を取り出して、チェストの上の封筒の中に戻した。証拠、隠滅。


 冷蔵庫に仕込んであった鶏肉と野菜の南蛮漬けを出して切り、後は春雨のスープで簡単に夕食にする。私が山梨の様子を尋ね、鷹さんが答えてくれるんだけど、私はこの後で鷹さんに話そうと思っていることを頭の片隅でずっと考えていて、少し上の空だったかもしれない。

 鷹さんがお箸を置いたタイミングで、切り出した。

「あの……お話があるんですけど」

 彼は唇を引き結んで私を見つめ返してから、言った。

「……何」

 あれ? 何だか圧迫感を感じる。

「な、何でそんなに構えてるんですか」

「久しぶりに会った恋人が隠し事してて、話があるって言われて、ビビらない男がいるか?」

 まさか別れ話だと思ってる!?

 彼にまた孤独を味あわせるなんて、一瞬でもしたくない。私は大急ぎで口にした。


「『宮代 鷹』になってくれませんかっ」


 鷹さん、固まった。

「…………何だって?」

「一緒に暮らし始めた時」

 私は一気に言った。

「私を『こっち』に引きずり込みたくない、って言いましたよね。だから、私の方に引きずり込みたいと思って。宮代ワールドに。け、結婚して下さい」

 そして私はハッとした。

「あっ……プロポーズなのに指輪忘れた……」

 いや、ないものは仕方がない。それより鷹さんは何て答えるだろう。

 

 鷹さんが吹き出した。

「ぶっ……くくっ……は、はっ」

「鷹さん。私は真面目です」

 テーブルに両手を置いて言うと、彼は「悪い」と不意に立ち上がってチェストの方へ行った。そして、愛海先生の写真の後ろからあの封筒を手に取った。

「あっ……ごめんなさい、黙ってて」

 ラグーンの世界に一人で入ったことがバレたのだ。あせって先に謝ると、鷹さんは封筒の後ろから何かを手に取り、封筒はまた元の位置に戻してから振り返った。

「『黙ってて』? ……あ。さてはお前の隠し事って……それでこれがポストに入ってたのか」

 テーブルに戻って来た鷹さんがトンと指を置いたのは、宅配便の不在票。

「今日の十九時半に荷物が来た時に不在。それなのに『ずっと待ってた』って言うから何を秘密にしてるのかと思ったら、また先生の所に行ってたんだな」

 あー! しまった、そういえばワインを送ったって電話で言ってたっけ! 抜かった。

「えっと、ちょっと先生に相談があって……」

 服の裾をもじもじやりながら鷹さんをうかがうと、彼はホッとため息をついた。

「相談した結果、俺にプロポーズしてくれたんなら、まあ……今回は見逃す」

 そして、静かに言った。

「ずっと、迷ってたんだ」

 

 迷って……そっか……結婚しようって気にはなってなかったんだ。私は下を向くと、無理矢理笑った。

「そ、ですか。ごめんなさい、プロポーズは忘れて下さい」

「いや違うって。お前とのことを迷ってたんじゃない」

 あわてたように彼が言うので顔を上げると、彼はチェストの上から持ってきたものを机の上に置いた。

 小さな箱だった。中身を予想することのできる大きさ。私の身長だと、あんなところにそんなものが置いてあったなんて気づかなかった。

 鷹さんの手が伸びて、私の手を取った。

「倉本、っていう名字は、父方の祖母の名字だ。俺のことを『仕方なく』引き取った人の名字。俺が『仕方なく』名乗っていた名字」

 鷹さんが、箱を開ける。

「そんな名前、お前に名乗らせたくなかった。でもそうすると、プロポーズって難しいんだよな。『結婚してくれ』って言うのはともかくとして、『俺を宮代 鷹にしてくれ』って言うのもなんだか決まらないし。いい言い回しはないものかと迷ってるうちに、先を越された」

 今度は私が笑う番だった。そんなことで悩んでたの?

「でも、指輪は俺の担当」

 私の左手の薬指に、シンプルなデザインの細いリングがすべり込んだ。リングの中央で、澄んだ輝きが光を弾いた。


 宅配便の荷物は受け取れなかったけど、鷹さんが今日買ったというワインを一本持ち帰っていた。彼がコルクを抜くのを待ちながら、ソファに座って指輪のはまった自分の手を眺めていると、

「ほれ」

と入れ物を手渡された。

「え、何ですか? これ」

 手の中には、持ち手のついた燭台のような形の銀色の杯が光っていた。足はなく、深さは三センチもない。

「タートヴァン、っていうそうだ。ワインのきき酒に使うもの。これを使って試飲できる場所が、山梨の勝沼にあるんだ」

 鷹さんがワインをそこに注ぐと、杯の底に作られたいくつもの凹凸が光を反射して、ワインの赤が鮮やかに映えた。

「きれい!」

 色を楽しんでから、そっと口をつける。今まで飲んだどんなワインよりも、美味しい気がした。

「物のお土産も嬉しいけど、こういう……雰囲気を持ち帰ってくれて、嬉しい」

 華やかな香りに包まれてうっとりしながら鷹さんを見ると、ソファの隣に座った彼はタートヴァンを持った私の手に自分の手を添え、一口含んだ。

「うん、美味い。そういえば……」

 彼は宙に視線を浮かべる。

「ワインと食事の組み合わせのことを、マリアージュって言うだろ。あれはフランス語で『結婚』っていう意味だけど、元々は理想的な結婚生活みたいに『お互いを一層高め合う』っていう意味だって、聞いたな」

 私はもう一口飲んでから、鷹さんの肩に頭をのせて言った。

「それをプロポーズにすれば良かったのに」

 うっ、と彼が黙る。私は思わず笑った。

「もー、鷹さんはツメが甘いんだから。あ、甘いと言えばワインと甘いものって意外と合うんですよね。信玄餅は?」

「もちろん買ってきたけど……明日にしないか」

 スイーツを後回しにするなんて珍しい……と思ったら、あごを持ち上げられて、唇が柔らかく重なった。

 私はそれに応えながら、そっと手を伸ばしてタートヴァンをローテーブルに置くと、彼の身体に腕をまわした。

 そう、確かめてもらわなきゃ……私がここ数日、どんなに寂しかったか。それに、これからも一緒にいられると知って、どんなに嬉しいか。

 

 その夜は、お菓子なしでも、十分に甘い夜だった。


◇  ◇  ◇


 それから、二年の月日が流れた。


「うっそ、あれ在庫かなりあるでしょ? わかった、どうせヒマだからこれから手伝いに行くわ。うん、うん。大丈夫。じゃあ後でね」

 電話を切ると、私は鷹さんの部屋に行った。開け放してあるドアから中をのぞくと、彼は机でノートパソコンとにらめっこしている。


 最近私と鷹さんは、仕事の関係ですてきな児童文学作家さんと知り合った。そこで、二人で相談して、あのラグーンの物語を児童文学として出版できないかと申し出てみたのだ。元々あの物語は、愛海先生の作った大元の設定だと小学校高学年の女の子の冒険ファンタジーだから、その形で世に出せたら素晴らしいと思ったから。

 その結果、なんと鷹さんが原作者として名を連ねることになった。彼は予想外だったみたいで、四苦八苦しながら取り組んでいる。でも、あれは彼の物語でもあるから、私は自然なことだと思う。

 まあ、『宮代 鷹』――宮代の名前が載ると思うと、照れちゃうけどね!


「鷹さん、ちょっと朝霞の倉庫まで出かけてきます」

「倉庫!? 何で!」

 ノートパソコンの前で、鷹さんがパッと振り向いた。

「ほら、法律の改正に合わせて、うちの本も内容を修正しなきゃいけないやつがあるって話したでしょ。修正シールの貼り付け作業、人手がいるから手伝ってきます」

「何で璃玖まで。やっと産休に入ったと思ったら、まだ仕事するつもりか? そんなお腹で」

「シール貼るくらい、お腹大きくてもできるもん」

 九ヶ月に入ったお腹をポンと叩くと、鷹さんは苦笑して立ち上がった。

「仕事人間の『みやッシュ』め。わかった、俺も送りがてら手伝う。ちょうど煮詰まったところだ」

 一緒にマンションの外に出ると、梅雨の晴れ間の日差しが降って来る。昔は夏は苦手だったけど、あの夏からは大好きな季節になった。


 私たちの初めての子どもは、どうやら女の子らしい。海の似合う、眩しい季節に生まれてくる。



【for my sweet 完】

「その後のふたり」はこれにて完結です。読んで下さってありがとうございました!

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