表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
イマジネーション・ラグーン  作者: 遊森謡子
その後のふたり
31/38

2 千の想いをかさねて

倉本視点です。最初だけシリアス、後はゆっくり会話をしましょう。

 会社を出ると、高層ビルの合間の狭い空はすでに真っ暗だった。明るい地下道に潜り、彼女との待ち合わせ場所へ向かう。――少し遅くなってしまった。


 ちょうど帰宅時間の地下道には、仕事帰りの人々があふれていた。朝は駅からこちらへ人々を運んでいた動く歩道も、今は駅方面へゆったりと動いている。

 この、人の流れに乗る時間が、俺は嫌いではなかった。働く場所も内容も違う人々の間に漂う、奇妙な連帯感が。

 そして、ただ流れに乗っていればいいこの時間は、自分の内面に思いをはせる時間でもあった。


◇  ◇  ◇


 割合、自分は淡々とした性格だと思う。いや、そういう性格を自ら形成してきた。


 両親が離婚したころのことは、あまり覚えていない。両親の顔さえも、記憶の彼方だ。それが幼かったためなのか、心理的な自己防衛のためなのかも、今となってはよくわからない。


 物心ついた頃には、父方の親戚の間を転々とする日々を送っていた。そんな環境では、感情の振れ幅が大きいとろくなことがない。お荷物に思われて、また別の場所へ行かされるだけだ。そのことに早めに気づく程度には、俺は老成していた。

 犯罪に走る若者のニュースを見るたび、あれも一種の情熱なのかな、と冷めた頭で考えた。


 周りに干渉されずにさっさと一人立ちするため、勉強に没頭した。写真家をやっている(らしい)父親から、俺の口座に気まぐれに送金されてくる金と、奨学金とアルバイト料があれば、国公立の大学の授業料はこと足りるからだ。


 いざ一人立ちしてみれば、生きるのがずっと楽になった。学生の頃のように、家庭環境と社会的な評価がイコールではない生活。誰も、俺の過去や親戚のことなど、深く詮索するものなどいない。

 逆に俺も、他人には深く干渉しないのが普通になっていた。仲のいい友人もできたが、お互いの家の行き来などはしない。女性も似たようなものだ。来る者は拒まず、去るものは追わず。

 子どもの頃とは違い、少しは(常識の範囲で)思うままに行動してもかまわない状況になったけれど、常に一歩引く癖がついていた。欲しいと思うものに遠慮をする必要もなかったが、いざそうできるようになってみれば、どうしても欲しいと思えるようなものもなかった。

 そういうところが、他人には『さばさばした性格』と取られているようだ。プラスの感情もマイナスの感情も長続きさせない、執着心のない性格なだけなのだが。


 そんな俺が初めて、表面だけでなくもっと深く知りたい、手に入れたいと思ったのが、彼女だった。


◇  ◇  ◇


 新宿駅の東口側に出ると、スタジオアルタ前は人でごった返していた。やはりここを待ち合わせ場所にしなくてよかった、こんな場所に彼女一人を待たせたらすぐに変な輩が寄ってくる。

 指定した銀行の方へ歩く。そこの前に彼女はいるはずだ。

 別世界から取り戻して、やっと振り向かせた彼女。早足になる。


 璃玖は銀行の壁にもたれ、誰か知らない男と隣合わせで話をしていた。

 ごく普通のスーツ姿……誰かに似ているな、と思ってすぐに、その誰かが浮かんだ。あの海底の城の、リュウだ。


 璃玖はすぐにこちらに気づき、にこりと微笑んだ。その笑みに何も陰りがなかったので、俺は密かに安心する。きっと、あの男はただの知り合いなのだろう。

 彼女はその男に向き直り、二人は一言二言交わした。そして彼女がこちらに小走りにやってくる後ろで、男はこちらに軽く会釈をしてからその場を離れていった。俺も会釈を返した。


 俺の腕の届くところに来た璃玖は、はにかんだ笑みを浮かべた。

 会社にいる時はアップにしている胸までの髪を、今は下ろしている。天然のウェーブヘアが、なめらかな頬を縁取って揺れる。

「知り合い?」

 軽く尋ねると、璃玖はさらりと答えた。


「あ、元カレです」


 おい。


「あっちもこの辺で、誰かと待ち合わせですって」

「……彼女と?」

「さあ、聞きませんでした。行きましょう」

 いつもと全く変わらないドライな彼女につられ、並んで歩き出す。


 黙っていると大人しそうなのに、たまにこう、サクッと切りこまれるんだよな。


 彼女をちらちらと見ていると、やがて目が合った。最近やっと、『俺の』目を見てくれるようになった。

 名前の通りの黒く澄んだ瞳が、俺の表情を読んだ。そして、隠さずに話してくれる。

「あっちが転勤する時に、別れたんです。結婚してついて行くって選択肢もあったんでしょうけど、向こうも言いださなかったし、こっちもそのつもりが全然なかったし」

「……」

「さっき彼に会っても、誰と待ち合わせなのかとか全然興味がわかなかったな。私、執着心がないみたいで」

 俺と同じ自分評。どきりとする。

 しかし、彼女は前を向いて歩きながら、すぐにこう続けた。

「……今までは、ですけど」

 また視線が合ったが、今度はすぐにそらされた。照れているらしい。


 もしも、自分が璃玖の前の(・・)恋人だったとして。

 さっきのように璃玖と話している時に、今の恋人が来たら……と想像してみた。

 あんな風に会釈できるか?


 無理だな絶対。視線で殺して奪い返す。


「……俺もだな」

「え?」

「いや。璃玖との付き合いは、今までとは違う、ってこと。だいたいさっきのあいつもあんな風にこっちに会釈とかできる程度の気持ちで璃玖を彼女にしてたとか一体どういう」

(よう)さんみたいな顔の人に睨まれたら、会釈くらいしちゃいますよ」


 ……悪かったな悪人面で。


 俺の名前を呼んだ彼女は、表情こそ変えなかったものの、ふんわりと頬を染めていた。肌が白いので――そういえば泳げないと言っていたから、焼くこともあまりないのだろう――赤くなるとすぐにわかる。


「そんな顔してると、誰かに偶然会っても言い逃れできないぞ」

 頬に触りたい気持ちを抑えて、言った。

「『倉本主任と偶然会って、仕事の話を聞いてもらってたんですー』って?」

 彼女はちょっと笑った後で、上目遣いになって何かを思い出すような表情をした。

「あー……吉沢さんと上田さんには、バレても大丈夫じゃないかな」

 同じ書籍部の、璃玖の先輩社員の二人だ。

「何で?」

 聞き返した俺は、すぐに自分でその理由に思い当たった。

「……え? あの二人?」

「たぶん」

 璃玖がうなずく。

「だって、吉沢さんがメール打つと、その直後に上田さんが携帯見てるから。そうじゃないかなって思ってたら、まあ色々と」

 小悪魔な笑み。俺のみぞおちのあたりで、何かがざわめく。


 俺はヤレヤレという表情を作った。

「お前さ。そういうことには気づいてるくせに、何で俺がお前のこと好きなのには気づかなかったわけ?」

「んがっく」

 昔のサ○エさんみたいな声を上げた璃玖は、すぐに反撃に転じた。

「倉本主任だって。私がフリーなの、ずうっと気づかなかったくせに」

「ごふっ」

 

 双方、相討ち。


「ま、でもね、本当に気をつけなきゃいけないのは静岡に行く時だと思うんです」

 彼女が話を戻す。

「小彩が……あ、えーと、社内恋愛の経験がある友達なんですけど。会社の近くより、離れた場所で二人でいるのを見つかった時の方が、言い逃れができないって」

「ま、そうだろうな。先生の墓参りって言うのも、二人きりの理由としては弱いし……変装でもするか?」

 俺の返事にまた笑った璃玖は、少し沈黙してから、こう言った。


「あのプラン、イキにしてもいいですか?」


 『イキ』というのは、いったん行った訂正を取り消して元の状態を生かす、という意味の校正用語だ。うちの部署では普段の会話でも使う。

「あのプラン?」

 俺が聞き返すと、彼女はまっすぐ見つめ返してきた。

「静岡でお泊まり」


「……おう」

 わけのわからない返事をすると、彼女は真面目な表情で言った。

「長い時間一緒にいればいるほど、お互いのことが良く見えるってもんですよね。私、鷹さんのこともっと知りたいし、鷹さんにも私のこと知って欲しいと思って。いいですか?」


「決まってる。すぐに宿を取るよ。……別に、今日俺んちに泊まりに来てもいいんだけど?」

 低くささやくと、璃玖は瞳をきらりと(くるめ)かせて、

「あ、明日予定があるからダメ」

だそうだ。相変わらずドライな奴。彼女は続ける。

「スポーツジムに通うことにしたんです。泳げるようになりたくて!」

 まあ、あの世界で泳げなくて苦労したもんな。

「そうか。頑張れ」

 ……そして俺と会う時間はさらに減っていくわけだな。などと子どもじみたわがままは言わないが。


 気がついたら、過去や、日々の仕事で凝っていた俺の中の部分がほぐれ、気持ちがくつろいでいた。

 こうして日々、会話を交わすたび、俺と彼女の空気が少しずつ溶けあっていく。千の言葉、千の触れ合いが、居心地のいい空間を作っていく。


 俺は軽く彼女の肩を叩いた。

「とにかく、軽く夕食済ませよう。その後、お前のお勧めのケーキ屋に連れてってくれるんだろ?」

 彼女は手首を上げ、細いシルバーのブレスレット風の腕時計に目をやった。

「あっそうそう。夜十時までだから急がなきゃ」


 そうして俺たちは夕食後、ルミネエストの『HARBS』で、ディナーフォークがケーキ用フォークに見えるほどでかいフルーツミルクレープを堪能した。

 食べながら俺が、

「そう言えばさっきの彼、リュウに似てたな」

と言ったら、璃玖がフォークを取り落としていたが、今俺は気分が良いので、そこは突っ込まないでいてやろう。




【千の想いをかさねて 終】


Mille crêpes【ミルクレープ】…「千枚のクレープ」

二人が重ねて行く千の想いの間には、どんだけ甘々なものがはさまってるんでしょうねぇ。


『イキ』の他に『トルツメ』なども、普段の生活で使える校正用語♪ それと、ちょっぴり別の物語とリンクしてみました(^m^)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ