1 spices & sweets 後編
うわあ、倉本主任、似合わない!
私は、黙々とフルーツタルトを平らげている強面の彼の顔と、女子率の高いスタイリッシュな店内を見比べた。
コムサストア内の、『カフェ・コムサ』。初めて来ました。
こんな時間なのに結構混んでる……意外と夜のスイーツって需要あるのね。
まるで時計店か宝石店のような形のガラスケースは、周りをぐるりと見て回れるようになっていて、大きなケーキやフルーツてんこ盛りのタルトがずらり。
ここ、普通のカフェよりもケーキ一切れが格段に大きいんだ。
「……意外なお店をご存じですね」
聞いてみると、
「前に、先生……姉に聞いたことがあって。でかいケーキが食えるって」
そ、そうなんだ。
「そういえば、くらッシュって甘いもの好きだった……」
今さらながら思い返してみると、会社の誰かが旅行とか行ってお土産にお菓子を買ってくると、手を伸ばすのが早かったような。姉弟そろって、お酒も甘いものもいける両刀なのね。
「ここに来るなら、お前と一緒にかな、と思ってな」
重々しく言う彼に、私は淡々と突っ込む。
「ていうか、女子と一緒じゃないと来にくいですよねこういうとこ」
「……」
私はガトーショコラを一口食べてから、店内をゆっくりと見回した。
そして、空いている席に愛海先生が座って、フルーツタルトをほおばってニコニコしているところを思い描いた。
「一緒に来たかったですね」
倉本主任も同じことを考えていたのか、すぐに答えた。
「そうだな」
しばらく黙って、向かい合わせでケーキをつついた。
食べ終わった頃、倉本主任が言った。
「送る。石神井公園だっけ」
「え、でも主任確か――」
どこに住んでるんだっけ。
「成増」
はい、そうでした。
本当に私、今まで倉本主任のこと意識しないでいたんだな。今日だけで、というかこの数時間だけで、くらッシュトリビアが増えた気がする。
「石神井まで来ちゃうと帰るの大変でしょう?」
「そんなに遠くない。バスあるしな」
そう言うと、彼はニヤリとした。
「家に上げろとか言わないから」
私も、さらに反論を重ねることはしなかった。今日くらいはもう少し一緒に、戻ってきたこちらの世界を歩きたかったから。
たぶん、倉本主任も同じ気持ちでいるのだろうと思うと、嬉しかった。
混み合う西武線の車内で、ドアの横あたりに並んで立つ。時々ぽつぽつと言葉を交わす。
でも、電車が揺れて身体が触れ合っても、夜の窓ガラスに私たちの姿が反射するのが目に入っても、私は倉本主任と視線を合わせないようにしていた。
彼の視線を感じながら。
私の家は、駅からそれほど遠くない住宅街の中だ。すぐにアパートの下までたどり着いた。四階立てのわりと新しい建物で、一応オートロックはついてるし、落ち着いた焦茶色の外壁が気に入っている。
「ここです。……ありがとうございました」
軽く頭を下げた。
街灯が、足下に二人分の影を作っている。遠くから、電車の走る音がかすかに響いて来る。
倉本主任は少し黙っていたけれど、軽く身を屈めて私の顔をのぞき込み、淡々と言った。
「あの世界で、俺と『めでたしめでたし』って、迷惑だったか?」
「いいえっ」
私は即座に、首をぶんぶんと横に振った。
それは違う。絶対に違う。
「じゃ、何で今日ずっと、こっちを見ないんだ」
「ううう、それは」
ああ、やっぱバレてた。彼の瞳を見られないでいたこと。
主任の両手が私の頬をはさんで、強制的に見上げさせられる。まともに視線がぶつかって、私はうろたえた。
まずい。まずいまずいまずい。心臓爆発しそう。
「お前の瞳を見たいって、あっちでも言っただろ」
「ちょ、ちょっとタンマ」
タンマって古いわ!
彼はいったんは手を離してくれたけど、その両手をゆっくりと私の腰に回して引き寄せた。
「『巫女は処女が基本』とかいうセリフを平気で言い放ってたくせに……何でこんなに、身体固くしてるんだ?」
大きな手が、背中を優しくなでる。
私は倉本主任の肩に額を押し当てて、下を向いてじっとしていた。これが、彼の匂い。
「タンマ終わり。こっち見ろ、璃玖」
低い声が、身体に直接響いてくる。
「ええと、白状しますとですね。み、見つめられると」
「ん?」
「二人分の視線を感じる気がして、緊張するんです!」
ああ言っちゃった。バカみたい。恥ずかしい。
一瞬の間の後で、倉本主任は喉の奥でくつくつと笑い出した。
「意外な弊害だな。それで今日、視線そらしまくってたのか」
「……そーです。話してるうちに慣れると思ったのに」
だってまだ、記憶が生々しすぎて。ザンの優しい笑顔が浮かぶんだもの。
って同一人物なんですけどね! わかってるんだけど!
倉本主任の手が、今度は髪に触れる。
「急に切り替えるのは無理だよな。ごめん。……それなら、俺が嫌なんじゃないんだな?」
嫌、どころか。
私は、そっと彼の背中に手を回すと、ぼそっと言った。
「助けてもらって、惚れました」
急に、彼の右手が頭を抱き込むように回され、大きな手のひらが私の両目を一度に塞いだ。視界が遮られる。
「!」
くっ、と上を向かされ、唇を奪われた。
あの世界の、光の中のキスとは違うリアルな感触に、身体が震える。
でも、強引なのはそこまでで、繰り返されるそれは優しかった。
目を塞いでいた手が外され、唇にささやきが降る。
「俺はずっと惚れてたよ」
自分のことを、『熱しにくく冷めやすい』って評価していたけど……今確かに、心のずっと奥で何かが揺さぶり起こされるのを感じた。
それは、あの世界からこちらに持ち帰ってきた、大事なもの。
まともに視線が合ってしまい、私はあわてて腕を突っ張って、彼から離れた。
目隠しキスとか! 殺す気ですか!
「と、とりあえずこの程度から。お弁当とか。ゆっくりとその辺からのおつきあいでお願いしますっ」
上司と社内恋愛なんて、私の手に負えるんだろうか。ホント、徐々に慣らせていただかないと。
「不満を感じないでもないが、まあいいか」
倉本主任は、もう何もしないという意思表示のように、両手を組んだ。
「じゃあ、別の話。今度、姉の納骨が済んだら、一緒に墓参りに行かないか」
「あ……」
私はやっと気を取り直し、うなずいた。
「私も行きたいと思ってました。行きます」
墓前で、お礼を言いたいな。今までのことも、あの世界でのことも。先生、あちらで楽しく過ごしてるかしら。
成仏してないのに、墓前に行って意味があるのか、というアレはナシの方向で。
「せっかくだから、宿も取るか」
「……え? 宿?」
「わざわざ静岡まで行くんだし」
そーだったー! お墓、静岡!
「日帰りだって行けますっ。それ全然『別の話』じゃないし!」
動揺する私に、倉本主任はまた軽く声を上げて笑った。
そして、もう一度身を屈めて軽いキスを落とし、言った。
「弁当も嬉しいけど、俺こういう甘いもの好きだから」
ぐはっ。そのセリフが甘いです!
彼は片手を上げ、一歩下がった。私が中に入るのを、見届けてくれるみたい。
「……おやすみなさい」
私は彼の視線を背中に感じながら、ほてる顔を隠すようにアパートの中に逃げ込んだ。
くう、何だか向こうのペースで悔しい!
そうだ、業務連絡用に倉本主任の携帯のメルアドは知ってるんだよね。なんか色々と負けたくない気がするので、あとでメールしてやろうっと。
「おやすみなさい、鷹さん」
ってね。
【spices & sweets おわり】




