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イマジネーション・ラグーン  作者: 遊森謡子
その後のふたり
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1 spices & sweets 前編

実在の場所が出てきますが、ちょっと記憶が古くて(^^;) おかしい所があったらこっそり教えて下さい!

「いたのか」

「わっ」

 振り向いたら、給湯室の入り口に、家に帰ったはずの倉本主任が立っていた。

 髭も服も、こざっぱりとしている。腕まくりしたワイシャツにズボンだけ、ネクタイもなしという軽装だ。

「璃……宮代も帰ったかと思った」

「倉本主任こそ、どうしてまた会社に」

 すでに、ラグーンから帰った月曜日の夕方になっている。もう宵の口といっていい時間。


 今朝こちらの世界に戻った後、疲れて眠りこんでしまった倉本主任を無理矢理たたき起こした私は、彼を会社から追い出した。こんな状態で仕事なんて、絶対無理でしょうこの人。病欠病欠。

 私もいったん会社を出てから、会社に『通院による遅刻』ってことにして電話を入れ、大急ぎで帰宅してシャワー浴びて着替え、昼にもう一度出社した。さすがに週始めから休むのは、下っ端としては抵抗があるしさ。

 それに、倉本主任と同時に休んで色々勘ぐられたくないしね!


「休めましたか?」

 聞いてみると、倉本主任は片手を首にやって、こきっと鳴らした。

「気がついたら、山手線二周してた」

 あああ。家まで保たなかったのね。

「まあでも、家に帰って寝なおしたけどな。そっちは?」

「私は……」


 言いかけた時、足音がして、帰り支度をした先輩社員が通りかかった。

「あれ、倉本主任。具合どうですか」

「寝て食ったら回復した」

 まあ、病気じゃないものね。

 流し台に向き直った私は、背中で二人の話を聞きながら、洗いかけだったカップを洗う。

「ちょっとやること思い出してな」

「そうですか、でもお大事に」

「あ、お疲れさまでーす」

 私も首をひねって、声をかける。うーす、とか何とか言いながら、廊下を去っていく足音が聞こえた。


「璃玖」

 呼ばれて反対側を振り向くと、目の前にワイシャツの胸元。顔を上げたらもうそこに、倉本主任の瞳があった。

 近いよーうわー近いよー。何なのこの、オフィスラブっぽい雰囲気。

 お、オフィスラブ?

 自分の思いついた単語に内心動揺して、視線をそらす。彼の手が伸びて……。

 ぐに。

「……いひゃいれす」

「いや、お前がちゃんとここにいるか、ちょっと確認」

 倉本主任は私の頬から手を離すと、つねったところを親指で軽くなでた。


 もしかして、それを確認するために、わざわざ?


 あの世界から戻ったばかりで、精神が高揚した状態だった私は、疲れも感じずに今日の仕事をこなし終えていた。校正用紙に赤を入れ、写真を貸し出す会社に問い合わせをし、書店からの発注をまとめて倉庫会社に指示を出す。

 ほかの社員さんたちももちろんいつも通りで、誰も私と倉本主任があんなことになっていたなんて知らない。

 まるで、ここ数日の出来事が、夢の中の出来事のようだった。でも……。


「今ので、夢じゃなかったんだ、って実感しましたよ」

 頬をおさえて恨みがましく言うと、彼はふっと表情をゆるめて言った。

「夕飯、食いに行こう」


 新宿駅西口の地下道を、駅方面へ並んで歩く。動く歩道もあるけど、私は自分のペースで歩く方が好きだった。

「そういえば、やっとお腹が空いてきました」

 私はお腹を押さえた。

「あの世界に酔ったっていうか、なんだか食欲なかったんです」

「昼、何も食ってないのか?」

「ゼリー飲料みたいなものしか」

 私は肩をすくめた。

「ラグーン世界の食事、見事に魚介類と海草ばっかりで、最後の方はちょっときつかったんですよねぇ」

「今頃は先生が……姉が、たぶんぶち切れて改革してるんじゃないか? あの人、グルメだから」

「『設定が甘かったわ!』とか言って? 砂地で何か栽培始めてるかもしれませんね。ラッキョウとか」

 適当なことを言ったら、倉本主任は軽く声を上げて笑った。

 主任が笑ってるとこ、久しぶりに見た気がする。

「何?」

 視線が合って、私はさりげなく前を向いた。もうバスロータリーが近い。

「いえ。そうだ、カレー! カレー食べたいです! 米と肉!」


 というわけで東口側まで抜け、アルタ近くにある中村屋本店に入って、インドカリーを注文した。

 食器の音や人のざわめき、食べ物の香りが、やっぱり海の底とは違った雰囲気で私を包む。

「おいひー」

 運ばれてきた熱々を、口に運ぶ。スパイスの香りが鼻に抜ける。

 これこれ、これよ、米と肉。これが食べたかったの。ああ幸せ! 戻ってきたーって感じ!


「倉本主任は? 今日はちゃんと食べましたか?」

 グレイビーボートからカレーをすくいつつ、倉本主任に聞く。夕飯食いに行こうって言ったくせに、コーヒーしか頼んでない。

「さっき地元駅で立ち食いそば食ってきた」

 ふーん。

「いつもそんな食生活なんですか?」

「うん……いや……」

「ご飯作ってくれるような人、いないんですか」

 すぱっと聞いてみると、にらまれた。元々顔が怖いので、にらむとさらに怖い。


 倉本主任はぐっと身体を乗り出して、私に顔を近づけると、地を這うような低い声で言った。

「いなくて悪かったな。だいたい、お前とあんな濃密な体験をした男に、そういうこと聞くか?」

「ちょ、言い方がエロいですよ倉本主任」

 私は自分の目が、どこぞの魚のように泳ぐのを意識しながら、続けた。

「ご飯、作る人いないなら、今回助けていただいたお礼に……」

「作りに来てくれるのか?」

「お弁当作ってきましょうか」

「なんだ……」

「あ、いらないですか」

「いる」

 了解です。思わず笑ってしまう口元に、スプーンを運ぶ。


「……お前こそどうなんだ」

「んん?」

「書籍部に異動してきたときは、確か彼氏いたよな」

 何でそれ知ってるの。まあいいけど。

「情報古いですねぇ。もう一年以上フリーですよ私」

「いち……!?」

 倉本主任はカップを口に運ぶ手をとめて、私を見た。私はまた、すいっと視線をそらす。

「何だ、それならさっさと……ちっ」

 何をぶつぶつ言って舌打ちしてるんですか、ヨウちゃん。

 私はまた、笑いそうになった。


 どっちが払うかでひとしきりもめ、上司権限を振りかざされておごってもらうことになった。ごちそうさまです。

 二階にあったレストランを出て階段を降り、ビルの外に出る。

 新宿駅の東口側に来たら、いつもは紀伊国屋書店にまっしぐらな私だけど、今日は家に帰って少しはゆっくり休まなきゃね。でも……。

 隣のフルーツ専門店『高野』は、もう店仕舞いしていた。ショーウィンドーにディスプレイされたカラフルなフルーツを、見るともなしに眺めていると、倉本主任が言った。

「もう一軒つき合え」

 え。

「主任、私ちょっと今日は、飲めるほどの元気は残ってないです」

「いや、別腹の方」

「へ?」

グレイビーボート…カレーを入れる、魔法のランプみたいな形をした入れ物。

ちなみに中村屋は「カレー」じゃなくて「カリー」です。ボルシチも美味しいです。あーお腹がすいてきた。

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