エピローグ
「…く。璃玖!」
「はいっ!」
ガバッと起きあがると、おでこが何かにガツンとぶつかった。
「ぐほっ!」
「あだっ! ……っえ!? 倉本主任!?」
目の前にいるのは、顎を押さえて涙目になっている倉本主任。うわ、無精ヒゲぼーぼー。
会社だった。
ちっとも砂だらけになんかなっていない、いつもの書籍部の部屋。
ブラインドの隙間から明るい朝の光が差し込み、床に縞模様を作っている。私はその床の上に座りこんでいた。
「戻った……!」
私は自分の身体を眺めまわした。服装も、あのピタTと巻きスカートの格好から、シャツとスカートに戻っている。そばには社内用のミュールが転がっている。
ハッとして、私は倉本主任の胸倉をつかんで引っ張り寄せた。
「うおっ、何だっ」
あわてる彼の瞳をのぞきこむ。
黒い瞳……。
「ザン、は?」
「いるよ。もう、俺の一部だ」
主任は静かに言う。そうだけど……。
「あっ、お話は!?」
急いで見まわすと、床の上に真っ白な表紙の本が落ちていた。
手を伸ばして、そっと本を手に取る。
そのとたん、本はさらりと崩れて、砂になってこぼれ落ちた。
「あ……」
がっくりして肩を落としていると、倉本主任の手がそっと髪を撫でた。
「先生、言ってたじゃないか。俺とお前が覚えていれば、世界は続くって」
「ん……」
顔を上げる。一瞬、彼の瞳が他の色に反射したような気がした。
髪を撫でる手に、懐かしいような切ないような、不思議な感覚がした。
至近距離で見つめ合う。
「倉本主任……」
「璃玖」
「歴史上の人物のヨウザンって、誰ですか」
がくっ、と倉本主任の頭が落ちる。
「おま……山形の誇り、上杉鷹山公を知らんのか」
「ご、ごめんなさい知りません世界史選択だったし」
「あ、そ……今度ゆっくり説明してやる……」
倉本主任の声がだんだんスローになって、頭が傾いだ。
そのまま前のめりになって……。
頭が、私の膝の上に落ちた。
「わ、ちょ、くらっシュ!?」
「もうダメ……寝かせて……結局この三日、ほとんど寝てない……」
「今っていつ!?」
「………月曜の……あさ……?」
次に聞こえたのは、深い寝息だった。
「寝ちゃった……」
私の膝枕で眠る、倉本主任のコワモテの顔。
今までマジマジと見たことなんてなかったけど、確かに口元にちょっとだけ、愛海先生の――ザンの面影があった。
「……ありがとう」
私はそっと、倉本主任のあごのあたりの無精ヒゲを、指先でなでた。
私がラグーン城で、ザンを表面しか見ないようにしていたように、今までは上司としてしか見た事のなかった、倉本主任。
私を助けに飛び込んできてくれた彼を、もっと知りたいな、と思った。
床の上の小さな砂の山を眺め、私はラグーン城に思いをはせた。
何か、名前をつけてあげたいな、と思う。もう私と倉本主任の心の中にしか残っていない、この物語に。
弟思いの少女のイマジネーションの海に生まれた、珊瑚のお城の物語に……。
あれ? さっき、今日は月曜だって言った?
くるっと壁掛け時計を振り向くと、時刻は八時過ぎ。
やばいよ、もうちょっとしたら、ほかの社員さんが出勤してくるんじゃ!? その時こんな姿を見られたら!
今さらながら、キスした人を膝枕しているというこの状況に動揺した私は、熱くなる頬に気づかないふりをしながら倉本主任を揺さぶった。
「倉本主任! ここじゃまずいですって、応接室のソファで寝てくださいよ。ねえ、くらっシュ! タカさん! じゃなかった、ヨウちゃんってば!」
【イマジネーション・ラグーン 完】
読んでいただいて、ありがとうございました!