4 二人きりの結婚式
ドクン、と心臓が大きく一つ鳴って、頭の中と胸の中が熱くなった。
「……どうして? 結婚式、みんなの前で、するんじゃないの?」
私はそう聞いた。早く決着がつくことを望んでいたけど、急な展開にひるんでしまう。
「うん、みんなの前でもするけど。二人きりでもやりたいんだ」
ザンは静かな声で言った。そして、また天井を見上げる。
「女神マーナの、見届けの元で」
はっとして顔を上げると、愛海先生の真っ白な姿が、塔の周りをゆっくりと回っていた。白い泡と、長い尾を引いた愛海先生は、窓から私たちを見て不思議そうな顔をしている。
「だめかな?」
そう尋ねてくるザンと、海の中の愛海先生は、こうやって見比べると本当に似ていた。
性格も少し似ている気がするな……乙女なところがある点とか。二人きりで結婚式、だなんて。
「……いいよ」
私はうなずいた。
今、倉本主任がこちらの世界にいないなら、ちょうどいい。
物語を、終わらせよう。
水面の波模様が、部屋の壁や床に映って揺れている。ザンや、私の身体にも映って、揺れている。
まるで自分たちが水に溶けているような、不思議な浮遊感がある。
「私、こちらの結婚式がどんな風なのか知らないの。教えて?」
私が尋ねると、ザンは微笑んだ。
「特に決まった形式はないよ。女神の名の元に、自分が誓いたいことを述べるんだ」
そして、彼は私を見つめると、きっとずっと考えていたのであろう言葉を、口にした。
「僕は、たとえ別の世界に生まれたもの同士でも、いつどこにいても……リクを愛することを誓います」
それを聞いたら、私は声が出なくなってしまった。
もしかしたら、私の知らないプロポーズの言葉は、これだったのかもしれない。そう思うと、この世界に来て初めて、涙がこぼれた。
ザンは、たぶん私の言葉を少し待っていたのだろうけれど、やがて私の額に自分の額を当ててささやいた。
「それから、誓いのキス……」
涙に曇る瞳をまばたきでクリアにして、私はザンの海の色の瞳の中に、倉本主任の色を探した。
ザンが言った。
「彼なら、今はいないよ。僕だけを見て、リク」
私はハッとしたけれど、思わずちょっと微笑んでしまった。
さすがだね。気づいてたんだ、もう一人の自分に。
いつから? どのくらい知ってるの?
でも、聞く必要はなかった。もう二重人格もおしまいだから。
物語のヒーローとヒロインは、結婚式を挙げる。誓いのキスをして――エンドマーク。
「これで、『めでたしめでたし』だね……」
私はつぶやくと、ザンの顔を見上げて目を閉じた。ザンの両手が、私の頬を包むのがわかる。
吐息が、唇にふわりとかかって……。
ぐに。
「また説教されたいようだな?」
「い、いひゃいいひゃいいひゃい!」
頬の肉を思い切り左右に引っ張られて、私はまた涙目になってしまった。まばたきをすると、ザンの瞳が黒く染まっているのが見える。
倉本主任!
「ひどいっ、結婚式の誓いのキスでこれって、軽くトラウマですよっ。あっほら、愛海先生ボー然」
「うるさい。何が『めでたし』だ、それで物語を終わらせようと考えてたのか。また一人で勝手に突っ走りやがって」
頬を押さえる私の前で、ザン――倉本主任は仁王立ちで腕を組んでいる。
「だって、早くしないと倉本主任まで元の世界に戻れなくなると思って……それにこうやってお話を終わらせれば、私だってもしかしたら帰れるかもしれないし?」
ぼそぼそと言い訳をすると、倉本主任は強い力で私の腕をつかんだ。
「俺のためを思ってくれるなら、ギリギリまで俺を信じて待ってくれ。もし失敗に終わってたら、お前を失うところだ。冗談じゃない」
「でもっ」
「とにかく! 俺は戻って来たんだから手短に話を進めるぞ」
倉本主任は強引に話の主導権を奪い取ると、こう言った。
「いいな、ザン」
そのとたん、彼の瞳にまた、海の色が満ちた。
「ごめん、リク」
ザン!?
「タカのいない間に、君と二人の時間を少しでも持ちたかったんだけど……まさか、君が結婚式で物語を終わらせようとしてるとは思ってなかったんだ」
「ザンなの? 主任、ザンとお互いに『話』をしてたんですか!?」
私が混乱していると、彼の瞳は再び黒く光った。
「ややこしいから俺が説明する。昨日の『夜』に、俺は全部ザンにぶちまけたんだ」
倉本主任が衝撃の事実を述べる。
そ、それで昨日の『夜』は、なかなかフィッシュボウルに現れなかったの?
「だからザンは知ってる。ここが物語の世界であること、俺と璃玖は物語の外から来た存在であること。そして……」
彼は一度言葉を切ると、あたりをぐるりと見まわした。窓の外で、愛海先生が首をかしげながら浮かんでいるのを見る。
「……巫女が女神と話をするのが目的なんだから、この塔ってどこかが外とつながるはずだよな? え、伝声管もあるのか? どこ?」
ぶつぶつ言ってるのは、ザンと会話してるんだろうか。変な感じ。
螺旋階段の近くの窓に、貝殻の模様のステンドグラスみたいになった部分があった。倉本主任はそこに近寄ると、愛海先生に向かって手招きをした。
先生が顔に疑問符をいっぱい浮かべながら、すいっと近寄って来る。彼はステンドグラスに向かって語りかけた。
「先生、聞こえますか」
先生はうなずいている。あの模様の部分を通すと、声が聞こえるの……?
「俺です、倉本です」
窓の向こうで、先生が頬に両手を当てて口を開けるのが見えた。「えーっ!?」って叫ぶのが聞こえそう。うん、そりゃ、驚きますよね。
「先生、弟さんのことを『ヨウちゃん』って呼んでたのに、弟さんをモデルにした神官に『ザン』と名前をつけたのはなぜか、覚えてますか」
先生は首をかしげている。な、なんとなくつけたんじゃないの?
「覚えてないか。親戚がよってたかって、情報を隠蔽してたみたいだからな……」
彼はつぶやくと、もう一度声を大きくして、こう言った。
「弟さんの名前。『ヨウザン』って言うんじゃないですか」
女神が、ハッと目を見開くのが見えた。
急に、天井の向こうの水面が暗くなった。
波が大きくうねり、塔がゆらゆらと揺れる。彼がこちらへ手を伸ばし、私は彼の胸に飛び込むようにしてつかまった。
やがて揺れがおさまってきて、あたりを見回した私は息を呑んだ。
ガラス越しに、澄んだ満月が見える。
海の上に、本物の、夜が来ていた。