3 真夜中の彼
ほとんど衣装合わせだけで午前中が過ぎ、午後になってから私はザンに会いに行った。彼は今日もフィッシュボウルにいた。
「こんにちは、ザン」
ザンはこちらを見て、優しい微笑みを浮かべた。
「リク」
そばに行くと、彼は黙って私の腰に手を回した。軽く引き寄せて、そのままじっとしている。
ザン、ちょっと元気がない。
そんなの当たり前か……彼だって複雑な気持ちでいるんだ。私が女神の世界に帰ってしまうかもしれないと思いつつ、私と結婚しようとしている。
やがて、彼は私の身体を離すと言った。
「さっき、ナキから連絡があったんだ。今日で、ひとまず塔の工事が終わるって」
「え、完成?」
「いや、海の上に出る一歩手前だって。その部分は、セレモニーの時にみんなの目の前で完成させて、みんなで海の上の世界を見ようって」
「そう……」
ついに、あの塔もできあがるんだね。
「最終確認や資材の片付けに数日あれば、後は……」
ザンが口をつぐむ。
私は先を引き取った。
「じゃ、五日後くらい? 一週間後くらいかな? 結婚式」
「……ねえ、リク」
「何?」
「いや」
何か言おうとしたザンは、黙ってもう一度私を抱き寄せると、私の髪に頬を寄せた。
ザンと別れた後、私はもう一度ウミガメくんを探して背中に乗せてもらうと、海の上に行った。
「愛海先生―」
きらめく太陽の下、波に揺られながら呼ぶと、女神マーナの白い姿がまばゆく光りながら現れる。
「はーい、璃玖さーん」
「こんにちは。あと数日で、塔の完成セレモニーだそうですよ」
「ホント! 楽しみだわー。あのう……結婚式もー?」
先生……両手の人差し指をつんつん突き合わせてもじもじポーズって、美人だからって何でも許されるとでも……とでも……許されるよねーもちろん! くはぁ、下を向いて上目遣いってたまらん!
「今の所、やる方向ですよ」
悶えてる場合じゃない。私は表面上は冷静に、先生に伝えた。
ある意味、その日が来れば何らかの決着がつくんだと思うと、早くその日が来てほしいんだ、私は。
「ねえ先生、弟さんのことなんですけど。もう本当にずーっと、連絡が取れてないってことなんですか?」
私が聞いてみると、先生はしょんぼりした様子でうなずいた。
「そうなのー。私が高校生の時に母が亡くなったから、その時に弟の引き取られた先を転々と探して行って、連絡を取ろうとはしたのよ。でもことごとく親戚に邪魔されてー。……きっと、弟の分の遺産が目当てだったのねー」
う、うわあ。先生、実はかなり波乱万丈の人生をくぐりぬけていらした?
「あ、じゃあ、ラグーン城の中にあるお社って……」
「そう、母のためのものよー」
そうだったのか。一度は、死んだ私を祀ったものかと思っちゃったのよね。
◇ ◇ ◇
その日の真夜中も、私はフィッシュボウルに行ってみた。
でも、倉本主任の言った通り、彼は来ていなかった。弟さんのことを調べるのに、時間がかかってるんだろう。
がらんとしたその場所で、しばらく待ってみたけど、何も変化がない。私はため息をひとつついて、自分の部屋に戻ろうとした。
「リク」
後ろから、声がした。
振り向くと、青い空間に、ザンの姿があった。こちらへ近づいて来る。
「あっ、ど、どうでしたか……」
言いかけて、私ははっと口をつぐんだ。この歩き方、表情……。
倉本主任じゃない。ザンの方だ。
「どっ、どうでしたかじゃなかった、どうしたの、ザン……こんな夜中に」
変なごまかし方はこの際しょうがない。だいたい「こんな夜中にどうしたの」って、私の方がどうした、だよね、こんな場所で。
「リク」
青と緑の混じった瞳のザンは、もう一度私の名前を呼ぶと、ここにいる理由を聞くこともなく、私の右手を取った。
とても、静かな表情だった。
「……外に出ない? 塔を、見に行こう」
テラスから降り、砂地にふわりと着地する。
ザンは、抱き上げていた私をそっと降ろして、また手をつないで歩きだした。私は黙って、彼の後について行く。
人気のない街の中、ポツンポツンとわずかに点る灯籠が、ドーム状の家々を照らす。時々、小さな魚の群れがわきをすり抜けて行く。
街を抜けると、後は海上からのわずかな光に頼って進んだ。途中でちょっと振り向くと、黒々とした海藻の森の間に、街の明かりが星のように光っていた。
イ・ハイ山の山道は、工事の人が何度も通ったのかとても歩きやすくて、山頂の塔まではあっという間だった。
白いねじれキャンディのような塔の入口は、ドアもなくアーチが曲線を描いている。
中に入ると、そこは学校の教室二つ分くらいの広さの、円形のホールになっていた。ホールの中央に、私よりも大きな巻貝が一つ鎮座していて、貝殻を透かして明かりが点っている。
見上げると、塔の内側には螺旋階段がぐるぐると貼りついていて、最上階まで中央は吹き抜けになっている。天辺には、白い天井が見えていた。
ザンは私を見て、ちょっと微笑みかけると、手を引いて螺旋階段を上りだした。
長い螺旋階段もそれなりに大変だったけど、ウミガメくんに乗って呼吸を止めたまま海の上まで行くよりは楽で、多少息切れはしたものの塔の最上階に着いた。
ここには床があって、仮に作られたのか天井はガラス張りになっている。水面に近いため、水を透かして入ってきた陽光が、部屋を明るく照らしていた。
壁には縦長の窓がいくつもあって、海をカラフルな魚が泳いでいるのが見える。
「まだ、この上に作るんだけどね……今のところは、ここが最上階」
ザンがやっと口を開いた。
並んで天井を眺めていると、ザンの左手が私の右手を、ぎゅっと握った。
彼を見ると、彼もこちらを向く。
「リク。今夜、二人だけで結婚式をしない?」