9 心残り
翌朝の朝食後、私はズーイに貝殻インターホン(?)の使い方を聞いて、ザンに連絡をした。倉本主任に言った通り、とりあえず今朝は顔を合わせないようにしたかったので、こうやって簡単に女神のご神託を受けてくることを伝える。
ザンもこれから用事があるらしくて、特に突っ込まれずにほっとしたよ。
自分の部屋を出てすぐの所でウミガメくんを呼んでみたけど、来なかった。
お、倉本主任、ちゃんと私の言ったことを聞いて少し仮眠を取ってるのかも。よしよし。
フィッシュボウルの外壁を一人で登って、上からあたりを見回してみたら、城の裏手の方でウミガメくんを見つけることができた。
今までに比べたら面倒だけど、大した労力でもない。私はもう一度フィッシュボウルを降りて、ウミガメくんのいた方に向かった。
その途中、渡り廊下で呼びかけられた。
「巫女殿、おはようございます。ちょうど良かった」
町長のナキさん(実は一年ぶり)が、微笑みながら歩み寄ってくる。
な、なんかこの人、迫力増したなー。やっぱりちょっと疲れてそうな感じはあるけど、眼光鋭いというか。塔の建設プロジェクトに燃えてるのかしら。
「おはようございます、どうしたんですか」
「塔の完成も間近になったのですが、女神マーナにはお変わりありませんか」
「ええ、全然お変わりありません」
相変わらず酔っ払ってるような感じだしね。あの酔いって、いつ覚めるんだろ。
「塔ができあがるの、女神さまも楽しみにされてるようですよ」
付け加えると、ナキさんは「それなら良かった」とうなずいて続けた。
「実は、完成セレモニーの時に、巫女殿に女神の降臨をお願いしていただきたくて」
「……?」
「つまり、塔の頂上のあたりに、女神においでいただけないかと思っているのです。もしかしたら、我々にも女神の声が聞こえるかもしれない」
ああ……そっか。
今までは、ここの人たちは海中にいる女神マーナしか見た事がないのよね。で、愛海先生は海中ではしゃべらないから、声も聞いたことがない。
でも今度は、塔が海の上の空気中につき出すことになる。空気中にいる愛海先生が何か言えば、塔の中にもそれが聞こえるかもしれないんだ。なるほどなるほど。
「それじゃあ、女神さまに申し上げてみますね」
「ぜひお願いします。……待ち遠しいですね?」
ナキさんは、ちょっと意味ありげな笑みを浮かべた。
えーと、つまり完成セレモニーと結婚式が同時だから、結婚式が待ち遠しいでしょ、っていう冷やかしですか?
「ええ……」
私はちょっと視線をそらして、はにかんで見せた。
それどころじゃないんだけどね! ホントはね!
◇ ◇ ◇
愛海先生は、もともと大きな目をさらにまんまるく見開いて両手を口にあてた。そんなポーズも、相変わらずお美しい。
「ザンと、璃玖さんが、婚約――っ!?」
「なんか、そんなことになっちゃってて。すみません」
海の上。今日もさんさんと日差しが降り注ぎ、空は高く海は光り輝いている。
私はウミガメくんの背につかまった状態で波に揺られながら、ちょっとうなだれていた。
「アリでしょ!」
思わずといった調子で言い放った愛海先生は、でもすぐにあわてて私の顔を覗き込む。
「あっ、でも、璃玖さんはもちろん嫌なのよねー?」
「嫌っていうか……そりゃあ、ザンはすごく素敵な人ですよ。通常の状態だったら、よろめいちゃいますよ私。通常だったらの話ですけど。残念ですねぇ」
私はちょっと目をそらした。
外見で言えば好みとは違うタイプなんだけど、あんなイケメンに「大切にする」なんて言われて、よろめかない方が……無理でしょ。
すると愛海先生は、「くぅーっ」とか言いながら両手をこぶしにすると、こう言った。
「あーっ、いつか現実で弟と璃玖さんが出会ったらいいなぁ! そしたら本当に恋に落ちて、結婚しちゃうかもしれないわよねー?」
「……はい?」
今、なんと?
「先生……あの、失礼ですけど、弟さんって亡くなったんですよね?」
「えー? やだ、死んでないと思うわよ、たぶんー」
たぶん、死んでない?
「ちょ、待って下さい。夜の海が、弟さんとの最後の思い出だっておっしゃってましたよね? それにザンは、弟さんが大人になってたらこんな感じだろうっていう、願望だって」
愛海先生はウンウンとうなずいて、
「そうなのー。両親の離婚がきっかけで、子どものころに別々の家に引き取られて以来、弟とは会ってないのよー」
な、な、な、なんですと―――!?
確かに先生、死んだとはハッキリ言ってないっ。だってそんなこと普通ハッキリ言わないものだし。
私、勘違いしてたのか!!
「両親が離婚した頃、私はもう小学生だったから『自分のことは自分でできる』ってみなされたんだけど、弟は小さすぎて……」
先生はいったん言葉を切って、目を伏せた。
「……とにかく、両親のどちらも弟を引き取らなかったの。それで、親戚の家を転々と……きっと辛い思いをしたと思うわ。だから私、ラグーン城ではせめて、って思って……」
……ああ、それで、シュリさんとヤーエさんのキャラクターができあがったのか。
理想の養父、養母である二人。ザンが幸せであるように。
「ね、璃玖さん」
先生は微笑んで私を見た。
「もし、私の書いたこのファンタジーが出版されて、弟の目に触れたら、私のことに気がつくかもしれないわよねー? 子どものころに話したことを覚えてれば、だけどね? そしたら連絡がくるかしらー?」
愛海先生はトロンとした瞳で、遠い水平線を眺めた。
「それだけが、私の心残り……なの……。あれ?」
先生は瞬きをして、私を見た。
「心残り……?」
「あ、ね、先生先生!」
私は背筋がぞくりとして、反射的に話しかけた。
「下の街の町長さんに、頼まれたことがあるんですよ。塔ができあがったら――」
ナキさんに頼まれたことを先生に伝えながら、私は自分の心臓がドクンドクンと脈打つのを聞いていた。
今、先生、自分が死んでいることに気づきかけた?
物語が完結しないうちにそれを知ったら、どうなってしまうんだろう。そこで物語は中断するのかな? その時、私は?
私がこちらに閉じ込められるのはともかく、せめて倉本主任が『こちらにいない』ってわかってる時じゃないと、彼がこちらに『残って』しまいそうで怖い。
「わかったわ、『結婚式の時に』塔の上あたりに行けばいいのねー。璃玖さんが呼んでくれれば、いつでも行けるわよー!」
親指を立てる愛海先生は、いつも通りの笑顔に戻っている。
「『完成セレモニーの時に』、ですからね! 結婚はどうにか回避したいんですってばっ」
私は念を押した。倉本主任が読むことを意識して。
とにかく今は、私の思いつきを実行できるように、物語を持って行きたい。元の世界に戻れるかどうかは五分五分だけど……。
決戦は、『結婚式』の日。
これにて第二章終了、次話から最終章です。
色々と予想して下さってる方(いらしたら嬉しい♪)にとってもハラハラドキドキの展開にしたいな! できるか!?