3 街からの客人
翌朝の朝食はしっかりいただきました。昨夜はほとんど食べてないからね。ズーイさんも私の食べっぷりを見て喜んでた。
食事の後に部屋を出ると、ドアのすぐ外にリュウが直立不動で立っていた。
「おはようございます、リク。具合はいかがですか」
微妙にリュウの視線がぶれるのは、照れてるんですかねコレ。ワイルド系の顔なのに、意外とウブだなー。
「おはようございます。もうすっかり大丈夫! フィ……じゃない、あのホールまで行ってきますね」
「お供しましょうか?」
「一人で大丈夫です」
「あ……そう、そうですよね。失礼しました」
軽く頭を下げるリュウ。はは、ザンと二人きりで会うんだと思ってるんですな。気を遣わせてごめんね。
渡り廊下をいくつも渡りながら、昨夜の出来事を反芻する。
愛海先生には、先生が亡くなっていることを話していない私。そしてザン以下、この世界の住人には、ここが未完の小説の世界なのだということを話していない私。話すとこの世界がどうなってしまうのか、わからないためだ。
この二つのことを隠したまま、倉本主任と会って自由に話すためには、やはり神官と巫女が恋仲で、しかもその関係を隠しているという設定がベストだと、改めて思う。
だってザンは、自分が夜中に倉本主任として私と会ってたことを知らない。そんなザンに、誰かが「巫女どのとイイ仲になっちゃったみたいじゃないすか~」なーんて突っ込んだら困る。でも、そんな人はいないでしょ? 神官様なんだし。
あ、シュリさんヤーエさんだけは突っ込むかもしれないな。あのお二人にはできれば知られたくない。リュウが黙っててくれるといいんだけど……まあ、口は堅そうだけどね。
フィッシュボウルの入り口の手前まで来て、中から人の話し声がすることに気づいた。ザンと……誰だろう? 聞き覚えのない男性の声。
出直そうかと迷っていると、後ろから給仕の女性がトレイに飲み物のグラスを載せてやってきた。
「巫女さま、おはようございます」
「おはようございます。お客様?」
こちらの話し声が聞こえたらしい。
「リク!」
中から呼ばれて覗き込むと、ザンが駆け寄って来るところだった。
うは、男性が自分に向かって駆け寄って来るところって、ちょっとキュンと来るね。
「昨日、体調を崩したと聞いて……もう大丈夫なんですか?」
私の前で急停止したザンは、顔色を確認しているのか、長身を少しかがめて覗き込むように私を見た。
「平気平気、全然大丈夫です! 昨日はちょっと、ええっと……女神さまと長く話し過ぎて、っていうか。でももう回復したから」
自分が死んでるんじゃないかと思って落ち込んだけど、もう倉本主任と話して落ち着いたから……なんて、説明できないわな。
「本当に大丈夫ですか? 今日は海上には出ないで、ゆっくり休んで下さい」
きっぱりと言われてしまった。ああ……愛海先生に会いに行って来るよーって言いに来たのに、禁止されてしまったわ。仕方ない、様子を見てからにしよう。
「わかった」
私はザンの顔を見返しながら言った。
青と緑のまじりあった瞳……昨夜はこの瞳が黒く光って、違う表情を持っていた。倉本主任の表情。
ザンは愛海先生に似て、少し女性的と言ってもいい綺麗な顔をしている。でも、身体つきは細身ながらも筋肉質で、男性以外の何物でもない。
一方の倉本主任は、ザンとは逆に顔が怖いんだよね。夜に自転車で走っていて、警察官の職務質問(「その自転車、あなたのですか?」)に引っかかったこと数回、と聞いたことがあるけど、さもありなんという感じ。ま、まあ、よく言えば、キケンなかほり?
彼女がいるのかどうかは知らないけど、何となく女の人にも警戒されそうだなー。気さくな、いい上司なんだけどね。
今はザンとして私の前にいる彼だけど、会社ではそんな倉本主任がザンの中から私を見ているのかな? 自分のデスクであの怖い顔をして、右手に赤ペン、左手に地図を持って?
想像したら可笑しくなって、思わずザンの瞳を見つめたまま頬を緩めてしまった。
「リク……?」
ザンの瞳が戸惑ったように揺れて、私ははっとした。
いかんいかん、わけもわからず笑いかけられても困るよね。気をつけなきゃ。
「お客様でしょ?」
聞くと、我に返ったようにザンはうなずいた。
「ええ。リクもどうぞ」
「?」
うながされて中に入ると、フィッシュボウルの中央に大きなテーブルが出ていて、そこに男性が一人立っていた。
第一印象は、『ベテランの漁師さん』。見た目は四十代後半くらい、短く刈り込んだ髪によく陽に焼けた肌、貫頭衣からのぞく腕は隆々と盛り上がっている。濃いタイプのハンサムなおじさまだったけど、少し疲れたような目元が印象的だった。
「街の代表をつとめておられる、ナキ殿です」
紹介されて、あいさつをした。ごつごつした手と握手する。ナキさんね。
「リクが現れた話を聞いて、ちょっと面白い提案をしに来てくれたんですよ」
「巫女どののことは、街でもずいぶん噂になっていますよ。女神マーナに会いに、海上に行かれているそうですね。ずいぶん苦労されているとか」
ナキさん――つまり町長さん? はそう言うと、テーブルの上に広げられた紙を私に示した。
「これは、ラグーン城を中心とした地図です。ここに載っている範囲は、私たちが住むことのできる場所です」
地図。最近聞いたばかりの単語に、私は身を乗り出した。
それは、絵地図のようなものだった。いわゆる地図記号の入った地図じゃなくて、お城の位置にはお城の絵が描いてあるし、街も小さなドーム状の家をたくさん連ねて描いてある。
街の周りには、昨日テラスから見たような海草の森、海流の河などが描き込まれていて、さらに街を挟んでお城の反対側に、山がいくつか描いてあった。
「山がある……」
私がつぶやくと、ザンが横でうなずいた。
「昨日はあまり視界が良くなくて、見えにくかったかもしれませんね。昔の海底火山のあとです」
「この中央の、イ・ハイ山が一番高いのですが」
ナキさんが、その山の絵を指さす。
「この頂上に、塔を建ててはいかがかと、今ザン殿に提案していたところです」