2 半分だけトリップ
すると、倉本主任はため息をついた。
「まあ、順番に行こう。浮かび上がる文字を追っていて、宮代がどういうわけか「中」にいるのがわかった。信じられなかったけど、目の前で怪現象が起こってるんだから信じざるを得ない。それで、宮代をこっちに戻せないかと思ったんだ」
主任の話は続く。
私を連れ戻そうと考えているうちに、浮かび上がる文字による小説は、私がフィッシュボウルでザンと初めて会話した後の場面にさしかかった。部屋に戻る途中、元の世界に帰るためには先生に会いに行かないと……と思っていた場面だ。
その時、私は「かめ?」とつぶやいたのだけど、その台詞を倉本主任が見た。そして私が、カメに乗って海の上に行けないかと考えていることに気づいた。
とっさに、倉本主任は、自分のデスクの赤ペンを手に取ると、先生の文字の続きに割り込むようにして、こう書き入れた。
『ウミガメがやってきた』
「えええ!? じゃあ、あのときやたらタイミング良くカメが現れたのは、倉本主任が赤入れしたからってこと!?」
「そうなるな。小説はそのまま、カメが来たものとして進んだ。宮代が自分からカメに乗ったせいかな」
倉本主任は飄々と続ける。
「で、女神に会えればこっちに戻ってこれるかと思ったんだが。まあ、そううまくは行かなかったな」
倉本主任の言葉に、私は答える。
「だって、先生が、自分が亡くなったことにはっきり気づいてないし……酔ってるし」
「ともかくだ。それで、こっちに戻る次の手を俺が必死で考えようとしてるのに、宮代……お前はのんきにメシ食ってるわ、巫女としてこの世界を豊かにするとか言ってるわ。『勝手に動くな』と言ったのに」
それを聞いて、私は失礼ながら思わず、人差指を彼につきつけた。
「あーっ! ザンがいきなり『勝手に動くな』なんて言い出したの、あれ主任が書いた台詞なんだ!」
「数年のつきあいだが、宮代の性格はだいたいわかってるつもりだからな。何かやらかしそうだと思って釘をさした」
当たり前みたいな顔をして、倉本主任がうなずく。
「その後の、『居心地よくしてどーすんだ』も!?」
「俺が元の世界に戻そうとしてるのに、お前はラグーンの世界になじみかけてる。そりゃ俺も突っ込むわ!」
頭を小突かれた。ひーん。
「ごめんなさいごめんなさい!……え、でも」
私はぱっと顔を上げた。
「そうやって、ザンの台詞にまで割り込めるんですか? 今のこの会話も全部書いてる?」
倉本主任は腕を組んだ。
「そこが俺にもよくわからない。今、俺はザンの身体で、宮代と会話してるだろう? これ、俺は『書いてない』んだ」
「???」
「宮代、先生から渡された封筒の中身、全部見た?」
話が変わった。私はついていくのに必死だ。
「あ、いえ……ちゃんとは。設定資料も全部は読んでないですし」
「絵が一枚、入ってたんだ。いや…地図かな? ラグーン城の絵?」
何でそんな疑問符だらけ?
「とにかく、この絵を手にしていると、ザンの視点でそっちの様子が見えるんだ」
「……よくわからないんですが」
倉本主任は、私をじんわりと見た。そ、そんな、可哀想な子を見るような目はやめて下さいよぅ。
「まあ、絵を持っている間だけ、俺とザンが二重人格になってると思ってくれ。ザンの中に俺がいる。でも、ザンは俺には気づいてない。そういう状態の二重人格だ。なんかもう、そっちの世界もこっちの世界も両方ファンタジーだな」
絵を持っている間だけ。それに、意識だけ?
それじゃあ、主任は半分だけこちらの世界にトリップしてるような状態なの?
「じゃあ、ザンは今……?」
「眠ってる。眠ってる間なら宮代と会話できると思って、真夜中に呼び出したんだ。あの手紙も、夕方ザンがうとうとした隙に急いで書いて、ズーイを呼んで持たせた。ザンは知らない」
うわ、そんな危険な橋を!
「よくそんな、思い切ったことをしましたね」
本気で感心してそう言うと、倉本主任はまたため息をついて、私を見た。
「宮代が、不安がってたからだろうが」
あっ……。私の、ために。
「いいか、宮代の姿は会社から消えている。先生のように死んで小説の世界に行ったなら、死体が消えるのは変だろう。宮代が死んだと考えるのは早計だ」
「そ、そうか。そうですよね」
私が何度もうなずくと、倉本主任は少し微笑んだ。
「どんな影響があるかわからなかったから、物語の登場人物として振る舞ってるんだろう? 大変だと思うがもう少し様子を見て、宮代が元の世界に戻る方法を考えよう。お前は一人じゃない。それを言いに来たんだ」
彼は私の腕を横からポン、と叩いた。暖かく柔らかい、血の通った感触がした。
「ありがとうございます」
するり、とお礼の言葉が出た。主任が念押しとばかりに睨む。
「あんまり無茶なことはしてくれるなよ」
「はいっ。気をつけます」
私は思わず「気をつけ」をした。本当、気をつけなくちゃ。
主任はちょっと視線をあたりに巡らせた。
「さて……あまり長く話してるわけにもいかない。俺はそろそろ戻る。ザンが目覚める前にな」
「戻っちゃうんですか」
思わず、引きとめるようなことを言ってしまう。
倉本主任は少し黙って私を見て、それから困ったように微笑んだ。
「……そんな顔するな」
私は思わず頬に手をやった。ど、どんな顔!?
「次の『夜』も、ここで会おう。な」
主任は言ってくれた。また、ザンが寝てる隙に来てくれるんだ。
そう、やっと相談相手ができたんだ、私。
「はい、また!」
笑顔で敬礼して見せると、主任は一つうなずいてから、フィッシュボウルの奥のカーテンの影に消えた。
私は一人、フィッシュボウルに取り残された。
――寂しがってる場合じゃないよね、うん。心強い味方が来てくれた。きっと、元の世界に帰れるよ、私。
考えることは色々ある。とにかく部屋に戻ろう、と踵を返した。
フィッシュボウルの入口に、リュウが立っていた。
「あ……」
私はあわてた。もしかして、会話、聞かれてた!?
リュウは戸惑った声で言った。
「やっと見つけた……リク、こちらにいらしたんですか。でも、なぜこんな夜中に、神官と」
ザン(倉本主任)と会ってる所は見られたけど、会話は聞かれてない。たぶん。
とっさに判断した私は、ふっ……と下を向いてから、上目づかいでリュウを見た。
「あの……恥ずかしいから、内緒にしててくれる?」
リュウはハッ、と息を飲んで、うなずいた。
「す、すみません、気の利かないことで」
無茶するなって言われたけど、この状況でこれ以上の対応はないでしょくらッシュ!
神官と巫女の恋愛フラグ!




