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「いつかは言う必要があるとは思っていた」


 僕ら全員の前で、そう、所長は切り出した。


「ずず・・・珠洲香にはPTSDの疑いがある」


 PTS・・・・何でしたっけ?

ずるっと所長がこけたのがわかった。

変わって、綾佳さんが説明してくれた。


「PTSD、心的外傷後ストレス障害。トラウマとか心の傷とかって言えばいいかな。

事故とか災害とかで、心に傷を受けて、それでストレス障害を起こしてる、ってこと」


 所長が肯く。


「彼女がPTSDの疑いがあることを、本部から聞いていた。

だから、彼女を現場に出動させる場合は、慎重に判断するよう言われていた。

今までじっくり様子を見てきて、大丈夫そうだと判断したのだが・・・

今日の彼女の失態は私の判断ミスだ。君たちに申し訳ない」

 

 頭を下げる所長に、綾佳さんが言う。


「隊を預かる者として、私も所長の判断に同意しました。

ミスは私も同罪です。どうぞ、所長、頭を上げてください」


 僕たちの方を見て、綾佳さんが続ける。


「今日、現場に珠洲香を迎えに来たのが、精神科のカウンセラー。

時々、珠洲香はカウンセラーのところに行って、カウンセリングを受けていたの。

その先生の判断も参考にしているわ。だから、所長の独断ではないのよ」


 そうか、あの白衣の女性はそういう人だったんだ。


「で、今日はなんだったんですか?」


「さっきも言ったとおり、珠洲香は心に傷を持っているんだが、

その原因は、どうも火災にあるらしい。

彼女は中学生の時に、家が全焼している。

しかも、その火災で父親と姉を亡くしている。

このあたりは、プライバシーに関わることだから、言っていいのかどうか迷うところなんだが」


”火事とかにも遭遇したし・・・”


 そう珠洲香先輩が言っていたことを僕は思い出した。

でも、それで肉親が死んだことまでは言わなかった・・・・・簡単に言える事じゃないか。


 先輩達も黙っている。

経験があるからだ。火災を受け、肉親や知り合いを亡くした人たちがどんなに嘆き悲しむか。

僕たちは希望しないけれど、そんな現場に居合わせなきゃならないからだ。

この仕事を続ける限り。


「ここからは推測だが、PTSDの症状の一つにフラッシュバックというのがある。

過去の追体験と言われるのだが、今日の彼女の様子からすると、たぶん、それを起こしたと思う」


 所長の言葉に綾佳さんが肯く。


「車内の彼女は異様なほどの緊張状態でした。

実はその時点で、今日はまずいのでは、と思いました」


 ぼくも車内での彼女を思いだした。震え、蒼白な彼女。

その瞳は、焦点が合ってなかったような気がする。

そして、炎を上げる家屋を見たとき、過去の記憶が吹き出して・・・・。


「単なる記憶じゃない。その時の感情や感覚までもがよみがえる。

中学の時の、肉親を亡くした火災を、もう一度実際に体験する。それがフラッシュバックだ」


 今、彼女はカウンセラーのところで薬で落ち着いている状態だという。


「戻ってくる・・・・のですか?」


 ぼくは思わず聞いていた。

所長と綾佳さんは僕の顔を見つめている。


「わからない・・・わね」


「そんな・・・・」


 つぶやく僕。


「今日のことを彼女がどう思うかは、彼女の問題だ。こっちからどうのこうのはない。

珠洲香の心が折れていたら、簡単には戻れないかも知れない」


「なら、なら大丈夫ですよ。戻ってきます!」


 いつの間にか、僕は力説していた。


「彼女は、珠洲香さんは、消防士になって困っている人を助けに行くのが夢だって言ってたんです。

その夢さえ思い出せば、きっと戻ってきます!」


 僕の言葉を聞いた所長の顔にいつもの笑みが浮かぶ。


「ああ、そうだな・・・・私もそれを期待するよ。ありがとう、ヒロ」


 綾佳さんがこっそり合図をした。

僕は彼女の後について、屋上にあがる。

屋上の金網越しに外を眺めている彼女。

風に綾佳さんの髪の毛が揺れている。


「あたしからもお礼を言うよ。所長が凹んでたんだが、助かったよ」


「そんな、僕は何にもしてませんよ」


 僕の言葉に綾佳さんは首を振る。


「これはな、誰にも言うなよ。

実は、所長もPTSDに悩んでいたことがあってね。

だから、珠洲香のことが人ごとじゃないんだ」


 えっ、あの所長が。


「ああ、昔、バリバリでやっていたころのことだ。

ある火災現場で、要救助者にたどり着いたんだ。

だが、そこで、その人を助けるか、自分が助かるかのギリギリの選択に追い込まれた。

そして、悪く言えば、見殺しにしたんだ」


 そ、そんな・・・・でも、そんな選択・・・


「あの人だから、そこまでたどり着けたんだ。

だから、所長が悪い訳じゃない。

でも、助けられなかったという自責の念が、長年、あの人を苦しめてきたんだ」


 よく、良く知っていますね。


「全部、他の人から聞いた話さ。でも、さっきの表情、見たろ。

助けに行きたい、その気持ちが大切。

所長もそれを再確認できたんじゃないかな」


 因果な仕事・・・なんですね。


「だけど、それだけやりがいがある仕事でもあるのさ。

ああ、一つだけ、ヒロに伝えておく。

あたしの信条なんだけど、消防は助けられちゃあダメ。

助けるのが仕事であって、助けられるのは仕事じゃない。

いい?所長みたいに、二者択一の選択に追い込まれたら、自分の生命を優先して。

決して、自分を犠牲にして他人を助けたいなんて、思っちゃダメだからね」


 はい、でも、これ・・・・


「いいの、何も聞かないで。聞かれても答えるつもり、ないから。

ここでちょっと休んでから降りていくから、お願いね」


 僕はハイと答えると綾佳さんを置いて、屋上から降りた。

それ以上、何か言ってはいけないような気がした。

向こうを向いた綾佳さんの目に光る物が見えたから。



 これもよくは知らなかったのですが、消防のお仕事にPTSDは付いて回りそうです。今回の東日本大震災でも、救助に向かった救急隊員が発見したのが、悲惨な遺体というのでは、あまりにむごい。心理的に動揺する、あるいは、少しでも心が弱ければ、心理的に傷が出来ても不思議なさそうです。

消防の皆様が、元気でありますように、お願い申し上げます。


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