地金が出る
「フィリス姉さんもみじめだねえ。すっかり落ちぶれてさ」
顔を上げると、ジェイクが部屋の入口に立ちフィリスを興味深げに見下ろしていた。
フィリスは、ケイティが床にぶちまけた紅茶とカップのかけらを布巾で拭いながら集めている最中だった。
「そう? 別に惨めと思っていないわ」
「またまた……。ケイティ姉さんにこき使われて、髪もそんなにされて、服も安物を着てさ。辻馬車でここに通って、皆に笑われて。恥ずかしくてたまらないくせに」
フィリスは現在ケイティの専属侍女をさせられている。
アーロンが一応止めに入ったが、ケイティが激高した上に腹の痛みを訴え、医師を呼ぶ騒ぎになった。
そこからケイティは味を占めたのか、以来、気に入らないことがあると具合が悪いと騒ぎだす。
もう誰も彼女を抑えることはできなかった。
赤ん坊が無事に生まれるためだけを考え、全員怒りを堪えた。
そして現在、フィリスは使用人にあてがうような安い生地の黒衣を着て通いで侍っては、嫌がらせを一身に受けている。
板挟みに疲れたアーロンは、何かと理由をつけて屋敷を空けるようになった。
完全に、この屋敷の主人はケイティだ。
「恥ずかしくはないわね」
髪は、些細な罪を言い立てられた挙句に罰として切られた。
使用人たちにフィリスの髪に鋏を入れるよう命じたくせに、彼女たちに罪を押し付けた。
主人を傷つけた罪で彼女たちを国に訴えるかと問われたが、出来るはずがない。
あとで侍女たちに泣いて詫びられ、なだめるのが大変だった。
結局、ケイティの残虐な嗜好は変わらない。
「この髪型を、ハロルドが大好きだと言っていたから、私は平気」
首を微かに傾けると、巻き毛がフィリスの肩の上でふわふわとそよいだ。
目が合った瞬間、なぜかジェイクが少し後ずさるような様子を見せた。
「それに、伯爵夫人のドレスって窮屈で重いのよね。正直今の方が楽だわ」
「──っ。ケイティ姉さんが出産したら、フィリス姉さんは追い出されるに決まってる。無一文で道端に捨てられても、そんなに笑っていられるのか? 別れたがっている夫を息子で引き留めて、伯爵夫人でございってお高くとまっていたあんたが……」
「何か誤解があるようだけど。私は貴族であることに固執していないわよ」
「見栄を張るなよ。ケイティ姉さんを別邸に閉じ込めて、散々これまでの憂さを晴らしていたくせに」
「別にそんな事をしていないわ? 私は伯爵夫人という仕事をしていただけ。ハロルドが一緒ならどんな生活でも構わなかったし、どんな手段でも生きていけると思っていたもの」
「強がりだね、それは。一度贅沢を覚えたフィリス姉さんが今更出来るわけないだろう」
それはジェイク自身のことなのではないかとフィリスは思うが、わざわざ指摘する必要はない。
「今もこうやって床を這いつくばってさ。義兄さんは全くあてにならないことだし、俺が──」
「弟が全く役に立たない点は、私も同意するわ」
突然別の扉が開いて、レイチェルが現れた。
「な……」
「ごきげんよう、ウエスト準男爵。今日はまだ紳士クラブへ行かないの? 下で馬車を待たせているのは貴方じゃなくて?」
「バーンズ子爵夫人」
「そう。私は子爵夫人で貴方が見下ろしている方は伯爵夫人なのよね。ご存じよね?」
「っ! 失礼する!」
盛大に舌打ちをして、ジェイクは足早に去っていった。
「あの小者……。本当に頭にくるわ。全てが終わったら覚えてなさい」
「お義姉さま」
ぷっとフィリスは吹き出した。
「フィリス。笑い事じゃないわ。あんな性悪たちが七月まで屋敷を占領しているなんて気が遠くなりそうよ」
「でもまあ、もう少しの辛抱ではありませんか」
「それで。『ケイティ様』もお出かけになったようね」
「ええ。またティールームでしょうから止めたのですが、怒らせてしまって」
「ちやほやされるから、行きたいのでしょうねえ……」
ケイティは一部の女性たちから成功者として、もてはやされている。
没落からの大逆転という筋書きは、まるで物語のように思えるのかもしれない。
「私には理解できないわ。正妻の髪を切り刻むヒロインなんて、いったいどこの三文小説よ」
「私自身はこの髪型の方が結うより楽なので、本当に構わないのですけどね」
「貴方がそう言うなら、まあ良いけれど。こう何度も公の場でその頭を見せているうちに、短い髪が当たり前になるかもしれないわね。実際、溌溂としていて素敵だと思うのよ、私は」
「ありがとうございます」
二人で窓辺に近づき、ジェイクが馬車に乗り込むのを確認した。
「……それにしても、あっさりメッキがはがれて地金が出たわね」
「三年近く大人しくしていただけに、鬱憤がたまっていたのでしょう。反動が大きいようですね」
「おかげで、こちらとしてはやりやすいけれど……。ただ、お母さまが貴方を心配して居ても立っても居られないと言っているそうよ」
「……有難いことですが、お母さまのお身体に障りがあっては──」
「アーロンが領地で意味もなくウロウロしているほうが、よっぽどお母様の身体に障るわね」
今、アーロンは仕事を理由に領地へ戻っている。
「ところで、フィリス」
「はい?」
「ウエスト準男爵だけど。貴方に執着しているように見えたわ。あれはまるで──」
「え?」
きょとんと首をかしげるフィリスに、レイチェルは続きを飲み込んだ。
「──いいえ。なんでもないわ。今のうちに私たちも別邸へ戻りましょう」
「そうですね」
その一か月後、完全に回復したと医師に太鼓判を押されたグィネスが家臣たちを伴い堂々とタウンハウスへ現れ、ブルーノ家の古老として君臨した。
これによりケイティたちも少し大人しくなり、使用人たちは一様に胸をなでおろした。
そして。
医者の見立てよりも早く、ケイティが産気づいた。
六月の半ばのことだった。




