火急の知らせ
「大奥様。だいぶ顔色も良くなられましたね」
「おかげさまで……」
枕に背を預け寝台に座るグィネスは老教師ベルンに淡く微笑む。
「先生には本当にお世話になりました」
「いいえ。大したことではありません。こうして貴方が回復した姿を見られて、長生きして良かったと思うのです」
ベルンはグィネスの手に両手を重ねる。
「本当に、良かった……」
「先生」
「貴方様の悲しみを、私ごときが計り知ることは到底できませんが。秋に落ち葉が散っても、冬の寒さに震えても。それでも命の営みは続いていくのです」
「続いていく……」
「ええ。私たちの意思とは何ら関係なく。だから、ゆっくりと待ちましょう。春が来るのを」
「そうですね……。春が、待ち遠しいわ」
「とはいえ、冬の暖炉の前で家族と頂くホットワインは格別だと思いませんか」
「本当に」
ふふ、と二人は顔を見合わせて笑った。
そこへ、扉を叩く音がする。
扉を守る騎士から、アーロンが面会を求めているという知らせが聞こえてくる。
「入っていいわ」
「母上、大丈夫ですか?」
入室したアーロンに、ベルンは席を立ち頭を下げる。
「──この方は?」
「グレイス・ベルンと申します」
「貴方は幼かったから忘れたでしょうね。レイチェルたちの家庭教師をしてくださっていた方よ。最近ではフィリスも教えて頂いたし、今はヤング伯爵家に滞在してエイダの子どもたちをみてくださっているの」
「そうでしたか……」
「ようやく回復されたと聞き、お見舞いに伺いました。エイダ様には大奥様のご様子を報告させていただきます」
老教師の毅然とした姿に、アーロンはフィリスを重ねた。
「では、私はこれにて」
「ありがとうございます、先生」
ベルンと侍女たちが去り、母子二人だけとなった。
「アーロン。よく来てくれたわね。」
いつも結い上げていた髪をおろし、三つ編みにしてまとめているせいだろうか、アーロンは母の面差しが少し幼く見えた。
「母上。体調はいかがですか。峠を越したとは聞いていますが、原因不明の病などと、一体どういうことですか」
「本当に、わからないのよ。ある日ハロルドの咳をするようになってからはあっという間だった。喉が腫れて、発熱して、呼吸するのも辛い状態になって」
「母上も」
「ええ。一番重体だったのが幼いハロルドで、次が乳母のエマ、私、フィリス……ハロルドと接触してる者、メイドや騎士たちにも広がって、風邪の処方も何も効かなかった」
執事の報告では乳母と数人の侍女が亡くなったらしい。
一部の使用人の中にはまだ病床にある者がいると言う。
「どうやって回復したのですか。そういえば母上の寝室は本来ここではありませんよね」
「感染症の疑いが強いから、罹った者全員いったん別邸で看病されることになったわ。医師たちが色々と手を尽くしてくださって……そして、それぞれの部屋の寝具など焼却したり。領民へ罹患しなかったのは不幸中の幸いだったわね」
屋敷内のみで流行った奇病。
知らせの通りだ。
「それで……。ハロルドの玩具を棺に入れたとフィリスが言ったのですね」
「──ええ、そう。本来なら焼却すべきなのかもしれないけれど、多分それくらいは許されるでしょう」
グィネスは言葉を途切れさせ、うつむいた。
「体力のある者は、隔離してからの回復が早かったけれど……」
「母上……」
「アーロン。貴方をここに呼んだのは話しておかねばならないことがあったからよ」
すっかりやつれて弱々しい姿の母が、低く、強く、アーロンに語り掛ける。
「アルフレッド──。バーンズ子爵家の三男を私の養子にしたわ」
「え……?」
「現時点で貴方には子どもがいない。まだ若いからどうなるかはわからないけれど──。バーンズ子爵家とレイチェルとアルフレッドから了承を得て、もう手続きをしてあるの」
「母上、待ってください」
「これしかフィリスをつなぎ留める方法はないって、思わない?」
「え?」
「ハロルドはもういないのよ。そして、貴方はケイティと公然と暮らしている。ならばフィリスを縛るものは何もない。出ていくと言われたら、貴方どうやって止めるつもり? 今、この家を取り仕切ってくれているのはフィリスなのよ」
「それは──」
ぐうの音も出ない。
心からフィリスに去って欲しくないと思う。
その中に、フィリスの有能さを手放したくないと言う打算が少なからずあった。
「貴方も知っての通り、レイチェルがよく子どもたちを連れて来てくれていたから、皆フィリスに懐いているの。アルフレッドは特にね」
言われてみれば、結婚式もアルフレッドが先導してくれた。
「アルフレッドは……。大丈夫なのですか。その……」
「ええ。素質はあると思う。素直に話を聞くから覚えも良いそうよ」
「でも……」
「暫定措置だと思ってちょうだい。国の方もブルーノ家に跡継ぎがいないのは困るのよ」
豊かな家ほど後継者問題は火種になる。
アルフレッドならそれを抑えられると言うのか。
「──わかりました。母上がそう判断されたのでしたら」
「理解してくれてありがとう。肩の荷が一つ降りたわ」
ほっとグィネスが安堵したその瞬間、せわしなく扉を叩く音がする。
「大奥様、アーロン様。火急の知らせがタウンハウスより来ました!」
「入れ! 何事だ!」
執事がいつになく青ざめて入ってきた。
「何があったの」
「はい……。あちらの執事からの手紙では──」
開かれた書状をアーロンに渡しながら執事は答えた。
「ケイティ・ウエスト男爵令嬢が懐妊されているとのことです」
グィネスとアーロンは息をのむ。
「なんだって──」
手にした書状の文字が、アーロンにはただの模様にしか見えない。
「アーロン様が都をお発ちになってすぐに、ケイティ様が体調不良になられ、別邸に医師を呼びました。念のため他の医師も診察したので間違いありません」
「まさか──」
窓からの光が陰り、一気に部屋の中が暗くなる。
「ケイティが、妊娠」
アーロンの声がうつろに響いた。




