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猜疑心の芽生え

「おや。久しぶりだな。元気にしていたか」


「ああ、まあまあだ。ところで、ここもなかなかいい店になったな」


「そりゃあ、懇意にしてくれるお客様がいてくれるからさ。君のようにな」


 学院時代の同級生であるマークが笑う。


「一緒に飲んでもいいか。奢るよ。良い酒が入ったんだ」


「そう言われて断ると思うか?」


「まあ、そうだよな」


 ここは富裕層のための会員制クラブだ。

 侯爵家の三男であるマークは継ぐ家がないため、卒業後はコーヒーハウスなどいくつかの紳士クラブを営んでいる。


「領地から帰ってきたところか? 息子って何歳になったんだっけ」


「秋に五歳になる」


「早いもんだな……。あともう少し経てばお披露目じゃないか」


 この国の貴族の子どもは七歳以上になると王宮での茶会に招かれる。

 高貴な家に生まれても、幼児が病を得て無くなることは珍しくなく、環境の良い領地で養育されることが多い。

 七歳の茶会は無事成長できた祝いの席であり、貴族の子としてのお披露目の場であった。

 強制ではないので、七歳になる前に僻地へ追いやられていたフィリスは当然出席していない。


「そう言えばそうだな」


「おいおい……。うちの義姉上たちとか、お披露目会の支度となると大騒ぎだぞ? なんせ王族にお目見えするし、うまくいけば婚約話も出るからな。そういう話を、フィリス夫人としないのか?」


「したことがないな……」


「なんだよ。相変わらずなのか、フィリス夫人。もう髪も元に戻ったってのに……」


 マークはチチチと軽く舌打ちしながら呆れたように首を振る。


「────」


 三年前にアーロンが酔った勢いでフィリスに暴行し髪を刈り取ってしまった話は、未だに取り沙汰される。

 あの件を知った多くの友人が離れていった。

 時間が経つにつれ、なかったかのように振舞う人も増えてきたが、最初に絶縁を宣言した友は今も他人行儀だ。

 アーロンが酒を飲む場所はマークは経営していて酔った姿を見ているせいか、寛容で変わらない。

 むしろ──。


「この間、うちの茶会で見かけたよ、フィリス夫人。」


 彼の実家は裕福で、女性貴族のみを招待する大掛かりな茶会を年に数度行い、各家の交流の場として名高い。


「本当に清楚で美しいよな。義姉とか妹たちが心酔していてさ。出席の返事を貰っただけで淑女にあるまじき声を上げていたよ」


「そうか」


「でも、従妹たちはケイティ派なんだよな。前はちょっと……そうだな、じゃじゃ馬だったけど、お前と暮らしているうちにだんだん貴婦人然としてきてさ。ピンクブロンドで華やかだからステキって言ってるよ。考えたら、我が家の女たちで派閥ができるくらい人気者の二人を正妻と第二夫人にしているお前は凄いな」


 最近のケイティは、アーロンの第二夫人という認識が定着してきた。

 フィリスとの間には一人しか生まれていないし、正式な場では必ず連れ立っているものの、関係がいまだに修復できていないのは誰の目にも明らかだった。

 スペアを産むためにケイティは別邸の主人になっていると解釈され、その存在は容認されている。

 さすがに正式な妻が臨席するような場に招かれることはないが、小規模な若い女性たちの気さくな集まりにケイティが現れることが増えていった。

 二人が同じ場にいることは絶対にない。

 それでも、注目の的になってしまうのは。


「そういや、ジェイクが言っていたよ」


「……何を?」


 学校を卒業したジェイクはマークの経営するコーヒーハウスで働いている。

 ジェイクも見違えるほど落ち着き、人懐っこい性格のせいか仕事先では周囲に可愛がられているらしく、マークが住まいも提供していた。


「──どちらの姉も幸せになって欲しいとさ」


「え……」


 アーロンは虚を突かれた思いがした。


「あいつにとって、どちらも血のつながった姉だからな。傍から見ていてちょっとかわいそうになるな」


「そう……だな」


 異母妹に手を出してしまったのは自分だ。

 その一点がアーロンとブルーノ家に暗い影を落とす。

 しかし、この平穏な日々を今更手放すなんて考えられない。


「まあ、フィリス夫人にとっては、息子がいればお前はお役御免で、どうでも良いのかもしれないが」


「え?」


「今や押しも押されぬ次期当主の後見人だろう? 悪い気はしないだろう。そうじゃなきゃ、一歳違いでしかも妹って女と夫が暮らすことを容認したりしないさ。まあ、それも良いのではないか? お前も彼女の稼ぎで──」


 途中からマークの話を聞いていなかった。


 思えば、ケイティの存在をフィリスになじられたことは一度もない。

 姉たちからは何度も別れるように言われたが、異母姉であるフィリスは何も言わない。

 ケイティと関係を持って、別邸に引き入れて。

 一度も。

 不満をぶつけられたことがないのは──。


 アーロンは暗い思考に囚われていく。


 フィリスは。

 いつ見ても。

 母や姉達に囲まれて、いつも微笑んでいる。

 アーロンが傍にいないことを嘆くこともなく、元気に馬に乗って領民たちと交わっている。

 夫が愛人と暮らしているのに、『あの夜』以来、夫婦として触れ合ったことがないのに。

 どうして笑っていられるのか。


 息子さえいれば。

 ブルーノの一員であれば。

 それでいいのか。

 フィリスの全てなのか。


 猜疑心が芽生えた。


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