変容
以来、別邸の空気が不思議なほど平穏なものへと変わる。
大きく変わったのは、ケイティが衝動的な行動がぴたりと止まったことだ。
物や人に当たることも、下町まがいの言葉遣いで怒鳴ることもなくなった。
アーロンに対して神経質なほど気遣うようになり、伯爵としての仕事や社交そして領地と連絡を取ることをすすめる。
あまりの変わりようにアーロンが理由を尋ねると『目が覚めたのです。今までの私はどうかしていました。お許しください』と頭を下げた。
伯爵の恋人になれて有頂天になっていたと反省し、今後は囲われ者として気を付けると誓われ、アーロンは困惑する。
アーロンはケイティの貴族らしさにとらわれない自由奔放なところを気に入っていた。
しかし、それも過ぎると食傷気味となる。
フィリスと再会してからは、姉妹でもこんなに違うのかと無意識のうちに比べていた。
ところが今のケイティの振る舞いは楚々としていて、淑女そのもの。
優雅な仕草でゆったりとほほ笑む。
やがて二人の仲は、次第に何事もなかったように戻っていった。
***
「おとしゃま?」
大きな瞳をぱちぱちさせて、幼子が言う。
きめ細かな白い肌、長い睫毛、眼は白目までまるでガラスのように透き通り、くるくる巻いた髪は細く絹糸のように艶やかだった。
「そう。この方は、貴方のお父様よ」
スカートに捕まり、顔だけのぞかせている息子の頭をフィリスが優しく撫でる。
夏草の香る庭で、まるで絵の中にいるような母子の姿にアーロンは言葉一つ出せなかった。
「こんにち、は」
舌っ足らずで、不思議なほど柔らかい声。
アーロンは戸惑う。
幼子を見るのが初めてというわけではない。
姉たちや領民の子どもと接したことがあるが、他人事だった。
それがどうだ。
あの、トロルの取り換えっ子にしか見えなかった醜い赤ん坊が今、二本の足で立って恥ずかしそうにアーロンを見ている。
顔立ちは、昔母の実家で見た家族の肖像画の中にいた子どもにそっくりだった。
それでも。
未だに信じられない。
これが自分の子どもだなんて。
英雄を意味する名を冠する子供がおずおずとアーロンに手を伸ばしてきた。
「おとしゃま、どしたの? いたい、いたい?」
小さな手は一つ一つきちんと関節があって。
小さな爪が綺麗に並んでいて。
言葉を話して、アーロンを心配する。
本当に、どうしていいかわからなくなった。
「……いいや。痛くないよ」
込み上げてくる感情が何なのかわからない。
アーロンは儚くて温かい小さな手を受けて、そっと握り返した。
ラベンダー、薔薇、エルダー、プローディア……。
とりどりの花が咲いて。
鳥が鳴く。
これは夢なのか、現実なのか。
アーロンは手の中の柔らかな熱に戸惑い続ける。
***
少しずつ、ブルーノ家の中が変わっていく。
アーロンは伯爵としての仕事を真面目にするようになった。
王宮へ足を運ぶことも増え、タウンハウスの執務室で書類に目を通し署名する。
三か月に一度くらいの割合で領地へ行き、近場ではあるが領地を巡り母や息子に会う。
ただしケイティを別邸に囲い、都にいる限りは寝起きを共にすることだけはそのままだった。
ジェイクが週末になれば別邸に泊まることも許された。
ウエスト姉弟の言動が穏やかで上品なものになると周囲は過去を忘れ、二人はするりと貴族社会に溶け込んでいった。
「たまには、息子さんに贈り物をしたらどうですか? きっと喜びますよ」
食後の団欒の場で、ジェイクがアーロンに提案した。
「贈り物?」
「そうです。おもちゃとか。都には色々売ってますから、あちらにない物もあるのでは?」
「そうなのか」
「僕は嬉しかったですよ。父がお土産を買って来てくれるのが。だって、品物を選ぶ時に僕の事を考えてくれたってことでしょう?」
「そうか……。私は父から何も貰ったことがなかったから……そんなことを考えたこともなかったな」
「アーロン──」
暴君でしかなかった父を持つアーロンに、ケイティが寄り添う。
「私も、父が買ってきてくれたリボンがとても綺麗で。ずっと宝箱に仕舞っていたの。そんな思い出が貴方と領地の息子さんに出来ると、私も嬉しいわ」
二人は、領地の息子との間を取り持とうとしてくれている。
そう思うと、アーロンは温かい気持ちになった。
「君たちが私の傍にいてくれて、本当に良かった」
「それは私たちも同じよ」
翌朝、三人は連れ立って街の雑貨屋を巡った。
二歳の子どもに贈るものは何が良いのかと姉弟か積極的に店員に尋ね、並べられたものを真剣に吟味した。
色々買い込み持ち帰ったものを、アーロンはブルーノの領地へ送るよう執事に言いつけた。
すると、半月後にはフィリスや母からのお礼の手紙や心尽くしの品とともに、ハロルドが指で書いた絵が送られてきた。
それを三人で眺め、喜ぶ。
タウンハウスと領地のやり取りは次第に定期的なものとなった。
双方の使用人たちは胸をなでおろす。
そんな、平穏な日々がしばらく過ぎていった。




