思いがけない出会い
「紹介するわ。この子がハロルドよ」
「え……? これが?」
執務室で義母がアーロンとハロルドを対面させた。
フィリスが抱いている子供を、アーロンは心底不思議そうに見つめる。
「貴方がこの子を見たのは出産直後だったわね。秋には二歳になるわ」
髪の色はアーロンの子どもの頃そっくりの薄い金色で、瞳はグィネスのサファイアの瞳に近いが中心に向かって緑がかっている。ブルーノの特徴であるアースカラーだ。
そして、くりくりと自然に巻かれたくせ毛はフィリスそのもの。
フィリスがグィネス及びアーロンの血筋の子を産んだであろうことは、誰の目にも間違いない。
「そんなばかな……」
アーロンが困惑しブツブツ呟くのを、ハロルドは不思議そうに見つめる。
フィリスは黙って夫を見つめるが、彼は妻子に目をやることはなかった。
そんなアーロンに、義母はばさりと糾弾した。
「貴方が首都で遊んでいる間に二年近く経ったのよ。子供の成長は早いわ。私たちは手紙で何度もこの子の事を書いて、領地へ来るよう促したはずだけど、今まで返事は一度もなかったわね。どうでも良かったのかしら」
「いや……、身体の傷が」
「観劇に頻繁に行って、紳士クラブで飲み明かして朝帰りしても? 友人の家へケイティと連れ立って避暑にも行ったし、船旅もしていたわね」
グィネスの言葉に、アーロンはかっとなる。
「私を、監視しているのですか!」
「私は嫁いで以来、ずっと領地経営を担って、貴方が伯爵家の人間として恥ずかしくないように暮らせるだけの額を送金し続けていたわ。貴方が学院に入学してから今までずっとね。領主が収支の把握をせず使い続けるだけでは破産してしまうのよ。──ウエスト伯爵家のようにね」
「ケイティを馬鹿にするのはやめてください!」
アーロンの大声に、ハロルドがびくりと肩を震わせゆっくりと顔をゆがめると、泣き出した。
「あ……」
アーロンがばつの悪そうな顔をしたが、フィリスは彼に背を向け、胸に顔をうずめて泣く息子の背中をぽんぽんと優しく叩く。
「──お義母様。ハロルドはもう良いでしょうか。これでは大人の話過ぎます」
「そうね。驚かせてしまったわね」
「では、失礼します」
泣きじゃくるハロルドを抱きしめてフィリスが部屋を後にした。
フィリスの後ろ姿に気を取られているアーロンに、グィネスがコンコンと机を指で叩いて注意を引いた。
「アーロン。貴方はいったいこれからどうするつもりなの」
「どう、とは?」
「わかっていないようね。キャメロンが死んだから貴方は当主の座についた。だけど、療養を理由に簡易的な手続きを行っただけで、一切の仕事に関わっていない状態なのよ。ブルーノ伯爵として王宮に行ったのはこの間が初めてね。正直、王族たちも呆れていたそうよ」
「え……? なぜですか」
「貴方が外に出られるほどに回復したのなら、まずすべきことは、王宮へ出向き、王族と国の機関へ爵位を継いだ者として挨拶まわりをすることだった。それはタウンハウスの執事たちが何度も、口が酸っぱくなるほど貴方に言ったはずよね?」
「……それは」
ずっと、聞き流していた。
最初はすっかりやつれた姿をさらしたくなくてもっと元気になってからと考えて、そのうちケイティと再会し、彼女と出歩くうちに大したことではないと思うようになった。
「ハロルドがあれ程成長するほど月日が経っているのに、貴方は何もしていないの。何故かしら?」
「母上」
そんなに時間が経っているとは思わなかった。
少し休んでいたつもりだったのに。
「名義上は、確かにあなたがブルーノ伯爵。でも、何も為さない上に害悪にしかならない男に領民を預けることに国は懲りているのよ、貴方の父親とケイティの父親が色々とやってくれたおかげでね」
「それで、あの手紙……」
「いつでも挿げ替えるぞと、大公閣下から手紙が届いたそうね。使いを買って出てくれた文官も警告したでしょう。まあそれでようやく新年の宴に貴方は出てきたのでしょうけれど」
「なぜ……こうなる前に私に話してくださらなかったのですか、母上」
「手紙に何度も書いたはずよ。貴方、封も切らずに机の引き出しに放り込んでいるそうね」
「……っ」
「貴方、知ってる? 私たちが書いた手紙を、ケイティの弟が学院で休み時間に読み上げて、仲間たちと回し読みしてさんざん笑っている事を」
「……は?」
頭の中が真っ白になる。
ケイティの弟のジェイクは少しやんちゃが過ぎるところがある。
先日も、同級生を『執拗にからかった』ことで揉めて、しばらく学校を休んだと聞いている。
それでも、アーロンはケイティと似て奔放なところを可愛いと思っていた。
「そんな話、いったいどこから」
「この国の貴族の子どもはほとんどあそこに通うのよ。家門の子息たちも私の実家の子たちもいるに決まっているでしょう」
学年が違うがレイチェルの長男も通っている。
ジェイクの後見人はケイティだが、まったく役割を果たさず、学校や保護者からの苦情はフィリスが対応しているのを、アーロンは全く知らないし、気付く気配もない。
「だから、やめたの。貴方は何も……本当に何もできないようだから」
手紙が途絶えたのはそのせいなのか。
しかし、グィネスの言う『やめた』のが一体何なのか。
追及するのが怖くて、アーロンは呆然と立ち尽くした。
***
「アーロンったら、いったい何なのよ」
目覚めたのは昼過ぎで、アーロンは寝台にいなかった。
侍女たちに尋ねると、母親の執務室へ行ったと言う。
それから待てど暮らせど戻ってこないので、退屈したケイティは部屋を出て庭を散歩することにした。
「ついてこなくていいのよ」
「いいえ。アーロン様の大切なお客様に何かあっては、申し訳ありませんので。私どもは少し離れてついていきますので、御用があればいつでも申し付けてください。」
「ふうん。そう?」
ケイティの後ろから侍女と騎士が数歩離れてついてくる。
ウエスト家でこんな待遇はなかった。
ケイティの口角がきゅっと上がる。
「うふ。どうせいずれはこうなるのだから、慣れておかなきゃね」
早春の風は午後でも冷たくて広すぎる庭は寒いばかりだ。
侍女からショールをかけてもらっている最中に温室があることに気付き、そちらへ足を進めた。
「まああ──。素敵ねえ。やはりブルーノは桁違いだわ」
一つの屋敷ほどの大きな温室に感嘆の声を上げる。
外観だけでも王立公園の温室並みなのに、中に入ると薔薇などの花の香りがケイティを包み込む。
「ここでお茶したら最高じゃない」
テーブルセットを見つけて椅子に座ると、近くの植え込みの根元で庭師が作業しているのが目に入った。
「ねえ、ちょっと、お前」
「──はい」
「こっちに来なさい」
「はい」
呼ばれて立ち上がり近づいてきたのは、すらりと背の高い少年だった。
麦わら色のぼさぼさの髪で、作業服もやぼったい。
しかし、その手入れのされていない髪から覗く顎と鼻筋がとても整っている事にケイティは気づいた。
「お前。名前はなんて言うの」
「……イアンと申します。お客様」
「へえ。イアンね。お前、その鬱陶しい前髪を上げなさい。顔が見えない状態で話をするなんて、失礼だわ」
「あの、大変失礼ですが、お客様……!」
なぜかついてきた者たちが慌てた声を上げたが、ケイティは構うことなくテーブルに頬杖を突き、手を伸ばす。
「見せろと言っているの。従わないつもり?」
扇子の先を少年の頤に当て、無理やり仰向かせた。
さらりと髪が流れ、目元が露わになった。
「あら……」
長い睫毛に覆われた切れ長の瞳。
しかも、滅多に見かけない濃い緑の瞳で、瞳孔の周りが金色に染まっている。
「気に言ったわ。お前、私の侍従になりなさい」
「お客様!」
侍女の悲鳴のような声が、温室に響き渡った。




