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からっぽ

「まあ、ハリー。スノードロップが咲いているわよ」


「まあ~、かわいい~」


 ハロルドはスノードロップの前にちょこんと腰を下ろして膝に手を当て花びらを覗き込む。


「きれいねえ~」


 フィリス達女性に囲まれて暮らしているせいなのか、ハロルドの言葉遣いは女性そのもので、そこが可愛くてたまらない。

 だけどこのままでいいのだろうかと不安がよぎり、義母と侍女長に打ち明けると「まあそのうち急に男っぽい言葉を使いたがるようになりますよ」と二人に言われて安心した。


「かかしゃま、おぐしふわふわ、かわいいわねえ~」


 抱き上げると小さな手を懸命に伸ばしてフィリスの髪に触れる。


「あらそう? うれしいわ」


 アルフレッドが勉強しているのを邪魔しないよう、ハロルドと散歩に出かけた。

 気心の知れた護衛もエマも傍にいて、心安らぐひと時だ。 


「奥方様! 大奥様がお呼びです!」


 侍従が慌てた様子で走ってきた。


「あら、どうしたの」


「アーロン様が……。馬車でこちらを目指していると早馬が来まして」


「それで」


「ウエスト準男爵令嬢もご一緒です」


「わかりました。急いで戻りましょう」


 フィリスは護衛にハロルドを託し、侍従と駆けだした。





 知らせを聞いた四日後に、アーロンとケイティがブルーノ家の屋敷に現れた。


「もう、馬車はこりごりだわ。しかも田舎だし」


 凝った造りの真紅のドレスで馬車から降りたケイティに、出迎えのために並んだ使用人たちはいちように目を丸くする。


「やだ、あんた。ほんっとにちんちくりんなのね!」


 中心に立つフィリスを見るなり、ケイティは指さして大笑いした。


「あはは、笑える! ほんっと無様ねえ。そんな頭を人目にさらすなんて正気? 私だったら恥ずかしくて、とても生きていけないわ」



「愛人の分際で宝石じゃらじゃらつけてベルベットの真っ赤なドレスで現れる方が、かなり正気じゃないと思うけど」


 隣でレイチェルがぼそりと呟き、フィリスは吹き出しそうになるのを堪えた。


「なんですって!」


 笑い転げているにもかかわらず、批判だけはしっかりと耳に届いたらしく、金切り声を上げた。


「お帰りなさいませ、旦那様。お二人のお部屋の用意はできております。寒いのでどうぞ中へお入りください」


 ケイティはレイチェルに任せ、フィリスはアーロンに話しかけた。


「ちょっと! 無視する気! 許さないんだから──」


「ずいぶんとお元気な方ね、アーロン」


 使用人たちが一斉に頭を下げる。


「母上……」


「そちらが、ウエスト準男爵令嬢ですか。長旅でずいぶんと疲れておいでのようね。今日はとりあえず二人ともゆっくりすると良いわ」


 うっすらとほほ笑む義母に、さすがのケイティもぐっと言葉を飲み込んだ。


「アーロン様。こちらです」


 執事の案内に、二人はそそくさとその場を後にした。

 そんな姿を見送りながら、義母は深くため息をつく。


「まさか、本当に来るとは……」


「……お義母様。今日は天気が悪いから冷えますわ。戻りましょう」


 レイチェルと二人で義母を支え、ゆっくりと歩いた。








「この部屋はいったい」


「お二人の為のお部屋でございます。大奥様が指示なされたので今回はこちらの方に。貴賓室でございます」


 アーロンの困惑顔に、執事はにこやかに答えた。


「まあ、そうなの?」


 途端にケイティは機嫌を直す。

 二人が案内されたのはアーロンがかつて使っていた部屋ではなく、確かに身分の高い来客の為に作られた部屋の一つだった。

 

「私の部屋は」


「もちろんございますが、ウエスト準男爵令嬢と御一緒に過ごされるのでしたらこの部屋が一番良いだろうとのことです。どうぞゆっくりとおくつろぎください」


 荷物が次々と運び入れられ、ケイティの衣装がトランクから丁重に取り出され、ドレスルームにかけられていく。

 そして侍従たちもテーブルの上にクロスを広げ、軽食やティーセット、そしてワインも並べていく。


「もしよろしければ召し上がり下さい」


 使用人たちが入れ代わり立ち代わりケイティの世話を焼き、もてなす。


「ふふん。わかっているじゃない」


 ハーブと薔薇の香りの湯船に浸かり、侍女たちに丁寧に洗われて、ケイティは大満足の様子だった。

 しかし、アーロンの気分は晴れないままだった。




「どういうことだ……?」

 

 上等な料理と酒に酔ったケイティは確かに疲れていたのだろう、すぐに眠ってしまった。

 隣で寝息を聞くアーロンは逆に目がさえていく。


 この部屋の周りで人の気配が全くしない。

 もともと、アーロンとフィリスの部屋は今いる部屋の斜め下の方だ。

 使用人たちが階下を行き来する様子もなかった。

 気になって眠れないので、ガウンを羽織ってアーロンは部屋を出た。


 すると、侍従の一人がどこからともなく現れた。


「如何なされました。御用がおありでしたら呼び鈴を使ってくださればいつでも伺いますのに」


「──ああ。いや。たいしたようではなくて。私の部屋に置いていた物を取りに行きたくなったのだ」


「左様でございますか。では、案内いたします」


 廊下と階段には明かりがともされていて、迷うことはないが、久しぶりの我が家はよそよそしく、まるで自分はかりそめの客人のようだと思った。


「どうぞ、お入りください。暖炉に火を入れましょうか?」


「いや、いい」


 中に入って扉を閉める。

 そして、隣の部屋に通じる扉を開けて入り、また次の扉を開けて、そのまた次へたどり着く。

 かつては、夫婦の寝室だったところ──。


「え……」


 その部屋は空っぽだった。

 寝台も、調度品も何もかも取り払われ、冷たい床が広がる。


「そんな……」


 更に隣の扉に手をかけた。

 鍵はかかっておらず、あっさりと開いた。


「───」


 かつては、ここからがフィリスの領域だった。

 寝室、ドレスルーム、洗面所、書斎……。

 次々とアーロンは扉を開けて足を進める。

 しかし。


「ぜんぶ……何もない……?」


 慌てて、廊下に出た。

 すると、そこには先ほどの侍従と執事が立っていた。


「如何なされましたか、アーロン様」


「どう言う事だ」


「……どういうこと、とは」


「とぼけるな。私の寝室は。フィリスの部屋はどうしたんだ。フィリスはどこにいる」


「──大奥様が、もしアーロン様がお尋ねになったならこのように答えるようにと私に命じられました」


 一呼吸おいて執事は続ける。


「フィリス様の御部屋はアーロン様がここをお出になってから場所を移しました。今は大奥様と一緒にハロルド様とお過ごしです」

 

「ハロルド? 誰だその男は!」


「貴方様のご子息ですよ、アーロン様」


「……は?」


 薄明りの中、アーロンの呟きがぽつりと落ちた。


「子息?」


 今の今まで。

 すっかり忘れていたと気づいた。

 名前も、存在すらも。


「こども……?」


 アーロンは愕然とする。

 


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