まがいもの
久しぶりに会ったフィリスは凛として、その場にいる女性たちの誰よりも優雅で美しかった。
ダークブロンドの艶やかな髪を柔らかく結い上げ、希少なペリドットの瞳が僅かな光にさえ煌めいて見える。
小ぶりなピアスしか着けておらず顎の下まできっちりと隠す暗い色のドレスをまとっているのに、清らかな顔立ちで水鳥のようにすらりとしていて、フィリスを見つけた瞬間からアーロンは目を離せなくなった。
ケイティせがまれてドレスを新調するために訪れたはずだったのに、上の空になってしまった。
そして気が付くと店の真ん中で、ケイティが姉のレイチェルと口論を始めていた。
姉は肉感的な美女で猛獣の王さながらの風格がある上に口が立つ。
瞬く間にやり込められ、更にフィリスの他人事のような物言いが追い打ちをかけ、激高したケイティは強制的に店から追い出された。
帰りは散々だった。
泣きわめくケイティを馬車に乗せるまで外でも人々の注目を集め、笑われっぱなしで恥ずかしかった。
屋敷に着くなりケイティは人にも物にも当たり散らし、この日を境に幾人も使用人が辞めていき、一気に不便になった。
フィリスにせいで。
なぜ自分がこんな目に遭わなければならない。
アーロンは酒で憂さを晴らした。
酒の量はどんどん増え続けていく。
侍従たちが止めたが、傷は治ったと一喝し、また飲む。
最悪なことに、その数日後には新年の宴に出席せねばならなかった。
体調不良を理由にやめてしまいたかったが、王族からの忠告を思い出す。
仕方なしに王宮へ向かい、エスコートするためのフィリスの元へ行った。
見たくない。
触れたくない。
しかし。
腕に預けられた指先、微かに伝わる体温、懐かしい清涼な香り。
意識すればするほどアーロンは混乱してきた。
『……その香水は母上のか』
口が勝手に問いかける。
『はい。お義母様から頂いて──』
確かに、母のお気に入りの百合の香水に似ている。
だけど、そうじゃない。
これはフィリスの香りだ。
二人で過ごしたあの庭の──。
『母の匂いを纏った女と歩くなど、恥だ』
違う。
違う。
俺はいったい、何を言っている。
その後もずっと。
まるで別の人格に乗っ取られたように、口も手も顔の表情さえも勝手に動いていく。
やめろ、やめてくれと思う自分と、この女を踏みにじりたいと思う自分がいて、後者の方が強く、止まらない。
ダンスを終えて、男たちのたむろする部屋で酒と煙草を飲む。
飲めば飲むほどに頭の中はぐちゃぐちゃになった。
そして。
気が付くと自分はタウンハウスのフィリスの寝室に乗り込んで──。
鋏を持ち出し、彼女の美しい髪を切り刻んでいた。
『別れましょう』
薄明りの中、ペリドットの瞳はまるで氷のように冷たくアーロンを見つめてた。
フィリスに、そんな目で見られたのは初めてだった。
何があっても。
どんなにひどい言葉を投げつけても。
フィリスは決してアーロンをあきらめなかった。
三年近くもアーロンが婚約破棄をもくろみ続けたのを知っていながら、結婚も責めることなくすんなりと受け入れた。
思えば、フィリスは実の父に売られ、継母と異母妹弟とも仲が悪い。
この女には、ブルーノ以外に生きる場所がないのだ。
だから、何があっても離れないと。
だから、アーロンにすがるしかないのだと。
そう思っていたのに。
アーロンの中で失望が生まれ、やがて憎しみに変わった。
裏切り者。
愛していると、言ったじゃないか。
怒りをぶつけて、タウンハウスから飛び出した。
使用人をたたき起こして馬車に乗り、別邸にたどり着いた時にふとポケットの重みに気が付いた。
そういえば書机を漁った時に宝飾品を見つけ、鷲掴みにしたのだった。
サファイアの首飾りと耳飾り。
母の大切にしているものだった。
昔は、これをフィリスが着けているのを見るのが好きだった。
青は自分の色でもある。
フィリスは自分のものだと、周囲にわからせるのに、これほど効果的なものはないと思っていた。
『アーロン、やっと帰って来たのね』
ケイティが抱き着いて来るなり、首飾りに気付く。
『まあ! なにこれ、すっごーい。こんな大きなサファイア見た事ないわ。ねえ、これ、私に?』
むしゃくしゃしていた。
だから。
『ああ、もちろんさ』
その場でケイティにつけてやった。
『うふふ。やっぱり……こうじゃなきゃ』
『え?』
それからのケイティは外出する時には必ず首飾りを着けた。
それから間もなく、アーロンは違和感を覚えた。
まず、母とフィリスからの手紙が途絶え、タウンハウスを通して品物が届かなくなった。
生活費を減らされたわけでもなく、ケイティが壊したものは入れ替えられて調度品も綺麗になった。
使用人も入れ替わり、ケイティも首飾りがよほど嬉しかったのか癇癪を起すことはない。
生活に不自由はない。
しかし、アーロンを取り巻く空気が変わった。
そして、紳士クラブへ行くと会う人みなどこかよそよそしい。
町でばったり会った友人をつかまえカフェで世間話ついでに尋ねてみると、彼は呆れた顔をした。
「そりゃあ、君が新年の宴の夜に夫人に暴力をふるって、鋏を振りかざして髪をめちゃくちゃに切ったことは知れ渡っているさ。修道女並みの長さになっているって、誰もが知っているよ」
「は……?」
家の中で行われたことだから、知れ渡ることはないと思い込んでいた。
フィリスは自室に引きこもって誰にも見られることはないとも。
ところが、タウンハウスでこの件についてのかん口令は敷かれておらず、更に領地でフィリスは全く気にすることなく馬に乗り領地を回っていて、領民や商人たちから話があっという間に広まったと言う。
そんなことすら、アーロンは全く知らなかった。
「しかも、ウエスト準男爵令嬢があちこちで自慢して回っているサファイアの首飾りが、新年の宴でフィリス夫人が着けていた品だって、女性ならみんな覚えているからな。例え君がフィリス夫人との離婚を円満に成立させたとしても、誰もその後釜に座りたいと手を上げる女性も家門もないだろうな。ああ、一人いるか。ウエスト準男爵令嬢」
そう言うなり、何がおかしいのか、腹を抱えて笑いだした。
「何かおかしい」
「だってそうだろう。君は夫人の父親──ドナルド・ウエストだったっけか、奴にそっくりだ。才色兼備で名高く美しい令嬢とせっかく婚約したのに、裏で格下の従妹と通じた。誰が見てもまがいものの女に入れあげて、妻を虐め殺してさあ。まあ、それがきみの幸せなら止めないよ。ただし、私に声をかけるのはこれきりにしてくれ」
「おい……」
「同類に思われたら困るからな。いくら妻と相性が悪いからって、やり過ぎだ」
アーロンは口半開きにしたまま、かつての友人が去るのを見送るしかなかった。




