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帰郷

「ただいま帰りました」


「かかしゃま~」


 馬車から降りると、ハロルドが毬が弾むように駆けてきて、フィリスに飛びついた。


「ふふ。お出迎え有難う、ハリー」


 抱きかかえて柔らかなほっぺたに音をたててキスをすると、甲高い悲鳴を上げて笑う。


「かかしゃま、ようせいしゃん」


「あら、そう?」


 フィリスの髪は肩の上で切りそろえられた。

 腰まで伸ばしていた頃の重さがなくなったせいか、巻き毛がくるくると巻いてしまい、見た目は顎までの長さになっている。


「ハリーとお揃いね」


「おしょろい……」


 腕のなかでくふふとハロルドが笑う。

 息子の髪はフィリスの巻き毛とアーロンの金髪が受け継がれていた。


「かわいいかわいい私のハリー。ずっと会いたかったわ」


 つい、またほっぺたを吸うと、「いやいやあん」と笑いながら小さな手のひらで顔を押しのけられた。


「お帰りなさい、フィリス」


 騎士にハロルドを預けて義母に頭を下げた。


「ただいま帰りました。寒いなか外まで出迎えてに来てくださりありがとうございます」


「フィリス……」


 痛まし気に見つめる義母の手を両手で取り、フィリスは笑った。


「懐かしいと思いませんか? 私がこのお屋敷に初めて降り立った日も同じような髪形でした。そんな私をお義母さまはにこやかに迎えてくださり、手をつないで案内してくださいました。今日は、私がお義母さまをお連れする番ですね」


「まあ、この子は」


 軽い調子で話すフィリスに合わせて、義母は笑う。

 義母の手は、これほど小さかっただろうか。

 フィリスは、泣きたくなるのを堪えた。



 領地の人々も最初はフィリスの髪の様子に驚いたが、すぐに慣れた。

 貴族の女性は長い髪が通例であるが、平民はまちまちだったのでさほど珍しいものではない。

 ひと月もすれば一つにまとめることができるようになったし、切り落とされた髪を侍女たちがかき集めてつけ毛に加工してくれた。

 社交に出る時はそれを使って綺麗に結い上げてくれ、フィリスとしては短いままの方が楽なのではと思い始める。

 ばっさりと髪を切り落とされた時、ブルーノに来てからのフィリスを切り取られたような気がした。

 気付けば、フィリスの人生の中で関わった時間が一番短いのはアーロンだ。

 ハロルドも秋が来れば二歳になる。


 



 ***



「こんなはずじゃなかった……」


 アーロンは自室で独り、頭を抱えていた。


 あの新年の宴の時。

 まだ、気持ちの整理がついていなかった。

 もう一年近く会っていない妻とどう接すればよいのかわからなかった。


 関わりを拒絶し続けていたのは自分だ。


 別邸に移ってから、フィリスは折に触れて手紙や物を送ってきた。

 精緻な刺しゅうを施したハンカチ、質の良いシャツ、領地で採れた果物や保存食など、二人で暮らしていた時にアーロンが好んだものをタウンハウスの執事に委ね、彼がアーロンの元へやってくる。

 使用人や必需品の手配も完璧で、アーロンの口座には伯爵として恥ずかしくないだけの金額が常に入金されていた。

 手紙には領地のことや赤ん坊の事が細々と書いてあり、読むのが辛くなって途中から開封するのをやめてそのまま机の引き出しにしまっている。


 フィリスから愛されていることが辛かった。

 何から何まで気遣われて、逆に束縛されているような気になり、息苦しさから幾人かの貴婦人と一夜の遊びを繰り返した。


 そんな時に再会したのがケイティだった。

 親の借金の返済のために若い女性好きの年寄りに嫁がされ、結局また新しい女性に挿げ替えると追い出されたケイティは、大人の女性に成長していた。

 カフェで向かい合って話をしている最中に、アーロンの頭の中で悪魔がささやいた。

 ケイティを愛人にしたならば。

 フィリスはどれほど傷つくだろうと。

 フィリスの母からケイティの母はウエスト家も夫も奪った。

 これほどの痛手はないだろう。


 アーロンは、とにかくフィリスを傷つけたかった。

 フィリスのせいで自分はいま空虚な日々を送っている。

 なのに彼女はまるで何事もなかったかのように振舞い、母たちと楽しく暮らしている。

 許せなかった。

 泣いて嘆いてやつれ果てる姿を見たかった。



 ケイティは学院の後輩で、ある日呼び止められてフィリスがどれほど不器量で教養のない女かを打ち明けられた。

 彼女は姉の評判の悪さのせいで、自分は婚約者も同性の友達もできないと嘆いて涙をこぼした。

 ピンクブロンドの愛らしい容姿で、明るく華やかな少女はくるくる表情が変わり、淑女ぶっている他の同級生たちとは違っていて、心惹かれた。

 それから何度かカフェテリアで一緒に昼食をとっていると担任の教師に呼び出され、「婚約者の妹と必要以上に親しくするのは外聞が悪い」とたしなめられた。


 アーロンはその時の屈辱を思い出し、まるで今日のことのように苛立ちを感じた。

 紳士だの淑女だのくそくらえだ。

 なら、その外聞の悪いことをやってやろうじゃないか。


 ケイティを別邸に呼び寄せ、夫婦同然の暮らしを始めた。

 まもなく彼女の弟のジェイクが、ウエスト準男爵が行方知らずになってから家計が立ち行かず家を引き払ったと言うので受け入れて、彼の学費もアーロンが払った。

 奔放なケイティとの毎日は新鮮で楽しかった。



 都で一番人気のドレスメーカーで、フィリスと姉に再開するまでは。

 


 


 

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