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グィネスの想い

 あの夜から一年経ち、フィリスは二十歳になった。

 その間にハロルドが生まれ、そして今、アーロンの裏切りを知った。

 こんな未来になろうとは思いもしなかった。


「お義母様……。やはり私とハロルドはここを去るべきででしょう。そして、新しい奥方をブルーノ家は迎えるのです。そうすれば……」


「……いいえ。キャメロン・ブルーノが消えて身の危険は無くなったけれど、アーロンがその様子ではどの家も娘を妻にと望む親はいないでしょう。ケイティ・ウエストが愛人なのだから」


「それは……。大変申し訳ありません。異母妹のせいで」


「謝るのべきなは私の方よ。フィリス。貴方には本当に申し訳ない。婚約時代といい、今といい。……私は息子の育て方を間違ってしまった。いえ、実際には育てていないわね。執務にかまけて、何もかも乳母たちにまかせっきりだったのだから」


「そんな──」


 執務机に肘をついて、両手に額をあてうつむく義母に、フィリスはかける言葉を見つけられない。

 重い沈黙が執務室にのしかかる。

 深いため息を一つついて、義母は顔を上げた。


「レイチェル。アルフレッドは、今年何歳になるのかしら」


「……八歳になります。春になったら」


「籍だけでいいから、ブルーノの養子にしたいと思う。駄目かしら?」


 アルフレッドはレイチェルの三番目の息子だ。

 祖母であるグィネスによく似た面差しの、賢く明るい子に育っている。

 義母がアルフレッドを養子にすることにより、アーロンの弟として、ゆくゆくはハロルドの後見人、もしくは彼自身をアーロンの次の当主とする旨、国に届け出を出したいと言う。


「もしもケイティが子を産んだ場合、何があってもその子がブルーノを継げないよう、今のうちに手を打っておきたいの」

 

「我が家はブルーノの家臣です。否と言うはずがありませんわ。私もそうやって育ったのですから」


「……その件に関して、貴方たちには本当に申し訳ないと思っているの。その上今もこうして……」


 レイチェル達三姉妹は、生まれてすぐにそれぞれ信用のおける家へ養女に出された。

 出産直後に女だと知ったキャメロンが怒り狂い、赤ん坊に危害を及ぼそうとしたからだ。

 立て続けに三人産まされたグィネスは身体を壊し、数年後にようやく生まれたアーロンのおかげで彼女の辛い勤めは終わった。


「お母さま。私たちはお母さまを恨んでいません。そりゃあ、最初は何故? と寂しく思いましたが、お母さまと良識ある人々が全力で守ってくれたから、健康に育ち、素晴らしい夫と結婚し、可愛い子どもたちにも恵まれました。それに、お母さまはあの男がこちらにいない間は必ず呼び寄せて可愛がってくれたではありませんか。今度は、私たちがお母さまとフィリスを支える番です」


「レイチェル、エイダ、二コラ……。貴方たちを忘れた日は一日もない。私の力不足でこんなことになって、本当にごめんなさい」


「お母さま、大丈夫。アルフレッドがもしその役割に不向きに育っても、エイダにもニコラにも男の子がいるのだから。どの子も良い子でよりどりみどりよ。選択肢はたくさんあるわ。お母様、娘を三人産んで良かったわね。ああでも、うちの次男は学者になりたいようだから、後継者候補から除外していただけるとありがたいけれど」


 明るい声でまくしたてて、レイチェルは母にウィンクして見せた。


「この子ったら……」


 泣き笑いのような顔をして義母は立ち上がり、レイチェルを抱きしめた。


「ありがとう。心強い味方がいて、私は幸せよ」


 レイチェルは身をかがめて母を抱きしめ返し、彼女もまた嬉しそうな笑みを浮かべ、目尻から涙をこぼした。



 その後、グィネス・ブルーノは国に養子縁組と遺言書を提出し、受理された。

 アーロンが爵位を継承したが、療養を理由に一切の執務を行っておらず、グィネスとフィリスが取り仕切っていることは明白で、事実、ブルーノ家の印証はグィネスが伯爵家の執政官として使用している。

 グィネスの養子ゆえにアーロンの同意を必要としないため、彼に知らせることもしなかった。

 彼女に課された任務は、命尽きるまで終わらない。

 当然の判断だった。

 


 


「叔母様。ハリーはもう眠たいみたい」


 ハーブ庭園でローズマリーを積んでいたら、エマと一緒に傍でハロルドの相手をしてくれていたアルフレッドが声をかけてきた。


「教えてくれてありがとう、アルフレッド。じゃあ、そろそろ屋敷へ戻りましょうか」


 彼はもう、幼い頃のように『フィー』と呼んでくれない。

 少し寂しいが、仕方のないこと。


「はい」


 まだ幼いアルフレッドに伯爵家の事情を押し付けるのは申し訳ないと思ったが、きちんと事情を説明して、少しずつ環境に慣らした方が良いと言う周囲の意見で、最初は半日、やがて一週間に一度お泊りと、滞在時間を伸ばし、今は週末だけ実家に戻るという生活になってきた。

 フィリスとグィネスの間にハロルドとアルフレッドの子ども部屋を作り、いつでも行き来できるよう繋げた。

 レイチェルの屋敷からは馬車で数時間の距離ということもあり、もともとよくここには出入りしていた。

 アルフレッドはブルーノでの生活にすぐに馴染んでくれ、使用人たちとの関係も良好で、フィリスとしては胸をなでおろしている。


「ローズマリーは、私がお持ちします」


「ありがとう、イアン。お願いね」


 薬草を詰め込んだ籠を、一緒に作業をしていたイアンに預けた。

 時々、天気の良い時はこうして少しだけ庭仕事をさせてもらっている。

 最高の息抜きだ。


「さあ、ハロルド様」


「う~」


 ぐずるハロルドを従者が抱き上げた。

 ハロルドはあっという間に大きくなり、活発になった。

 癇癪を起すと、ビチビチと陸に上がった魚のように身体を逸らして跳ねる。

 小柄なエマとフィリスではとても手に負えなくなってきたので、従者についてもらうこととなった。

 生れた時には触れるのが怖くなるほど小さかったのに、私たちの手を煩わせるほどに成長するなんて。

 知らず、笑みがこぼれた。


「あのね、叔母様……」


 隣で歩くアルフレッドがちらちらとフィリスを見て、目を逸らした。


「なあに。どうしたの?」


「昔みたいに……。アリーって、呼んでくれませんか……?」


 耳が真っ赤になっていた。

 なんて可愛らしい。


「喜んで呼ばせてもらうわ、アリー。では、私の事はフィーと」


「それはだめ。フィーは叔母様だから……。あっ……」


 慌てて手で口に蓋をした。

 きっと彼は、心の中でフィリスをフィーと呼んでくれていたのだ。

 まるで両想いみたいで、とても嬉しかった。


「ふふ。じゃあ、昔みたいに抱っこして良いかしら?」


「それも駄目。僕はもう八歳なんだから」


「ええ……? 少しくらい良いでしょう?」


「だめです、だめだめ!」


 フィリスとアルフレッドは広い庭園の芝生上で追いかけっこを始める。


「若奥様。また、転びますよー?」


 エマの呆れ声が風に流れていく。

 フィリスは笑いながら全速力でアルフレッドを追いかけた。

 アルフレッドは悲鳴を上げながら逃げ回る。


「捕まえた!」


 林檎の花の香りが、ブルーノの屋敷を包みこむ。

 グィネスは開け放たれた窓からフィリスたちを見下ろし、侍女長たちと微笑んだ。





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