その扉は、開けてはならない。
新年の宴の翌朝、フィリスたちは出立した。
天候が悪い日が続いて思うように進まず、何度も足止めを食った。
しかし本来の予定よりもはるかに早い主人たちの帰還に、出迎えた使用人たちは驚く。
おかげで屋敷の中はいつになく統制が取れない状態となった。
荷をおろしたり、部屋を整えたり、右往左往している。
その隙に乗じて。
誰にも気づかれることなく。
悪しきものが紛れ込んでいた。
ダンダンダンダン!
激しく扉を叩く音に、フィリスは飛び起きた。
今はまだ夜深く。
隣で眠るアーロンは疲れ切っていて、ゆすってみたが、ぴくりとも動かない。
フィリス自身、深く眠っていたところを起こされたため、頭の中がひどくぼんやりしている。
とりあえずガウンを羽織って寝台を降り、扉の近くまで行った。
「……誰?」
声をかけると、すぐに返事が返ってきた。
「だ、ダリルでございます。若奥様……」
「ダリル?」
侍女長がこの真夜中になぜ。
扉の向こうから聞こえる声と抑揚に違和感を感じたが、つい、尋ねてしまった。
「どうしたの。こんな遅くに」
「か、火事です。火の不始末であっという間に燃え広がって、火の手が……っ。若奥様、お逃げください。こちらも危のうございますっ!」
足元からすうっと焦げ臭いにおいが入ってくる。
火事。
なのに、夜の闇に支配されているのか、他の使用人たちの気配がしない。
それに、ダリルは、こんな物言いをする人だっただろうか。
彼女はもっと……。
「開けてください、お願いです! 早く逃げてください」
「アーロンがまだ」
「わたくしが若様を起こしてお連れします! だから、扉を!」
「でも……」
フィリスは躊躇った。
この三年で染みついた習慣が身体を縛る。
『夜明けになるまで、絶対に扉を開けないで』
こんな時にも?
火事なら、この扉を開けないと逃げることはできない。
「若奥様! 扉を開けてください。火元は大奥様の御部屋の方なのです!」
『何があっても開けてはだめよ。もしそれが真実だとしても、夜に起きたことはどうにもならないのだから』
「若奥様! お願いです!」
切迫した侍女長の声に交じって、ぱちぱちと何かが燃えはじけるような音も聞こえてきた。
フィリスは、震える手で内鍵に手を伸ばす。
一つ、二つ……。
「待て、フィリス! 駄目だ!」
背後から、アーロンの怒鳴り声が聞こえた。
「え……?」
フィリスは振り向きながら、手をかけていた三つ目の鍵を回してしまった。
カチリ。
解錠してしまった瞬間、戸板が消えた。
バーン!
部屋の中に嵐が飛び込んでくる。
『今から言う事を笑わずに聞いて』
『この家には人に化けて人を喰らう、恐ろしい魔物が出るの』
『悪知恵に長けた恐ろしい魔物。貴方に鍵を開けさせるために、扉の向こうからあらゆることを語り掛けてくるわ。助けを求めたり、何か重大な話をしたいから入れてくれというでしょう』
『だから、内鍵を開けないと約束して』
飛び込んできたのは。
ひとの姿をした魔物たちで。
「ひっ……」
逃げる間もなく、フィリスは闇に飲み込まれてしまった。
そして。
「うわあああああああ---!」
アーロンの絶叫だけが耳に残った。




