アースカラー
後に、庭の散策はグィネス夫人の気遣いで、勉強ばかりのフィリスへ息抜きの場を提供してくれたと知った。
以来、フィリスは早朝に部屋を出て、庭を散策するようになった。
これから夏にかけて日の出はどんどん早くなる。
『掟』は守っているのだから、周囲に咎められることはなかった。
やがて、同じく日の出の頃から働いているゴードン達とよく遭遇し、作業を手伝わせてもらえるようになった。
「フィリス様は、ずいぶんて慣れていらっしゃるのですね。ご実家でも庭の手入れをなさっていたのですか」
水やり、雑草ぬき、虫の始末ばかりでなく堆肥を撒くのも躊躇なくこなす姿は、令嬢らしからぬものなのだろう。
イアンが正直に尋ねてきた。
「庭仕事、というよりも、畑仕事ね。病気療養のために領地の一角で暮らしていたのだけど、いろいろ事情があってほぼ自給自足だったから、ライ麦をあちこちに植えたわね。とても土が貧しいところだったの」
「ライ麦を……あちこちというのはなぜですか」
イアンの声はまだあどけなくて、頬もふっくらしていて、本当に可愛らしい。
つい、するりと答えてしまう。
「まずは飢饉に備えていたせいもあるけど。私が暮らした家の近くは……時々。そうね。魔物が抜き打ちで現れるの。炎を操る情け容赦ない魔物たちが」
その魔物の名前はアリス。継母だ。
そして数年前からマーガレットも一緒だった。
彼女たちは男たちを連れて襲来し、フィリスを痛めつける。
「その魔物はね。あともう少しで口に入るって時にやってきては、火を点けるの。刈り取って干していたライ麦をやられた時にはさすがに息が止まりそうになったけど」
しかも、フィリスとエマを取り押さえて目の前で焼くのだから、本当に趣味が悪い。
絶望して泣いているのを見届けると、満足して彼らは引き上げる。
「それは……まもの、なのですか」
「魔物だと思わないと、やっていけなかったから」
子どもたちのやり取りを聞きながら作業していたジェスが手を止めた。
「この数年は飢饉と無理な取り立てで周辺の領民たちのほとんどが逃げ出したから、逆に飢えは凌げたわね。ライ麦はそもそも雑草でしょう。継母……じゃなかった、ええと、魔物たちは農作物を直接目にしたことがなかったから見分けがつかないし、廃屋や放棄された土地で勝手に生えるから火をつけて回るのは大変だし、家庭菜園の跡地も同じこと。全部ありがたく収穫させてもらったわ」
夜逃げする領民たちからは、逃げだせないフィリスの行く末を憂いて、詫びられたが。
むしろ詫びねばならぬのはフィリスの方だ。
当主の長女なのに、彼らを助ける手立てがないばかりか、フィリスが生き延びているのは領民たちが密かに助けているせいだと彼らを目の敵にした父と継母が、見せしめにどの領民たちも過酷な税を強いた。
領民が豊かな生活をしてこその領主だと思うが、彼らにはその考えはまったくなく、ウエスト家の領民は減り続け、ますます貧しくなる一方だ。
「ミルクを分けてもらうために家畜の世話を手伝っていたから、山羊と羊とロバの扱いはだいたいわかるし、堆肥作りもね。家畜小屋のにおいも気にならない……というかむしろ好きだし、家畜にずっと触っていないからだから、寂しいわ。そんなわけで全然お嬢様ではないの、私」
「……フィリス様」
「なあに」
「ブルーノ家の北の方に、牛とか羊とか……、います。料理の為に飼われている場所が」
イアンがフィリスの顔を見上げてきた。
「奥方様の御許しが出たら、行ってみませんか。ぼく、牧童のみなさんと仲良しなんです」
一生懸命な言葉が嬉しい。
「……ふふ。ありがとう、イアン。ぜひ行きたいわ」
この時初めて、麦わら色の長い前髪に隠れたイアンの瞳の色に気が付いた。
黄緑の縁で中央が黄金色。
つまりはアースカラーの瞳。
二色が美しく混じった、希少な宝玉。




