あなたのためを思って言っているのよ?
「ヴェリーヌ様、少しお時間よろしいかしら?」
ヴェリーヌが静かに足を止める。尋ねてきたのは同じ公爵令嬢のユーフェミアだ。金色のふわふわした髪に青色の瞳、どこか儚げな雰囲気を纏った彼女はヴェリーヌに向かってニコリと微笑みかける。
(よろしくないです!)
そう思いつつ、ヴェリーヌは渋々微笑みを返す。ユーフェミアは「下で話しましょう」とヴェリーヌを教室の外へ誘導した。
「親しくなさる令嬢は、もう少し慎重にお選びになったほうがよいと思いますの」
校庭のガゼボに到着すると、ユーフェミアはすぐに本題を切り出してきた。ヴェリーヌは内心げんなりしつつ、「まあ、なぜですの?」と質問を返す。
「わたくしたちはどちらも公爵家の娘。いずれは社交界を引っ張っていくべき存在でしょう? それなのに、ヴェリーヌ様のように平民や下位貴族とばかりお付き合いをしていては、将来困ることになるんじゃないかと思いまして」
(そうかしら?)
そう言い返したい気持ちをグッと堪え、ヴェリーヌは静かに目を細めた。
「彼女たちには刺繍を教わっていましたの。授業のときに、刺繍から魔術を付与する技術が素晴らしかったのを拝見しましたので」
「あら、そうでしたの。けれど、わたくしのサロンにも刺繍が得意な令嬢はたくさんいらっしゃいますわ。今後は是非そちらのほうに」
ユーフェミアはそう言ってヴェリヌーヌの手を握ってくる。
(知ってます。彼女たちじゃ不十分だから教えを請うているのよ)
苛立ちを笑顔の下に隠しつつ、ヴェリーヌの胸がムカムカと疼いた。
ユーフェミアとヴェリーヌはそれぞれ公爵令嬢だが、とことん価値基準が合わない。
選民思想が強く身分第一主義のユーフェミアは、誰にでも気さくに接するヴェリーヌのすることなすことが気に食わないらしく、こうして苦言を呈してくるのだ。
「いいですか、ヴェリーヌ様。わたくしはあなたのためを思って言っていますのよ?」
ユーフェミアはそう言って目を細める。
「身分の低い方とばかりお付き合いしていては、ヴェリーヌ様の価値が下がってしまいます。それではもったいないですもの。ぜひとも改善すべきですわ」
言いたいことをすべて言い終えるとユーフェミアは教室に戻っていった。
(もう!)
ヴェリーヌはというと、イライラとモヤモヤが収まらず、ガゼボに腰掛けたままムッと唇を尖らせる。
(私が誰と親しくしようと、ユーフェミア様には関係ないのに)
考えるだけで煩わしいし、完全に余計なお世話だ。しかも、相手は厚意を装っているから、意向に沿った対応をしないとこちらが悪者になりかねない。
(さて、どうしようかな……)
「まったく、言葉は正しく使わないと。『あなたのため』じゃなくて『自分が嫌だから』言ってるのにね」
背後から、笑い声とともにそんな言葉が聞こえてくる。ヴェリーヌが振り返ると、そこには隣国からの留学生であるアダルヘルムが立っていた。銀色の短髪に神秘的な紫色の瞳を持つ美しい男性である。
「アダルヘルム様……聞いていらっしゃったんですね」
「教室から連行されるのが見えたから心配でね」
ヴェリーヌの隣にアダルヘルムが腰掛ける。アダルヘルムはヴェリーヌの頭をポンポンと優しく撫でた。
「言い返せばよかったのに。ヴェリーヌならあのぐらい、論破できるだろう?」
「しませんよ。それをして、困るのは他のクラスメイトたちですもの。私とユーフェミア様、どちらの味方につくかヤキモキさせたり、気まずい雰囲気になったら気の毒ですから」
どちらも公爵令嬢という高い身分を持つヴェリーヌとユーフェミアは、表面上だけでも仲良くしておく必要がある。対立して派閥ができてしまっては、他のクラスメイトたちが平穏な学生生活が送れなくなるのだ。
「だけど、このまま抱え込んでいたらヴェリーヌの気が収まらないだろう?」
「おっしゃるとおりです。なので――今から独り言をいうので、聞き流してもらえます?」
ヴェリーヌは大きく息を吸うと、眉間に思い切りシワを寄せた。
「身分身分っておっしゃいますけど、そうやって身分ばかりを気にして素晴らしい技術を取り入れようとしないから、高位貴族の魔力や技術が下がる一方なんです! 大体、身分なんて自分の手で勝ち取ったものじゃないでしょう? 下位貴族だろうが平民だろうが、素敵な人はたくさんいるんです。お付き合いしてなにが悪いの? それで私の価値が下がろうとも、ユーフェミア様には関係ありませんし、大きなお世話です! なにが『あなたのためを思って言っていますのよ』よ!」
一気にそう捲し立てると、ヴェリーヌはフーフーと息をつく。それからどちらともなく声を上げて笑いはじめた。
「少しはスッキリした?」
「少しだけ、ね」
ヴェリーヌは伸びをしてから立ち上がると、アダルヘルムに向かって目を細める。
「聞いていただいてありがとうございました」
「当然だよ。愚痴を聞かせてもらえるのは恋人の特権だろう?」
アダルヘルムがそう言って手を繋ぐ。ヴェリーヌは胸を高鳴らせつつ、はにかむように笑った。
***
「ヴェリーヌ様、この後少しお時間をいただけませんか?」
(またか)
それから数日後の放課後、ヴェリーヌはまたユーフェミアから声をかけられた。用事があると嘘をつくこともできるが、日程は延ばせたとしても、話から逃げることはできないだろう。仕方がない――ユーフェミアについていったヴェリーヌは、内心で大きくため息をついた。
「ヴェリーヌ様はご自分の将来について、どのようにお考えなのでしょう?」
「将来ですか?」
いつものように本題を切り出したユーフェミアは、困ったように首を傾げる。
「ほら、わたくしは王太子殿下との婚約が決まっておりますでしょう? あなたもそろそろ、婚約者を選ばなければならないと思いまして」
(盛っ大なお世話です!)
ヴェリーヌは感情が表情に出ないよう細心の注意をはらいつつ、ニコリと微笑んでみせた。
「公爵家の令嬢ともなれば、お相手は高位貴族に限られるでしょう? わたくしたちにふさわしい男性なんて、そう多くありませんもの。お急ぎになったほうがいいのではございませんか?」
けれど、ユーフェミアはヴェリーヌの気持ちなどお構いなしに、グイグイと押し迫ってくる。
「あの、私は別に――」
「まさか、恋愛にうつつを抜かして婚約を先延ばしにする、なんておっしゃいませんよね?」
ジロリ、とユーフェミアがヴェリーヌを睨む。ヴェリーヌはウッと息をのんだ。
「高位貴族であるわたくしたちが恋愛結婚をできるなんて、夢のまた夢ですわ。ヴェリーヌ様もそれはわかっていらっしゃいますでしょう?」
「え、ええ……」
「家格が釣り合うかどうか、政治的な影響、資産の兼ね合いなど、考慮すべきことがたくさんありますものね。その点、隣国の子爵令息はヴェリーヌ様にふさわしくないと思いますの。留学期間もあとほんの数ヶ月しか残っていないでしょう?」
「……!」
隣国の子爵令息とはアダルヘルムのことだ。ユーフェミアはいつの間にか、ヴェリーヌとアダルヘルムが恋人同士だということに勘付いていたらしい。
「将来の約束ができないお付き合いを重ねても、双方にとっていいことはなにもないのではありませんか?」
「そ、れは……」
「ヴェリーヌ様、わたくしはあなたのためを思って言っていますのよ?」
ユーフェミアがヴェリーヌの手をギュッと握る。
「今度の夜会でわたくしがヴェリーヌ様にふさわしい男性を紹介しますから。楽しみになさっていてね?」
ユーフェミアの後ろ姿を見送りながら、ヴェリーヌは自分の胸にそっと手を当てた。
(痛いところを突かれてしまったな)
確かに、ユーフェミアの言うとおりだ。
アダルヘルムとは将来の約束をしたわけではない。気持ちが通じ合って恋人同士にはなれたものの、結婚ができるかどうかは別問題だ。いずれ別れるとわかっていて交際を重ねても、双方にとって意味がない。それでも――。
「ヴェリーヌにお願い事があるんだけど」
と、後ろから唐突に抱きしめられる。アダルヘルムの声だ。ヴェリーヌの目頭がじわりと熱くなる。
「お願い事ですか?」
「うん。今度の長期休暇に一時帰国をするんだけど」
アダルヘルムはヴェリーヌの額に口付けると、そっと目を細めた。
「ヴェリーヌにも一緒に来て、俺の両親に会ってほしいんだ」
ドキッとヴェリーヌの胸が高鳴る。ヴェリーヌはアダルヘルムの腕を抱きしめ返した。
「いいんですか? そんなことをして。後戻りができなくなりますよ?」
「もちろん。既に関係各所に根回しをしているのに、ヴェリーヌに後戻りをされては逆に困る」
そう言ってあっけらかんと笑うアダルヘルムに、ヴェリーヌの瞳から涙がこぼれ落ちる。
「それと、来年はヴェリーヌがうちの国――ジュゼヴィルム王国に留学においでよ。結婚前に国について知っておいたほうがいいと思うんだ。あちらのほうが伸び伸びと過ごせると思うし」
「思うし?」
「たとえ一年でも、ヴェリーヌと離れて過ごすのは俺が寂しい」
アダルヘルムの言葉に、ヴェリーヌはふふっと小さく笑う。
「行きますよ。アダルヘルム様と一緒ならどこまでも」
ヴェリーヌを見つめながら、アダルヘルムは嬉しそうに目を細めた。
***
(ああ、憂鬱だわ)
ヴェリーヌは扇子で口元を隠しつつ、そっとため息をついた。
今夜は王家主催の夜会だ。ヴェリーヌは元々招待客の一人であり、参加をしないという選択肢はない。身分柄、社交関係の出事は多いし、夜会へ出席すること自体はそこまで負担に思わない。
では、いったいなにが憂鬱かというとユーフェミアのことだ。
「ヴェリーヌ様、あちらの侯爵令息をご存知ですか? 年齢的にも家格的にもヴェリーヌ様に釣り合うと思いますの」
ユーフェミアはそんなことを言いながら、嬉々としてヴェリーヌを連れて回る。先日のお節介――もとい、約束を果たそうとしているのだ。
「あの、ユーフェミア様……お気持ちは嬉しいのですが、やっぱり私」
「遠慮をなさらないで。この機会を逃してはいけませんわ。他でもないヴェリーヌ様のためですもの。今夜、この場で婚約者候補を絞るべきです」
「いえいえ、ユーフェミア様は王太子殿下の婚約者ですし、私のことなど放っておいていただいて大丈夫ですから」
今夜は王家主催の夜会だから、ユーフェミアにはユーフェミアのすべきことがある。ヴェリーヌに構っている暇などないはずなのだが。
「あら、大事な友人の結婚相手を見つけることほど大切なことはございませんわ。わたくしには既に王太子殿下という素敵な婚約者がおりますし」
ユーフェミアはそう言ってニコニコと笑う。
(なるほど……ユーフェミア様は他の男性と殿下を比べて、私に対してマウントを取りたいのね)
ユーフェミアはその後もヴェリーヌにふさわしい男性を挙げ連ねながら、自身の婚約者である王太子の自慢を散りばめ、ヴェリーヌに対して「早く婚約をするように」と勧めてくる。
本人の望んでいないお節介とはなんと不要の長物だろう? けれど『あなたのため』だと言われると断りづらいし、断れたとしても妙な罪悪感を植え付けられてしまうものだ。
(だけど)
「ユーフェミア様にお話があります」
「あら、なにかしら?」
ユーフェミアがそっと目を細める。ヴェリーヌは意を決してユーフェミアに向き直った。
「私、アダルヘルム様との婚約が決まったんです」
「まあ……!」
ユーフェミアは目を丸くすると、ヴェリーヌの肩を両手で掴んだ。
「そんな、嘘でしょう? どうして? そうならないよう、きちんと助言をしてきたでしょう? わたくしの厚意を無碍にするなんてひどいですわ」
今にも泣き出しそうな表情でユーフェミアが言う。ヴェリーヌはムッと唇を尖らせた。
「確かに助言はいただきましたが、どうするかを決めるのは私自身です。私はアダルヘルム様と共に歩んでいきたいと思って……」
「けれど、彼は隣国の子爵令息でしょう? ヴェリーヌ様の結婚相手にふさわしくありませんわ。ヴェリーヌ様、わたくしはあなたのためを思って言っているのですよ?」
(私のため?)
――違う、と思いながらヴェリーヌの手のひらに爪が食い込む。
「私が誰と結婚をしようと、ユーフェミア様には関係ないじゃありませんか」
「関係ありますわ。わたくしはあなたが心配で……」
「違うわ。ユーフェミア様は私が心配なのではなく、ご自分が嫌なだけでしょう? だから『私のため』だと言って助言を装い、苦言を呈してきたのでしょう? 違いますか?」
ヴェリーヌが言い返すと、ユーフェミアはカッと頬を赤らめた。
「お願いですから、もう私のことは放っておいてください」
「けれど、けれど……」
「ヴェリーヌ嬢の言う通りだよ、ユフィ」
と、背後から声がかけられる。ヴェリーヌたちが振り返ると、そこにはユーフェミアの婚約者である王太子と、アダルヘルムがいた。
「殿下! それにアダルヘルム様も」
礼をしながら、ユーフェミアの表情がほんのりと歪む。どこから二人に話を聞かれていたのか不安に思っているらしい。
「友達なら、婚約が決まったことを祝福してやるべきだ。そうだろう?」
「え、ええ。けれど……」
王太子からそう言われると、ユーフェミアはアダルヘルムとヴェリーヌを交互に見ながら、不服そうな表情を浮かべる。
「わたくしはヴェリーヌ様のことが心配ですの。文化の違う土地に嫁いで、苦労をなさるのではないか、と」
「それは余計なお節介だと僕は思うな」
王太子の言葉にユーフェミアは雷に打たれたような顔つきになった。
「そ、それに、公爵家の娘であるわたくしたちの結婚は、国益につながるべきだと思いますし」
「だったらなおさら。ヴェリーヌ嬢は隣国との縁を繋いでくれたのだから、反対する理由はないだろう? ねえ、ディアーク殿下」
「え? ディアーク殿下って……?」
ユーフェミアがアダルヘルムを凝視する。
ディアークとは、隣国ジュゼヴィルムの王太子の名前だ。殿下という敬称をつけて呼ばれている以上、アダルヘルムがディアーク本人で間違いない。
「そんな! アダルヘルム様は隣国の子爵家の令息だってお聞きして……!」
「留学期間中は特別扱いされたくなかったんだよ。だから、学園ではミドルネームを名乗っていた。ヴェリーヌはすぐに気づいたみたいだけど」
アダルヘルムの言葉にユーフェミアがワナワナと震えはじめる。知らなかったから仕方がないとはいえ、己の言動の数々を思い出し恥じているのだ。
「そういうわけだから、これからは俺のヴェリーヌに構うのはやめてもらえるかな? ――俺は君のためを思って言っているんだよ?」
「あっ、あぁ……」
ユーフェミアは今にも泣き出しそうな表情でアダルヘルムを見る。それから、がっくりと肩を落としながら「申し訳ございませんでした」とつぶやくのだった。
***
「あんなふうにバラしちゃってよかったんですか? せっかくずっと隠していたのに。留学期間はあと数カ月ですが、居心地が悪くなってしまいません?」
アダルヘルムと一緒に夜会会場を抜け出したヴェリーヌは、開口一番そう尋ねた。
「構わないよ。あれ以上黙っていたら、かえってユーフェミア嬢が気の毒だからね。彼女の婚約者とも話をして、打ち明けることに決めたんだよ」
そっと瞳を細めつつ、アダルヘルムが言う。
「それに」
アダルヘルムは足を止めると、ヴェリーヌを静かに抱きしめる。
「ヴェリーヌに他の男を近づけたくなかったから」
そう口にしたアダルヘルムの頬は、ほんのりと赤く染まっている。
ヴェリーヌはアダルヘルムを抱きしめ返すと、満面の笑みを浮かべるのだった。




