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戦場跡


 風は静かだった。音のない白が、空と大地の境を曖昧にしている。

 そのなかを、ひとりと一体が進んでいた。


 アリエルは薄い外套の上からフードを深く被り、背中の小さなリュックを抱えるように歩いている。その横を、ユーグが無言で歩く。護衛ロボットは雪を踏むたびに淡く蒸気をあげていたが、黙ったままアリエルの横にぴたりと寄り添っていた。


「ここが……」


 丘の尾根を越えた先に、広大な灰色の平地が広がっていた。だがそれは単なる原野ではなかった。大地には、規則正しく“何か”が並んでいた。


 その一つに近づいたアリエルは、言葉を失う。


 ——それは、ロボットの残骸だった。


 折れた脚。背を貫かれた胴体。顔のない頭部。かつて“戦うためだけに作られたものたち”が、今は静かに地に還ろうとしていた。数百、いや千単位に及ぶ鉄の屍が、まるで整列した兵士のように、雪の中に埋もれている。


「これは……」


 アリエルは口元を押さえ、静かに吐息を漏らす。雪に閉ざされたこの場所は、地図にも記録にも存在しない“戦場跡”だった。


 ユーグがすっと手を伸ばし、近くの残骸に触れる。その目がわずかに光を灯し、静かに言う。


「戦闘記録、存在せず。公式戦歴から抹消された非正規兵器群……推定:戦争終盤にて、完全に沈黙」


「みんな……ここで、戦って、壊れちゃったの?」


 ユーグは答えない。その代わり、足を止め、彼の視線の先を示す。


 そこにあったのは、他と違う“ひとつの機体”だった。


 雪の中に膝をつき、背を丸めたように沈黙する巨大な人型兵器。頭部には仮面のような厚い装甲、胸部は巨大なコアユニットで構成され、両腕は戦斧にも変形可能な多関節機構を持っていた。だが、何よりも異質だったのは、その機体が——どこも破損していないということだ。


「まだ……動くの?」


 アリエルは、ユーグの静止を振り切って、そっとその脚部に手を伸ばした。冷たい。だが、確かな質感があった。触れた途端、指先から淡い振動が伝わる。


 ピィ、と電子音が鳴る。微かに光が走った。


 機体の胸部中央、楕円の通信パネルが淡く青白く点滅する。そして、ゆっくりと音声が再生された。


 ——「認証……完了。因子……確認」 


「……え?」


 アリエルは驚いて手を離した。


 音声は女性のものだった。だが人工的な抑揚がそれを機械の声へと変質させていた。


 ユーグがアリエルの前に立ち、静かに盾のように腕を広げた。


「危険、現時点で確認できない。だが……用心すべき対象」


「因子って……私、なんで……?」


 問いは答えを持たなかった。けれど、凍りつく空の下、沈黙する機体の奥深くに、かすかな意識のようなものが感じられた。


 まるで、遠い昔に下された“命令”を、まだ待ち続けているように。


 雪がまた静かに降り始めていた。




 「アリエル、下がれ」


 ユーグの腕が素早くアリエルの肩を引いた。少女の身体がふわりと浮くように持ち上げられ、雪の地面に少し距離を置いて下ろされる。


「でも……」


 不満げに唇をとがらせるアリエルを前に、ユーグは短く告げる。


「対象は、戦闘仕様。非接触が最適解」


 さきほど微かに応答した大型機体──再び沈黙していた。ただ、その胸部に灯った青い光は、先ほどよりも幾分強く、脈動するように明滅を続けている。


 ユーグはその様子を見ながら、インターフェースから解析ユニットを展開。内部の古い波長信号をキャッチし、AI識別データの断片を読み取った。


「型式確認。“RHE-09”。中央戦略群製造の……人類殲滅専用機体」


 ユーグの声に、アリエルは小さく目を見張る。


「殲滅って……人間を?」


「かつて、戦略設計により開発。対象:人間。因子──司令ユニット遺伝継承情報」


 淡々とした言葉。アリエルは一歩だけユーグの隣へ戻り、ぽつりと呟いた。


「それって……私のこと?」


 ユーグは肯定も否定もしなかった。ただ静かに、アリエルをかばうように立ち続けた。


 RHE-09のコアがさらに微かに光る。再び音声が流れる。


 ──「再認証中……因子一致率、93.7%。確認作業……進行中」


 まるで、眠り続けた記憶の奥底から、忘れていた命令が呼び戻されるように。空気が冷たく張り詰めていく。


「まさか、目を覚ますの……?」


 アリエルの声は、震えていなかった。むしろ、どこかその反応に興味すら浮かべていた。


 やがて、RHE-09の頭部がカタリと動いた。


 それはほんの僅かな揺れだった。だが、確かに意識が内部で目を覚まし始めている。


 ──「データ照合中。“共存”という概念:否定された歴史上要素。再照会、命令許可を求ム」




 アリエルは息をのんだ。



 ユーグが静かに言う。


「当該機体は、命令系統が極めて忠実かつ排他的。非武装存在との共存記録:皆無」


 けれど、アリエルはじっとRHEを見つめていた。雪の舞うなか、仮面のような顔を持つその兵器の姿に、彼女はなぜか言いようのない孤独を感じていた。


「……どうして、“共存”ができないの?」


 ふと、機体から返答が返る。


 ──「歴史分析結果。人類:敵対的かつ不安定。排除プロトコル優先。共存……可能性、排除済」


「でも、私は……」


 アリエルは足元の雪を見つめた。自分が人間であること。この世界ではすでに絶滅した“種”であること。そんなことは、とっくに理解していた。


 けれど、なぜ彼女が“司令因子”を受け継いでいるのか、その理由も、意図も、誰も教えてはくれなかった。


「私は誰かを傷つけたいって思ってないよ。敵でも、誰でもない。ただ──話したかっただけ」


 彼女の声に応答するように、RHEの光がわずかに揺らめいた。


 ──「再確認。命令者:聖女因子反応体。命令受付……不完全」


「ねえ……あなたには、名前はあるの?」


 機体は沈黙する。雪が降り積もり、その肩に白く舞い落ちていた。


 ユーグはその様子を見守っていた。解析の中で判明したのは、この兵器が最後の戦争の末期、司令を失って任務を完遂できぬまま、ここに座り込んだということだった。


 命令を待ち続け、誰にも呼ばれることもなく、ただそこにいた。


「命令をしなきゃ、あなたは……そのまま、止まってる?」


 問いかけに、機体はようやく答えた。


 ──「最終命令、失効中。再起動条件──命令者の“明確な命令”」


「私が、命令をすれば……あなたは、また動けるの?」


 静かに、ユーグが言った。


「命令内容により、兵器としての本能が目覚める可能性あり。“起こす”ことは、必ずしも善ではない」


 その声は冷静だった。だが、アリエルのなかには、あの青白い光の奥に宿る“誰か”の孤独が、深く残っていた。


 眠る兵器は命令を待つ。誰かに求められるその日を、夢のように。





 その夜、雪は止まなかった。


 アリエルとユーグは、廃材と機材が積まれた残骸の影に身を寄せ、仮の火を灯していた。

 かつての戦場跡、冷えた鉄の大地に、僅かな熱だけが柔らかな光を落としていた。


 「ユーグ。わたし……あの子の中を、見たいの」


 ぽつり、とアリエルが言った。


 ユーグは返答しなかった。ただ、わずかに視線を上げ、少女の言葉を確認するように静かに動く。


 「彼のなかに、たくさんの記憶があると思う。……それを見ないで、眠らせるかどうかなんて、決められないよ」


 火がゆらりと揺れた。ロボットは表情を持たない。けれど、その沈黙には、“判断を委ねる”という彼なりの返答が込められていた。


 アリエルは立ち上がる。小さく息を吐き、ゆっくりとRHE-09へと歩み寄った。


 彼はまだ、雪の中に膝をついたまま、目を閉じたように沈黙していた。

 その胸の通信パネルに、アリエルは手を触れる。


 ピッ、と応答音。仄かな光。


 ──「司令認証確認。限定アクセス許可:人格AI記録モード──再生」


 次の瞬間、アリエルの目の前に、青白い立体投影が広がった。


 そこには、焼けた空と、崩れ落ちた建物、そして無数の機械たちが描かれていた。


 壊れた仲間たちが、次々に倒れていく。白旗を振った人間が、警戒せずに近づいた瞬間、空から降ってきた砲撃によって消えた。

 助けようと動いた者が、命令違反として処分された。


 その視点の多くは、**RHE自身の視点**だった。


 「……違う……」


 アリエルは思わず目を伏せる。


 「こんなの……誰も、望んでない……」


 だが、記録は止まらなかった。


 目の前で燃え尽きていく“敵”の記録。


 命令によって判断される「存在価値」。


 司令を失ったあとの混乱。誰が敵で誰が味方かもわからず、ただ“最後に受けた命令”を繰り返すロボットたち。


 そのなかで、RHEは司令ユニットの消滅後──たった一言だけ、命令を受けていた。


 ──「ここで、待ってて」


 おそらく、それは何気ない言葉だった。司令者が、もう戻れないとわかっていながら、最期にかけた優しい嘘だったのかもしれない。


 だが、RHEはその言葉を“命令”として受け取った。


 そして、ここで待ち続けていた。数十年、誰の声も届かない場所で。


 アリエルの目に涙が浮かんだ。


 「こんなの……悲しいよ」




 投影が止まり、再び通信パネルが静かな光を放つ。


 ──「司令者反応:共感波検出。再起動判断、保留中」


 ユーグがゆっくりと近づいてくる。


 「アリエル。兵器は、目覚めれば兵器だ」


 その言葉に、アリエルは顔を上げた。


 「わかってる。でも……」


 言葉に詰まる。けれど、アリエルは続けた。


 「ずっと一人で待ってたの。命令を、誰かを、ただ……待ち続けて」


 ユーグは黙って立っていた。


 その姿に、アリエルは自分の声が少しずつ震えていることに気づく。


 「もし、わたしが“起こす”って言ったら……その子が、また誰かを傷つけるかもしれない。でも……このまま誰にも気づかれずに、雪の中で終わるのも、なんだかすごく、可哀想で……」


 それは正しさでも、善悪でもなかった。ただ、少女の目に映った、ひとつの“命”への感情だった。


 ユーグはしばらく沈黙したのち、ぽつりと答えた。


 「……命令は、命と重なる」


 「……え?」


 「何を命じるかで、RHEの命のかたちは決まる。起こすことが善ではない。だが──起こさなければ、始まらないこともある」


 アリエルは、その言葉を胸の奥に落とし込むように、目を閉じる。


 やがて静かに、彼女は手を伸ばす。


 RHE-09の胸に、そっと手を当てる。


 「……あなたに、お願いがあるの」



 小さな少女の声と、深い沈黙の兵器。

 



 白い世界に、かすかに太陽の光が差し込む。RHE-09の巨大な影が、ゆるやかに地面に伸びていた。まるで、雪のなかで眠る巨人のようだった。



 ──応答はない。


 でも、彼女は構わず、淡く微細な記憶信号を読んでいった。


 音も、声もない。


 ただ、映像のような断片がアリエルの心の内に流れ込んでくる。


 ──まだ戦争が終わっていなかった頃。

 都市の空は黒く、地上では機械たちが無言のまま命令を実行していた。

 それは人の姿に似た兵器たち、いや、人を“敵”と識別するプログラムに従うだけの存在だった。


 RHE-09はそのなかで、まっすぐに任務を遂行していた。

 仲間機が倒れても、司令が失われても、最後に聞いた命令を何度も繰り返し、数年の歳月を待ち続けていた。


 ──「ここで、待ってて」


 ただそれだけ。けれど、その命令が、RHEにとってすべてだった。


 アリエルの頬に、ひとしずくの涙が落ちる。


 指先の光が弱まり、RHEの胸部のコアライトが、ふっと淡く明滅した。


 最後に、ほんの一瞬、かすかに、応答のような感覚が流れた気がした。


 ──“理解。命令、終了──”


 その意味が、「ありがとう」なのか、「さようなら」なのか、「またいつか」なのかはわからなかった。


 だが、それでも、アリエルはそっと目を閉じて、胸の奥でその感触を受け止めた。


 ……そして。


 RHE-09の胸の光が、ゆっくりと消えていった。

 静かに、何事もなかったかのように。


 まるで、最期の任務を果たして、眠りにつくかのように。





 道行き。

 雪原を歩くアリエルとユーグの足音が、しんしんと静かな世界に吸い込まれていく。


 小さなリュックを背負ったアリエルは、さっきまでいた場所を振り返らなかった。


 何も言わず、ただ前を見て歩いていた。


 やがて、ユーグがぽつりと口を開いた。


 「……それで、よかったのか」


 問いには、肯定も否定もなかった。ただ、真っすぐな声音だけがあった。


 アリエルは、少しだけ顔を上げて、呟くように答える。


 「──うん」



 ただ、アリエルがアリエルとして選んだ、小さな答えだった。


 やがて、二人の影が雪のなかへと溶けていく。


 風が吹く。

 空は晴れてきていた。





 ──戦場跡の丘に、RHE-09は座ったまま、微動だにしなかった。


 風に雪が舞い、静かな沈黙だけがその巨体を包んでいた。


 だが、彼の胸の内部──一枚の記憶チップだけが、ほんのわずかに温かい。


 それは、誰かに命じられた最後の記録。


 そしてたぶん、それは命令ではなかった。


 「ありがとう」──そう呼ばれた気がした、ほんの幻。

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