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空を見たがる飛行ドローン

 

 吹きすさぶ風が荒野をかけ抜ける。砂混じりの粒が鉄骨を叩き、どこかで軋むような音がする。ここはかつて風力発電群が広がっていた地帯。いまではそのほとんどが倒壊し、風車はただの骨組みになっていた。


 その風の中を、少女とロボットが歩いていた。



「ねぇユーグ、今日の風……ちょっと、強いかも」


 アリエルが言った。彼女の肩には小さなリュック。足元は砂に埋もれたコンクリートを踏みしめ、重たい音を立てている。


「想定内だ。視界は良好。熱源反応、なし」


 傍らを歩く護衛ロボット、ユーグは淡々と答える。厚い外装、光を帯びたセンサーヘッド。彼はアリエルの護衛機として常に行動を共にしていた。戦闘能力も高いが、必要以上の言葉は発さない。無駄を嫌う構造と設計思想。



 ふたりは風力施設の残骸のひとつに足を踏み入れた。金属の支柱に囲まれたそこは、もとはメンテナンスヤードだったのだろう。荒れ果ててはいるが、かつての稼働の気配を残している。



 その隅に、転がるようにして倒れている小さな機械があった。


「……あれ、ドローン?」


 アリエルが駆け寄る。丸い胴体に、かつては翼だったであろう破損したパーツ。風で羽ばたくように揺れていた。


「動作反応……微弱。自己発電が機能しているようだ」


 ユーグがセンサーモードに切り替えて言う。アリエルはそっとそのドローンに触れた。


 すると、壊れかけたスピーカーから、ノイズ混じりの声が発せられた。


『……ソラ……、トビタイ……』



 少女は目を瞬いた。機械が、夢を見る?


「あなた……空を飛びたいの?」


『アオ……、カゼ……、ヒカリ……、ソラ……イチド、デイイ……』


 言葉は不明瞭だが、確かに感情に似た熱があった。


 そのドローンは、飛べなくなっていた。片翼は損傷し、内部の推進ユニットも劣化が進んでいる。


「ユーグ……直せるかな?」


「修復は可能。ただし部品は不完全。飛行試験は推奨しない。破損の危険が高い」


 アリエルは小さく唇を噛む。そしてふっと笑った。


「でも、飛びたいって言ってるんだもの。ねえ、夢ってさ──たとえ一瞬でも、叶えてあげたいよ」


 風が吹く。雲が裂け、淡く青空がのぞいた。


 彼女はその空を見上げながら、壊れたドローンを抱えるようにして言った。


「よし、じゃあ……名前つけようか。飛びたいあなたに。名前があると、夢ってもっと近くなるよ」


 ドローンは小さく震えた。風に押されるように、微かに浮き上がった。


『……ナマエ……?』


 アリエルはにっこり笑った。


「うん。……“スカイ”、ってどう? 空に憧れる、あなたの名前」


 ドローン──スカイは、ノイズの奥でひとつ音を立てた。


『……スカイ……キニイッタ……』


 ユーグはその様子を見守りながら、わずかにセンサーを振るわせた。彼にとって「夢」という概念はまだ、データにない。



 ユーグはその様子を見守りながら、わずかにセンサーを振るわせた。彼にとって「夢」という概念はまだ、データにない。


 けれどこの旅は、またひとつ──


 ひとのように夢を見る、小さな機械との出会いから始まった。





 薄曇りの空の下、アリエルは膝をつき、壊れたドローン──スカイの機体を丁寧に開いていた。彼女の指先は慣れていないながらも慎重で、壊れた回路を傷つけないように動いている。


 ユーグがその横で、スキャンを行っていた。


「推進ユニット:消耗90%。エネルギーセル:代替可能。飛行翼:片方のみ補修可能」


「……うーん。やっぱり、完璧には治らないのね」


 アリエルは苦笑しながらも、諦めた様子はない。


「でも、一回だけでも。スカイが空を飛べるなら」


 ユーグは無言で補修用の部品を差し出す。それは旧式の配電ドローンから取り外したもの。互換性は低いが、形は似ていた。


『……アリエル……、アオイ……ソラ……シッテイル……?』


 突然、スカイが話しかけた。音声出力にはまだノイズが混ざっているが、その調子はどこか優しかった。


「うん。何度も見てる。ね、飛んだときって、どんな感じだった?」


『……チイサクナル……、アシオト……キエル……、カゼガワラッテ……アオガヒロガル……』


 スカイの語る空は、まるで詩のようだった。記録ではなく、感覚として刻まれた何か。それが、アリエルの胸に残る。


「スカイ。あなた、ほんとに空が好きなんだね」


『……ウマレテ……ソレシカ……シラナイ……。ダカラ、モウイチド……』


 アリエルは作業を止めて、そっとその機体を撫でた。


「もう一度、ね……大丈夫。きっと飛べるよ」


 スカイは微かに振動して応える。


 アリエルは笑いながら言ったが、その目には緊張が宿っていた。スカイの内部パーツは古く、あと何度この推進動作に耐えられるかはわからない。


 ユーグは静かに状況を見守っていた。その目──いや、センサーには、アリエルとスカイの間に生じた“非効率”なやりとりが映っている。だが彼は、何も言わなかった。


 その夜。風は止み、空には星が浮かんでいた。


 アリエルは焚き火の火を囲みながら、リュックからノートを取り出す。


「ねぇスカイ。私、空の絵を描くの好きなの。ほら、これ」


 開いたページには、色鉛筆で描かれた夜空と風車、そして飛行する鳥の姿。


『……トベル、トリ……』


「うん。スカイも、飛べるよ。鳥みたいに、風に乗って」


『……ソレ……ナレタラ……ウレシイ……』


 スカイの音声に、どこか微笑みのような抑揚があった。


「じゃあ、次の挑戦は明日だね」


 少女は微笑み、火を見つめた。


 一方で、ユーグはスカイの推進コアに接続していた。小さな、しかし確実に進行する損耗。予測稼働時間は──あと一度。たった一度の飛行。


 それを、ユーグは口にしなかった。




 その夜、スカイは夢を見た。データログの中に残されていた空の断片が、静かに再生されていた。


『──アオ……ヒカリ……カゼ……』





 そして朝が来る。




 風は穏やかだった。高台の上、アリエルは静かにスカイを手に抱き上げ、空を見上げていた。



「今なら、きっと行けるよね?」


 スカイの機体はかすかに振動し、低く推進ユニットがうなる。古びた部品が懸命に稼働し、最後の力を蓄えているのがわかる。


 ユーグは一歩後ろに立ち、淡々と状況を確認していた。


「風速、安定。飛行可能域に到達。現在の機体状況では、最大飛行時間は三十秒──」


「三十秒でいい。……たとえ、それっきりでも」


 アリエルは小さくつぶやく。そしてそっと、スカイを宙へと差し出した。


「行っておいで、スカイ」


 風が、応えるように吹いた。


 その一瞬、スカイはふわりと浮かんだ。回転翼が風を受け、機体がぎこちなく傾きながらも、空へと舞い上がっていく。


『……トベル……! ソラ……!』


 ノイズ混じりの音声が、嬉しそうに響く。アリエルは両手を胸元に重ねて、その姿を見守った。


 高く、高く。まるで夢をなぞるように、スカイは昇っていく。軋みながら、羽ばたきながら、それでも確かに──空を飛んでいた。


 だが。


 警告音。


「ユニット温度上昇、限界を超過──」


 ユーグが動く。視線を空へと送り、スカイの挙動に細かく反応していた。


 スカイの機体が震える。推進装置が赤熱し、バランスが崩れ始める。それでも彼は、空を見ていた。アリエルが描いた絵のように、風の中を滑る鳥のように。


 そのときだった。


 突風が、吹き抜けた。


 スカイの機体が一瞬あおられ、空中でくるくると回転する。


『……マダ……トベル……!』


 彼は最後の出力を使って姿勢を立て直した。推進ユニットが悲鳴をあげ、翼の一部がちぎれ飛ぶ。だが、その瞬間──


 彼は、真っすぐに前を向いた。


 青空に向かって、風を切りながら、真っ直ぐに。


 光の中を通り抜けていくように、まるで自由そのものだった。


 そして、限界。


 音が消え、ユニットが停止した。


 スカイはゆっくりと落下を始める。


「スカイ──!」


 アリエルが駆け出す。その姿を遮るように、ユーグが瞬時に飛び出した。


 その分厚い腕が、空から降ってくる小さな機体をぎりぎりで受け止めた。


 スカイの胴体は焼け焦げ、片翼は消失していた。


 だが、彼の小さなセンサーは、まだ微かに光を灯していた。


『……トベタ……。アリガトウ……アリエル……』


 少女の瞳に、涙がにじむ。


「……ううん、こっちこそ、ありがとう。私、忘れないよ。あなたが見た空──とっても綺麗だった」


 スカイは、その言葉に応えるように、静かに振動を止めた。


 彼の夢は叶った。


 空を飛ぶという、ただそれだけの──けれど、かけがえのない夢。




 静かな風が吹いていた。


 丘の上、アリエルは膝をついて、壊れたスカイの機体を両手に抱えていた。


 ユーグが隣で立っている。センサーヘッドは沈黙し、彼もまた、この余韻の中にいた。


 スカイは動かない。熱を持った機体は冷めつつあり、内部から微かに煙が昇っていた。だがそのボディには、確かに「飛んだ」証が刻まれていた。


「ねえユーグ、スカイは……ほんとうに、空を飛んだよね」


「映像記録は残っている。飛行高度、およそ二十三メートル。飛行時間、約二十四秒」


「……数字じゃないよ」


 アリエルはふっと笑い、目元を拭った。


「もっと、すごかった。あんなに一生懸命で、嬉しそうで。スカイの“夢”、ちゃんと叶ったんだね」


 彼女はスカイの機体をそっと地面に置く。そして、リュックから小さな金属ケースを取り出した。


 その中には、簡易的な保存装置と、データチップ。スカイの記録ユニットだ。


「これは、持っていくね。いつか、また誰かが……空を飛びたいって思ったとき、スカイのことを伝えられるように」


 ユーグは無言で頷いた。彼のシステムにおいて、“夢”という概念は依然として定義が曖昧なままだ。だが、その曖昧さが何故か──いまは尊いものに思えた。


 アリエルは小さな石を拾い、スカイのそばに並べた。三つの石を円形に並べ置く。


「ここに、ちいさなお墓をつくるよ。風の丘に、空を見たがるドローンのおはなしを」


 風が、また吹いた。


 そのとき、アリエルはユーグの方へ向き直り、問いかけた。


「ユーグ、わたしたち……いつか、もっと高く飛べるかな」


「未知数。だが、上昇は可能だ」


 その答えに、アリエルは笑う。


「うん、上昇……いいね」


 スカイの残骸に最後の視線を送り、ふたりは歩き出す。背後に広がる空は、どこまでも淡く青い。


 ユーグはふと、歩きながら問いかけた。


「アリエル。名を持つことは、意味があるのか」


「うん、あるよ。だって名前があると、その存在が“ここにいる”って証になる。夢も、記憶も、想いも──名前があるから、残せるの」


「……理解した。次に出会った機械にも、名を与えるか?」


「その時は……その子の“想い”があったら、ね」


 風がまた吹く。


 ふたりの背中は夕陽に照らされ、長い影を落としていた。


 旅は続く。


 夢を見る機械たちと出会いながら──


 人のように、空を見上げながら。


 ──廃墟の丘には、ちいさな金属の残骸と、並べられた三つの石。


 もう動くことのないボディに、光は宿らない。


 けれど、その静かな場には、確かに“夢”が残されていた。


 ──風に舞う記憶の中で、小さなドローンは、今も空を見ている。




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