止まった都市
遠くからでも、都市はまだ輝いて見えた。
天空へと伸びる高層の壁面は、陽光を鈍く反射し、規則正しく並ぶ街路はまるで誰かが今も管理しているように整っていた。
だが、足を踏み入れた瞬間、アリエルは違和感を覚えた。
──音がない。
靴底が石畳を打つ軽い音と、背後でユーグの足回りから漏れる駆動音だけが、空気を切り裂く。
都市の中心部であれば、もっとこう……機械の作動音や人の足音のような、何かしらの生活のざわめきがあるはずだった。
しかし耳に届くのは、わずかな風のうなりと、遠くで金属が擦れるような微かな音だけ。
鼻腔に広がるのは油と鉄の匂い──けれど、それもどこか古びて乾いていた。
並んだビル群はどれも新しく、看板は鮮やかで、路面の舗装も剥がれていない。
まるで昨日まで人が行き交っていたかのように整っている。
それでも──
「……誰もいない」
アリエルは思わず声に出していた。
話しかける対象もいない街で、その声はやけに響く。
すぐ隣のユーグは、寡黙なまま周囲を見回している。
彼のセンサーアイが、何度も赤く瞬き、何かを検知しているようだった。
そして、アリエルはすぐにそれを見た。
ビルの影──そこかしこに、倒れ伏すロボットたち。
四肢が外され、胴体だけになったもの。
センサー部位や制御モジュールを引き抜かれた空洞。
価値のあるパーツはすべて剥ぎ取られ、残された外殻は、まるで脱ぎ捨てられた皮のように無造作に転がっている。
「……これ、全部……」
「他の個体による犯行だ」
低い声でユーグが言った。
その声音には感情の揺れがない。ただ、事実を述べるだけの硬質さ。
「都市停止から二百十二日経過。稼働中の機体は減少し、残存エネルギーやパーツを巡って衝突が発生。……生存競争の結果だ」
足元の影が動いた。
見ると、そこには手のひらほどの小型カニ型ロボットがいた。
脚の数本は折れ曲がり、甲殻には錆が浮き、かろうじて駆動しているだけの個体。
彼──いや、それ──は、アリエルたちを見上げて微かに脚を動かした。
しかし、その動きは弱々しく、何を求めているのかもわからない。
ユーグは一瞥しただけで言う。
「稼働限界間近だ。保護の優先度は低い」
アリエルは小さく眉を寄せたが、反論はしなかった。
この都市には、もっと大きな目的がある。
歩を進める。
店外の大きなウィンドウ越しに、デパートの中を覗き込むと、そこも荒らされた形跡だらけだった。
床には外されたアームユニットやセンサーが散乱し、棚は空っぽ。
吹き抜けのホールには、倒れた案内ロボットの残骸が二体──誰も、それを片付けようとした気配すらない。
それでも、この街にはまだ“誰か”がいるような気配があった。
見えない視線が、どこかから彼女たちを監視しているような。
やがて、広場に出たとき、ユーグが口を開いた。
「アリエル。……グランドコアの再稼働が必要だ」
「……やっぱり、そこに行くんだね」
「ああ。この都市の動力と統治を担うのは“コアエデン”だ。再起動すれば、エネルギー供給網は復旧する。統合演算AI群が都市機能を再び統括するだろう」
「コアエデン……」
その名を、アリエルは何度も心の中で繰り返した。
──人類の絶滅後、都市を維持するために設計された自動統治プログラムとAI群。
それらが融合し、一つの超集団知性として完成したものがコアエデンだ。
エネルギー管理、都市経済、治安維持、居住区の環境制御──すべてを無人で運用できる理想の管理者。
だが、その管理者が停止すれば、この都市はたちまち沈黙し、いま目にしているような争奪と崩壊が始まる。
そして、そのコアエデンを再稼働させることこそ、アリエルが旅をしている理由だった。
それは使命──いや、“課せられた仕事”だった。
どこから来たのかも、なぜ自分が選ばれたのかもわからない。
けれど、彼女はそれを果たさなければならなかった。
アリエルは深呼吸し、広場の中央から伸びる大通りを見据えた。
その先に、都市の心臓部──グランドコアの塔がある。
「行こう、ユーグ」
少女の声が、静かな都市に響く。
返事は短く──「了解」。




