受けた通告
フォンテラル高位魔導学園の上層棟──理事長室。
天井の高い書斎。重厚な木製のデスクと壁一面の魔導書棚。窓から差し込む朝日が部屋の床に長い影を落とす。
その中心に、老人が一人、静かに腰を掛けていた。
──オルディス・エンバース。
学園の理事長であり、魔導理論と教育政策の権威。
白髪に眼鏡、落ち着いた口調と飄々とした物腰をもつ老紳士。
この日もまた、彼は蒸気の立つ茶を片手に、各部門から上がってきた魔導報告書へと目を通していた。
その表情は柔和ながら、その奥に隠された知恵と胆力が滲み出ている。
過去に幾度となく、政治的な火種と正面から向き合い、騎士団や軍部の圧力を受けながらも学園の独立性を守り続けてきた人物だ。
この瞬間もまた、彼にとっては“理事長としての役割”を静かに果たす場でしかなかった。
そう思いながらページをめくる彼の耳に、わずかに廊下からの足音が届く。
規則的で、重みのある、軍靴特有の音。
オルディスは顔を上げる前から、誰が来るかを理解していた。
次の瞬間、重厚な扉が勢いよく開かれ、入ってきたのは銀鎧を纏った一人の女性だった。
──マリーナ・ヴェル=リシア。
学園内の騎士団教育部門を統括する女騎士。20代半ばにして<騎士団教育主任>となり、その冷徹な判断力と卓越した指導力で知られる存在。
金髪を高く結い、煌びやかな赤と白の儀礼鎧に身を包んだその姿は、まさに“騎士の象徴”そのものだった。
「理事長、今朝の通達、確認しました。──なぜ彼を戻すことを許可なさったのですか?」
オルディスは顔を上げ、にこりと目尻を下げた。
「おはよう、マリーナ。随分と早い訪問だ」
「答えてください」
「焦るでない。茶でも出そうかと思ってな」
「茶はいりません」
彼女の声には感情がこもっていなかった。ただ、理不尽に対する疑念だけが静かに滲んでいた。
「サンゴ・ブライト。確かに実力は認めます。しかし、あの男は中退者です。それも、自ら進んで学びを捨てた者。再び教導に立つなど、矛盾ではありませんか」
理事長は穏やかに書類を閉じ、手元のカップを一口啜った。
「マリーナ。君はいつも理を重んじ、理想を追う。だが彼は──理に縛られなかったからこそ、生き延びてきた」
「……それが、学ぶ者に教える資格に値するというのですか」
「値するかどうかは、君が見れば分かるだろう」
マリーナは沈黙した。
静かに踵を返し、扉に手をかける直前、その背中越しにもう一度だけ言葉を投げかける。
「私は、彼の教導に反対です。万が一、生徒たちを傷つけるようなことがあれば──そのときは、私が責任を取ります」
そしてそのまま、静かに出て行った。
理事長──オルディス・エンバースは、誰に語るでもなく呟いた。
「責任、か……それが誰にあるのか。君たちはまだ、知らぬままで良い」
白髪に眼鏡、落ち着いた口調と飄々とした物腰をもつ老紳士。
だがその裏には、過去に幾度もの政治的火種と正面から渡り合い、学園の独立を守り抜いてきた知恵と胆力が隠れている。
その日のやり取りもまた、彼が理事長としての役割を静かに全うする場であった。
カップに残った茶の香りが、静かな部屋にほのかに立ち込めていた。
軍管轄の通信室では、灰色の制服に身を包んだ男が無言で報告を受けていた。
──グラン・ゼフィルド。
この学園の軍部科を卒業後早々に前線指揮官として名を馳せた若き実戦派の軍人であり、現在は学園への軍部窓口を担う管理官を担う。
その漆黒の短髪に切れ長の目、軍服の左袖には深紅の紋章が浮かぶ。
佇まいは威圧感こそないが、内に秘めた炎のような視線が周囲の空気を引き締める。
「──サンゴ・ブライト、再登場を確認。対象は現在、学園内補講にて教導活動中、か。なるほどね」
淡々と報告するグランに対して、上官の女性──カティア・ラインベルク中佐が目を細めた。
細身の体格に深い紺色の軍服。肩章には金糸の縁取りが施され、内政および教育部門との接触を主務とする階級章が輝く。
整った顔立ちに端正な口元、切れ長の目元は冷たさすら帯びており、部下の誰もが不用意に声をかけることを躊躇う威圧感を持っていた。
「グラン、彼が戻ってきて君も楽しみだろう?」
「中佐、私は職務を全うするまでです」
からかうようなカティアの口調とは別にグランの言葉には静かな警戒と、ほんの僅かな期待が潜んでいた。