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いつかは天才になる

作者: いわかみあ

 じゆうに、と奴の口は動いた。黒板には九九の計算式を担任が書いている。俺は三の段から少し分からなくて鉛筆を持つ手が止まっていた。プリントを見つめていると斜め前の席に座る高哉たかやが振り向いて俺の方を見ながら口を動かしたのだ。

 「じゆうに」

 「何だよ」

 俺は高哉に言い返す。

 「だからよ、お前止まってんの三×四だろ。サンシはジュウニだ」

 高哉はそう言ってもう一度、ゆっくり口を動かした。俺は高哉の声と口の動きが頭のなかに残ってしまってプリントに空欄になっている三×四の箱に数字を書き入れることができなかった。俺はそんな状況になってしまったことの腹いせに高哉に言ってやった。

 「お前、カラスみたいなやつだな」

 「カァ」

 高哉は笑いながら言った。


 小学生の頃から何かと高哉とは席が近くなったり、同じグループになったりすることが多かった。俺も高哉も友人は多い方ではなかったが高哉と俺では決定的に違うことがあった。それは女子からよくモテていたことだ。短く髪を丸く切り揃えていて艶のある黒髪とうなじが見え、伏し目がちのまつ毛の長さ、そしてよく一人で窓際で文庫本を読んでいたことの憂さなどを高哉は身にまとっていた。女子たちからの注目を浴びながらも、その声には応えず一人でいることを選んだ。高哉は女子と男子に関わらず、クラスメイトや学年から一目置かれる存在だった。

 小学校を卒業して中学に入学した。俺と高哉は同じ中学校に上がったが同じクラスになったのは中学二年の時だった。一年の時は中学に馴染むことに俺は専念していたため、クラスの違う高哉のところまで関わりに行くことはなかった。高哉はどういう事情だったかは知らないけれど、廊下ですれ違う時などは一人で歩いている姿を見かけた。

 中二の秋。文化祭の出し物で舞台演劇をすることになった。

 「松井くんは音響で」

 学級委員の女子が黒板に俺の名前を書き込む。

 「中嶋くんは主役の男の役で決まり」

 教室内がわっとどよめいた。中嶋はクラスのなかで目立った存在で話も上手いし中学校に上がってから注目されていた。そんな中嶋も自分が主役に抜擢されることをだいたい分かっていたのか、野球のヒーローインタビューめいて周囲の声に応えるように微笑みながら歓声に応えていた。

 「通行人の役は佐藤くん」

 高哉はその役に決まった。


 演劇の練習は体育館の裏にある自転車置き場で行われることが多かった。ほぼ空き地としたスペースで台本を持ちながらセリフを読み上げて練習をする。俺もどの場面で音響を鳴らすのかを理解しなくてはならなかったので、練習のほとんどに参加した。

 中嶋のセリフは多く、身振りや仕草なども細かに表現しながら演じていた。一方、通行人役の高哉は二文ほどのセリフを言って、公園のベンチで座る役だったので、ほとんどをじっとしていた。高哉の役としては十分に役を演じている、演じているかどうかといえば普段通りの高哉のままだったが、俺には十分に思えた。

 しかし、中嶋はそうではなかった。

 「おい、佐藤。お前の演じ方、全然なってないよ。端役だからって適当にすんなよ」

 中嶋は高哉に言った。高哉はその言葉を聞いて中嶋をじっと見つめて黙った。

 そんな様子を見て脚本をつくった女子はあわてて仲裁に入りその場をおさめた。練習を再開し直して、その日の練習は終わった。高哉はそのやりとりがあった後も自分なりの演技をほとんど変えずに演じた。その高哉の様子を中嶋は不満げに見つめていた。


 一人で帰っていた時、俺は河川敷の道を歩いていた。川は穏やかに流れていて川の中央に自然と積み上がった場所に白サギなどの水鳥が飛んでは降り立ってという景色が繰り返されていた。俺は川を眺めつつ、ふと何処からか声が聞こえてきた。前方には橋が架けられていてその下を川と道が続いている。そこで発声している人物がいた。

 「高哉」と俺は言った。しかし高哉は俺の呼びかけが聞こえず、まだ何かを発声していた。俺は橋の下にいる高哉のもとへと近づいていく。高哉の声がよく聞こえるようになった。高哉は朗々とした声で連なるセリフのようなものを口にしていた。川のように連なる高哉の声は橋の下で反響し、迫力があった。

 俺は、足を止めて言った。

 「高哉!」

 高哉は俺の声にようやく気づいて言った。

 「……ああ、聡か」

 高哉の手は何も持っていなかったが、言葉を発しながら何かを訴えかけるように両手を前に出していたので、セリフを止めてその両手もおろした。

 「お前、何やってんの」

 「セリフの練習」

 「でも、お前のセリフってそんなに長くないだろ」

 そう俺が言ってから、高哉は自分の手のひらを見つめて、そして橋の下の天井を見上げてから俺のほうを見て言った。

 「これはシェイクスピアの演劇のセリフだ」

 高哉は真正面から俺を見て言った。

 「リア王を題材とした映画を見たことがある。その時に演じていた俳優がリア王のセリフを言っていた。あんなに迫真の演技は見たことがなかった。何度も繰り返して俺もセリフを覚えた。そのセリフの練習だ」

 高哉はそう言って顔を川のほうへ向けた。

 文化祭での演劇の練習の時の高哉のことを俺は思い出していた。

 「俺は、舞台でリア王のセリフを言って演じたい」

 高哉のその言葉が橋の下で何度も反響して俺の耳のなかに残った。


 高哉とはそれ以来、会うことはなかった。俺は大学まで行って新卒で会社に入社し、三年目の年を迎えている。仕事に対してはそれほど熱心ではなかったが、同僚ともいい関係をつくることができ何とか居心地よく過ごせている。

 電車に乗るために駅の改札を抜けようとしたところで、あるポスターを見かけた。それはシェイクスピアの演劇の公演を知らせるポスターだった。俳優の写真には、老いた男性のメイクをした男が映っている。高哉だった。

 「あいつ、自分で夢を掴んだんだな」

 俺は言って、その初演のチケットを購入した。

こちら私設賞「古賀コン」への応募作品です。今回のテーマは「孤高の天才未満」で執筆しました。1時間以内で書くというルールがあるのでその時間内で、テーマに沿った作品を書きました。

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