第36話 急転
僕はそのあともいくつかの資料に没頭した。
午の刻を越え未の刻が迫ってきたころに軽食を摂った。
例の干し柿をデザートに食べた。
やはり抜群に美味しい。
これだと『甘露屋』は将来も安泰だろう。
いまごろ忠之助くんはどうしてるだろうか。
そんなことをふと思いながら最後の一口を食べ終える。
あれから『甘露屋』に足を運ぶことはめっきりと減った。
まあ、猪さんの事件前の頻度に戻ったというべきか。
あのころも頻繁に通っていたわけではないし。
『甘露屋』はたしかになにかありそうだとは思うのだけれど、もう事件は解決してしまった。
ゆえに捜査的な行動を取るわけにはいかない。
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鴎はまだ戻ってこない……なにかあったのだろうか?
いつもなら午の刻、つまり昼までには戻ってくる。
それでもときどき小さな揉め事の仲裁をしていたり簡単な相談にのっていたりすると大幅に遅れて帰ってくることもあった。
それほど心配することでもないか。
ところが未の刻半のときだった。
鴎のなにやら慌てた声が聞こえてきた。
震えた声が僕に近づいてくる。
僕は小屋のなかからその方角をながめる。
声のニュアンスでわかる事件発生だ。
なにもなさそうだと思っていた一日が急転する。
「青鬼さ~ん!」
鴎はどこにもぶつからずに止まることができるのだろうか? というほどの速度で、開いてあった窓へと急降下してきた。
「青鬼さん。事件発生です」
顔の前で小さく風が騒ぐ、僕は反射的にのけ反っていた。
鴎が一緒に連れてきた風がブワっと書類を舞わせた。
僕はそれらが飛散しないように肘でとっさに押さえていた。
「えっ、どんな事件ですか!?」
僕はめくれ返ろうとするつぎのページを片肘で抑えながら訊いた。
鴎は落下してきたさいトップスピードを瞬間的に殺していたようだ。
さすがは自分の体はばたきの強弱をうまく制御している。
「あ、赤鬼さんが……さ、殺害されていました」
「えっ!?」
僕はとっさに!をあげていた。
「どこで?」
早口になってしまう。
「それが鬼ヶ島です」
「鬼ヶ島ですか? とういうことは自分の家で殺害されたということになりますよね?」
「はい。死因はおそらく撲殺です」
「撲殺? ……そうですか」
僕は事件と判断してすぐに出発の準備を整える。
言葉を話せるあやかしの殺傷事件も防人の仕事だ。
風呂敷に荷物を詰め込みながら鴎が記憶している現場の様子を詳しく訊きだす。
「記憶のなかにある印象的なできごとなどをメモしてください」
「はい。わかりました」
鴎は瞬時に人型へと姿を変えた。
人になった鴎の右腕にはやはり包帯が巻かれていた。
鴎は上空から鬼ヶ島をながめた当時の状況を僕に説明しながら大きな切株の上で参考になりそうなできごとをメモ用紙に書き込んだ。
鴎には例の能力があるから鳥瞰図としてそのままを図形化することができる。
「では、いつものように初動捜査に当たってください」
重要項目を書いたメモ用紙を僕はビリっと破いた。
これは大事なメモだ。
事件の進展に必ず役に立つはず。
「はい」
僕が現場に足を運び、鴎は周辺や関係者への聞き込みをする。
それが僕らの捜査方法だ。
翼を持つ鴎が飛んで情報収集することは、とても理に適っていると思う。
いままでなんどそれを思ったことか。
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